ヤマハ銀座ビル

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ヤマハ銀座ビルの建て替えが完成し、2010年2月にオープンした。

計画段階で筆者はまだヤマハの社員だったのでほんの少し関わったが、当初営業部門からは「アトリエ系建築家」に任せてはどうか?という意見が出た。

それはなぜかというと、1951年に完成した旧ヤマハ銀座ビルが、フランク・ロイド・ライトの弟子でチェコ出身の名建築家、アントニン・レーモンドの設計だったからである。戦争の傷跡さめやらぬ銀座に忽然と現れたこの近代的なビルは、戦後日本復興の象徴であり、全面ガラス張りで入ると3階まで貫く吹き抜けなど斬新な設計で一世を風靡した。

当時の社長が超ワンマン川上源一だったからこそできた建築だった。営業部門が「アトリエ系建築家」を望んだのは、はす向かいの資生堂ビルなどに対抗して、再び銀座でヤマハの存在感を示したい、という思惑があったからだ。

その後様々な検討があり、コストとデザインのバランスを重視する営繕部門の意向で設計事務所は日建設計になった(筆者は個人的には、民間企業であるヤマハは自社の営繕部門でコストとコンセプトを完全にコントロールできるので、著名「アトリエ系建築家」に任せてもいいのではないか、と思っていたのだが)。

ともあれこのビルには楽器メーカーらしいユニークな工夫が詰まっている。特にホールは社内の専門家が音響設計に粋を凝らしている。音楽ホールとして敷地的に困難があったが建築設計に対して一切妥協はしていない。

http://www.yamaha.co.jp/yamahaginza/concierge/index.html

プロジェクトを担った後輩のNa君には Good Job と言ってあげたいが、果たしてレーモンドを超えることができただろうか。レーモンドの名建築が無くなったことには忸怩たるものがあるが、老巧化と規制の緩和により、資産をとことん活用しなければならない民間企業としてはやむを得ない建て替えだったと思う。それだけにこのビルはあと60年間建築的価値や景観への寄与を維持する宿命を負っているのだ。

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登録日:2010年 03月 19日 01:52:02

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Ryuichi Himori
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団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教授に転職しました。肩書きは日本文化政策学会理事、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事、(社)指定管理者協会理事長などいろいろ。公共経営・行政経営(NPM)、文化政策、アートマネージメント、NPO論などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
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