2007年 03月

成熟した先進国の武器

‘カワイイ’を武器に世界に羽ばたく東京ファッション - 神奈川

【神奈川 31日 AFP】巻き毛にハイヒール、ミニスカートがお決まりのスタイル。
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(c)AFP/TOSHIFUMI KITAMURA

AFPBB News


以前にも書いたかもしれないが、成熟した先進国の武器は工業製品ではなく文化だ。
1960年代から70年代にかけて、没落した老大国と言われた英国にツイッギーが生まれ、ミニスカートは世界を席巻した。パンクも英国で生まれた。
豊かさと、それゆえに鬱屈した若者のエネルギーが創造性に向かったとき生み出されるサブカルチャーは、同時代の世界の若者の心を捉え、商業主義的成功も収める。
つまり、文化の面では、これからは日本の時代、ということだろう。
但し政府が変に物分りのいい顔をして誘導しようとしなければ、だが。
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登録日:2007年 03月 31日 23:01:37

寄付と広告宣伝費

MIXIのアートマネージメント関連のコミュニティで、「アートにお金を出すとき、企業にとっては広告宣伝費より寄付のほうがいいのではないか?」というご意見があった。

企業に対する誤解もあると思うので、ここで「なぜ寄付より広告宣伝費のほうが望ましいか」について詳しく説明しよう。

筆者はいまある音楽イベントの協賛を取るために企業を回っている。一人で約40社を訪問するのだが、先日もある大手企業にアポの電話をいれたところ、担当の部長さんが「お金を出すのはやぶさかではないが、寄付なのか?それとも広告宣伝の費用になるのか?」とおっしゃる。「プログラムに御社の広告の掲載をお願いするということなので、広告宣伝費になると思いますよ」とお話したところ安心したような声で「それなら来てください」とのこと。これが企業の本音だ。

前回書いたように、寄付は課税され、広告宣伝費は経費として認められ、課税されない。
企業の損益というものはおおまかにいうと、
  売り上げー(経費+原価)=利益
ということになる。(これを税の用語では、益金ー損金=所得、という。)

税金(法人税など)は経費や原価など(損金)ではなく利益(所得)に課税される。つまり、寄付や課税対象となる接待費などは経費や原価など(損金)ではなく概念的には利益(所得)の一部なのだ。となると企業内部の意思決定のレベルが違ってくる。
(なお、売上にかかるのが消費税である。)

広告宣伝費をどう使うかは、担当者の権限に応じてある程度は任されている。ところが寄付は大まかにいえば利益をどう処分するか、という話しなので意思決定はより上位で行なわれる。
大手企業の部長が安心したのも、広告宣伝費なら自分で決済できるが、寄付は自分のレベルでは決済できないからだ。場合によっては社長決済や取締役の稟議を必要とするかもしれない。金額は同じでも面倒がまるで違うので安心したわけだ。
いずれにしろ、経費は従業員、寄付は経営者、と覚えてもらいたい。

株主との関係で言えば、株主への配当は利益から行われるので、概念的には寄付と競合する。配当に回るべき分を寄付するには、よっぽど株主を納得させる理由が必要だ。今の株主は昔と違って物言う株主だ。だから経営者でも恣意的な判断で寄付をすることは許されなくなっている。株の大半を持つオーナーでなければ無理だろう。一方で経費の使い方は原則的には株主は経営者及び従業員に任せてよっぽどでなければ不介入だ。

企業のお金をアートに引っ張ってこようと思ったら、このような企業の原理を理解し、企業が出しやすくなる工夫をしなければならない。作品がいいとか作家がすばらしいとか社会的意義があるとか言って押しているだけではだめだ。

金額の大小に拘わらずそうだ。先日筆者はある大学のデザイン学部の卒業制作展に3万円協賛した。それは当日配布するリーフレットに載せる弊社の広告の代金として、ということでそれなら筆者も決済できる。これを3万円寄付して欲しいと言われると難しい。地域の大学への協力、という意義があっても手続きが面倒でやる気がしない。

つまり企業とは抽象概念ではなく人の集合だ。だから人に働きかけ、その人が企業の意思決定を引き出しやすいように工夫し協力することが大切なのだ。

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登録日:2007年 03月 29日 00:14:00

集合的無意識としては・・・

安倍内閣支持率、さらに低下し35%に - 東京

【東京 26日 AFP】毎日新聞が行った最新の世論調査(対象1073人)で、安倍内閣の支持率35%という結果が出た。
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(c)AFP/KAZUHIRO NOGI

AFPBB News


支持率低下もしかたがない。
政治家としてのスタンスを以下のマトリックスで計ると

既得権益・・・①破壊/②擁護
タカハト・・・・③タカ/④ハト

従軍慰安婦問題で余分なことを言いながら公務員制度改革は先送りなら組み合わせは②ー③となり、集合的無意識の支持は得られないだろう。センス悪すぎだ。
民主党が①ー④の立場に立てばかなりの支持を得られるだろうが、今のところ②ー④で自民党守旧派と同じだ。これではどうしようもない。
集合的無意識をすっきり受け止める政治勢力はないものか。

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登録日:2007年 03月 28日 00:28:44

寄付の概念

MIXIのアートマネージメントに関するコミュニティに、アートへの寄付の概念を問うトピがあった。アートへの寄付の財源は有限ではないか、という演劇・ダンスなどのフェスティバルをお仕事にしている方からの質問だ。

そこに書き込んだ筆者のコメントを転載する。

「こんばんは。アートとお金の話題にはかならず登場するのですが(苦笑)

コメントその1
アート活動は立派な営利活動でしょう。少なくとも個人事業主たるアーティストにとってはそうです。新石器時代の洞窟の絵描きにも専門家がいたという説があるくらいですから。ミケランジェロだってクライアントから注文をもらって書いていたのであって、好きに書きながら寄付をもらっていたわけではありません。アート活動団体は現代資本主義社会の分類では出資者に利潤から配当しなくてもいい、ということなら非営利活動かもしれませんが、村上隆さんみたいに会社を持っていればそれは立派な営利活動です。

コメントその2
企業の立場でいうと、寄付ではなく広告宣伝費にしてほしい。寄付はほとんどの場合課税対象になりますが、広告宣伝費で落とせれば経費になり、非課税になりますから。但し、経費ということになると、その出費がいかに社業にとって必要かを明確にしなければなりません。受ける側としては、アートなんだから援助して当然、という姿勢ではなく、その(個別特定の)企業にとっていかにプラスになるかという理屈を提示しなければなりません。

コメントその3
寄付にしろ経費にしろ、する側は自分の効用の最大化を目指しています。効用とは、いいアートを援助した満足感かも知れないし、そのような自分を世間にアピールすることによってイメージアップしたり尊敬を得たりすることかも知れません。だからアメリカの実演芸術団体や美術館などは、寄付する側の満足度を最大化するために、日本人の感覚からはあざといとも思えるほど徹底します。例えば、たくさん寄付すると特別のレセプションに招待されて出演者と歓談できたり、有名な館長と食事をしたりと額に応じた特典があります。

ということで、まずアートの中身が寄付あるいは協賛に値するだけの内容(客観的評価により)であること、次に寄付する側の満足度を高めるために不断の工夫をすること。そうすれば寄付の財源が有限ということはないでしょう。 」

みもふたもなく言ってしまえば、寄付もアート側から見れば売上なのだから、それにふさわしい価値を提供せよ、ということだ。それにプロとしてアートで生活しようと思えば、それは営利活動であることは自明の理なのだ。

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登録日:2007年 03月 27日 01:58:37

サクラサク

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この街で一番早く咲くと言われている弊社のさくらも、2~3日前からようやく開き始めた。
先週の寒さのぶりかえしはこたえたが、なんとかこのまま暖かくなってほしい。

春は出会いと別れの季節。あちこちから移動・転勤・就職や入学・卒業の便りが聞こえてくる。

皆さまにもいい出会いがありますように、お祈りいたします。

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登録日:2007年 03月 22日 13:30:55

団塊問題

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団塊世代にこじつけてて物を売ろうというマーケティングが多くてうんざりする。
先日の日経新聞にも「団塊世代を狙い朝食豪華に・・プリンスホテル」という記事が載っていた。「退職した団塊世代の宿泊が今後増えるとみて、ゆっくり時間をかけて楽しむ豪華な内容にする」というのは勝手だが、三ツ星シェフが手がけた4千円の朝食を食べる人も中にはいるだろうが、それを団塊の世代全般ににこじつけないでもらいたい。

さて、そんなトンデモマーケティングはさておき、団塊の世代は団塊の世代固有のではなく年齢固有の様々な問題を抱えている。
筆者の義理の父母が同時に介護付有料老人ホームに入ったために宙に浮いてしまった飼い犬のぺーちゃん、シーズ11歳オス(写真)。家はマンションで飼えないし切羽詰っていたところ、家内の友達が飼ってもいいと言ってくれたので東京から連れてきた。
一昨日はホームに連れて行って義理の母と涙の別れ。
今まで室内で猫かわいがりに可愛がられていたのが、今度は外で飼われることになる。昨日新たな飼い主のところに連れて行き、今日家内がもう一度様子を見に行ったが、なんとかなじんでいるようだ。

今後は義理の両親の住まいをどうするかも問題だ。
これからは昭和40年代初めに郊外に建てられ、狭くて古くて商品価値のない戸建の空き家が大量に発生するだろう。

団塊の世代相手にビジネスをしたいのなら、高度経済成長の終戦処理の仕事がいくらでもある。豪華な朝食もおちおち食べていられない。

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登録日:2007年 03月 19日 22:38:00

都市の風格

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筆者はいまだに、地方都市において中心市街地活性化になぜ税金を投入しなければならないのか理解できない。

コンパクトシティの考え方には賛成だが、それと商業施設やオフィスの集積を進めることとはなんの関係もない。そもそもほんとうに集積が進むのなら、地価が上がって住めなくなるではないか。

首長や行政の担当者の話をよくよく聞いて見ると、どうも本音は「格好つけたい」ということのようだ。筆者の住む市は4月1日から政令指定都市になるが、人口80万人の町としては中心にろくなオフィスビルもなく、老舗のデパートも倒産したまま空き家になっていて、人もあまり集まってこないのが都会っぽくなくて格好悪いらしい。

高層オフィスビルやデパートがぎっしり建っている姿を想像しているようだが、それは極めて発展途上国的な貧しい発想だ。

市の中心市街地活性化計画には「誰もが市をイメージできる”都市の顔”として、魅力的な都心の存在は欠かせないものである」と書いてある(やっぱり格好つけか)。

もし本当に都市としての風格を整えたいのなら、中心市街地にビルや商業施設などではなく、大型の都市公園をつくるべきだろう。ニューヨークのセントラルパーク、ロンドンのハイドパークやセントジェームスパークなどのように。

中心市街地の真ん中にある広大な、よく手入れされた公園は豊かさの象徴だ。それは単に経済的な豊かさだけでなく、人間としての生活の豊かさ、文化の豊かさを表していて、まさに”都市の顔”にふさわしい施設ではないだろうか。

写真は静岡市の駿府城公園だ。広い公園の周りはお堀で、その外側を県庁などのオフィスが取り巻いている。筆者の住む町とほぼ同じ規模の政令指定都市なのだが、こちらの方が「老舗の風格」を感じるのは、この公園のような中心市街地のゆとりによるところが大きいように思われる。
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登録日:2007年 03月 15日 23:56:39

アートマネージメント・ビジネス論

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このブログでは芸術・文化については3つのカテゴリーがある。「文化について」は、アートだけでなく生活文化や文化人類学も含めて自分が体験して感じたことを書いている。
「文化政策」については文字通り国や自治体、あるいはその他の芸術・文化を目的とする団体の政策について書いている。

今回新たに設定したカテゴリー「アートマネージメント」は、文化政策から切り離してアートマネージメントをビジネスとして捉えたときにどうするか、をテーマにしている。
私の尊敬する伊藤裕夫富山大学教授によればアートマネージメントは「芸術と社会の関係づくり」だが、そのことが持続的に行なわれるためには、アートマネージメントそのものが付加価値を生み出すことにより、そこに従事する人々の糧を生み出さなければならないと思う。
このような問題意識のもとにこのブログでアートマネージメントについて書いていこうと思うので積極的なコメントをお願いしたい。

さて、先週の木曜日は、静岡文化芸術大学で昨年制定された静岡県文化振興条例についてのシンポジウムとミニコンサートがあった。学生・院生の発表のあと、ピアニスト仲道郁代さんの講演とミニコンサートがあった。仲道さんの話はMIXIにも書いたが、アートマネージメントに携わる人たちを見て自分もアーティストとして何かしなければと思った、という趣旨で、たまにはこういう芸術家もいるのだ、と考えさせられた。もちろん、そのお話しの後の4曲のショパンは素晴らしい演奏で堪能した。

終わってその足で弊社の小売店舗の上にある小ホールへ。ジャズピアニスト佐山雅弘さんのコンサートがあるのだ。
筆者の住む人口80万人の地方都市で、仲道さんのコンサートと佐山さんのコンサートをはしごしなければならないとはなんとも文化的だが、新潟市とか堺市とか相模原市など同規模の都市はどうなんだろうか。

バッハからガーシュインまで弾きまくる佐山さんの演奏とトークは相変わらず素晴らしいが、筆者が気になったのがピアノの配置。写真のようにピアノをステージから下ろして真ん中に置き、周りを客席が取り囲む配置だ。本来のステージの上にも客席が作られている。
何が気になったかというと、コンサートグランドピアノは重さが500kgある。これを30センチの高さのあるステージから下ろし、また上げなければならない。

企画するのは簡単である。お客も「今日は面白い配置ね」で終わってしまう。しかしアートマネージメントの専門家である筆者にはそのための費用が気になる。
案の定、終演と同時に待機していた10人の若手男性社員がピアノを戻すために登場した。筆者の脳裏に浮かぶのはこの人たちの残業代だ。10人×4時間×○○円・・・・・・

アートマネージメントについて、「アートは素晴らしいものだからこの素晴らしさを皆に広めなければ」と目をきらきらさせるのは勝手である。でもそのためにお金を計算し工面しなければならないという因果な商売であることは、アートマネージメントを目指す若い人たちにもぜひ理解してもらいたいものだ。
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登録日:2007年 03月 13日 00:25:48

美人投票理論の真実

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自分がなぜ投資をしないか、についてケインズまで持ち出すわけだが、ケインズには有名な「美人投票理論」というのがあり、「株式投資は自分が誰を美人と思うかではなく、多くの人が誰を美人と思うかを予測して投票する美人コンテストのようなものだ」と紹介されていることが多い。

このようなことを言っている人はThe General Theory of Employment, Interest and Money「雇用、利子および貨幣の一般理論」を読んでいないのだろう。ケインズが言っている大事なことは、美人投票に投票するのは「玄人筋の投資家や投機家」である。

少し長くなるが引用する。

「普通の素人投資家よりもすぐれた判断と知識をもつ専門的な玄人筋の間の競争は、孤立した無知の個人の気まぐれを修正すると考えられてきたかもしれない。しかし、実は、玄人筋の投資家や投機家の精力と熟練は主として、それとは別のことに向けられているのである。なぜなら、実際には、これらの人々の大多数の主たる関心は、投資物件からその全存続期間にわたって得られる蓋然的な収益に関してすぐれた長期予測をすることではなく、一般大衆にわずかに先んじて評価の慣行的な基礎の変化を予測することにあるからである。彼らの関心は、投資物件を「いつまでも」保有するために買う人にとってそれが本当にどれだけの価値をもつかということではなく、三ヵ月後とか一年後とかに、群集心理の影響のもとで、それをどれだけに評価するかということである。」
「今日の最も熟練した投資の現実的な、個人的な目的は、アメリカ人がうまく表現したように「仲間を出し抜き」、群集の裏をかき、質の悪い、価値の下がった半クラウン銀貨を他人につかませることである。」

(ケインズの美人投票理論は証券会社のセミナーでも紹介されるようだが、このへんになると言わないようだ。さらに・・・)

「長期間にわたる投資の予想収益を予測するよりもむしろ、二、三ヶ月先の慣行的評価の基礎を予測しようとするこの虚々実々の戦いは、玄人筋の胃袋を満たすために大衆の中に鴨のいることすら必要としない。-その戦いは玄人筋同士で演ずることができるからである。」(ケインズ全集第7巻、塩野谷祐一訳、東洋経済新報社)

このあとにばば抜きや椅子取りゲームのたとえが続く。ばばがまわされたり椅子が一つ足りないことは皆が知っているが、終わったときに椅子を確保したりばばを隣の人に手渡したものが勝ちとなる、というのが投資市場だという。そして美人投票のたとえが続く。

ケインズが玄人筋のばば抜きに鴨はいらない、と言っているのだから、心情的にはケインズに惹かれていると思われる官僚や政治家も、私たち団塊世代の鴨候補はほっておいてもらいたいものだ。

団塊世代が投資もせず、モノも買わないのなら流動性の罠(ケインズの言うところの絶対的流動性選好)に陥るではないか。やはりここは税金をもっとたくさん集めて大型公共投資をしなければ、とはりきる輩がいるかもしれない。
その考えがだめだということはいい加減わかったはずだ。規制を緩和・撤廃し、技術革新と競争のもとでみんなが新たな、魅力的な製品・サービスを生み出し、私たち団塊の世代だけでなく世界の人々に買ってもらうしかないだろう。
筆者の義理の両親が入居した介護付有料老人ホームは、月一人四十万円かかるが、魅力的なサービスではある。

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登録日:2007年 03月 10日 23:07:38

田舎のライブハウス

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田舎といっても人口8万3千人の市にあるライブハウスでコンサート。

地元のアマチュアの出演が多いが、月に2回はプロミュージシャンの有料ライブ。
今日は名古屋のプロのビッグバンドでチケットは前売り4000円、当日5000円。
客は80人ほどだが、狭い場所ならではの濃密な雰囲気の中で、みんな心から演奏を楽しんでいる。またお客が音楽をよく知っている様子がうかがえる。

演奏を聴きながら、文化政策について考えた。

①しょせん、芸術・文化は好きな人が、好きな人を相手に、好きなことをやること。
リスクを背負って名古屋からミュージシャンを呼び、必死で切符を売っているマスターも、たかだか40万円の売上で儲かるはずもないが、ジャズが好きなので楽しくてしょうがないのだ。

この市にも市民会館があり、自主事業をやっているがあまり盛んではない。好きでもない人が、好きでもない人を相手に、好きでもないことをやっているのだから当然だ。
自分の市にライブハウスがあって夜な夜な好き者が集まってライブを楽しんでいることなど、行政やホールの担当者は思ってもいないだろう。そして「わが町には文化がない」と嘆いているのだ。つくづく文化事業は行政がやることではないと思う。

大きなハコモノを作る必要もない。好きな人が、好きな人を相手に、好きなことをやれれば、会場はどこでもいい。大事なのはそこで生まれる熱気だ。

②このライブハウスは実は郊外のロードサイドの喫茶店だ。駐車場が広く、みんな車でくる。だからジャズのライブハウスなのにお酒を飲まない。みんなコーヒーを飲んで盛り上っている。この店が中心市街地にあってもお客にはかえって不便だろう。夜の11時まで公共交通機関など動いていないのだから。
このあたりは本当に全国どこへ行っても同じようなロードサイドの風景が拡がっているが、その中にもよく見るとこんなおもしろい場所がある。酒のないジャズのライブハウスなど想像もしなかったが、現実にこうしてあるということは、殺風景な中にも新しい文化が生まれつつあるのかもしれない。

時間に制約されず移動の自由をもたらすモータリゼーションは、ピンポイントで好きな場所へ行って好きなことをやる、ということにはかえって都合がいい。だいたい芸術・文化は地価の安いところでしか成り立たないのだから、これからロードサイドにますますおもしろい場所が生まれるだろう。音楽創造の拠点であるスタジオの立地など既にそうなっている。芸術・文化に見捨てられたら中心市街地はますます空洞化するだろうが、別に構わないではないか。

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登録日:2007年 03月 09日 23:51:09

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プロフィール
Ryuichi Himori
(男)
団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教員に転職しました。その他行政経営フォーラム副代表、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事、県生涯学習審議会委員、県NPOパートナーシップ会議委員などを務めています。行政への企業経営手法の導入や、文化政策、地域政策、NPO論などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
(なお、mixiもやってます。)
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