建築ハンター

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筆者は建築が嫌いなわけではない。むしろ好きな方である。

そこで新カテゴリー登場。小田原市の仮称城下町ホールコンペ審査委員長の藤森氏が建築探偵なので筆者は建築ハンター。気になった建築を自分の写真で紹介する。

その第一弾は、今を時めく建築家、隈健吾氏の1991年の作品「M2」。

バブル最盛期の1989年、自動車メーカーマツダは「5ブランド戦略」を展開した。マツダ、アンフィニ、ユーノス、オートザム、オートラマの5つのブランドの車を5チャンネルの販売網を作って販売する。車はプラットフォームは同一だがデザインは異なり、専売の車種もある。

当時ヤマハの経営企画室でブランド戦略などに従事していた筆者は、マツダのこの戦略は絶対失敗するだろうと思っていた。ブランドのコンセプトが机上で考えられたもので必然性のあるストーリーがないからだ。

メーカーが勝手にユーザーをセグメントしてそれぞれのライフスタイルと称するものをでっち上げ、そのライフスタイルに合ったデザインと車種を用意する。しかし現実の消費者にそんな首尾一貫したライフスタイルと好みを持つ人はいない。それに、例えば高感度な消費者に向けたヨーロピアンテーストのブランドユーノスといっても、その販売店は田舎にもあり、セールスマンは田舎のおっさんにも売らなければならないのだ。

ゼネラルモータースにしろ旧ブリティッシュモータースにしろ、かつてバッジエンジニアリングという手法をとった企業は、ブランド名キャデラックにしろMGにしろ、もともとの出自があり、それぞれのブランドのストーリーと顧客を持っていた。ユーノスもアンフィニも全くそんなものはない。頭の中だけで考えたコンセプトにもとづくブランドでもとから支持者がいたわけではない。体力のないメーカーがそんな5ブランドに資源を分散したらもつわけがない。

さて、もうひとつのマツダの勘違いが、都会の高感度のユーザーと交流し、その感性を商品開発に生かそう、という試みだ。そのためにM2という拠点を東京世田谷の環状八号沿いに作った。それがこの隈健吾氏設計のビル、M2だった。技術者が常駐し、様々なイベントを行って訪れるユーザーと直接交流する施設だ。

広島のメーカーであるマツダの気持ちは、当時浜松のメーカーヤマハの社員だった筆者には痛いほどよくわかった。にもかかわらず筆者はこれもうまくいかないだろうと思った。
東京は消費地である。高感度なユーザーも選択しているだけで創造しているわけではない。いくら話を聞いてもそれだけで新しいものは生まれない。なぜならば、高感度だろうがなかろうがユーザーは自分のウォンツはあってもそれを表現することはできないのだ。ウォンツは潜在化しており、企画開発者はそれを読み取らねばならない。むしろ話を聞かない方がいいのかもしれないのだ。交流をもとにパーツなどを付け加えたM2ブランドの車も売られたが、マツダの経営に特段影響を与えたようには見えなかった。

5ブランドもM2も、ものづくりのマーケティングを知らない大手広告代理店か外資系コンサルティング会社の入れ知恵だろうが、筆者はM2も長くないな、と思った。

あんのじょう1995年、ここは閉鎖された。

建築家というのは因果な商売である。どんなにコンセプトがあってそれを表現したつもりでも、それは施主の変遷とともに忘れ去られる。しかし建物という殻は残り、後世、なんであんな変なデザインなんだろう、と言われたりする。

1995年から無残な空家となったこのビルは、2003年葬儀社に買われ、メモリアードホールという葬祭場になっている。建物の内部構造が向いていたらしい。隈健吾氏設計の葬祭場ということになる。建築設計とはそういいうものなのだろう。

カテゴリー[ 建築ハンター ], コメント[4], トラックバック[0]
登録日:2010年 03月 14日 22:51:52

コメント

ミースのless is more に飽きた、ヴェンチューリの less is bore という皮肉のあと、世の中が「ポストモダン」に浮かれていたときの建物ですね。
ご本人も、今では別人のような顔をしていますが、これだけは、壊れて欲しいと思っているはずです。
新カテゴリー、がんばってください。

新カテを歓迎 @ 2010年 03月 15日 13:12:58

新カテを歓迎さん、ありがとうございます。ポストモダンといえば1980年代中ごろ、名古屋のクラブで山下司氏におごってもらいながら議論したことを思い出します。ミラノでソットサスにも会ったっけ。ポストモダン、懐かしいひびきです。この建築は「遅れてきたポストモダン」という印象でした。

himori @ 2010年 03月 15日 16:50:36

マツダの「5ブランド戦略」、M2拠点(私もM2でユーザーとして直接技術者と交流したひとりでした)の失敗については全く同意見。
ヤマハのブランド戦略も結局失敗で、その後のヤマハブランド凋落は今も続いています。

nebu @ 2010年 03月 15日 23:26:37

nebuさん、実際にM2に行ってららしたとは。興味深い体験ですね。ヤマハについていえば、特段のブランド戦略があったとは思えませんが、1980年代にどのようなことが経営者の間で考えられていたかについては、そのうち書きたいと思っています。

himori @ 2010年 03月 16日 12:42:42

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Ryuichi Himori
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団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教授に転職しました。肩書きは日本文化政策学会理事、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事、(社)指定管理者協会理事長などいろいろ。公共経営・行政経営(NPM)、文化政策、アートマネージメント、NPO論などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
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