2007年 01月 17日

コミュニティの再生と社会参加のための教育について

さて、昨日の審議会で感じたことを2点、

1.コミュニティは「再生」ではなく「構築」だろう

昭和30年代に筆者が小学校時代をすごしたのは、東京の住宅街だ。80年前はサラリーマン向けの新興住宅地だったのだろう。小学生のころ、筆者が地域社会によって育てられたとか、コミュニティの存在を意識した、ということはまったくない。
確かに、あの子はどこの家の子だ、という認識は今よりあったかも知れない。でも、自治会は回覧板が回ってくるだけだし、子ども会もなかったし、地域の大人にしかられたという記憶もない。今の子より外で遊んでいたかも知れないが、遊ぶのは同世代の子だけ。そもそも少人数で遊んでいて集団で遊んだ記憶はない。
貧しくも助け合って生きてきたコミュニティは都会の住宅地には存在しなかった。農作業を共同で行なう田舎にはあったのかもしれないが、昔はどこにでもあった、というのは幻想にすぎない。
だから日本中が都市化した現在、コミュニティがないのは当たり前だ。過去に存在していたのは地縁血縁のコミュニティで、それはもともと田舎にしかなかったのだ。
だから今しなければならないのは、ノスタルジックなコミュニティの再生ではなく、自立した市民が自発的に集まる都市のコミュニティの新たな構築だ。日本も成熟した市民社会のコミュニティづくりを考えねばならない、ということだ。地縁血縁社会の復活ではない。

2.社会参加の教育

子供の社会参加の教育についていくつかの興味深い事例が報告された。共通して言えるのは、子供の社会参加は大人がお膳立てするものではない、ということだ。あくまでも、子供が自ら社会参加を意識することからスタートするのが大切だ。子供が自ら地域社会に興味を持ち、地域課題の解決を考えるようになるのをじっと待つのが社会参加の教育の真髄だという。大人はつい先回りしてお膳立てし、誘導しようとする。でもそれは間違いだ。子供自身に気づかせ、行動を起こさせねばならない。とても忍耐と高度な技術を必要とする教育で、成果主義にしばられた今の学校と先生には難しいだろう。報告された事例を見ると、子供たちが他人を思いやる感性と能力を持っていることがよくわかる。誘導しなくても自分で問題を発見し、自然にボランティアを志すようになる。
社会参加の教育の「仮想敵国」は、今の子供はぶったるんでいるから兵役の代わりに全員にボランティアを義務づけるべきだ、という考え方だ(ボランティアを義務づける、というのが言語的に矛盾するのだが)。

皆さんのご意見をお聞かせください。

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登録日:2007年 01月 17日 00:53:47

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プロフィール
Ryuichi Himori
(男)
団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教授に転職しました。肩書きは日本文化政策学会理事、行政経営フォーラム副代表、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事などいろいろ。行政経営(NPM)、文化政策、アートマネージメント、NPO論、都市政策などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
(なお、mixiもやってます。)
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