2010年 12月

「Ricky リッキー」。 「エリックを探して」とは違い監督のらしさはある、ファニーな面をどう思うか

Ricky リッキー / Ricky

英語作品「エンジェル」以来のフランソワ・オゾン作品だが、このあとに新作の日本公開も控えている。赤ん坊に羽根が生えるという前情報ではほんわかしたファンタジーと思ったが、かなり違う。

オープニングでヒロイン・カティ(アレクサンドラ・ラミー)のは子供を預けようとする場面だが、これは中盤に入る。これが重要な場面ではないところがこの映画の変なところだが彼女がすこしいい加減な性格であることを示している。娘リザ(メリュジーヌ・マヤンス)と二人暮し、工場で働いている。彼女は工場で知り合ったばかりの男パコ(セルジ・ロペス)と関係を持ってしまう。映画は展開が早く、すぐに結婚→息子リッキー(アルチュール・ペイ)が生まれる。

この映画は夫婦の話としてだけでなく、娘の視点でも見ることができる。母と娘と言う親密な関係から、パコと言う異物が入り込むと母によるバイクの送り迎えからバス通学になるなど変化が出てくる。それに加えて弟と言う新たに母が愛情を注ぐ存在が現れれば消えてほしいと思うのも少女の微妙な心理である。

やがてリッキーの姿に変化が現れる。肩の付近が赤くなると女は男が暴力を振るったと思う。このへんの演出はオカルト的でもある。そう感じるのは夫を演じるのがスペイン人のセルジ・ロペスであることにも関係がある。「パンズ・ラビリンス」のカピトーンを演じていた人なのだから、そう言えばあの映画でも再婚相手だった。彼は結局言い争いの後に家を出る。

この後でリッキーに羽根が生えても女は驚く様子も見せず、肉屋でチキンと形状を比べたり、本を調べたりするのがユーモラスだ。また羽根も天使の羽根と言うよりは生々しい獣のそれに近いのも重要で、グロカワイイと言うべきであろう。一回空を飛ぶとベビーベッドを布で覆うあたりも良い。

秘密はいつかばれるものだが、本作で最も弱いのはリッキーがスーパーで飛んでしまうところだろう。居合わせた客の反応がモンスターを見るというよりは珍しいものを見るそれであり、ケータイで写真を撮ってしまう。ここは教会にでも行って相談すればもっと謎の存在でいられたのだ。

リッキーが捕まると病院ではシャム双生児を例に出して羽根をきろうと言う。このドライな感覚もオゾン流だ。この騒動が一般にも知られるようになると男が戻ってくる。彼はリッキーを利用して儲けようとするにも文字通り現金で良い。やがてリッキーがまた飛んでいってしまい、彼を追いかけて女は湖に入る。これ以降はきっちりと描かれないので解釈の余地を残している。これを妄想と考えれば女か娘が見た悪夢、とくに娘にとって弟はライバルなのだが、ラストからするとそれはたぶん違う。

アレクサンドラ・ラミーは角度によってはキャメロン・ディアスに見える美人だが、ここでは化粧っ気のなさを強調してリアルに迫る。リッキーはアルチュール・ペイちゃん一人による撮影だそうだが表情が豊かだ娘の感情表現も気に入っている。

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登録日:2010年 12月 28日 22:22:45

「エリックを探して」。 「人生万歳」とは違い不得意分野に挑戦をどう見るか


エリックを探して / Looking for Eric

社会派監督ケン・ローチが挑んだコメディ、なるほど主人公エリック・ビショップはおなじみの労働者階級だが、それに対する深い追求はない。彼はバツ2(もしくはそれ以上)の独身で、最初の元妻は確実にエリックより階級が上。娘のサムは30で子供を産み、大学卒業間近。今のエリックの家には別の元妻の連れ子の少年二人と暮らしている。一人は白人で、もう一方はアフリカ系だと言うことがこの元妻がだらしない生活をしていたことを示している。

実はこれを見る前にケン・ローチとエリック・カントナと言う組み合わせだけの情報しかなく、予告編もほとんど見なかった。舞台のマンチェスターはエミー・ロッサムがリメイクする「Shameless」のオリジナルの舞台であるので、どこかで「Shameless」を見ていたり、"「Shameless」みたいだぜ"という台詞があったりするのではと期待していた。ところが実際にはそれ以上の意味を持っていた。他でもないエリックの義理の息子ライアンを演じるジェラルド・カーンズはオリジナル「Shameless」のギャラガー家の一員だ。調べてみると製作に入っているフィルム4は「Shameless」を放映しているチャンネル4の関連会社なのだから当然意識した配役なのだ。

ケン・ローチ作品の面白さといえば一般人にしか見えない配役だ(下手と言うことではない)。今回のエリックを演じるスティーヴ・エヴェッツはロック・バンドにもいたそうだがそうは思えない見事なふつうっぽさだ。それに対してライアンは「Shameless」を知っている人には既知感があるのでいつものローチ作品とは違うと感じるだろう。ジェラルド・カーンズ演じるイアン・ギャラガーはきょうだいの中で一番いりくんだキャラクターである。ここではトラブルを持ち込む少年と言うわりとふつうの役を演じている。

物語はエリックが交通事故を起こすところから始まる。パニック障害が悪い方に作用したのだ。最初の妻との離婚原因もそれだったのだが当事はそれを病気だと思わなかったのがひとつの悲劇となっている。事故後はサムの赤ん坊を預かることになったり、息子たちとの関係は悪いままだったりとエリックを悩ますことが起こり。壁に貼っているエリック・カントナのポスターに話しかけるとカントナが答えてくれる。カントナのアドバイスにより自信を回復するということにはならない。この小さなトラブルが重なってドツボにはまってゆくあたりはケン・ローチならではの見せ方だ。

やがてライアンがつるんでいるギャングが使用した銃を持っているように命じられる。作品の雰囲気からしてそんなにビターなものにはならないと分かっているのだが、それでもライアンが脅迫されるところなどはいつもの同じ。そんなわけで最後の大団円に向けてどう決着をつけてくれるのかと思いつつ見ていると、少し現実離れやり方で決着する。これに関しては賛否両論があるだろうが、個人的には仲間と一緒に解決するというのは良いとして、狭いコミュニティの利点を利用して相手の弱点を掴むといったような方法のほうが良かったと思う。それでもケン・ローチがなれないケレン味ある演出をしている姿が微笑ましく感じてしまった。「この自由な世界で」のときにも思ったが、単独の作品としてみると微妙なのだが今まで積み上げてきた社会派という看板を踏まえて見て見ると色々な見方ができて良いではないか。

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登録日:2010年 12月 26日 22:22:45

「人生万歳」。 「シュレック フォーエバー」同様に回帰路線だがうまくいっていない


人生万歳! / Whatever Works

「それでも恋するバルセロナ」はハビエル・バルデムとペネロペ・クルスが救ってくれなければ脚本、演出ともに最低だった(型どおりのクルスのキャラクターにはげんなり)。なんといってウディ・アレン監督自身がスカーレット・ヨハンソンにもヨーロッパにも飽き飽きしていると感じられたのが痛かった。それはヨハンソンをバカにした脚本と最後にニューヨークに戻ることからも伺えた。

とは言えニューヨークに戻った本作を見てもスカーレット・ヨハンソンのことは頭に残っているようでウディ・アレンの分身と言うべきボリス(ラリー・デヴィッド)が入れ込むのは金髪娘メロディ(エヴァン・レイチェル・ウッド)、当然のように頭は悪い。これがアレンのヨハンソンに対する評価なのだろう。非常に分かりやすい。それでもひねりはあってこのメロディはニューヨークでの生活ができそうにもない田舎娘となっている。老人が調教する余地があるわけだ。レイチェル・ウッドはこのくらいの設定は軽くこなす。ヨハンソンよりうまいので当然だろう。

物語はいい歳をして屁理屈を言いまくる元有名科学者ボリスのもとにメロディが転がり込む。このじいさんの得意な台詞が"クリシェにはまるな"で、そう言われたメロディは少しものを考えるようになる。やがてこの二人は結婚する。本来なら大きなハードルである行為を簡単に越えるので、これを安易と見るか見事な力技と見るかで評価は別れる。養女と結婚したウディ・アレンと年上ロッカーと付き合ったエヴァン・レイチェル・ウッドという現実も反映させているので受け入れやすいと思うが。個人的には作為的に感じられてだめだった。

さて、この大きなハードルを越えると原題どおりに何でもなりの状態になる。ニューヨークにやってきたメロディの母親(パトリシア・クラークソン)は自分の新しい面を発見してしまうし、父親にも同様なことが起こると言う話がサラッと描かれ、さすがに都合が良過ぎる。ただし母親がメロディに若い男を宛がおうとするところだけはリアリティがあって納得できる。ラスト直前で主人公が取る行動とその顛末にはあっけにとられたが、それを楽しいと言う人もいるだろう。

俳優に関しては「それでも恋するバルセロナ」でまったくいい役を与えてもらえなかったパトリシア・クラークソンがさすがにいい演技を見せてくれる。ウディ・アレンを画面で見るのはしんどくなっているので彼のコピーとなってもラリー・デヴィッドの方が良い。反則技である画面に話しかける場面は面白いが、回数が多くて効果が薄くなっているのは残念。ウディ・アレンは深夜に発作的に不安になるののだろうか、ここはなにかしんみりした。

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登録日:2010年 12月 24日 22:22:45

「シュレック フォーエバー」。 「トロン:レガシー」と続編の難しさとプロット作りの難しさを感じる


シュレック フォーエバー / Shrek Forever After

「ヒックとドラゴン」のときに見た長めの予告を見た。シュレックが今の人生が少し嫌になったところに悪魔的キャラクターのランプルスティルスキンが出てきて、昔の自由な気分を楽しもうとするが騙されて自分がいない世界になってしまってさあ大変。と言う流れは「素晴らしき哉、人生!」型の映画だ。日本で冬休み映画になることも意味があるのかもしれない。

たしかにこの世界はランプルスティルスキンが王国を乗っ取った世界になっている。フィオナは塔から逃げたがレジスタンスとして活動している。ドンキーは馬車を引っ張るロバとなり、ネコは太ってしまっている。たしかにシュレックがいなくなった世界ではあるが、シュレックがいないことが大いに作用した世界に思えないのだ。これは「素晴らしき哉、人生!」の主人公が狭い世界に暮らしているのに対してシュレックが社会的に大きな役割を与えられていたということなのかもしれない。

今回の悪役はランプルスティルスキン、シュレックの小さな不満を利用して世界を変えるのは卑屈な感じがしていいが、キャラクターとしてはやや弱い。もしろ部下であるハーメルンの笛吹きの方が面白い。ドリームワークス・アニメーションと言えば有名人をボイス・キャストに起用と言うイメージがあるが、今回ランプルスティルスキンを担当したのはスタッフの人となっている。べつにそれが悪いわけではないが意外だった。モンスターの3人もテレビで活躍している人たちで少し地味で、各人の個性がキャラクターに大いに反映されているわけではない。ふつうは有名俳優の起用を前提にアニメのキャラクターを作るのがドリームワークス流だが、今回はアニメ・キャラクターが先なのかも知れない。これがドリームワークス時代の終焉なのか、新たな試みなのかはまだ分からない。そうした意味では派手さに欠け、最終作としては物足りない。2.5作目あたりの番外編とすれば悪くないと思う。

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登録日:2010年 12月 20日 22:22:45

「トロン:レガシー」。 「ハーブ&ドロシー」同様に初監督作としては無難or物足りないのどちらと見るか


トロン:レガシー / TRON: Legacy

オープニングで過去の話をしてジェフ・ブリッジス演じるケヴィン・フリンが登場、しばらくして失踪。現代になると息子のサム・フリン(ギャレット・ヘドランド)が父の作った会社の取締役会をハッキングして混乱させる。それによって彼に機械に詳しい愉快犯で、うぬぼれ屋と言うキャラクターを与えることになる。その一方で家に帰ると猫にエサをやるという優しい一面を見せる。ここのサムは基本ソフトをフリーにしろと言っている。それに対しては様々な意見があるが、ブラウザを有料にしろという人もいたことを思い出した。

そうしているうちにサムは古いゲームセンターに行き、コンピューター世界に入り込む。このINする感覚で一番よかったのはどちらもIMAXシアターで見た「マトリックス・リローテッド」と「チャーリーとチョコレート工場」だった。それらと比べると本作の物足りない。

ここからサムがゲームに巻き込まれ、ヒロインのクオラ(オリヴィア・ワイルド)と出会い、父親の顔をしたこの世界の支配者と遭遇し、そこから逃げ出して本物の父親と再会と進む。ケヴィンが禅をやっていたりするのはお約束、とは言え興ざめする。変な東洋思想を入れないでほしい。主人公が生意気すぎると感情移入できないのだが、先に指摘したようにサムはぎりぎりの所で留まっているように思う。

コンピューター内に入った直後にあったゲームはさほど面白くないのだが殺されるときの消滅するさまと、バイクを連想すると出てくる所は良かった。と言ってもほんとうはもっと突き抜けてほしかったと言うのが本音だ。「マトリックス」つながりで言うと「スピード・レーサー」はやりすぎた失敗作だが、それだけに一部で熱狂的なファンがいる。本作も同様のことを期待していたのだがそこまで行かなかった。これを初監督にしてはバランス感覚があると見るか、当たり障りのないものを作ってしまったと見るかで評価は別れるだろう。同じようなことは「アリエッティ」の時にも思ったのだが、「アリエッティ」は当たり障りのないものと思ったのに対して本作はバランス感覚がある作品と思えた。まあ物足りない映画ではある。

ジェフ・ブリッジスは正当続編にするために出なくてはならなかったが、彼の演技を生かす場面はほとんどない。女優のオリヴィア・ワイルドとボー・ガレットはふたりとも能面的なのっぺりした顔なのでこの世界には合っている。予告では黒幕風でもっと重要な役だと思ったマイケル・シーンがあまり活躍しなくて残念。

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登録日:2010年 12月 18日 22:22:45

「ハーブ&ドロシー」。 「ロビン・フッド」と比べると再現パートがイマイチ。キャラはいい

ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人 / Herb & Dorothy

ニューヨークの現代アートコレクターである老夫婦のドキュメンタリー、監督は日本人の佐々木芽生。この夫婦のことは知らなかったが、郵便局員のハーブは勤めながらアートの勉強をしつつ、現代アートを買うことに興味を持ってくる。図書館職員のドロシーはそんな夫の影響を受けてアートにのめり込む。

この夫婦のスポークス・パーソンはどちらかと言うとドロシーで、彼女はよくしゃべる。それに対してハーブはキメの一言を言い放つ。良い関係だと思う。前半は初期の話や夫婦がどのようにアーティストに気に入られたかが語られる。ここは似たような話が続きやや退屈だ。やはり面白いのは夫婦の部屋一杯に置かれたアートを披露するところだ。もっと早い段階から見せても良かったと思う。

部屋にあるアートはほとんどが無造作に置いてあり、その風景は圧倒だ(表に出さないものや気を使って布をかけているものもある)。また亀を入れた水槽があったり猫を飼っていたりするが、彼らによる被害があったのかも気になる。夫婦の発言として面白いのは同じアーティストの作品を何枚か買うことによって変化を楽しむというのがあった。素人はアーティストの数を増やした方がいいと思ってしまう。

やがて夫婦が収集した作品がナショナル・ギャラリーに寄贈されることになる。その様子は前のことなので再現映像なのだがそのことをはっきりと言っていないの。ここはテレビのドキュメンタリー番組風に安っぽく見えてしまうのでもっとうまく処理すべきだった。とは言え売るのではなく、あくまでも寄付するのだが小額の謝礼金で次のアートを買う場面などは微笑ましく見ることができた。

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登録日:2010年 12月 13日 22:22:45

「ロビン・フッド」。 「デイブレイカー」とは逆におなじみの事から導かれる出来事の数々


ロビン・フッド / Robin Hood

リドリー・スコットによる「ロビン・フッド・ビギンズ」。リドリー・スコットなのでロビン・フッドと言ってもある部分はとてもリアルだが、単純化したパートもある。前作「ワールド・オブ・ライズ」ではCIAの現場と司令室と言う対比とともに何を信じて行動したらいいか分からないと言う911以降の世界の不安を描いていた。この映画のロビンは単なるジョン王の敵ではなく、前王の十字軍遠征に参加している。しかし王が死んだことを知るとすぐに引き返すと言う個人主義的なところも見せる。帰途の際に往還を王室に届けようとする一行が襲われるところに遭遇し、そこで殺された騎士になりすまして船に乗って帰国する。ロンドンに到着する前にずらかるつもりだったが着いてしまったために戴冠式にも立会い、そのまま騎士の領土へと向かい彼のマリアン(ケイト・ブランシェット)と父親ウィリアム・マーシャル(ウィリアム・ハート)と暮らすことにした。騎士として過ごしながらフランスとの戦いに臨むが最後にはアウトローとなる。

リドリー・スコット監督はこうした一連の流れをロビン・フッド自身の心の流れとしては描かない。むしろ(フィクションとは言え)歴史的事実から逆算して各登場人物がこのようにしたこととして描く。そのせいでロビンの行動は悩みなどは見せないでサクサク進む。たしかに深みはないが物語を進める手段としては友好的だ。

不満と言えば前半に森で生活する子供たちを写すのだが、彼らが次に出てくるのがラスト近くなこと。ロビン・フッドと言えば森なのだから、戦いのどこかで森や森にする者たちに不思議な力があるというような演出があっても良かったのではないだろうか。こういう部分はリアル志向を無視してほしい。

プログラムにカメラのことは書いていなかったが、割と多い夜のシーンなどはかなり気を使っているはずだ。フランス軍の上陸シーンはどこかで見たことのある風景だが悪くない。ロビン・フッドの見せ場たる弓矢もきちんと見せてくれる。

「ビギンズ」にしてはラッセル・クロウのロビン・フッドが少々老けていているのだが傭兵っぽいクロウも悪くない。ケイト・ブランシェットのマリアンも同様なのだが、俳優には不満はない。とくにブランシェットは十字軍遠征に行っていて10年間待たされた感じはよく出ていた。ただ兜をつけて出てゆくのはどうかと思う。

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登録日:2010年 12月 09日 22:22:45

「デイブレイカー」。 「ソフィアの夜明け」同様に兄弟関係にも注目


デイブレイカー / Daybreakers

ヴァンパイアもの映画だが「地球最後の男」の自分こそがモンスターだったというオチをさらに進めた世界と言うか、ヴァンパイアがマジョリティになった世界で人間はどうするかということを描いた映画になっている。なにせヴァンパイアにとっては人間の血液は食料なので殲滅するわけにはいかないのだ。その結果「マトリックス」のように人間牧場にして集めているが効率は悪い。それを仕切っているのは製薬会社でそこが一番力を持っていて、社長のチャールズ・ブロムリー(サム・ニール)はとうぜん敵役となるが、彼もヴァンパイアになることを拒否した娘がいることで厚みを持たしている。一方イーサン・ホークが演じる主人公エドワード・ダルトンは製薬会社の研究員で人工血液を作ろうとしているがうまく行かない。

ヴァンパイア社会は昼夜逆転の地下施設が充実している世界で、全体的に必要以上にスタイリッシュになっているが、カー・チェイスなどはこの世界ならではの設定が面白かった。ただ古典的な設定である鏡に写らないと言うのはなくても良かったと思う。血は人間から直接吸うのではなく売っているものを買う。それがコーヒー・スタンドのような所で売っているのが。今日はつゆだぐならぬ血大目になどというのを連想するとおかしい。チャールズの食し方などはエレガントだ。一方貧乏人は血にあり付けず弱体化するが、吸血鬼の血を飲むとサブサイダーという下等生物に成り下がってしまう。そうなったら処分するしかない。

この映画に出てくる人間は「マトリックス」と同様にレジスタンスとして戦っているのだが、逃げることに精一杯で対抗するのは難しそうだ。リーダーのライオネルを演じるのはウィレム・デフォー、見ている方としてはいつ裏切るのかとハラハラしてしまう。それは冗談として、今回はデフォーにしてはわりとまともな役で、彼はヴァンパイアから人間に戻った存在で自分が戻った方法をエドワードにも教える。この3人は有名俳優だがいわゆるハリウッド大作ではない。ヒロインが撮影場所であるオーストラリア出身の女優とで地味になっている。そのせいか恋愛対象になっていないようなのは残念。

エドワードは人間の血を吸うことに引け目を感じているので人工血液の開発に熱心、彼には軍人(正確には製薬会社が雇っている状態のようだ)の弟がいて二人の間には確執がある。どうやら重い病気を克服するためにヴァンパイアになったらしい(この辺はソフトで補完されるかもしれない)。

ヴァンパイアから人間に戻る方法はウソッと思うほどに反則技なのだが、もう一つの方法と言うのが反則技の二乗。しかしそのおかげでラストの阿鼻叫喚シーンが生まれたのだ。あの不幸な虐殺の連鎖は脱力して乾いた笑いが出るほどだ。

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登録日:2010年 12月 05日 22:22:45

「ソフィアの夜明け」。 「リトル・ランボーズ」と同じく兄弟関係に注目


ソフィアの夜明け / Eastern Plays

ブルガリア映画で、舞台は首都ソフィア。こうした国は良いニュースも悪いニュースも聞かない地域だが、この新人監督による作品が描く街は活気があるようには見えない。

映画は少年のショットから始まり、この少年が過激なグループに入るところが描かれる。話の中心はこのゲオルギではなく年の離れた兄イツォである。彼は自称アーティストだが、実際にはアトリエで何かを造っているだけである。と言うのも彼はドラッグで身体をだめにしていて病院に通っている。その様子はどん底を見た人間がそこから少し上にいるのだが、近いうちに底に戻ってしまうことが分かっていると言う風に見える。イツォを演じたオヴァネス・ドゥロシャンは監督の知り合いのアーティストで、彼をイメージしてキャラクターを作ったそうだが、撮影後に亡くなってしまった。映画を見るとそれも納得できる。

堕落してゆく弟はグループの一員としてドイツに行く途中のトルコ人家族を襲撃する。そこにイツォが居合わせる。ここは今の二人の立場が明らかになる。ドイツにはトルコ人コミュニティがあることはよく知られるが、それが問題を起こすこともある。兄弟の父親が見ているテレビには地元選挙のニュースが流れていて、候補者がジプシー排斥を訴えている。この辺は昨今フランスでも問題になったことと似ている。ここでは差別問題を前面に出すと言うよりは、それが引き起こす不穏な空気を表現していると感じた。

イツォはトルコ人家族の娘ウシュル(サーデット・ウシュル・アクソイ)と親しくなりデートをするが父親は快く思っていないのでイツォを娘から引き離そうとする。その結果また"無"の状態になったイツォは弟に自分の思いを託し本人は旅立つ。主演俳優の行く末を知らなくても早朝の街で老人と出会ってからの場面は夢とも解釈できそうだ。

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登録日:2010年 12月 03日 22:22:45

「リトル・ランボーズ」 「ハリー・ポッターと死の秘宝 1」同様雰囲気を楽しむべき

リトル・ランボーズ / Son of Rambow

「銀河ヒッチハイク・ガイド」のガース・ジェニングス監督の新作。映画の基本構造はミシェル・ゴンドリーの「僕らのミライへ逆回転」と似た手作り映画感覚である。イマジネーションとしてアニメーションを使うのは反則気味だが、映画になる前の撮影風景からシーソーを使ってジャンプする画を見せるところなどは楽しい。

厳しい戒律のある教会に属している少年が、歳の離れた兄と(ほぼ)二人きりの自由な生活をしている不良少年と出会い堕落して行く映画。構造は「サーティーン」と似ているがコメディな造りなので印象は違う。この宗派が実在するためかあまり悪く描かない。主人公があまりこの宗派に嫌悪感を抱いているように見えない。こうすることによって悪い人はいない形の映画になっているが少年が主人公の映画なのでこれはこれでいいと思う。この二人の子役は見たことがあるような気がしたが、それは間違いだったようだ。ウィル・ポールターは「ナルニア」の3作目に出演している。

主人公ウィル(ビル・ミルナー)は映像を見ることすら禁じられていて学校でビデオを使うときは廊下に出るのだが、そこで別の理由で廊下に立たされていた不良少年リー・カーター(ウィル・ポールター)と知り合う。彼の家に行って偶然映画「ランボー」を見て映画の魅力に取り付かれ二人で映画作りを始めるのが第一段階。そこにフランスからの交換留学生ディディエ・ルボルが加わることで二人の関係に微妙なすきま風が吹くも年上のフランス人から遊びを教えてもらうのが次の段階となっている。

映画を見たことのない少年が「ランボー」に夢中になる過程がないのは、彼が規律のある生活から外れてゆく様子には意外性がありそうなだけにやや不満。映画製作時に見せる各登場人物のファニーな面を楽しむべきだろう。主人公と不良少年の共通点は父親の不在なのだが、この部分は弱く感じた。不良少年には年の離れた兄を演じるのが「ゴシップガール」のチャックことエド・ウェストウィックが相変わらずふてぶてしい存在感を見せ付けてくれる。主人公の父親代わりが教会信者で頼りない存在であるのに対して、不良少年の兄は一見弟には関心がなさそうだが大事なときには世話を焼く。この対比によって家族とは何なのかをうまく描いている。

80年代を舞台にしているだけに当事の音楽もたくさん流れるのだが、それに対する拘りはさほど強くないように感じたので、雰囲気を楽しめばいいと思う。またディディエの外見もニュー・ウェイブっぽさを出しているのだが外国人という存在をうまく使っていると思う。

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登録日:2010年 12月 01日 22:22:45

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