2010年 03月

「息もできない」。 「フィリップ、きみを愛してる」のスマートさとは対照的


息もできない / Breathless

「渇き」の最後で言及していた韓国映画。大当たりではないが自分にとっては久しぶりにアタリの韓国映画となった。一応バイオレンス映画だが死や血の臭いはコトの最後の最後になってしか出てこない。それまでは主人公サンフン(ヤン・イクチョン)が借金取り立て屋というアウトローであっても暴力団とは違うということで、銃や刃物はあまり使わない。パンチに張り手、そして罵声で暴力が表現されるのがいい。この手による暴力が彼にとってのコミュニケーション手段になっている。同じようなことはサンフンと女子高生ヨニ(キム・コッピ)の関係にもいえて性的な臭いをあまり感じさせない、それだけに漢河ほほとりでたたずむ2人の姿が効果的になっているように思う。

見ながら思い出したのは初期北野武映画だった(といつつ記憶はかなり薄れているのだが)。暴力シーンが多いだけではなく、長くも短くもない暴力の積み重ねの加減や、ときおり入るギャグ・パートも含めたタイミングの良さがそう感じさせるのかもしれない。その辺は俳優兼監督ならではの感覚だろう。

ヒロインのヨニも良いのだが途中から出てくる彼女の弟役ヨンジェ(イ・ファン)が予想以上に良かった。初登場時の色が染まっていない状態、そこから道を外れてゆく様子が面白かった。主要キャラクターではないので彼に常にスポットが当たっているわけではないが、彼をチラッと見ると前とはずいぶん変わったというような感じがして良かったように思う。ヨンジェはサンフンとユニの関係に異物として作用する。

主人公と女子高生の抱える家庭の問題構造は似ているだけでなく、親の暴力が子供に受け継がれ、その暴力がトラウマを引き起こすという入れ子状態になっていている。この父親という重石は面白い。劇中で「金日正という仮想敵の存在がなくなったときに韓国は困った」のようなことを言っていたと思うが、この重石が取れたときに真の自分と向き合わなくてはならないということだ。この映画のラストでは二人の男の違い、つまり重石の取り方の違いや、取ったときに見えた自分の評価の違いが道をわけることになる。悲劇を生んだ彼の選択のほうが新しいのか古いのかよく分からない。

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登録日:2010年 03月 28日 21:52:26

「フィリップ、きみを愛してる」。 「渇き」のように前提となる設定を省略し、より軽やか


フィリップ、きみを愛してる / I Love You Phillip Morris

2009年のサンダンス映画祭はチェックしていたのでこの映画の存在は知っていた。当事カリフォルニアのProp 8が話題になっていたので同性愛題材が少なくない同映画祭のボイコットの動きもあったのだ(なにしろユタだし、周防監督の本も参考のこと)。

いきなり出てくるクレジットはユーロコープ、あのリュック・ベッソンの会社だ。たしかに今のアメリカではこの内容は無理か。それに続くオープニングは雲が出てくる「ルドandクルシ」と同様にここは神視点というか非現実的な話が始まるというサインである。それが事実に基づく話であってもだ。その証拠にいきなり病院のRのベッドの上にいるジム・キャリー、命の危機かと思うがたしかモデルの人は懲役190年かなんかじゃなかった?と思い出す。そんなはぐらかしこそこの映画の世界観なのだ。

そのようにしてキャリー演じるスティーヴンのヘンな人生を見ながら、奥さんが登場していて"この映画はたしかゲイ映画のはずだよなあ"と考えていると同性愛の場面が急に出てくる。この唐突な展開はコメディ映画ならではの魅力だ。この映画ではゲイであることのハードルは低く、禁断の愛としては表現されていない。スティーヴンと恋人(ロドリゴ・サントロ!)はフロリダで豪遊、タイトルに出てくるフィリップ(ユワン・マクレガー)は刑務所で互いに一目ぼれという分かりやすい流れになっている。

宣伝ではIQ169というのが使われていたと思うが本編では出てこなかったように思う。警官を辞めて恋人のためにあらゆる詐欺をやりつくし捕まる。そこではスティーヴンの才能よりキャリーのそれのほうが目立つ。刑務所内での密かに色々なものをやり取りする姿は「ショーシャンク」を思い出す。スリルのあるやり取りというよりはコメディ演出により、サクサクと手際良過ぎる描写が楽しめるさまは、まさにやりすぎジム・キャリー。

途中でスティーヴンが養子であることが判明し、兄弟の中で自分だけが養子なのを嘆くがモデルの人はどうだったのかは知らないが、これは今の自分は本当の自分ではないということを示しているわけで、ここからの一連の流れで警官というお堅い職業を辞めて妻にゲイだということになるのは象徴的である。この嘘をつき続けるスティーヴンの人生は恋人のためだけではなく、永遠の自分探しだとも言える。

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登録日:2010年 03月 28日 21:44:05

「渇き」。 「パーシー・ジャクソン」と同じく迷走気味だが勢いがある


渇き / Thirst

2009年の映画総括でもふれたが昨年は評判のいい韓国映画との相性が悪かったのだが、「オールド・ボーイ」のパク・チャヌク監督新作でもそれに歯止めはかからなかった。この作品の場合後半が見所であると同時にだれるところもあるので仕方ないのだが、それでもヒロイン(キム・オクビン)の暴走とエロスは彼女がどちらかというと童顔なだけに印象に残る。さらには減量してこの神父役に挑んだソン・ガンホの姿は捨てがたい。

神父(ソン・ガンホ)がバンパイアになる話だが、アジアが舞台なだけに数々のお約束は少ない。もちろん血に飢え、日光には弱い。あとは身体能力が上昇することか、このときの描写がチープなワイヤー・アクションなのがいい。そしてこの物語には敵やバンパイア・ハンターも登場しないので他者との戦いにならずに、もっぱら自制心との戦いになる。なにせ神父は病院に行って意識のない人間からチューチュー吸う姿は滑稽だ。

神父は変身後に幼馴染の家に通うようになる。この幼馴染はやや頭が弱いようで、母親が力を持っている。嫁はかつて家族が養子にしていた娘ということもあり家の中での立場は低い。神父はこの嫁に惚れてしまい、結ばれた後に彼女もバンパイアになる。バンパイアになってからのヒロインの行動は神父より大胆だ。これは男と女の違いというよりは自制心を持ち続けている神父と、夫や姑からの抑圧から解放されたヒロインとの違いだ。

この監督ならではのいやらしさは夫の扱いもさることながら、姑の身体を動かせない状態にしておくことだ。目だけで意思を伝えようとするところは趣味が悪いと思いながらも見所のひとつ。バンパイア物で恋愛が出てくれば悲恋になるしかない。一番美しいのは美女が男性バンパイアを殺すという結末だが、ここではそうはならない。ラスト近くでは無駄な抵抗をするヒロインとそれをいさめるような神父、この対比が面白い。

などといいつつ次の韓国映画として「息もできない」を予定に入れている。

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登録日:2010年 03月 26日 23:36:30

「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」。 「ブルーノ」と同様ひねりは足りない

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々 / Percy Jackson & the Olympians: The Lightning Thief

「ホーム・アローン」「ハリー・ポッター」のクリス・コロンバス監督最新作。日本では「RENT/レント」以来の作品だが、アメリカではこの前に「I Love You, Beth Cooper」という映画が公開して、失敗に終わっている。「RENT」のときも思ったのだがこの人はキャリアがあるのに積み上げというものが感じられない。「RENT」は慣れないのミュージカルなので、全体の流れがぶつ切りになるのは仕方ないのかと思っていた。しかしこの「パーシー・ジャクソン」は「ハリー・ポッター」とは規模がかなり小さいとはいえファンタジーという同じジャンルなのにそこから学んだものが感じられない。「プリンセスと魔法のキス」のとき使った言葉でいえば"ファンタジーとしてのリアルと今の時代のリアリティー"があまりないのだ。映像にしても予告編を見るかぎりは高いところを目指しながらも低く着地してしまったという風に感じた。もう少しチープなところを狙ってもよかったのではないかと思う。だいたい無名子役に有名俳優がサポートというファンタジー映画によくありがちな構成だが、師匠がピアース・ブロスナンで、ショーン・ビーンがゼウスという地味さなのだ!それなのに主人公の母親がキャサリン・キーナーというのも謎の配役。まあ映画ファンなら"ショーン・ビーンがゼウスなら途中で死ぬことも悪役になることもない"と涙するはずだ(?)。

この映画の"ファンタジーとしてのリアルと今の時代のリアリティー"問題といえば。現実世界にギリシア神話が入り込むいびつさと神話世界的異界に入るドキドキ感のどちらも弱い。予告では日常世界の都会が裏側で異界とつながっているように感じたが、それは部分的だった。パーシーたちは半神半人の存在で彼らを守るための避難所があって、そこがまるでハリー・ポッターのようで笑った。もう少し工夫すべきだ。"君には隠された本当の力がある"というのもハリー的なのだが、パーシーには難読症という問題があってそれが彼の能力と関係があるところは少し面白かったが広がらなかった印象だ。

3人でパーティーを組んでからはサクサクと話が進みすぎるなど色々な問題を抱えた本作だが悪い印象がないのは3人の組み合わせが良いからだ。パーシー役のローガン・ラーマンは「3時10分、決断のとき」ではやや向こう見ずな長男を演じていてがこちらでは落ち着きもある。ヒロインのアレクサンドラ・ダダリオは「ハリー・ポッター」の脇役(誰とというわけではない)をしっかりさせたような雰囲気が良い。青みがかった目の色がパーシーと似ているのもいい(カラー・コンタクトではないと思う)。最後はもちろんお笑い担当のグローバー、最初に出てきた瞬間は気付かなかったが声で分かった。「トロピック・サンダー」のアルパ・チーノ(ブランドン・T・ジャクソン)だ。これからもこの路線で活躍しそう。

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登録日:2010年 03月 24日 23:32:53

「ブルーノ」。「マイレージ、マイライフ」と比べると脚本に工夫が足りない


ブルーノ / Bruno

「ボラット」に続くサシャ・バロン・コーエンによるセミ・ドキュメンタリーだが、テレビ局のレポーターという設定だった「ボラット」と比べるとモキュメンタリー色は後退している。さらにデビヒゲだった相棒もメガネ白人と地味になりインパクトが薄い。そして決定的なのはが"建前に隠れた本音を浮かび上がらせる"という「ボラット」のキモがここには見当たらないのだ。

映画はオーストリア人でゲイのファッションレポーター・ブルーノがファション業界のトラブル(この引っ付き衣装は見もの!)で業界にいられなくなり、アメリカに渡ってセレブになることを目指す。ここでこちらが期待するのはセレブの行動をちゃかすことなのだがやっていることは(すばらしく酷い下ネタも含めて)セレブより低俗、つまりはメキシコ人による人間椅子、男体盛り、赤ん坊をアフリカから養子と、不快に感じるようなことばかり。

続いては政治問題に挑むのだが、こちらのほうも空振りだった。「ボラット」は政治的な問題も斜めから切り込んだから面白かったのだが、こちらのように正面から行っても、よくやったとは思うが面白くはないのだ。

映画が面白くなるのはブルーノが"ストレートになる!"と決めてからだ。ゲイを矯正してくれる教会、ハンターたち、軍隊、格闘技を体験する。途中にはさまれる空手道場やスワップ・パーティーなどのギャグもやって効いてくる。ブルーノが乗り込んだのは表面上マッチョなだけに隠れゲイが多そうな世界だ。ここでやっと"建前に隠れた本音を浮かび上がらせる"「ボラット」スタイルになるのだが今回は突っ込み不足なのでそこまで行けない。

総合的に考えるとブルーノが行くべきだったのは音楽業界だったと思う。まあ危険なことをたくさんやったサシャ・バロン・コーエンにはお疲れ様というしかない。

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登録日:2010年 03月 22日 23:06:31

「マイレージ・マイライフ」。 「ニューヨーク、アイラブユー」より監督と主人公の距離感が素晴らしい


マイレージ、マイライフ / Up in the Air

ジェイソン・ライトマン監督は挑戦者である。前作「JUNO」は主演のエレン・ペイジ、脚本のディアブロ・コディと女性的な視点が注目された。例えば養子を受け入れようとする夫妻で、夢を捨てきれないオタク気質のCM作曲家夫(ジェイソン・ベイトマン)を批判する視点はディアブロ・コディであり、完璧であろうとしすぎる妻を批判する視点は監督のものだと思っていた。それ自体に間違いはないのだろうが、監督も自分より一世代上のオタク世代に対する批判しているのは今作でも感じることができた。それを映画界に置き換えればクエンティン・タランティーノとなる。本作と「イングロリアス・バスターズ」をアカデミー賞のノミネートされた部門を見てみる。作品、監督、脚本(脚色)、助演が共通している。主演は「マイレージ・マイライフ」のみ。結果として「イングロリアス・バスターズ」は監督が助演男優に思い入れ過ぎてしまったために他が留守になり、主役は?本来の目的は?という映画になってしまったことを証明している。

「JUNO」では大人びた少女ジュノと大人になりきれない大人のCM作曲家という対比が分かりやすかった。そして今回それに対応するのは主人公ライアン・ビンガム、彼を演じるのは「フロム・ダスク・ティル・ドーン」でクエンティン・タランティーノと共演しているジョージ・クルーニー。本人も結婚しない男を地で行く男である。つまりライアンは監督が嫌いなタイプの男だ。その彼をどう輝かせるかが脚本家/監督ジェイソン・ライトマンの腕の見せ所になっている。物語にはライアンの価値観をひっくり返すような人間は出てこない。彼と係わる女性、ひとりは女ライアン・ビンガムのようなアレックス(ヴェラ・ファーミガ)であり、もうひとりはネットを通じての解雇システムを提案するようにコミュニケーションに関してはドライであっても恋愛観は古いナタリー(アナ・ケンドリック)なのだ。

明確に示されてはいないが、この映画のジョージ・クルーニーは実年齢より若く設定されているはずだ。なぜかというと上司を演じているのがジェイソン・ベイトマンだからだ。「JUNO」のダメ男がヒゲを蓄えて貫禄を出そうとしているので、彼はライアン・ビンガムと同い年か年上と考える。俳優の生まれた年は1961年と1969年なので劇中のふたりは65年前後の生まれだろう。ちなみに小説では35歳という設定とのこと。

リストラというライアン・ビンガムの職業が注目される作品だが、面白いのは実際にリストラされた人も出演していること。見ていると俳優との差は感じるので分かると思う。彼らの話は興味深いのだがふつうの俳優が出てくるとここで終わりだと気付いてしまうのは残念だ。

監督が主人公とは距離を置いているせいか、ライアンの家族の話でしんみりとさせるものの、彼を簡単に転向させないあたりはうまい。それでも一連の騒動でライアンはなにかを失ったことはたしかだ。1000万マイルが貯まったときのライアンの心ここにあらずという表情も忘れられないが、あそこの画もどこかぼやけたような画になっていたように記憶する。1000万マイルという話も非現実的なものとして描いているのだ。

そして最後はライアン・ビンガムの明確な行き先を見せないこの映画、これからライアンが家庭人になれるとは思えない。この世界から降りるとしても緩やかな降り方をするはずだ。あるいはい以前とは形を変えながら雲の上にいる生活を続けるのではないかと思う。それは地上に降りないという意味では緩やかな自殺とでも言うべきものなのかもしれない。

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登録日:2010年 03月 20日 22:56:02

「ニューヨーク、アイラブユー」。 「恋するベーカリー」と同じように未整理な部分があるのは仕方ない


この前編にあたる「パリ、ジュテーム」は見ていない。これが気になったのはシャンテで「50歳の恋愛白書」「恋するベーカリー」を見て、色々な人がダブっているなあと感じたから。でも実際にはロビン・ライト・ペンとブレイク・ライブリーがこれと「50歳」の両方に出ていてゾーイ・カザンが「50歳」と「ベーカリー」に出ているだけ、この映画で"ゾーイ・カザン"か?と思ったら、エヴァ・だった。まあこちらも2世という共通点がある。

オムニバス形式なのでつまみ食い。
☆ミーラー・ナーイル。いかにも厳格なユダヤ式結婚式を控える女性(ナタリー・ポートマン)、結婚式に向けて頭を丸めた彼女を見て愛情を抱くようになるインド人ダイヤモンド業者(イルファン・カーン)。この中年男のここの動きが面白い。ナタリーも出席した---イヴァンカ・トランプの結婚式はユダヤ式だと聞いたがどんなものだったのだろう。
☆岩井俊二。さほど良いとは思わないが他人と違うカラーを持っているという意味では得をしていると思う。映画音楽家(オーラン・ブルームド)と映画監督秘書の顔を見せない交流。ただ予告等で女性が誰だか分かってしまうので最後にもう一展開ほしかった。
☆ブレット・ラトナー。最近振られた少年(アントン・イェルチン)がプロムのパートナー代理を頼んだ少女が車椅子に乗ってやってきた。一番ほほえましい作品。少女役は「JUNO」の年上好きのあのコだ。アントン・イェルチンともどもかわいく撮れている。少年を振ったのがブレイク・ライブリーだ。
☆アレン・ヒューズ・一番エロチックな作品。
☆シェカール・カブール。一番幻想的な作品。少し俳優を持て余し気味と思ったら、アンソニー・ミンゲラが残した脚本だとか、なるほど難しいのかもしれない。
☆ナタリー・ポートマン。監督にも挑んだ彼女は人種問題をさらりと描いたことに驚かされる。ニューヨークが多人種であることを表に出そうとしていないようだ。
☆ファティ・アキン。中華店で働く女性(スー・チー)と彼女をミューズとして見る画家の話。この画家がリュックベンソンそっくり。そうか「トランスポーター」つながりだなと確認。
☆イヴァン・アタル。クリス・クーパーとロビン・ライト・ペンのセリフ劇。さすがにしっかりしているが、ロビン嬢は「50歳」といい実年齢より上に見られるの定番になっているようだ。
☆どの映画でもそのへんを歩いている軽いにーちゃんがブラッドリー・クーパーに見えると思ったら本人だった。

次は上海ですか

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登録日:2010年 03月 13日 02:02:06

「恋するベーカリー」。 「プリンセスと魔法のキス」とは違い俳優頼みの脚本


恋するベーカリー / It's Complicated

おばさんが同年代と年下から好かれるという都合のいい話ながらダイアン・キートンが主役を演じるおかしさが映画を救った「恋愛適齢期」。休暇期間中にイギリス人と家を交換したらすぐにイケメンが訪ねてきたというのをキャメロン・ディアスにやらせて失笑を買った「ホリデイ」に続くナンシー・マイヤーズ監督新作。もちろんメリル・ストリープが主演ということで「恋愛適齢期」に近い。

メリル・ストリープ演じるジェーンは離婚から10年、ベーカリーは順調で自宅の増築を考えるほどに成功している。対する元夫はいかにも軽そうな若い女性と付き合い、距離を置いた後で他人の子供を産んだ彼女と再婚(現在は2人の子供を作るために不妊治療中)。この2人が末っ子の大学卒業式(つまりこれで親としての義務がほぼなくなる)のために滞在したニューヨークのホテルで一夜を過ごしたところから物語は始まる。

映画のポイントはやはり配役にある。実生活で婚約者を失ったが、その後に知り合った結婚相手と4人の子供を育て上げたメリル・ストリープに(元夫が相手だとは言え)不倫させるという脚本家の一種の羞恥プレイが楽しめる。一方離婚にも離婚後にもトラブルがあった印象そのままの役をアレック・ボールドウィンにあてがい観客に"悪いのはお前だ"と思わせる演出をする。本国ではドラマ「30 Rock」が好評でコメディ演技が受け入れられているだけあって下ネタやハッパも照れることなくこなす(方メリル・ストリープはダイアン・キートンのように真っ裸にはならない)。スティーヴ・マーティンは真面目な建築家、悪くないが存在感で2人に負けている。ナンシー・マイヤーズは彼と良く仕事をしているだけにもう少し見せ場を作ってほしかった。

またリタ・ウィルソン(「マンマ・ミーア! 」のプロデューサーでもある)らとのガールズ・トークならぬオールド・ガールズ・トークにはうんざり。「ホリデイ」のときも思ったがメリル・ストリープの家が豪華過ぎるので白ける。人物描写としてはアレック・ボールドウィンの妻が物足りない。バカでなく切れ者だとセリフで一回説明があるだけなのには困りもの。その前にボールドウィン自身が有能な弁護士に見えない。次女は「50歳の恋愛白書」に続いてのゾーイ・カザン。長女の婚約者ジョン・クラシンスキーはまあまあ良かった。離婚して10年、子供たちには父親が父親としての役割をしていた記憶があまりないという話は広がりそうだっただけにあっさりとしていたのも残念だ。

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登録日:2010年 03月 10日 23:27:31

「プリンセスと魔法のキス」。「ハート・ロッカー」より終盤の展開だけならいい


プリンセスと魔法のキス / The Princess and the Frog

「魔法にかけられて」「ボルト」、実写とアニメの違いはあるが最近のディズニーは自社製品を含めた過去の作品をよく研究し、新たなことに挑んでいる。その間に多くの人たちが係わっているのだろう。そこからは間違った方向へ行かないようにした跡がうかがえる。アニメに重要なのは"今の時代のリアルとアニメならではのリアリティ"だと思う。"今の時代のリアル"はディズニー初のアフリカ系ヒロインであり、待つだけのプリンセスではない点である。"アニメならではのリアリティ"はアメリカにはいないはずのプリンセスを作ってしまうことだ。

パンフレットによるとピクサーも「カエルの王子」の企画を考えていて、そちらの舞台は現代だったそうだが、本家ディズニーはオーソドックスに時代物になっている。舞台は1920年代のニューオーリンズ、ヒロイン・ティアナの母親はお針子で町の名士宅でそこのお嬢さんシャーロットと一緒に「カエルの王子」を読み聞かせるところから始まる。この2人は年頃になっても友だちで、シャーロットは文字通り王子を待つ少女で、「魔法にかけられて」のようにこれまでのディズニー・プリンセスのパロディにもなっている。一方ティアナは自分の夢を適えるために働きすぎるくらいに働く。これに対してここに出てくる王子は一応某国の王子だが遊んでばかりいて金がないという、何もしないプリンセスではなく何もしないプリンスとなっている。それでも遊びだけは忘れないというお気楽な性格だ。でも猪突猛進型のヒロインもそれを分かち合う人がいないとダメだというテーマは思ったより深い。ヒロインの声を担当するのは「ドリームガールズ」で一番うまかったアニカ・ノニ・ローズ。

そして2人がブードゥー・マジックによりカエルになってしまいスワンプに追いやられ、2人で協力してゆくうちに愛し合ってしまうのはいつもの通り。途中で出会うホタルのレイもやはりいいやつだ。ラストはハッピー・エンドだが、その前に(ワン・クッションではなく)トゥー・クッションあって、ヒロインにとって厳しい選択があり、その後に意外な展開が待っている。ニューオーリンズ、マルディグラを使った一ひねりが見事だ。

そして音楽はランディ・ニューマン、はじめはアラン・メンケンの予定だったらしいが、ディズニーともニューオーリンズとも縁もゆかりもある彼で正解だった。ジャズにブラス・サウンド、アコーディオンが鳴り響くザディコ、ケイジャンまでこれが出来るのはランディ・ニューマンしかいない。アラン・メンケンではそれっぽいのができるだけだったろう。もっともはまり度では本人もカメオ出演した「かけひきは、恋のはじまり」のほうが上だと思う。スパイク・リーでおなじみのテレンス・ブランチャードがトランペットを吹くなんてニューオーリンズが舞台の映画でしかできない贅沢だ。

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登録日:2010年 03月 08日 01:10:27

「ハート・ロッカー」。 「ルドandクルシ」と同じように描かないもので何を見出せるかもポイント


ハート・ロッカー / The Hurt Locker

前半があっという間に過ぎ去り、後半はいつ終わるのか気になってしまった。カメラワークにやられた面もあるので後半の出来が急速に悪くなったわけではない。むしろ後半のいつ終わるのか分からないような居心地の悪さが、主人公の終わりなき日常ならぬ、終わりなき戦場を表現しているとすれば、これはこれで正解なのだろう。

オープニングでwar is a drugという言葉が引用されるが、これは作品の大きなテーマになるので、いきなり持ってくるよりは最後にするか、ないほうがいい。オープニングで爆発物処理班のリーダーがぶっ飛ばされる。これは携帯電話で起動させる爆弾で、不特定多数ではなく爆発物処理班をピンポイントで狙っているのだ。なるほどニュースで聞く米軍のイラクでの死者が増えているというニュースを聞いたときに思うどうして大勢を支配しているのにそうなるのかという疑問の答えがここにあるわけだ。

事前にはドキュメンタリー風と聞いていたが一部のカメラワークを除けばそれほどでもないし、BGMもふつうに使われる。一番それらしいのは砂漠での銃撃戦で、ここでのやり取りが緊張感もピークだ。「アラビアのロレンス」風の導入部でなんでもない日常が非日常に変わる様子をよく捉えている。有名俳優の使い方もうまいし、1キロ近くの距離で交わされる緊張感のある静かな銃撃戦への流れも見事だ。

フィクションだからして職人のように任務をこなす主人公ジェームズ二等軍曹(ジェレミー・レナー)はいくつか独善的な行動をするが大きく踏み外さない。しかしついに感情的になる出来事を経てついに踏み外し、最悪の結果となる。ここはあまりほめられた展開ではなく、それまで映画が持っていた説得力まで帳消しにしかねない。人間爆弾にそれだけのインパクトを与えたかったのだろう。クライマックスに向けて何らかのアクションが必要ではあるとしても残念だ。最終的には彼はふつうの正義感よりも爆弾処理という非日常的なものが日常になってしまった人間に戻ることになる。

自爆テロに関しては本作が一番あいまいにしているところでもある。自爆テロなら犯人はもういない、それを認めずにそれ以外の別の容疑者を追うべきか否か。人間爆弾に仕立て上げられた少年(本作で一番グロいかもしれない)は誰なのか、爆弾チョッキを着た男は自爆テロなのか着せられたものなのか。自爆テロを正面から描かないかわりにこうしてあやふやな印象を与えて不安にさせるのが本作の特徴である。ということでこの文章も最初に戻る。

ジェレミー・レナーは映画で見ると小さく感じたが180cmに届かないらしい。キャスリン・ビグローが彼より大きいのはいうまでもない。

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登録日:2010年 03月 06日 01:05:27

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