2007年 01月

佐渡の酒

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このエントリーを書きながら飲んでいるのが、佐渡の北雪酒造の生貯蔵酒「佐渡のきりょうよし」だ。佐渡へ行く前日にお会いした金沢大学教授の世古一穂さん(協働のデザインの著者で実は酒蔵環境研究会の代表としても有名)から「佐渡のお酒はおいしいわよ。」と言われて名前の出た蔵元だ。
佐渡には「北雪」「天領盃」「真野鶴」「真稜」「金鶴」の五つの蔵元がある。今日でその全てを試すことができたが、いずれもすっきりと飲みやすい中にもそれぞれ個性がある。地元の人たちもその違いをあれこれ論じて楽しんでいるようだ。また島内でも流行の変遷があるらしい。
写真は見学した酒蔵「真野鶴」の尾畑酒造で、勧め上手のお姉さんについ乗せられて(というかさんざん試飲したあげく)買ってしまった「真野鶴大吟醸無濾過生原酒」。最近はあまりにも軽くフルーティーで吟醸香のあるお酒より、すこし強くてコクのあるお酒が好みになったのでぴったりだ。
いただいた食事が、いずれも素材のよさだけでなくしっかりと調理技術を感じさせたことといい、お酒の個性といい、この島にはただの田舎ではない文化の存在を感じる。
30以上の能舞台があり、宝生流が盛んで自分が金持ちであることを自慢するのに「シテを何番舞った」と表現する土地柄だ。

日本の原風景を感じさせる広大な田んぼの景色には、心をゆさぶるものがある。
この島には、地元の人には当たり前のことでも、外の人をひきつける何かがあるようだ。

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登録日:2007年 01月 31日 00:07:23

社会主義共和国!?

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指定管理者の話をするために28、29日と新潟県佐渡市に行ってきた。

東京都23区の1.4倍の面積に人口6万9千人、10市町村が対等合併してできた全島1市のこの島に、1030の公共施設がひしめいている。
そのいくつかを案内してもらったが、車で30分の距離に1000席規模のホールが二つあるなどはまだ序の口だ。15分走るごとに現われる入浴施設。いたるところにある公衆トイレ。しかも同じ旧行政区に類似施設が重複しているのは、補助金の出所が違うために所管課が異なるからだ。

回っているうちに思わず口をついて出た感想が、「これは社会主義共和国だ!」。

写真の手前側青いじゅうたんの施設はコミュニティーセンター。某省の事業で建設された施設だ。奥に見えるピンクのじゅうたんの施設は活性化センター。別の省の事業で建てられた施設だ。その実態は早い話お風呂場と休憩所だ。

10市町村の当時、各自治体の担当者はいかに上手に作文して補助金を通すかが仕事だった。別々の補助金で建てられた施が隣り合っている、など行政マンの腕が見事に発揮された事例にはことかかない。地域にとって良かれと思ってやった結果がこの状態。合成の誤謬とはまさにこのことだ。

全島1市になって公共施設の見直しが始まっている。当然ながら、この問題は指定管理者の導入程度では解決できない。思い切ったスクラップアンドビルド、選択と集中が必要だ。合併直後には複雑すぎてどこから手をつけていいのかと立ちすくんでいた状態から、ようやく見直しが動き出している。

しかし、市民にとっては、今までのように与えられるのを待っている状態、要望さえすれば実現する状態からの頭の切り替えが必要になる。
合併は社会主義からの体制転換のようなものだ。新しい体制では、行政の役割は後退する。市民自らがお互いに助け合って施設を管理したり、新たな行政サービスを生み出したりしなければ、とてもこの問題は解決しない。今までの地縁社会だけではない、市民による新たなコミュニティの創成が求められているのだ。
しかしこのことを説き、仕掛けるのは行政だけの役割だろうか。

公務員の数が1700人(公営企業などを含む。この他に県職員、国家公務員も相当数いる)の社会主義国の基幹産業は、公共事業と米作だ。民間産業であるはずの観光事業ですら公営の宿が相当数ある。果たして官依存の社会主義から脱却し、自立の道を歩み始めることができるだろうか。地元の人の「ここは日本の縮図だ」という言葉が印象に残る。

佐渡には魅力的な自然と田園風景、豊な人情がある。これらは貴重な資源であり、筆者は大きな可能性を感じる。この点は項をあらためて述べたい。

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登録日:2007年 01月 30日 17:27:58

本日開店!

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雨後の竹の子のごとく、にょきにょきと超高層ビルが生えてくる名古屋で、本日26日、また新しいビルがオープン。それが名古屋駅北側にオープンした「ルーセントタワー」。高さ180m、40階建てのオフィスビル。写真は1階のファサード。左側がビルの入り口だ。世界のアーティストの壁画やオブジェ、空間アートもあるおしゃれな空間だ。写真の右に写っている白い円筒は五十嵐威暢の彫刻「こもれび」。
いかにも名古屋らしく、名古屋駅とは長い地下道で結ばれているが、壁にはミニムブラブラというアーテストユニットによる「A Tale of Stray Kittensー異世界旅行猫絵図ー」という作品が描かれている。
筆者はオープン初日にアートを見に行ったわけだが、びっくりしたのは、客が少ないこと。オープン初日の夕方6時だというのに、飲食店などほとんど人が入っていない。中には客0の店も。これが東京だったらごった返していたと思うのだが。名古屋の人は物見高くない、ということなのか。あるいは保守的で新しい店は評判が定着するまでいかない、ということか。

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登録日:2007年 01月 26日 22:41:53

政策形成過程のいいだしっぺは?~指定管理者、ゆとり教育、裁判員制度

指定管理者制度の発案は総務省自治行政局行政課、もっと細かく言えば第三係だ(おそらく)。この制度の政策形成過程にめずらしくガバナンスが働いているのは、おおもとが「骨太方針」だからだ。

平成13年の「骨太方針」に、「公共サービスの属性に応じて、民営化、民間委託、PFIの活用、独立行政法人化等の方策の活用を検討する」という一文がある。これが「閣議決定を経て内閣の基本方針」になったことから、それを受けた総務省の官僚が知恵をしぼって、自治体における民間委託拡大の方法を生み出したのがこの制度だ。

つまり、政治家が諮問会議を使って打ち出した「政策」の実現の具体策を考えたのが官僚、ということでこれが民主主義のガバナンスだ。市民は気に食わなければ政治家を選挙でとっかえればいい。

ところが選挙でとっかえられないのが官僚だ。

ゆとり教育のおおもとは、文部科学省の寺脇元大臣官房審議官だと言われている。それにお墨付きを与えたのが中央教育審議会だ。しかしこれは文部科学大臣の諮問機関で事務局も文科省という単独の行政機関だ。諮問に応じて答申を出すが、諮問も審議もすべからく官僚の根回しの結果であり、政治家の打ち出した政策の実現というガバナンスは働いていない。だからゆとり教育は選挙のない官僚がいいだしっぺだ。寺脇氏を気に食わなくても選挙で落とせない。(もっともいまはおやめになったが)。

さてそこで、不思議なのが裁判員制度だ。この制度のいいだしっぺが政治家とは考えにくい。市民が参加する身近でわかりやすい裁判制度確立は票にも利権にもつながるとは思えない。では誰か?官僚か?最高裁も法務省もめんどうだと思わなかったのか?いったい誰が言い出したのだろうか?謎が残る。

推理小説の世界では、その犯罪で一番得する者が犯人だ。ではこの場合、犯人は誰か?そして犯人にはどんな得があるのか?

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登録日:2007年 01月 24日 12:48:30

今日も中学生

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今日は中学校のキャリア教育の成果発表。テーマは町の活性化。
自分たちで仮説を立て、調査をし、調査結果により仮説を修正してコンセプトをつくり、それをビジュアルやモデルで表現して発表する。
発表はグループ単位でステージ発表かポスターセッション発表。来賓や父兄の前でそれぞれ工夫を凝らして発表してくれた。

はじめて聞いた来賓からは、「発表が論理的で、自分たちで考えていて素晴らしい」というコメントが出たが、事前に指導した筆者としては、薬が効きすぎた気がしないでもない。
ともあれ、正解のある試験ではなく、自分たちで問題を立て、町の人たちに飛び込んでアンケートやヒアリングを行い、自分たちで結論を考える一連のプロセスはいい経験になっただろう。(手間がかかって先生方は大変だったと思うが。)

筆者は講義では、「社会に出たら仕事はみんなこうですよ。どこかから正解が与えられることはありません。自分たちで問題と答えをつくらなければならないのです。」としつこく言ってきたが、ほんの少しでもわかってくれただろうか。

写真はポスターセッションのグループ。パワーポイントでプレゼしている内容は、町の活性化のために、欽ちゃん球団のような社会人野球チームをつくる、というアイディア。駅前でアンケートをとったら72%の人が欲しいと答えたそうだ。この町には都市対抗常連の企業チームがあるが、それとは違う市民の球団ということに意味があるそうだが、お金をどう集めるかが課題だ、という発表だった。

貴重な授業時間を割いた割には、なかにはやっつけの発表があったり、グループ内でも充分役割りを果たせない子がいたり、ということもあった。また学校としては発表で格好をつけることが目的化しているきらいがないわけではない。それでも、学校外の多くの人々が協力し、普段は接することのない大人と接することができたので、やらないよりはやった方が良かったとのではないか、と思いつつ学校を後にした。

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登録日:2007年 01月 22日 23:13:57

中間支援NPO

昨日は仕事が終わったあと、役員をやっている名古屋のNPOで打ち合わせ。
ここはいわゆる中間支援組織という、NPOを支援するNPOだ。

打ち合わせの内容は、NPOのためのある創業助成金を受けている団体を、手分けしてヒアリングした結果を持ち寄ってのすり合わせ。各団体がそのお金を活かして自立(というか確立)していくのをモニターし、必要なサポートをする、というのが仕事の内容だ。サポートというのは必要とされる情報提供や業務支援(会計など)、事業・組織運営などについてのアドバイス、コンサルティングのことだ。

中間支援NPOといっても、必ずしも個々の団体がやっている事業についての専門家ではない我々が、どのようなサポートができるかについて筆者は若干懐疑的だったのだが、議論を進めて気づいたのは、中間支援組織に集まる(あるいは蓄積された)情報とネットワークで有効な支援ができる、ということだ。

例えば、障害者がパンをやいている小規模な作業所がある。我々はパン屋の経営そのものにはアドバイスできないが、障害者のパン屋さんで成功しているところを知っている。成功させたキーマンを紹介してあげることができる。フリースクールをやっているが目の前の問題の処理に手一杯、というところがある。我々はフリースクールをやったことはないが、他のフリースクールでうまくいった事例を知っているのでその手法を持ち込むことができる。ある事業の形を整えることによって、この地域の公的資金を申請できる、という情報を提供することもできる。

中間支援NPOは様々なNPOの様々な事例を見聞きしている。政府・自治体の政策や制度についての情報も集まってくる。活動をすればするほど事例が蓄積され、ネットワークもできる。その結果団体の状況やニーズに即した支援がますますできるようになる。なるほど、中間支援組織とはそのような仕組みなのか。

中間支援組織というと、はカリスマ性のあるリーダーがいてNPOを支援ではなく「指導」しているところもあるようだ。一方で官から委託された中間支援組織もあるが、施設の管理や委託講座の実施が主で、個別支援には専門性が不十分なところが多いようだ。
また、中間支援組織といいながら、ついつい自分たち自身が事業をやってしまっているところも多い。

たぶん、中間支援組織は、クライアントである個別団体にサービスを提供する、というものなのだろう。それは団体の直接求めていることをやる、ということではない。その団体がきづいていないような、先を見越した提案をする、ということだ。その団体の持続可能性や事業性については、岡目八目ということもあるのだから。

人の団体の世話をして、その団体がミッションを達成することをお手伝いすることで、社会に貢献しようというのだから、よっぽど我慢強くてお人よしじゃないとできない。NPOは自分のやりたいテーマが強烈にある人たちなのだから、人の団体のめんどうをみる仕事などかったるくてできないだろう。我々は奇特な人たちの集まりなのである。でもそれでいいのだ。

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登録日:2007年 01月 20日 23:22:05

指定管理者制度の理論

以前ここで紹介した指定管理者制度の本の原稿も少しづつ進んでいるがなかなか完成しない。その言い訳は、書いている途中で日々新たな知見に接するからだ。

例えば、いま指定管理者制度の理論のところを書いている。

「 指定管理者制度は市場を唯一絶対の資源配分システムと考える新古典派経済学の考え方に基づいていると一般には思われているようだが、必ずしもそうではない。既に述べてきたように、指定管理者制度の背景にはニューパブリックマネージメント(NPM)の概念がある。そしてNPMの名付け親であるイギリスの行政学者クリストファー・フッドは、NPMのもととなるアイディアは、プリンシパル・エージェンシー理論などを含む制度派経済学と、マネジリアリズム(1980年代半ば以降の、情報化などを活用した企業の経営革新の動き)の「結婚」である、と言っている。」

という出だしで制度派経済学の理論とそのひとつプリンシパル・エージェンシー理論を簡単に解説し、指定管理者制度の実例を理論的に解明する、というように進んでいる。
ところが先日の審議会のあと同じ委員のTK大K助教授にこの話をしたら、指定管理者制度には取引コスト理論も大いに関係があるのではないかと指摘された。まったくそのとおりで、長くなるから触れずに済まそうと思ったがやはりそうはいかない。指定管理者制度のもとで各アクターは自分の取引コストの最小化を目指す。その結果どうなるかは書かないわけにはいかない。

さて、最近ある市の複合文化施設の指定管理者制度導入のアドバイザーをすることになり、昨日その下打ち合わせが行なわれた。業務水準書を策定するために、詳細な業務項目と、それにかかっている時間数を調査するという。業務量を把握したいからとのことだ。
ちょっと待った!
業務にかかる時間数が重要なのではない。その業務の目的と達成水準が重要なのだ。
例えば、閉館時に各部屋の点検施錠業務を行い、それに30分かかっているとしよう。でも点検施錠業務の目的は何だろう?各部屋を点検し、ごみがあれば拾い、忘れ物があれば回収し、乱れた机や椅子があればもとに戻し、電源を落として施錠する。つまり朝の開場時の状態に復帰させて施錠することが目的ではないのか?そうだとしたらその目的を達成すればよいのであって、30分という時間は問題ではない。目的が達成されれば時間は効率化できればすればよいのだ。方法は指定管理者の創意工夫にまかせる。だから点検施錠業務に30分かけなさい、という決め方は間違いなのだ。
実際に30分働いたかどうかチェックするには大変なコスト=モニタリングコストがかかる。事実上不可能だ。しかし目的を達成しているかどうかは、ときどき朝抜き打ちチェックをすればすぐできる。
これが「限定合理性」の基で「機会主義」を排し取引コストを最小化する「取引コスト理論的解決法」というものだ。


この市では、指定管理者が業務を適切に遂行しているかどうかをチェックするために、職員を常駐させる必要があるのではないか、という議論があるという。これでは何のために指定管理者にしたのかわからない。コストもかかるし、1~2人いたからといって常に見張っているわけにいかないのだから、チェックもしきれない。
そこで、指定管理者が自らPDCAサイクル(プラン・ドゥ・チェック・アクション)を回し、常に改善する、というセルフモニタリングをやらせる。そのために、まずいところをチェックしてけしからん、というのではなく、まずいところを自ら発見し改善したらほめる、というインセンティブを設計する必要がある。そして、指定管理者がセルフモニタリングでPDCAを回しているかをチェックするのが発注者の役割だ。
これが少ないコストで「モラルハザード」を防ぐ「プリンシパル・エージェンシー理論的解決法」というものだ。

このように、指定管理者制度というのは効用最大化を目指して限定合理的に行動する人間の「合理性」を設計することであって、決して「市場の見えざる手」にまかせっきりにするのでもなければ、規則でがんじがらめにするのでもない、ということは認識する必要がある。というのが筆者の考える指定管理者制度の理論だ。誰も言っていないことを書くのは大変だ。

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登録日:2007年 01月 18日 14:06:59

コミュニティの再生と社会参加のための教育について

さて、昨日の審議会で感じたことを2点、

1.コミュニティは「再生」ではなく「構築」だろう

昭和30年代に筆者が小学校時代をすごしたのは、東京の住宅街だ。80年前はサラリーマン向けの新興住宅地だったのだろう。小学生のころ、筆者が地域社会によって育てられたとか、コミュニティの存在を意識した、ということはまったくない。
確かに、あの子はどこの家の子だ、という認識は今よりあったかも知れない。でも、自治会は回覧板が回ってくるだけだし、子ども会もなかったし、地域の大人にしかられたという記憶もない。今の子より外で遊んでいたかも知れないが、遊ぶのは同世代の子だけ。そもそも少人数で遊んでいて集団で遊んだ記憶はない。
貧しくも助け合って生きてきたコミュニティは都会の住宅地には存在しなかった。農作業を共同で行なう田舎にはあったのかもしれないが、昔はどこにでもあった、というのは幻想にすぎない。
だから日本中が都市化した現在、コミュニティがないのは当たり前だ。過去に存在していたのは地縁血縁のコミュニティで、それはもともと田舎にしかなかったのだ。
だから今しなければならないのは、ノスタルジックなコミュニティの再生ではなく、自立した市民が自発的に集まる都市のコミュニティの新たな構築だ。日本も成熟した市民社会のコミュニティづくりを考えねばならない、ということだ。地縁血縁社会の復活ではない。

2.社会参加の教育

子供の社会参加の教育についていくつかの興味深い事例が報告された。共通して言えるのは、子供の社会参加は大人がお膳立てするものではない、ということだ。あくまでも、子供が自ら社会参加を意識することからスタートするのが大切だ。子供が自ら地域社会に興味を持ち、地域課題の解決を考えるようになるのをじっと待つのが社会参加の教育の真髄だという。大人はつい先回りしてお膳立てし、誘導しようとする。でもそれは間違いだ。子供自身に気づかせ、行動を起こさせねばならない。とても忍耐と高度な技術を必要とする教育で、成果主義にしばられた今の学校と先生には難しいだろう。報告された事例を見ると、子供たちが他人を思いやる感性と能力を持っていることがよくわかる。誘導しなくても自分で問題を発見し、自然にボランティアを志すようになる。
社会参加の教育の「仮想敵国」は、今の子供はぶったるんでいるから兵役の代わりに全員にボランティアを義務づけるべきだ、という考え方だ(ボランティアを義務づける、というのが言語的に矛盾するのだが)。

皆さんのご意見をお聞かせください。

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登録日:2007年 01月 17日 00:53:47

審議会

今日は委員をしている県のある審議会の会合があった。条例で設置された、グレードの高い審議会だ。
前にも書いたが、この手の審議会というと、功成り名を遂げた大物や地元ゆかりの文化人が、自分の経験の範囲で思いついたことをその場限りで適当に言い合い、事務局が都合のいい方向でまとめ、委員がどうでもいい細かい表現を指摘して終わり、というのが通例でだ。
この審議会はまず構成が違う。学識経験者は名誉教授でなく助教授クラス。企業は相談役でなく筆者のような若手?。教育分野からは現役の校長たち。その他マスコミやNPOも含めみんな現役ばりばりの人たちだ。
議論はファクトをベースに共有して行なわれるので活発だがぶれることはない。また、専門家を呼んで勉強会も行なっている。だから一人入っていた有名文化人的な人は出てこなくなってしまった。
答申案は数字がふんだんに現れる実質的なものだ。だから答申に基づく政策の立案には事務局は苦労するだろう。それをいとわずやろうとする心意気を感じる。役所の中でも保守的と思われた組織(教育委員会)も、確実に変わり始めているようだ。

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登録日:2007年 01月 16日 23:24:04

お言葉ですが・・・

アメリカファッション協議会、‘やせ過ぎモデル’禁止せず - 米国

【ニューヨーク/米国 13日 AFP】アメリカファッション協議会(CFDA)は、一定の基準に達しない‘痩せすぎモデル’たちのランウェイ登場を禁止しないと発表した。
≫続きを読む…
(c)AFP/

AFPBB News


やはり細いモデルを使うことは、女性の痩せたい願望を刺激するのではないでしょうか。背が高く、痩せたモデルを使うのは、服が良く見えるからというビジネス上の理由だそうです。モデルはもともと痩せていたとしても、多くのそうではない女性は痩せるために無理をして、健康を損ねるかもしれません。その原因がファッションを売るための商業主義というのではなんか納得しがたい気もするのですが・・・

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登録日:2007年 01月 13日 22:15:23

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プロフィール
Ryuichi Himori
(男)
団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教員に転職しました。その他行政経営フォーラム副代表、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事、県生涯学習審議会委員、県NPOパートナーシップ会議委員などを務めています。行政への企業経営手法の導入や、文化政策、地域政策、NPO論などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
(なお、mixiもやってます。)
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