邪魔者は消せ(この半年のロシア)②

大規模な反体制デモ、活動家ら拘束されるが同日釈放に - ロシア

【モスクワ/ロシア 14日 AFP】モスクワ中心部でデモ行進を開催し警察に拘束されていたガリー・カスパロフ(Gary Kasparov)氏は14日、拘束から数時間後に釈放された。
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(c)AFP/ALEXANDER NEMENOV

AFPBB News


 記者としての活動だけでなく、紛争の調停役として動いていたこともアンナ・ポリトコフスカヤ殺害された原因のひとつだった。〇二年一〇月には、ロシア軍の撤退を求めてモスクワの劇場を占拠し人質をとって立てこもったチェチェン武装勢力に、人質解放の交渉人として指名もされている。
 自爆死も辞さずという若いゲリラたちに対し、「私にもあなたたちのような年齢の息子がいる。生きる道を選んで欲しい」と説得し、実現可能な妥協案を彼らに呑ませた。

 しかしそれはロシア当局に無視され、死者一七〇人を出して事件は収束した。
 私が彼女に会ったのは、この事件の直後だった。

◇毒殺未遂

 〇四年九月に、南ロシアで武装勢力が学校を占拠して人質(死者三三〇人)をとったときにも、交渉役になろうと現地に向かった。彼女が仲介役になれば悲劇が防げる可能性があったからである。

 当日は事件現場方面へは全便満席だったが、空港職員の手引きで彼女は特別に飛行機内に案内された。

 ところが、満員のはずの機内はガラガラで「3人のFSB職員が乗っていた」と彼女は証言している。機中で紅茶に毒物を入れられて死線をさまよったが、このときは一命を取り留めた。

◇暗殺される直前に書いた未完の原稿

 さて、実は彼女の死後二日後の紙面に、ロシア軍による市民拷問の実態の記事と証拠写真を掲載する予定だった。パソコンに残されていた未完の原稿のタイトルは「お前はテロリストの役をしろ! 反テロ拷問政策」。

 未完の原稿の一部を紹介してみる。ロシア当局に拷問を受けたベスラン・ガダエフというチェチェン人の証言である。

 《(前略)奴らはすぐに殴り始めた。先ず右目のあたりを2回拳で殴られた。手錠を掛け両手が動かせないように両足の間にはパイプを差し込んだ。それから、高さ1メートルほどの台の間に吊された。

 すぐに両手の小指に電線を取り付けられて電気ショックを与えられ、同時にゴムの警棒でところ構わず殴られた。あまりの痛さに悲鳴を上げ始めたら、頭に黒い袋をかぶせられた。

 痛みのあまり気を失いかけた。わたしが失神しかけると見るや、袋を脱がせ、「話すか」と訊くので、「話す」と答えた。少しの間でも拷問を逃れたかったからだ。

 それから私をおろし、パイプをはずして、床の上に突き離した。「言え!」それに答えて「わたしは何も話すことがない」と言うと、私を吊すのに使っていたあのパイプでさっきと同じ右目のあたりを殴りつけた。

 その衝撃でわたしは横倒しになり、失神しかけながら、彼らがところ構わず殴りまくるのを感じていた。私は また吊され、同じことをされた。

 どれだけこれが続いたか憶えていないが、何度も何度も水を浴びせられ 繰り返された。

 次の日、私服の捜査員が、自白しなければ性的な辱めを与えて釈放すると言った。
 わたしは自白した・・・」
 
ベスラン・ガダエフの弁弁護士は、チェチェン共和国の検察庁に提訴した・・・》
 ここでポリトコフスカヤの原稿はとぎれている。未完成だ。 

この原稿と写真を発表する直前に生命を奪われてしまったのである。チェチェンの実態を伝えていたために殺されたのは間違いないであろう。(つづく)

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登録日:2007年 04月 18日 11:45:43

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プロフィール
林 克明
(男)
チェチェン総合情報
平成暗黒日記
■ジャーナリスト
■16回チェチェン入り。露店のおばちゃんから指名手配のゲリラ司令官、大統領まで知人 多数。チェチェンを入り口に、ロシア・世界・日本・政治・文化から人間の未来まで縦横無 尽に語る。
■著書「チェチェンで何が起こっているのか」(大富亮氏と共著)など
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