タイーサ・イサーエヴァ来日(上)
【モスクワ/ロシア 9日 AFP】モスクワ中心部で8日、チェチェン独立派武装勢力の元最高指導者、アスラン・マスハドフ(Aslan Maskhadov)大統領を追悼してデモが行われた。マスハドフ元大統領は、ロシアによるチェチェン共和国支配に反対し、ロシア政府から最重要指名手配され、2005年3月8日にチェチェンでロシア軍によって殺害された。写真は8日、デモ中に警察に拘束される反戦活動家。(c)AFP/ALEXANDER TITORENKO

「子どもを産んでよかったのかとも思う」と語るタイーサ・イサーエヴァ
閉ざされたチェチェンから貴重な情報を送ってくれる人物がいる。情報センター主宰で元チェチェンプレスのタイーサ・イサーエヴァだ。3月6日から11日まで日本に滞在していた。
広島大学大学院主催の国際シンポに出席するためだ。来日時と帰国時の2回、成田空港で久しぶりに彼女と会った。彼女のことを書いた記事の紹介です。
■包囲の中の「チェチェン・プレス」
第二次チェチェン戦争が始まって間もない一九九九年十一月、チェチェンの首都グローズヌイは周囲の半分近くをロシア軍に包囲され、多くの住民が脱出していた。瓦礫の街には灯りも暖房もなく、水も食糧も尽きかけ、残された市民は、その日を生き延びることに必死だった。
冷たい霧が瓦礫に染み入るような夜。独立政府系の通信社『チェチェンプレス』のディレクター、タイーサ・イサーエヴァ=当時(26)=に出会った。激しい攻撃で停電し、ガスも水道もない編集局に入ると、ランプの灯りの下で何人かが働いていた。緊迫した状況下で、イスラム女性特有のスカーフも身につけずに陣頭指揮をとっていたのがタイーサだった。
当時、『チェチェンプレス』はインターネットで情報を発信していた。だが、インフラが徹底的に破壊され、電話も通じないチェチェンで、通信社を存続させるのは極めて困難な状況だった。その後間もなく、彼女は隣国グルジアへ脱出。そこで『チェチェンプレス』を復活させた。
二〇〇四年秋、私は彼女と連絡をとろうとしたが、消息不明で、生死もわからなかった。あきらめかけたころ、彼女がチェチェンに戻っていることがようやくわかった。
■チェチェンの窓=SNO(情報センター)
十一月、五年ぶりに再会した彼女は、結婚して子どもが生まれていた。独立派の活動家だった夫は占領当局に追われてチェチェンを脱出。彼女は四歳の娘と暮らしているが、平日は姉に預けて働き、終日一緒に過ごせるのは日曜日だけだ。「日曜の午後になると、娘は泣き始める」とタイーサは言った。
「戦争がいつ終わるかわからないのに、子どもを生んでよかったのかと思うこともある。だって、チェチェン人である以上、この子に未来があるかどうかもわからないのだから…」
九四年に始まったチェチェン戦争は十年以上にわたって続き、二十万人以上の住民が犠牲になった。ジャーナリストや活動家はいつ治安警察や軍に拘束されるかわからず、常に生命の危険にさらされていると言って過言でない。
グルジアから戻ったタイーサは、『チェチェンプレス』から独立し、『SNO』という情報センターを設立。チェチェンで起きる出来事を日々インターネットで発信している。
危険を冒してひそかにロシア占領軍関係者と接触。虐殺や拷問などの人権侵害の証拠として、ロシア軍が撮影したビデオを入手したこともある。国際人権団体やロシアの団体は、チェチェンの状況を知ろうとする際、SNOを情報源とすることが多い。いつどこで何があったのか、より具体的な情報が得られるからだ。
■独立したジャーナリズム
チェチェンのジャーナリストとして、私はこの連載の最初にタマーラという女性を紹介した。彼女は、独立派政府とともに行動する抵抗運動家でもある。
それに対し、タイーサは、独立派政府を含めあらゆる政治勢力から独立したジャーナリズムを確立したいと考えている。〇二年には、独立派政府のマスハドフ大統領(〇五年三月、ロシア軍との戦闘中に死亡)から、情報大臣への就任を打診されたが断った。
困難や危機を何度となく乗り越え、ジャーナリストとして活動してきたタイーサだが、私がチェチェンに滞在していた〇五年一月十二日、彼女に、新たな危機が訪れようとしていた。
その日、ロシア連邦保安局(FSB)の特殊部隊は、数日前に移転したばかりのSNO事務所の近辺を封鎖、一軒一軒に踏み込んで家宅捜索を始めたのだ。
黒い覆面に防弾チョッキ、自動小銃を構えた特殊部隊員たちが、一歩ずつ、タイーサの事務所に近づいていた。(つづく)
この文章は「信濃毎日新聞」に掲載された原稿を一部訂正したものです。
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登録日:2007年 03月 12日 18:22:48
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