「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」

第58回ベルリン国際映画祭、映画『There Will Be Blood』のフォトコールが行われる

【2月12日 AFP】ドイツ、ベルリン(Berlin)で開催されている「第58回ベルリン国際映画祭(The 58th Berlin International Film Festival)」が2日目を迎えた8日、映画『There Will Be Blood』のフォトコールが行われ、出演俳優のダニエル・デイ・ルイス(Daniel Day-Lewis)らが登場した。(c)AFP

AFPBB News


脚本:http://www.vantageguilds.com/twbb/FinalScript_TWBB.pdf

ポール・トーマス・アンダーソンなので群像劇を期待してしまうのは前作「パンチドランク・ラブ」がやや毛色の違う映画だったからか。原作つきの本作がいつ頃から制作が始まったのかは知らないが、もしかしたら「クラッシュ」の存在が彼を燃え上がらせたのかもしれない「俺やアルトマンが取ってないオスカーをあの程度の作品で取るなんて、もっと凄い映画を作ってやるぅぅぅ」(以上推測)。原作つきといったがアプトン・シンクレア「石油!」からは設定を頂いた程度でほとんどは創作らしい。原作者のアプトン・シンクレアに関しては「旗印は社会正義」という本を読む限り左寄りというよりは社会主義者と言ったほうが近いような作家/劇作家で、この映画関連以外で見かけたのは映画「ファーストフード・ネイション」の原作本「ファスト・フードが世界を食いつくす」の中で彼の「ジャングル」に言及している部分だった(これを読んで感じたのは今アメリカ的と思っていることが、意外にも80年代に始まったり、80年代に方向性が定まったりしているものが多いことだった)。確かに社会主義は失敗し、一番成功したと言われた日本の終身雇用・年功序列制度も崩壊したが、当初に設定された問題点は現代も変わらずに存在するということなのだろう。映画では労働者からの視点はほとんどない、あるとすればどの現場でも事故が起こる、教会に行く暇も無いくらいの長時間労働くらいのものだ。

そういえば「ノーカントリー」を見たときに男の映画が見たいと思ったが、これもそんな一本だ。それは予告の石油が噴出すシーンを見れば分かる。しかし男の映画というよりは男の子映画と呼びたい。ダニエル・デイ=ルイスはトミー・リー・ジョンーズ以外の「ノーカントリー」の人物たちより幼く見える。「ノーカントリー」が大人なの男なら、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」は男子高校生だ。音楽をレディオヘッドのジョニー・グリーンウッドに依頼するなんて実に高校生的なセンスで素晴らしい。しかしそれが成功しているとは思えなかった。オープニングの山にこもるダニエル(ダニエル・デイ=ルイス)がつるはしを叩きつける、その音が聞こえてきたときに「マスター・アンド・コマンダー」以来の素晴らしい密室的な「音」が楽しめる映画かもしれないと思った。その直後にそれをかき消すような音量で音楽入る。この不協和音を使用した曲を作曲したジョニー・グリーンウッドは悪くない(それでも全体的には後半の音楽の方が素晴らしい)。この音の大きさを決めたのは監督に近いサイドだろうが、最悪だ。やりすぎの一歩手前で留まった「つぐない」には敵わず、BGMを廃してリアリティを出した「ノーカントリー」と真逆のやり方でどんどんうそ臭くなる。まあこれをほめる人もいるようなので、感じ方はそれぞれだろう。

パンフによるとカリフォルニアの石油ブームは10年ほどで終了したとなっているので、映画の最終盤ではダニエルは半引退状態だろう。成長した息子のH.W.が映画の話をする。オープニングでダニエルが掘っていたのは金(脚本によると銀)だから、これらはそのままカリフォルニアの特産物の歴史となっている。H.W.というネーミングはハリウッドから来ているのかもしれない。

予告で見る限りはダニエル・デイ=ルイスがオーバーアクトで、イーライを演じるポール・ダノは彼に対峙する役者としては物足りないのでは思ったが、その予想は両方ともにやや外れた。ダニエル・デイ=ルイスもこの世界ではマッチしているし、ポール・ダノも健闘している。もちろんこの二人は擬似親子関係になっているわけだが、むしろ息子のH.W.と弟を名乗るヘンリー(ケヴィン・オコナー)の3人で息子の役割を補完しているという感じだ。レオナルド・ディカプリオのように一人の若手俳優に無理をさせることはない。H.W.を演じる子役は表情こそ少ないものの「オーメン」のダミアンに通じるものがある。またヘンリーは出てきた瞬間から胡散臭く。ダニエルに「おめー、誰だよ」と聞かれる場面は最高に笑える。

さて原作の題名が石油で映画の題名が血。これをどう考えるか、今の石油産業と政府に結びつけることも可能だろうが、カリフォルニアの特産物の変遷と捉えると、権力には暗黒面(血)がつきものとも読める。さらにはこの女っ気がほとんどない映画でダニエルは女性に興味が無いか、不能に見える。つまり自分の血を後世に残すことは出来ないのだ。彼の狂気の源の一つはこれだろう。それをふまえた上で彼に係わった3人の運命を考えてみるとH.W.だけが違うのはなんとなく理解できる。ラストの展開自体は嫌いではないのだが、そこに至る過程に規則性は無いのでやや分かりにくくなっているのは残念だ。

若さや勢いを売りにして登場してきた映画作家が曲がり角を迎える。それまでの持ち味を残しながら新たな道を開拓するか、一挙に方向転換するか、縮小再生産を繰り返すかのどれかが普通で、ここでのポール・トーマス・アンダーソンは一番初めのことをやっているように思う。じたばたとこれしばらく繰り返しながら新たな段階に進むだろう。そのためには本作のように和食にケチャップをぶちまけたような珍作、あるいは良い所と悪い所がはっきりと別れている問題作も必要なのだと思いたい。

(訂正)「成長した息子のH.W.が映画の話をする」としてたが、脚本を読むともう少し後のイーライとの会話の中だった、実際の映画でも同様だったと思う。

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登録日:2008年 04月 28日 01:03:01

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