2007年 02月

団塊の反論:誰が投資などするものか

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先日の日経新聞に福井日銀総裁の講演内容が載っていた。

「1500兆円の『家計の金融資産のより有効な活用への期待が高まっている』として『人生につきものであるリスクを認識し、それにうまく対処しながら生活を経営していくことが要求される』と述べ、個人もある程度リスクを取って積極的な資産運用をする必要があるとの考え方を示した。」(2007年2月26日 日本経済新聞朝刊より抜粋)

お言葉を返すようだが、「人生につきものであるリスクを認識」しているからこそ、筆者は投資などしないのだ。そのリスクとは、

1.資金に充分ゆとりがあればその一部をハイリスク・ハイリターンの投資に回すかもしれないが、たかだか数百万、多くても数千万の金しかないのに誰が投資に回すものか。なけなしのお金は大切な老後の生活費だ。
500万を回して元本保証のない投資なら8%、元本保証のある預金なら0.2%として、その差はたかだか年間39万円。誰がやるか。ばかばかしい。
大英帝国時代のイギリスの中産階級は配当や金利だけで生活できる資産を持っていた。投資はそういう人がやればいい。こちらはそんなゆとりはない。

2.投資とはお金に働かせて稼ぐことだ。そのための知識と能力とセンスを持った個人投資家は確かにいる。筆者の知人でも企業を定年退職後にシンガポールで投資会社を設立した人がいる。
しかしその人はもともと資産があり、会社の給料とは別の余裕資金を投資に回して自分を訓練してきた人だ。儲けたり損をしたり、という振幅を経験できたから磨かれたセンスだ。
たかが5百万1千万損して真っ青になるようなこちらとは違うのだ。筆者のような素人にそんな能力はないし身につく機会もない。

3.そもそも投資のリスクとは何か。昔のイギリスの中産階級は東インド会社の船の積荷に投資した。無事に着けば大儲けだが船が沈んだり海賊に襲われればパーだ(だからロイズの保険が生まれた)。
しかし昨今のエンロンや日興コーディアルの粉飾決算とはどのようなリスクか。またアーサーアンダーセンやみすず監査法人の解体は何を意味するのか。船長が積荷をごまかしたり、荷主の代理人たる検査官がそれを見逃したりするリスクではないか。
確かに嵐もあれば海賊もいるから事業にリスクはつきものだが、福井総裁は経営者と監査法人のモラルハザードや、それを抑止も発見もできない経済・金融制度の欠陥についても個人がリスクを取れというのか。いかさまのリスクは取れるわけがない。

4.社会が成熟したビクトリア朝末期のイギリスでは、インフラの整備も進み、本国には有望な投資機会は少なくなった。中産階級は南アフリカのダイヤモンド鉱山など海外の事業に投資した。山師や詐欺師もたくさんいたが、海外といってもイギリスの植民地であり、統治も法律もイギリス人が握っていた。
現代の日本も成熟社会で低成長、国内にハイリターン投資機会は少ない。どうしてもBRICsなど海外ということになるが、なにしろ日本の植民地ではないのだから恣意的な制度変更や極端な場合外国資産の国有化など何が起こるかわからない。
だから国際政治のパワーゲームで圧倒的に弱い国の国民としては、おこがましくて海外投資などできない。「日本人の資産毀損したらまずいことになるよね」とは誰も思わない。身の程をわきまえるということだ。

ゼロサム社会の投資は、パイが増えないのだからギャンブルと一緒で賭け金を誰が取るかだが、儲かるのは胴元と決まっている。胴元を儲けさせるために透明性や公正な競争に疑問のあるいんちき賭博になけなしの金を賭ける義理はない。何が「リスクを取れ」だ。おきなお世話だ。

筆者がこれほど強く言う背景には、バブル時代の体験がある。1990年ごろ、弊社に出入りしていた某都市銀行の支店長は、かねがね自分がいかにたくさん金を貸して支店長に出世したかを自慢していた。
東京下町の支店次長時代、町の小さな書店の店主に土地を担保に10億貸し、店主は店をたたんで南平台に邸宅を買って住んでいる、というたぐいの話だ。

あるとき偶然筆者の実家が東京の高級住宅地にあることを知り、「桧森さん、10億でも20億でも貸しますから借りてくださいよ」としつこく言う。一介のサラリーマンである私にそんな大金を借りて何をせよというのか、と問うと「そんなもの株でも土地でもなんでも買ったらいいでしょう」という答え。
もし口車に乗っていたらどうなっていたかは考えるだに恐ろしいが、今でも「金融機関としてなんとモラルのないことを言うのだろうか、これは長くはないな」と思ったことをおぼえている。

当時も今も金融機関の体質は変わっていない。だから胴元は一切信用しないのだ。福井総裁は金融機関と客の情報格差の問題というが、そうではなくそこから発生するモラルハザードの問題だ。

では筆者はどうするか。デフレの時はせっせと借金を返し、インフレのときは早めにものを買う。ただそれだけのことだ。

福井総裁の講演は「家計の生活経営が切り拓く日本の新時代」というタイトルだ。講演要旨を読むと団塊の世代の退職金を狙っているのが見え見えだが、ただでさえ人生につきもののリスクをさらに抱え込む気はさらさらない。福井総裁に何か異論があれば伺いたい。

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登録日:2007年 02月 28日 14:59:37

企画は夜つくられる

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今日は来年及び再来年のジャズフェスティバルの企画会議。

東京から監修者の高名なジャズ評論家先生も加わって、喧々諤々議論が行なわれる。
企画会議といえば、よくテレビドラマやCMにあるようなガラス張りの近代的なオフィスの会議室でパワーポイントでプレゼンして決まる、みたいなイメージがあるがあんなのは大嘘だ。そんなところで企画は生まれない。

今日も先生と弊社のジャズ担当プロデューサーの議論が平行線となったタイミングを見計らって割ってはいる。「とりあえずこの辺にして、以前お話しした関西風のうなぎの店に行きましょう。」とたんにグルメの先生の顔が破顔一笑。

さてそこは静かな住宅街の一角にひっそりと立つ、コンクリート打ち放しと木を組み合わせたおしゃれな内装の、隠れ家のような店。
写真はうな重と白焼きの組み合わせ。関西風は蒸さずに焼くので香ばしいがよほどいいうなぎじゃないと固くなり、油もきつい。ここのは関西風なのにふんわりとやわらかく、しつこくない。白焼きを岩塩の塩かわさび醤油で食べ酒を含む。すっきりした地酒の冷酒が口をリフレッシュしてくれていくらでも食べられそうだ。
うな重は香ばしい香りに少し甘めのたれが良く合う。ほどよくたけたご飯とのハーモニーも絶品だが、時々つまむ箸休めの漬物の塩辛さが気分を変え、あきさせない。

おいしいものを食べ、おいしいお酒を飲めば話も弾む。「ところでさっきの話だけど・・・」とお互いの意見の相違も解消し、いい案がまとまる。昼の会議では出なかった最新情報や裏話、本音の評価も飛び交う。時間は昼の会議より短いが、はるかに有益な話し合いが続く。

こうして企画は夜つくられるのである。

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登録日:2007年 02月 27日 22:58:44

六本木のライブハウスでアートとお金について考える

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ここは六本木のジャズのライブハウス。

今日は昨年秋にCDを出したばかりの新人女性ジャズ歌手の初ライブ。

ライブは客の反応がダイレクトに伝わり、失敗もできないので歌手の緊張感は録音とはまったく別物だ。まずまず無難にこなし、客の受けもいいようだ。なんといっても美人歌手なのでお客のおじさまたちも暖かい拍手と声援を送っている。

ジャズ系のミュージシャンのマネージメントは大きく分けると音楽事務所系(自分の事務所を含む)、セルフマネージメント系、タレント事務所系、の3種類に分かれる。

今日の歌手は3番目。事務所がこの子はジャズシンガーをきっかけに売ろう、と決めて作りこんでいる。プロについた1年間の厳しいレッスン、編曲・レコーディングやライブのバックには一流のミュージシャン、ライブでのトークや立ち居振る舞いも練習の跡がうかがえる。
途中で飲むペットボトルの水のラベルをはがしてあるなどはプロとして当然の配慮だ。どこでスポンサーがつくかわからないのだから。事務所の戦略は阿川泰子路線のようだ。つまりジャズシンガーで売り出してCMやTV出演などタレント活動に広げたいらしい。

今日のライブハウスにやけに背広にネクタイのおじさんが目立つのも、事務所の社長が広告代理店やレコード会社、マスコミ関係を目一杯呼んでいるからだ。ライブハウスの飲み食いもすべて事務所持ち。さてこの中の何人がこの子を使って見ようと思うだろうか。自分たちもプロなのだから見る目は厳しい。

いずれにしても、お金をかければここまで来ることはできる。しかし露出が進んだとき、本当に人々の心を捉えてブレークするかどうかは本人の才能と努力次第だ。人々を感動させたり癒したりすることができるかだ。それが欠けていればどんなにお金をかけて売り込んでも先へは進まない。マーケティングは大切だが、お客の大衆は最もシビアな批評家であり、長い目で見れば、仕掛けに乗ってだまされることはない。

アートの価値はお金では測れない。しかし現代の資本主義市場社会におけるアートの世界は、もし人々が感動したり癒されたりすれば、お金が後からついてくる。もしアーティストが食えないとすれば人々に与える感動や癒しが足りないのだ。シビアな言い方をすれば、アーティストとしての実力がない、ということだ。アーティストも、誰かが売り出してくれるチャンスさえあればすべてうまく行く、というものではない。

孤高の世界で自己満足のアートを極める、というのなら話しは別だが、アーティストは自分のアート(技)を人々に受け入れてもらいたいはずだ。一人でも感動すればアートかも知れないが、アーティストはもっと多くの人を感動させたがっている。そしてそれはマスメディアの仕掛けなどによって実現するような単純なものではない。仕掛ける側がそこを勘違いして失敗した例は推挙にいとまがない。

それにしても、今日の歌手は美人で花がある。応援しよう。とつい芸能界モードになってしまうおじさんなのである。

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登録日:2007年 02月 27日 01:43:15

コンサートの成り立ち

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今日の仕事はコンサート。
といっても招待券で入って客席で聞いて、終わったら写真の関係者パスを首から提げて楽屋に行って出演者に挨拶してまわる、というほとんど役得のようなもの。
タイトルは「ジャズピアノ6連弾」。佐山雅弘、小原孝、国府弘子、塩谷哲、島健、山下洋輔といういずれ劣らぬ芸達者6人による、ピアノコンサート。デュエットありトリオあり、中でも6人で演奏する塩谷哲の編曲のラベルのボレロと国府弘子編曲のテイクファイブは圧巻だ。6人それぞれの個性を生かした完成度の高い内容は佐山雅弘の構成による。

さてコンサートにはおおまかに分類すれば4つの成り立ち方ががある。成り立ち方とは、誰がリスクをとることによってコンサートが成立したか、という意味だ。これは表面に現れた主催者を見るだけではわからない。
4つとは、1つ目はレコード会社、音楽出版社、アーティスト所属音楽事務所が組んで新曲のプロモーションのために行なうコンサート。日本のポピュラーの有名アーティストの大規模なツアーコンサートはほとんどこのパターンだ。
2つ目は民間の興行主がホールを借り、チケットを販売して儲けるビジネスとしての公演。演歌歌手や外国人の来日公演などに多いパターンだ。
3つ目はアーティストあるいはその所属事務所が主催する自主公演。リサイタルやオーケストラの定期公演などもこのパターンだ。
4つ目が自治体や公共ホールの自主事業のコンサート。入場者数が多くても少なくても、アーティストには決められた出演料が払われる。市民が芸術文化に触れることにより地域文化を振興することを目的に、入場料を安く設定し、赤字を税金で補填することが多い。

「ジャズピアノ6連弾」の企画は2月から3月にかけて各地で4回の公演が行われるが、実は上記のパターンのうち、自治体の自主事業が2回、民間の興行が1回、アーティストの自主公演が1回とそれぞれ成り立ちが違うのだ。
ただ、このようなコンサートには企画のイニシャルコストがかかる。編曲料、譜面作成代、事前リハーサルによる作り込み、共通チラシ・プログラム代などだ。それを4回の公演で割ることになる。オリジナリティのある公演は、1回ではイニシャルコストを回収できないために、どんなにアーティストが望んでもなかなか実現しない。

今回は、異なるパターンで4回公演を成立させ企画を実現させたプロデューサー(弊社の関連会社の社員)がいた。芸術と社会を結ぶアートマネージメントにも様々な技が必要なのである。

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登録日:2007年 02月 25日 01:36:57

知事のモラルハザード

筆者の住む県では、平成21年3月の開港を目指して空港の建設が進んでいる。

福島空港、松本空港など何かと話題の地方空港だが、バブルのころの計画が20年たってやっと目処がついたということで、既に時期を逸している感がしないでもない。なぜ、まだ完成していないことを幸いに、20年間の経済情勢の変化を反映して計画を見直すことができないのだろうか。(当然県民にも責任がある)

先日テレビを見ていたら、知事も出演して空港問題の討論会をやっていた。

その中で知事が次のような発言をしていた。「建設費の500億円はインフラだから回収しなくていい。採算は建設後の維持費の問題だ」(本当は周辺整備も含め17年間で1900億円)。
それに対して討論者の慶応大学の中条教授が「その考えは困る。500億円の建設費は県民だけではなく全国の納税者が負担した。全国の納税者は、過疎の離島なら空港建設負担もやむを得ないが、豊な県の空港をなぜ自分達が負担しなければならないのか、と考えるだろう。空港が充分に活用されない場合、維持費の赤字だけでなく建設費も含めて県民が負担するくらいの覚悟が必要だ。その覚悟は県民にあるのか」と噛み付いていた。それに対して知事は要領の得ない答えをしていた。

起債して元利償還金を交付税でもらったり、補助金をもらったりで知事の念頭からは建設費を全国の納税者がまかなっているという観念が完全に欠落している。空港はとりあえず国から与えられたとしか思っていなかったらしい。それをモラルハザードと呼ぶ。
知事はさらに「年間維持費は5億円で県の大型複合文化施設より安い。赤字になっても大したことはない」と言って「いや5億円は大したことないとは言えないでしょう」と中条教授にたしなめられている。

ある地方新聞に載った航空会社幹部の話を引用する。
「開港時は国交省や自治体から圧力がかかるから、何とか飛ばすが、半年もすれば(客数)のメッキがはがれ、便は切ることになるだろう。神戸空港がその典型だ。離島なら使命として守るが、恵まれた所は赤字補償されてもお断り。せっかく新調する機材をそんなことに使う余裕はない。うちがつぶれてしまう」。

このような姿勢の民間の航空会社と知事と、どちらが公共性を考えていると言えるだろうか。

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登録日:2007年 02月 22日 17:02:39

指定管理者の大事なコツ

今日はある市の文化施設の指定管理者導入のアドバイスに行ってきた。

現在は直営でなかなかいい運営をしているが、平成21年から指定管理者に移行する予定だ。19年準備、20年選考、21年移行ということで意外とゆとりはない。しばらく定期的に通うことになるだろう。

帰りがけに雑談で話したのだが、大事なことはいかに優秀な応募者を多数集めて競争の中から選ぶか、ということだ。民間企業が慎重に案件を選んでいるこんにち、優秀な応募者に来てもらうのも、自治体間の競争になる。

ただインターネットに情報を流して待っているだけでは集まらない。それなりの仕掛けが必要だ。その辺のコツを伝授するのが、これからの仕事になるだろう。

もはや、民間企業を当て馬にして外郭団体に取らせるような時代ではなくなっていることは確かだ。

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登録日:2007年 02月 21日 00:02:23

有形登録文化財

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今日は日曜日だが、静岡市にある登録有形文化財旧エンバーソン邸で行なわれるコンサートの打ち合わせに行ってきた。
約100年前に宣教師の住宅として建てられた瀟洒な洋館は、取り壊される計画もあったが、昭和62年に市に寄贈されて現在の場所(静岡市動物園の奥)に移築され、平成10年に有形登録文化財になった。

現在は市から委託を受けたNPOが管理(文化財で公の施設ではないため、指定管理者ではない)し、土日には一般公開されている。管理している人々の熱意で建物とその周囲は非常に良い状態に保たれている。
有形登録文化財の良いところは、適切な用途・方法なら建物を使うことができる点だ。
今回も静岡市西洋館フォトコンテスト作品展と記念コンサートが行なわれる。これも管理するNPOの自発的な熱意とアイディアの賜物だ。

有形登録文化財は、経済発展のために片端から古い建物を破壊してきた日本社会が、ようやくこれではまずいと気付いてできた制度だ。
しかし制度を活かすのは役所任せでは限界がある。
市民が自ら共有財産として愛情を持って管理し、建物にふさわしいイベントなどが行なわれれば、町のランドマークとして、また街づくりの起点としていつまでも残るだろう。できれば移築せずに、現在建っているところで活用してもらいたいものだ。

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登録日:2007年 02月 18日 16:46:50

本日のデザート

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会社の近くにお気に入りの中華料理の店がある。
中華料理店とは思えないガラス張りのモダンな内装、料理はこれぞヌーベルシノア。
素材の味を引き出す洗練されたおいしさだ。
ランチではいつもデザートを楽しみにしている。実は甘いものもいけるくちだ。
今日のデザートは次の3品から選ぶ。
1.マンゴープリン
2.オレンジのゼリー白きくらげ入り
3.百合根入り中華風お汁粉
で、選んだんのが3.
百合根のさわやかな香りとすっきりした甘み、しっかりとコクのある小豆とのハーモニーが絶品である。

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登録日:2007年 02月 16日 21:59:06

アートマネージメントについて考える(その1)

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今日は会社にアートマネージメントを学んでいる二つの大学の学生さんと先生が合同でお見えになったので、工場見学のあとで「企業と地域文化」についてお話しした。
長い年月の間に企業がどのように地域文化の形成にかかわってきたか、という内容だが、中身は筆者が文化経済学会の学会誌「文化経済学」第4巻第4号(2005年9月)に書いた論文の通りなので、興味ある方はそちらをご覧いただきたい。

さて、今年はアートマネージメントについて本を書くつもりなので、いろいろ考えているのだが、どうもこの言葉に一番無縁なのはアーティスト自身のような気がする。

一流のアーティストになればなるほど、言葉すら知らないだろう。1回のギャラが5千万円のパバロッティ(写真の人)や、自分をマネージメントする会社を日本に持っているヨーヨーマからすれば、「何それ?自分のマネージメントやってくれる人のこと?」と思うのがおちだろう。

アートマネージメントという言葉を知っているアーティストでも、その言葉に対するイメージは「奇特な人たちがいろいろやってくれること」という程度だろう。プロのアーティストから見ると、「それで食ってるわけではないアマチュアの人たちのやっていること」ということになる。

アートを創造するためには、アーティストの周辺に様々な職能の専門家がいる。プロデユーサーやディレクター、ステージマネージャーや音響・照明技術者、マネージメント事務所のマネージャーなどそれで食っている専門家だ。しかしアートマネージメントはそのような職能としてアーティスト側から認知されていない。

それはなぜかと考えると、ほとんどのプロのアーティストは自分自身の創造・表現と成功(金銭的も名声も)にしか興味がないので、芸術の社会的意義などはよっぽど功成り名を遂げなければ考えないからだろう。自分たちのまったく私的な営みに公共性があると言われても本人は困ってしまう。
だから「芸術と社会を結ぶアートマネージメント」と言われている概念は視野に入ってこないのだ。芸術はアーティスト本人にとっては(その動機は別として)個人事業主としての営利事業だ。(村上隆さんのように会社を持っている人もいるが)

それでは、アートマネージメントを志す人はアーティストとは無縁の存在として活動し、おせっかいな奇特な人と思われていればいいのか?それともアートマネージメントの概念とは異なる個別の専門家として食えるようになればいいのか?

コンサートや音楽イベントの企画制作・プロデュースを仕事とする筆者にとって、この問題についてのわかり易いスタンスは、フィリップ・コトラーとジョアンヌ・シフの著書『Standing Room Only』(HARVARD BUSINESS SCHOOL PRESS)に示されている。
「Strategies for Marketing the Performing Arts」 という副題のついたこの本は、「A complete and up-to-date sourcebook of marketing strategies and techniques for music,dance,opera,and theater organizations,Stannding Room Only is an indispensable tool for performing arts managers,marketers,fund-raisers,educators,donors,corporate sponsors,and consultants.」ということだそうだが、内容は早い話、どうやってチケットを売るか、ということだ。本の題を意訳すれば『完売御礼』ということか。

日々集客やチケットの販売に苦労している筆者としては、「アートマネージメントの本質はこれだろう、つべこべ言わずにチケットを売れ!客を集めろ!」と思うのだが、この分野を研究している方々はどのように思われるだろうか。ひょっとしたら「それを言っちゃーおしまいよ」ということなのか?

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登録日:2007年 02月 15日 00:52:19

もうすぐ春

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今日はもうすぐオープンする名古屋駅前のミッドランドタワーのプレイベントとして、ビルの周りでフェスタ・ディ・フィーオーレというイベントをやっていた。これはイタリアにあるインフィオラータの日本版で、花びらと色砂で地面に絵を書くもの。
今回はイタリアから来日したアーティストが色とりどりのバラの花びらを使って作品を仕上げていた。
暖かい陽気とともに光に輝く花びらが春の到来を感じさせる。
 ... 続きを読む

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登録日:2007年 02月 13日 22:31:49

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プロフィール
Ryuichi Himori
(男)
団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教員に転職しました。その他行政経営フォーラム副代表、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事、県生涯学習審議会委員、県NPOパートナーシップ会議委員などを務めています。行政への企業経営手法の導入や、文化政策、地域政策、NPO論などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
(なお、mixiもやってます。)
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