2006年 11月 03日

団塊の世代への誤解を解くシリーズ第一弾「学生運動」

団塊の世代に対する誤解をひとつひとつ解いていくシリーズ。第一弾は学生運動。

先日ある飲み会で「学生運動は団塊の世代が始めたんじゃないんですよ。」と言ったら「ええ!そうなんですか?」とびっくりされた。

70年安保や学園紛争は我々団塊の世代より前の人たちがお膳立てしたもので、我々はただそれに乗ってついて行っただけにすぎない。ただ、数が多いので目だったのだろう。
そのことを証明するために学生運動の歴史と主要な人物の年齢を紹介しよう。

1950年代の終わりごろ、武装闘争路線を放棄した日本共産党に飽き足らない人たちが、様々な組織を作った。これがいわゆる「新左翼」だ。その指導者の世代は、例えば革マル派の指導者で今年78歳で死んだ黒田寛一は1927年生まれだった。

その後60年安保の後で下火になった学生運動が再び盛んになったのは、1965年の慶応大学授業料値上げ反対闘争、そして1966年の早稲田大学学費闘争だった。このとき初めて学園がバリケードで封鎖されたが、そのとき団塊の世代の先頭1947年生まれはまだ大学1年生だった。

1967年の第二次羽田闘争で初めてゲバ棒とヘルメットが表に登場したが、このとき筆者はまだ高校三年生だった。このころになると新左翼が再び支持者を増やし、ベトナム反戦運動や70年安保、成田闘争へと続いていく。当時の指導者の年齢は、例えば赤軍派の議長塩見孝也は1941年生れ、同じく赤軍派で淀号ハイジャックで北朝鮮で死んだ田宮高麿が1943年生、ベイルートに行った重信房子が少し若くて1945年生、みんな団塊の世代(1947~1949生)より先輩である。三派全学連の委員長で歌手加藤登紀子と獄中結婚した藤本敏夫(社青同解放派)は1943年生れだった。なお、彼らは当時は若手指導者であって、各セクト(派)の最高指導者は例えば北小路敏(1936年生れ)のように依然として60年安保を経験した1930年代生まれだった。

一方、このような政治闘争に影響されつつ、大学改革の運動はやがて「大学解体」を掲げる全共闘運動へと発展していった。大学内では、各セクト(革マル派など)も、一般学生などと一緒に全共闘(全学共闘会議)に参加した。全共闘の指導者として有名な東大全共闘議長山本義隆は、1941年生まれで当時は博士課程の院生だった。全共闘で団塊の世代の指導者の登場は1947年生れの日大全共闘議長秋田明大まで待たねばならかった。

長々と書いてきたが、団塊の世代に学生運動の「創業者」はいない。みんな先輩の後についていったフォロワーなのだ。だから学生運動の季節が終わったとき、団塊の世代は髪を切って就職した。しかし我々より上の世代は、赤軍派のようにしつこく続けたり、藤本敏夫のように有機農業の普及や環境問題にのめりこんだり、様々な社会活動や労働運動を続ける人が多かった。

学生運動に参加した一部の団塊の世代のこの素早い変身ぶりは、その後の企業戦士としても、調子がよく節操のない性格に引き継がれているかもしれない。
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登録日:2006年 11月 03日 02:36:43

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プロフィール
Ryuichi Himori
(男)
団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教授に転職しました。肩書きは日本文化政策学会理事、行政経営フォーラム副代表、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事などいろいろ。行政経営(NPM)、文化政策、アートマネージメント、NPO論、都市政策などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
(なお、mixiもやってます。)
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