2010年 06月
「闇の列車、光の旅」。 「ザ・ウォーカー」よりロードムービー、南米の悲惨な現状は前提に
闇の列車、光の旅 / Sin Nombre
これも2009年サンダンス映画祭の時点から気になっていた一本。タイトルがスペイン語だけに外国作品(サンダンスはアメリカ国外の作品がこれに当たるのでイギリス映画はここに入るようだ)だと思っていたが、監督がアメリカ人なのでこちらの枠らしい。映画の舞台はホンジュラスから米メキシコ国境まで、演じているのは俳優経験の浅い人から本物のギャングまで登場するリアリティ重視の配役だ。どちらにしてもなじみの俳優が出るわけではないので先入観なしに見ることができる。
物語はホンジュラスからアメリカへ密入国をしようとする少女サイラ(パウリーナ・ガイタン)家族とメキシコのストリート・ギャングのカスペル(エドガー・フロレス)が組織から逃げようとする話で、その二つが絡み合う。言うまでもなくどちらもビターエンド。
リアリティ重視と言ったがこれがラテン・アメリカ(正確には中米)の悲惨な現実だ!と見せ付けるような手法は取っていない。どちらかというとその状況の前提を飛ばして現状を映しているのが特徴だ。
少女の父親はアメリカから強制送還されたのにまたアメリカを目指すと言う。それだけでも驚くが彼らは列車に乗るがもちろん正規の乗客ではなく、大勢の人たちとともに屋根の上に陣取る。日本人からすると警備はどうなっているのかと思うが、いちいちチェックするより映画にあるように要所要所で対応した方がいいのだろう。アメリカにもホーボーを描いた映画はあるが、最近では「アイム・ノット・ゼア」で黒人少年が出てくるパートを思い出す。今の時代でもこんな風景があるのだ。後から考えると納得できるが少し驚く。貧しい国に行けば貨物列車はこうなるのだ。駅が近づくと周辺住民が反応する。応援するかのように果物を投げることもあれば、石を投げられることもある反応が面白い。
サイラ役のパウリーナ・ガイタンはかわいい薄幸顔とこの手の物語にはもってこい。かげりのある表情が良い。一方ストリート・ギャングが近所の少年をスカウトにしに行く、ここはアフリカの少年兵が出てくるいくつかの映画を思い出す(一番インパクトがあったのはドキュメンタリーに出てきた元少年兵の話だった)。ここに出てくる少年は12歳頃だが、少年兵にするには自意識に目覚めるもっと前の段階で仕込むという話を聞いたような気がするが、ここではギャングになることの意味くらいは分かる年齢だ。カスペルが少年を誘いに行くとき彼の祖父がそれを妨害しようとするあたりにそれがよく表れている。
そしてカスペルを演じるエドガー・フロレスは20代前半だろうか、角度によっては高校生役でも通用しそうだ。冷たい顔つきの中にも甘さが少し残っているのが良い。カスペルが所属するギャング団のボスは顔にタトゥーをしていてさすがに怖い。途中から出てくるギャングが遠藤憲一的な顔をしていて笑った。
経済問題を背景とした移民問題を扱う映画としては単に大国への流入を描くだけでなく、中間にメキシコを入れることで搾取される国がさらに小さい国を搾取する様子が描かれ、この構造が固定化することによって一向に改善されないことがうまく表現されている。
パンフレットの最後にはタトゥー雑誌編集長の文章が載っている。劇中に出てくるギャングの解説で、それ自体は役立つのだが最後に"日本人はタトゥー=悪という偏見を捨てるべきだ"という。これには反論しようと思ったが止める。
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登録日:2010年 06月 29日 21:30:09
「ザ・ロード」。 「ザ・ウォーカー」よりシリアスだが、物足りない点も
ザ・ロード / The Road
「ザ・ウォーカー」に続く終末映画シリーズ第二弾、と言ってもアメリカでの公開時期はこちらの方が早いし、一度公開延期されている、なによりコーマック・マッカーシーの原作付きだ。主演はヴィゴ・モーテンセンと息子役のコディ・スミット=マクフィーなのだが、この二人以外はあまり出てこない。というかロバート・デュヴァルやガイ・ピアースも出てくるが通り過ぎるだけの存在といっていい。例外はシャーリーズ・セロン演じる母親、彼女は今はいないので回想シーンのみに登場する。セロンという配役は一種の話題集めだが、この美人を使うことによって荒廃した現在との対比ができている。しかしそれより面白いのは息子役の子がモーテンセンといいうよりセロンのほうに似ている。父親は息子を見て妻を思い出ことがあるだろうし、見ているほうもこの子がアップになるたびにセロンを思い出す。
世界が崩壊した理由は提示されない。薄暗いだけではなく自身も頻発することから地上だけではなく地殻にも何か影響があったようだ。これを見て思い出すのはヴィゴ・モーテンセンが出ているから言うのではないが、「ロード・オブ・ザ・リング」でモルドールにいるときのフロドとサムを思い出す。
旅の途中で父子は食糧問題、強盗、挙句の果てに人食いの問題に出くわす。それらを必要以上に大げさにすることはなく全体のトーンは淡々としている。ここは評価の分かれ目になりそうだで、見ながらウトウトしてしまったことを白状しておく。それでも見ていてあの世界には入り込んだようには感じられた。油断して寝たら襲われるかもしれない世界ではこんな人間はすぐに死ぬだろうが。
終盤父子が安らげそうな場所を見つけたと思うとすぐに出て行かなくてはならなくなり、目的地である海に着いても何も起こらない、通りすがりに対しても父親は(物を取られたとはいえ)以前より辛く当たる。この父親の心境の変化がこの映画が他の映画とは違うところだ。全体としては小説をうまく映画化しているのだがあまりイマジネーションが刺激されない。監督の力量差といえばそれまでだが、ここがコーエン兄弟「ノー・カントリー」との違いである。むしろ、ニック・ケイヴが担当した音楽の方がほどよいノイズを奏でてイマジネーションを刺激してくれる。彼の映画音楽を聞いたのは本人もカメオ出演した「ジェシー・ジェームズの暗殺 」以来だ。あれは西部劇だったが、これも変形の西部劇とも言えるが「子連れ狼」の方が近い。「子連れ狼」は海外でも人気があり「ロード・トゥ・パーディション」の原作がかなり影響を受けているらしい。
最後にこの親子が運ぼうとしている"火"について、全体の流れからすると人食いなどをしない善人が持つ心ということになるが、そう簡単ではない。原作小説の解説にもあるが"火"は神話でプロメテウスが人間に与えてしまったものとして出てくる。日本では自然というと人間という小さな円を包んでくれる大きな円として考えがちだ。エコという言葉がなにやら優しいものと一人歩きしている。ヨーロッパではもっと対立構造にある。"火"(科学)こそ、人間が自然と対抗するための必要として存在する。映画に出てくる"火"は世界を壊してしまった要因である。となるとこの映画の"火"の使い方はあまりうまくない。と最後にはやや原作よりの話になってしまった。
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登録日:2010年 06月 27日 20:22:44
「ザ・ウォーカー」。 「ブライト・スター」より娯楽作と割り切った一本
ザ・ウォーカー / The Book of Eli
終末映画が目立つようになった。以前は世紀末映画とも言っていたがさすがに21世紀に入ってそれは使いづらい。だいたい映画が栄えたのが20世紀後半なのだから、世紀末とリンクするのは自然だ。冷戦、キューバ危機、核(スリー・マイル事故を含む)、環境問題等への不安がそれらの映画の根底に流れていた。世紀末が実際に近づいたころには冷戦も終わり、争いや不安も地球規模から局地的へとなる混沌の時代へとなる。それらが21世紀になって911という形で表面化したとうのが現在までの流れと言ったところだろう。その間にバブル経済が生み出した倫理観の欠如など精神面の問題も見逃せない。あと砂漠や荒地が好きな映画関係者も一定数いると思う。
この「ザ・ウォーカー」の舞台はおそらく核戦争後のアメリカ、映画は薄暗い林から始まるが昼間の映像は灰色というよりは、黄砂後のように茶色から黄色に見えるように画像処理がされて、不毛の地と化したアメリカを表す。主人公のイーライ(デンゼル・ワシントン)はある本を持って西へ西へと30年間歩いている。その本の内容についてはすぐに見当がつくが、ラストには少しツイストがある。しかしそれを追いかけて騙された、初めから分かったというような映画ではない。だいたいその本を持っていれば最強戦士になれるような映画なのだからその辺は娯楽作と割り切って楽しむべきだ。本格的アクションは初というデンゼル・ワシントンだがうまくこなしているように見えるのは、彼がかもし出す貫禄か?そうだとしたらそれも力量のうちだ。
イーライが立ち寄る街を仕切るのは水の利権を押さえているカーネギー、演じるのはゲイリー・オールドマン。もちろん出演作すべてを見ているわけではないが、このところいい人(普通の人)が多かったので悪役は久しぶりのはず。キレまくっている演技ではないがやりすぎ手前で止めているところは好感が持てる。ミラ・クニスはヒロイン役だがあまり目立てずに、むしろ後半の老夫婦のほうがいい味を出している。
監督はヒューズ兄弟、前作「フロム・ヘル」は原作グラフィック・ノベルを読んだあとで見ると、難しい題材に挑戦して玉砕したとの印象がある。その視点を抜きにしても映画自体の雰囲気は悪くなかったと思う。本作でも色使いなどは終末映画にふさわしいものにして、結果として日本の劇画と言うか時代劇っぽくなっている(ネタバレ回避のために作品名は言えない)。
救世主はアフリカ系、敵役はイギリス人、ヒロインはエキゾチック・ビューティーと平均的アメリカ白人がいない。これをオバマ時代の映画というよりデンゼル・ワシントンありきの映画だと見るべきだろう。どうでもいいかずっとロン・パールマンだと思っていた人がトム・ウェイツだった。ウォーカーが聴く音楽はアル・グリーン、70年代のモータウン歌手のほうがふさわしいと思うが、さすがにネタバレになるか、では"ゴー・ウェスト"はどうだろう、こちらも狙いすぎになってしまう。さあ、次は実写版「子連れ狼」だ。
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登録日:2010年 06月 22日 23:51:11
「ブライト・スター~」。 「クレイジー・ハート」よりピントが絞りこめられていない
ブライト・スター~いちばん美しい恋の詩~ / Bright Star
詩という題材はあまり映画に向いていないように思う。小説と比べると短いのでそのまま引用できるという利点はあるが、その良さを感じるには何度も読む必要があり、一度朗読されただけではすぐに流れてしまいやすく、単なる自己陶酔になってしまう。この映画もそこから逃れられていない。
詩人ジョン・キーツを演じるのはベン・ウィショー(「パフューム」)、病に蝕まれ弱ってゆく様子はけっこう良い。実質的な主役は彼の恋人となるファニー(アビー・コーニッシュ)で、この二人のもどかしい関係にはやきもきさせられる。しかし、それはジェーン・カンピンオ監督の術中にはまったと言えそうだ。監督が意識したのはおそらくオースティンの「高慢と偏見」、この二人が結婚できない理由はいかにもオースティン的な理由になっている。その証拠に映画「プライドと偏見」のシャーロット役のクローディー・ブレイクリー が小さな役で出演している。
主役のアビー・コーニッシュは角度によってシャーリーズ・セロンに似ているなどきれいに撮られている。ただそれは現代的な顔立ちということでもある。裁縫好きという設定なのだが何か健康的過ぎるように感じる。なにしろムチムチした身体に違和感大。それが終始気になって仕方なかった。監督はそんな男を見て笑うだろう。音楽はクラシック・アレンジ、どことなく清水靖晃を思い出した。あちらはバッハだったか。
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登録日:2010年 06月 20日 23:34:57
「クレイジー・ハート」。 「アウトレイジ」より薄味だが見た後はすっきり味」
クレイジー・ハート / Crazy Heart
ジェフ・ブリッジス(ジェフ・ブリジズ)版「レスラー」と言われているようだがプロレスと音楽の有り様が違うと思うのだ。カントリーで落ちぶれた人間を歌うことはふつうだろうし、それを自分の身に起こったことかのように演じて歌うのもできるだろう。これに対して本当に辛い人生を経験しなければ落ちぶれた人間のことをリアリティもって歌えないという意見もある。個人的には必ずしもその意見に賛同しないが、そうした人間の歌に説得力があるケースも多い。歌手は生き様と歌という表現が一致する必要がない。そこが「レスラー」との違いだと思う。つまりこちらは主人公と俳優のイメージを重ね合わせる必要もない、その意味では当たり前だが何人もの他人になる俳優に近い(カントリー歌手のティム・マッグロウは出演した映画で「プライド」は飲んだくれの親父を演じ、「幸せの隠れ場所」は実業家として成功した男を演じたことを連想した)。
まあその前にインディー作品から「アイアンマン」まで出ているジェフ・ブリッジスとロバート・ロドリゲスかQT/RR風味の演出に入れ込んでいた時期のトニー・スコット作品くらいしか出ていなかったミッキー・ロークという現在の立場の差がある。それに"俺にはこれしかないから、誰になんと言われようとこれをやる"というテーマであった「レスラー」とはかなり違う映画である。話はそれるが「レスラー」の主題歌を歌ったブルース・スプリングスティーンはあれだけの成功者でありながら、負け犬ソングを作れる才能は(パフォーマーとしての好き嫌いはともかくとして)すごいと思う。
これは音楽が題材となっているが音楽映画ではない。アルコール中毒の落ちぶれたカントリー歌手バッド・ブレイク(ジェフ・ブリッジス)が若い女性と知り合い、人生をやり直そうとするが一度は失敗し、再度やり直すというストーリーはじつにシンプルだ。
アルコール中毒といってもゲーゲー吐く姿がほとんど中毒というより酒に弱いだけに見えてしまう。僕自身は酒を飲まないし、モンゴロイドは酒に弱い比率が高いとされる。それでも酒ぐらい飲めると思ってしまうのはCMや映画やマンガの影響だが、弱い結果としてゲロで汚れる繁華街の道路が出来上がると聞いたことある。酒に強ければやられるのは肝臓や記憶に害が出るらしい。それらの真偽はともかく、この映画でも記憶が飛ぶ描写はあるものの、全体としてはアルコール中毒の描き方はあっさりとしている。それなのでバーでの事件も不自然に感じてしまう。それだけでなくじつは全体的にもあっさりしている。なんとなくそうだとは感じていたが、AAミーティングに行った後に時勢が飛んで更生しているときに確信した。ずっと会っていない息子も電話の会話だけで済まされるし、映画の中心となる女性記者との恋愛描写も同様だ。もちろん何度も離婚していることやその前にライブに来ていた中年女性と寝ていたことを描いてはいるが効果的ではない。
というわけで演出の失敗ばかりが続くこの映画だが、印象は悪くない。その理由は色々な形の愛に溢れているからだ。それが一番良く表れているのがコリン・ファレル演じるかつての弟子、今は人気歌手になっている。彼はバッド・ブレイクに立ち直ってもらおうとコンサートに出るように誘い、曲の依頼をして見せる師弟愛を見せる。共演時の視線もとても良い。バッドの身体を思いやり契約条項にアルコールを飲ませないようにするマネージャー。さらにはロバート・デュヴァルが地元の友人を演じていて良い。ふつうならマネージャー役をやりそうだが、プロデューサーを兼任する彼が一歩引いた役割を引き受けたことで二人の友情がより引き立っている。釣りの場面にそれがよく表れている。私生活の問題等で一線から遠ざかっていたがコリン・ファレルの復調も順調のようだ。
ジェフ・ブリッジスは熱演というのとはチョット違う、画面に登場したときに演じている役者ではなくキャラクターを感じさせるという意味では「インビクタス」のモーガン・フリーマンと並ぶ。しかもこちらは実在人物ではない。それでいて映画に描いていない部分を感じさせたと言ったような力の入りすぎた役作りでもない(まあ個人的にはジョージ・クルーニーの非実在ライアン・ビンガムの方が好き)。マギー・ギレンホール(ジレンホール)の演技も肩に力を入れないわりとふつうの演技を披露、この人が持っている性格の良さみたいなものが滲み出ていると思う(いや本当は腹黒だとしたらそれはそれで面白いのだが)。
歌はもちろんジェフ・ブリッジス本人によるもの、アカデミー賞主題歌賞を受賞したライアン・ビンガムより貫禄のある声を聞かせる。コリン・ファレルも思ったよりうまい。ただ大会場での演奏シーンにどことなく音響的違和感があったのは気のせいだろうか。
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登録日:2010年 06月 15日 17:48:47
「アウトレイジ」。 「セックス・アンド・ザ・シティ2」より駒の動かし方がうまい
「アウトレイジ」
北野武監督最新作は北野組常連を起用せず新しい俳優たちと組んで描かれるヤクザ世界。善人顔の役者も多く、彼らがどんな演技を見せているかがひとつの見所。また人間関係はややこしいが、複雑というほどでもなく見ていて混乱することはないと思う。
これを見るまでは、単なるチンピラが大それたことをして、それが切っ掛けに歯車が回り始めるというパターンが北野映画の特徴と思っていたが、ここではそれがあまりなく下克上映画ではあるが、誰もがはじめから上を出し抜くことを考えていてそれを実行する。親分の目を盗んで勝手なことをやり、大物が狙われ、それに対する報復が行われる。その間に自分の出世を狙ってコトを仕掛けるやつもいる。これらの流れはある意味ではふつうで、暴力の連鎖による不条理な世界になることがない。また加瀬亮の経済ヤクザは想定内だが、彼を含めた善人顔の俳優がエグいことをやり観客の期待を裏切らない。
北野武が演じるのは、直属の部下椎名桔平には慕われているが、若い経済ヤクザ加瀬亮にはおそらくバカにされているヤクザ。コトの後始末ばかりをやらされる都合のいい存在で、頼まれて自分の手を汚せば仕返しを受けるのも彼という損な立場にいる。予告でのタンカを不自然に感じる人もいるだろうが、それは本編でも同じ、ここの演出はわざと浮くようにしていると見るべきだろう。彼の高校の後輩である小日向文世はヤクザにたかりながら生きているといういみでは武と似ているが、より出世のことを考えているという点が違う。
群像劇とまで行かなくても、特定の主人公を置いていないが、以前の北野監督なら役者北野武のまわりにいる熱い椎名桔平とクールな加瀬亮を対比させていたと思う。ここでは全体的にフラットに描いていている。どんどん人が死んでゆく終盤、ある人がうまく逃げ切り、最後に再登場するがやや読めてしまうのが残念。最後に生き残るパターンが「その男、凶暴につき」と似ていると思ったが、しばらく見ていないので正確には比べられない。
残酷描写は指詰めを中心に少々、ギャグはサラリーマンに見えてしまうヤクザやCMでおなじみの外国人(え、違うの?)の起用などピンポイントで効果的だ。
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登録日:2010年 06月 13日 17:42:10
「セックス・アンド・ザ・シティ2」。 「告白」と比べるとほとんど惰性のような映画
セックス・アンド・ザ・シティ2 / Sex and the City 2
パート1に続いて2時間半と上映時間が長い。これに関してはどこかで読んだのだが、テレビドラマの30分を1単位にしているらしい。つまり30分×5で2時間半というわけだ。今作でいえば「ゲイ結婚式」「それぞれも問題発生」「アブダビ行き、豪華なもてなし」「アブダビでの事件」「フィナーレ」といったところか。
映画が始まってしばらくして流れるのはジェイ・Zとアリシア・キーズの"エンパイア・ステイト・オブ・マインド"、そういえばオムニバス映画「ニューヨーク、アイラブユー」を見たときにこの曲をBGMにした「SATC2」の予告が流れていて、そのときに「ニューヨーク、アイラブユー」で流れていた曲よりテーマ曲にふさわしいと思った。もうすっかりニューヨークを象徴する曲になったようだ。ゲイ結婚式にゲスト参加するのはライザ・ミネリ、なるほどゲイには縁も縁もある人だ。ちなみに映画で最後にかかる曲の終わりはRAINBOW、その辺も意識しているのだろう。そうそうパート1で落ち込んだキャリーが見ていたのは「若草の頃/ Meet Me in St. Louis」はヴィンセント・ミネリ監督、主演ジュディ・ガーランド、で生まれたのがライザ・ミネリ。その他のゲストはマイリー・サイラスとペネロペ・クルス。ペネロペは他の二人にように本人かと思ったら、役があった。一瞬だし本人役でも良かったのでは?ペネロペに鼻の下を伸ばすのは不自然でもないわけだから。
主演の4人は当然年を取ってしまっている。無理してがんばるサラ・ジェシカ・パーカー(キャリー)とキム・キャトラル(サマンサ)、地味でもかまわないシンシア・ニクソン(ミランダ)と比べるとクリスティン・デイヴィス(シャーロット)が一番劣化したように感じてしまう。ちなみにサラ・ジェシカ・パーカーは馬面だのなんの言われながらも声は相変わらずかわいい。そしてノーブラで乳首を浮かせているシャーロットのナニーは去年の「正義のゆくえ」でレイ・リオッタに辱めを受けていたアリス・イヴなのでこのくらいのことは余裕だろう。
とここまでストーリーの話を一切していないが、もちろんそんなものはないも当然。キャリーとビッグの関係がギクシャクし、サマンサが暴走し、シャーロットがギャーギャー騒ぎ、ミランダがそれらを収める一方で自分の悩みを抱える、そんなもんだ。見ていてむかついたのはキャリーがご飯を作らないこと、全部外食かコックを雇うかにしてくれ。
そして後半はニューヨークを離れてアブダビへと飛ぶ。ここではゴージャスなホテル&リゾート・ライフが展開され、ホテルの外で訪ねた国が戒律の厳しいことを思い出させ、どんな国でも女は楽しみ方を知っているわという展開になるが、その過程がまったくないので、効果的ではない。4人の問題にしてもシャーロットの子育て、ミランダの再就職は語るだけの価値があるものだと思うがアブダビに行ってはそれもできない。あ、ファッションに関して書くの忘れた。UAE女性のファション観は面白かった。
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登録日:2010年 06月 09日 00:48:24
「告白」。 「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」とは違う意味でエンターテインメント作品
告白
監督は中島哲也、「下妻物語」以降はすべて劇場で見てるが個人的には「松子」がイマイチ。「パコ」の感想はこちら。中学生による殺人を扱ったという意味では社会派映画のようだが、これは堂々たるエンターテインメント映画である。難しい素材である原作小説を変に甘くすることなく映画化した結果としては当然だ。また原作小説にない女性教師の最後の一言、その言葉だけを取り出すと"逃げ"のように感じるかもしれないが、この教師の行動に含みを持たせるための仕掛けである。ふざけているようで、実は主人公の決意を示す重い言葉になっている。
小説の感想はしばらく前につぶやいた。複数の人物がある事件について語るスタイルで、各自が自分の都合の良い話をするものの映画「羅生門」のように解釈が大きく違うことはないと感じた。
そして映画でも「羅生門」的な展開にはならない、最後のところでそれらしい箇所があるが、全体としてはやはり小説の持ち味はそのままだ。完全の告白形式は最初の森口先生(松たか子)だけで、それ以降も各キャラクターの告白が続くが、時系列をずらしてはいないので基本的には原則時系列といっていい。
シングルマザーの教師森口の娘が学校で事故死したが、それは彼女が担当しているクラスの生徒の仕業だった。犯人はあっさりと判明するが、少年法の壁もあり森口は警察沙汰にしないで制裁を考えるというのが大筋。もちろん一番重要なのは第一章にあたる森口の告白だ。終業式のホームルーム、騒がしい教室の中で表面上淡々とした森口の告白。それが告発になると教室の空気も変わる。落ち着きのない中学生の日常を写すカメラ、あまり映像化に向かない題材だと思うが告白の裏での凝った映像は悪くない。森口がAとBという仮名を使いながら、バレバレなことを表現する手法もいい、映像ならではの見せ方だ。
予告編で変なダンスを見てクラス全体が異様な雰囲気を醸しだしていたので、このクラスはモンスター・チルドレンならぬモンスター・クラスになっていて、生徒の誰もがそこから抜け出すことができないというのを想像していたのだが、そこまでは行っていない。それ自体に不満はないし、平凡な少年少女の中に潜む狂気みたいなものはよく描けていた。
小説を読んでいたときにはさほど気付かなかったのだが、映像化すると性のにおいが浮き立ってくる。美月の私服姿(これ自体は狙ってやっているわけだが)、少年Bと母親との関係などである。もっともそれらは物語のアクセントとして使われ、必要以上に強調されることはない。
物語の構成上森口の登場場面は基本的に最初と最後だけになるが、彼女の表情にあまり変化がないように感じた。これはこの間に起こったことが彼女に影響を与えなかったというよりは、復讐すると決めた日から覚悟を決めていたわけで、終業式のときからずっと高いテンションのままということなのだろう。その経過を表す意味で途中のファミレスの場面はうまく挟み込まれていると思う。そして最後に森口が実行したと言ったことは実際にやったともやっていないとも取れるが、すでに鬼になっていると考えれば答えは絞られてくる。原作にあって映画になく残念な場面としては、ウェルテルと嘘発見器と牛乳にアレを入れられなかった理由。
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登録日:2010年 06月 07日 00:37:36
「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」。 「レギオン」の数倍は吹っ切れた快作
冷たい雨に撃て、約束の銃弾を / Vengeance
「エグザイル」では乗り切れなかったジョニー・トー監督新作。キメキメの場面が多くてのめり込めなかった「エグザイル」とは違い。程よい映画ならではのファンタジーが楽しめる。フランスと組んだことで脚本がある程度しっかりしていたのが要因だろう。それでいて「エグサイル」にもありそうな自転車を使った遊びなどはこちらのほうが効果的だと思う。ネタバレ回避のために項目別に。
銃撃戦。
娘を襲われたフランス人コステロ(ジョニー・アリディ)と彼が報復を依頼したクワイ(アンソニー・ウォン)をリーダーとした殺し屋3人。まずは森の中、始まる前の静寂から一転しての月下で銃撃戦。月が雲に隠れたときにコステロの意識が混濁したようになるところが素晴らしい。そのまま街に流れ込み、3人がコステロを見失う展開もうまい。
殺し屋3人と黒幕の戦いはごみ収集場、固めたゴミを盾代わりにするのは笑えるが、全体的に一番スタイリッシュな場面はここ。滅びの美学と派手な銃撃戦という男の世界が大いに楽しめる。最後はコステロによる黒幕への復讐だ。黒幕を追い詰める様はターミネーターを思い出すほどで、父親の執念を感じる。
食事、この映画でも食事場面は実においしそうだ。食事とは幸せの象徴であり、人間関係を深めるものである。
まずは殺される直前のコステロの娘が作りかけている幸せな家庭料理。その現場にコステロは殺し屋を連れてくる。殺し屋たちがプロファイリングで犯人の人数や特徴を調べている(!)脇でコステロは娘が完成させることが出来なかったパスタを作り4人で食べる。パスタがぷりぷりして実においしそうだ。
コステロたちが追う犯人たちにも家庭があり、4人が駆けつけたときにはキャンプで食事をするつもりだった。見ているほうにとってはこれから始まる悲劇の静かな導入部であり、幸せそうな家庭がこの後に崩れることは容易に想像がつく。何も分かっていない子供たちの姿がかわいそうだ。
コステロはクワイの女に預けられ、彼女が養っている子供たち(孤児?)と食事を取る。そこはクワイたちが託した小さな幸せがある場所である。しかしながらコステロはそこに安住できる人間ではない。だからこそ女は真実に気付いたコステロを戦いへと送り出すのだ。
ここからはややネタバレ
記憶。コステロの記憶はあやしくなっている。インスタント写真を撮ってそこに名前を書き込む場面は「メメント」を思い出すが、あれほどには記憶がメーンの話ではない。月下の銃撃戦での描写。そして黒幕を追い詰めるときの目印、ギャグ一歩手前ながらいいアイディアだと思う。蛇足ながらコステロの娘殺人現場プロファイリング時のフラッシュバック映像も良い。
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登録日:2010年 06月 03日 00:47:43
「レギオン」。 「プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂」よりとっ散らかっているがB級としては楽しいかも
レギオン / Legion
LA(Angel City)に天使ミカエルが舞い降りて自ら翼を剥ぎ取り人間になりすます。神は人間を見捨て、その処理を天使たちに命令したが、ミカエルは神の命令に背く。彼は人間に残されたわずかな希望を託すためにモハベ砂漠のダイナーへと向かう。そこにいるウェイトレスのチャーリーが産むことになる子供こそ救世主なのだ。
ということでミカエルに早くダイナーについてほしいのに、映画はまずは怪しげな黒人を送り込んで不穏な空気を作り出す。そんな小細工はいらない。ダイナーにいる人々の背景説明にもそんなに時間をかける必要がない。予告で出てきた天井を這うババアを早く登場させるべきなのだ。そうこうしているうちにやっとミカエル登場。敵からの攻撃をここで持ちこたえガブリエルの来襲に備える。
ということでポール・ベターニ好きにしてみれば彼の魅力を堪能できる映画になっている。相変わらずの目つき、また翼を引きちぎるシーンでは「ダヴィンチコード」を思い出す。ストーリーはチラシにあるように「ターミネーター」風味の黙示録なのだがチャーリーが妊婦なので活躍ができない。それにダイナーにいる人数が多いように思う。経営者とその息子、コック、自動車が故障してここにいる親子三人。これにチャーリーと黒人とキャラクターが多すぎる。デニス・クエイドはリーダーになりそうだがとある事情でそうはならない。ダイナーという狭い空間で物語が進行するのはホラー映画的で、ガブリエルが送り込むのはゾンビもどきの悪魔憑きならぬ、天使憑き状態の人間たちだ。ここは少し面白い。
一番弱いのはガブリエルを演じる俳優、誰だよと突っ込みを入れたくなった。ヘタレな息子を演じるルーカス・ブラックは良かった。彼は密かにチャーリーに思いを寄せていて彼女を守ることになる。つまり彼らはヨゼフとマリアになるだ。舞台となる時期はテレビから「素晴らしき哉、人生! 」が流れる年末だ。
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登録日:2010年 06月 01日 23:50:25
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