2007年 04月

指定管理者本発売!

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指定管理者本が発売になりました。

筆者も書いていますが、それはともかく、指定管理者制度をきっかけに文化財団の改革に取り組んだ三重県文化振興事業団の松浦さんや多治見市文化振興事業団の菱川さんの文章は迫力があります。また、松本さんが書いたアクティオの薬師寺本部長、サントリーパブリシティサービスの伊藤取締役のインタビューも、民間企業の本音や現場の実態が出ていて興味深い内容です。

ぜひお読みいただき、感想などいただければ幸いです。

■書名
『指定管理者は今どうなっているのか』中川幾郎、松本茂章編著、水曜社 2100円

■内容
「全国6万1565の管理者が直面する問題とは!?
ホールや劇場、公園、駐車場など「公の施設」の管理運営が、自治体の指定を獲得した民間企業やNPOなどに委ねられるようになって、はや3年。施行前とは、明らかにちがう動向が見えてきた。

本書は、指定獲得までのノウハウや管理者になってからの新たな業務などを、実践の現場から詳細にレポート。ロングセラーとなった前作を凌ぐ量・質で、現行の担当者はもちろん、実務家にも、新規参入を考えている団体・個人にも待たれていた一冊。

■目次
PART I 指定管理者は今どうなっているのか

1 指定管理者制度のいま―制度の概要と論点/片山泰輔
2 指定管理者制度への移行の現状と課題
第一期の導入状況と第二期へ向けて/草加叔也
行政・指定管理者からみた制度導入のポイント/笠井敏光
3 指定管理者からの報告
三重県文化振興事業団―管理者の裁量権拡大を活かした取組報告と制度の課題/松浦茂之
シアターワークショップ―指定管理者の次に来るものは/伊東正示
NPO法人芦屋ミュージアム・マネジメント―芦屋市立美術博物館をめぐる事情とその展望/柿木央久
多治見市文化振興事業団―指定管理者への道/菱川浩二
4 民間企業に聞く指定管理事業の最前線 聞き手・松本茂章
アクティオ株式会社/薬師寺智之
サントリーパブリシティサービス株式会社/伊藤せい子

PART II 指定管理者制度の可能性を探る

1 指定管理者制度を検証する―選定と業績評価手法をめぐって/中川幾郎
2地域ガバナンスと指定管理者制度/松本茂章
3 指定管理者制度の光と影―「民が担う公共」の可能性/桧森隆一

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登録日:2007年 04月 27日 08:52:11

企画とは・・・

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写真©ヤマハ株式会社

企画とは・・・

マイミクさんのお一人の日記にこのようなタイトルの書き込みがあった。
それに関連した話をここで書いておこう。

企画を思いつくのは簡単である。思いつきを言うだけなら誰にでもできる。しかしそれを実現するには膨大な努力、金と時間とエネルギーが必要だ。

例えば、行政が音楽イベントを企画したとする。地元出身の有名歌手が来てくれることになった。そうだ、たまたま地元に今年県吹奏楽大会で銀賞をとった中学校の吹奏楽部がある。一緒に何曲かやってもらったらどうだろうか。中学生とはいえ、賞をとるだけあってとても上手だった。

実現すれば行政や地元としては美しい絵になるだろう。行政がお金を出す名目も立つ。さてこの企画どうすれば実現するのだろうか?

実は筆者には全国数ヶ所で実施した、似たような企画がある。タイトルを「バンドdeオペラ」というこの企画は、地元のアマチュア吹奏楽団と合唱団がプロの指揮者の下でプロのオペラ歌手(ソプラノ、テノール)と共演する、という画期的な(無謀な)ものだ。

この企画をある東北の県庁の文化政策担当部門に提案し、県の事業として県下の人口3万人のN市の文化会館で実施することになった。ここまでは簡単である。自分で書いた企画書の目的欄には、もっともらしく「地域の音楽文化の振興」「異なる活動をする市民・音楽団体間の交流や世代間交流による新たな文化活動の創出」など美しい言葉が踊る。

さて、諸々の根回しの結果、地元の高校の吹奏楽部と市民吹奏楽団有志による合同バンド、ママさんコーラスと寄せ集め男声合唱の出演が決まった。(オペラの曲をやろうとするとどうしても混声合唱が必要だが、田舎にはなかなか男声がいないのだ)。ここまではまだいい。

あとは曲を決めて練習すればいいだけと思うだろうが、そうはいかない。決定的なことは、楽譜がないのだ。音楽は楽譜がなければ何もできない。そして、吹奏楽でオペラの曲を声楽や合唱と一緒にやろうという楽譜はこの世に存在しない。

ところが、実はソプラノの曲は楽譜があるのだ。というか作ってあったのである。筆者が企画した他県の大規模文化施設の開館式典コンサートで、全国トップクラスの社会人吹奏楽団と学生吹奏楽団、それに県警音楽隊の合同バンドとアマチュア合唱団をバックに世界のプリマ、中丸美千繪が歌う、というこれまた無謀な企画を実施したとき、新たに編曲して起こした楽譜を持っていたのだ。だからこの企画を提案したのだが、とはいえテノールも加わった新たな曲は全て編曲者に依頼して吹奏楽団用に編曲し、スコアとパート譜をつくり、清書してプリントする。これだけでもお金とエネルギーのかかる作業だ。

さて、各団体と歌手に楽譜を配ってやっと練習が始まる。最初は東京にいる歌手と、東北のN市の高校、合唱、社会人有志がそれぞれバラバラに練習する。その間を弊社の吹奏楽担当プロデユーサーが走り回って調整する。そこで問題が発生する。高校生には譜面が難しすぎるのだ。泣き言を言う顧問の先生。文句を言う社会人。合唱も自信を無くしやめると言い出す。必死になだめて、とにかく第一回の合同練習日を迎える。東京から、海外のオーケストラの常任も経験した気鋭の指揮者が来て練習が始まる。指揮者も請けた以上必死だ。指揮者が各パートに次回までの宿題を指示して練習が終わる。

一ヵ月後に2回目の練習。東京から筆者も指揮者に同行して乗り込む。練習が始まり、顔面蒼白になる指揮者。宿題をクリアどころか一回目の練習前の水準が戻ってしまっているのだ。必死に建て直す。何回も出る指示が、「皆さん、私の棒を見てください」。また宿題を指示して戻る。雪の中を駅に向かうタクシーの中で、「桧森さん、ほんとにこれでいいの?」と問う指揮者。無言で(頼みます、と)拝む筆者。

何回か合同練習を繰り返し、いよいよ本番前日のリハーサルの日。この日初めて歌手が合流する。そしていよいよリハーサル開始。合わない。指揮者は何回も止め、指示を出す。緊張でママさんコーラスの一人が倒れてしまった。でも救急車も断り、ちょっと休んでまた舞台に復帰してくる。なんとしても歌いたい、という根性だ。

実はアマチュアの吹奏楽団にとって最も難しいのが歌の伴奏だ。きちんとテンポをきざむのには慣れていても、歌手の微妙なゆれに対応するのは難しい。まして高校生主体だ。要所要所に入った社会人の先輩が一生懸命教えている。リハーサルの終盤、出演者のやる気が充満し、どんどん良くなってくる。

迎えた本番の日。午前中のゲネプロ(通し稽古)も無事に済み、いよいよ本番。1000席のホールは満席だ。演奏は順調に進む。観客は美しいプロの歌声と、懸命に演奏する高校生や、顔なじみの社会人、ママさんたちの奮闘する姿に引き込まれている。
いよいよクライマックス。歌劇アイーダの凱旋行進の場だ。舞台両側の花道に陣取った社会人有志のトランペット隊のアイーダトランペット(弊社提供)が響き渡り、有名な凱旋行進曲が流れる。
ふと横を見ると、この企画にやや懐疑的だった県庁の課長補佐が感動して涙を流している。企画者として、してやったり、と思う瞬間である。

さて、企画は大成功だった。企画書の狙いどおりになった。その後市の音楽団体間の交流も続いていると言うし、高校吹奏楽団のレベルも大幅に向上したらしい。何よりも地元の人たちの中に音楽による感動の体験が残ったことが大きい。

しかし企画者としてはこれで終わりではない。終わって帰ってきたホテルのロビーで美しいソプラノ歌手にキッと睨まれ、「桧森さん、ちょっとお話があるの」。はい、お話の内容はわかっていますよ。「このままのやり方なら私もうやらないわよ」、と言いたいのだ。

この舞台、観客は感動したが指揮者も含めプロの音楽家にとってはとても満足の行く内容ではなかった。彼等からすれば「ボロボロ」だったのだ。表現者として、芸術家として、納得のできる出来栄えではとてもなかったことに強い不満が残る。確かに観客は感動したが、それは彼等の芸術の力だけではなく、「地元のアマチュアが一生懸命やっている」という部分が大きい。アマチュアに「奉仕」することはできたが、それだけでは納得しない、割り切れないのが本物のプロというものだ。

この企画は、プロの出演者も納得できるものに進化させないと次がない。ことほどさように本物のプロとアマチュアが共演するのは難しい。

企画とは・・・

思いつくのは簡単だ。プロと地元のアマチュアの共演は美しい。絵になる。
しかしそれを実現するとなると・・・

・・・・・・・・・・・
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登録日:2007年 04月 24日 18:29:32

誰が市民か?

今から6年ほど前、筆者はある市が新たに建設する文化ホールの基本計画の策定のコンサルをやったことがある。市長はいわゆる改革派で、市民の意見を計画に反映させるために、市民委員会を発足させた。

市民委員になったのは市内で活動している文化団体(合唱連盟や吹奏楽連盟、市民オーケストラなど)の代表、市民劇団など演劇団体の代表、バレエやダンスの先生、市内在住の文化人(ピアニストや演劇プロデユーサー、引退した元大学教授など)のような人たちである。

ところがこの人たちはてんで勝手に自分たちの利害を主張する。つまり自分たちが舞台に立つときに使いやすいようにがんばるのだ。実はその主張は相互に相容れない。合唱団は自分たちの声が響くように残響時間は2.5秒以上にしろ、という。ところがそれでは演劇のセリフは反響しすぎて聞こえない。演劇関係者は音響はデッド(残響0)にしろ、という。

演劇関係者は背景幕を収納できるように舞台の上にフライングタワーが必要だという。ピアニストは舞台の上が抜けているなどとんでもない、舞台を音響反射板ですっぽり覆うべきだという。
バレエやダンスの先生方は舞台の上はダンスマットを敷き詰めないとダンサーは足を痛めるといい、演劇関係者は板張りにして釘を打てるようにしろという。

委員会では委員たちはこのような主張をお互い同士ぶつけているわけではない。お互い同士は味方のような顔をして、すべて出席している行政の担当者にぶつけているのである。見かねて筆者が、市民のために地域社会にとってもっとも必要なホールのコンセプトは何かから議論しないと、などと言おうものなら総すかんである。

すべての要望に70%くらい応えることは技術的には可能だ。しかしそのために文化ホールの構造と設備は割高になる。行政の担当者はそれで要望に応えられるのなら予算を増やそうと思うかもしれない。市民の意見を聞いて造るのだから。

ちょっと待ってほしい。市民とは誰か。多数派の市民とは一般の納税者であり、百歩譲ってもこの文化ホールに観客としてくる市民である。間違っても文化団体関係者や文化人は多数派ではない。納税者市民にとって必要な文化ホールとは何か、そのような市民が観客として来るときに使いやすい文化ホールは何か、という議論が必要なのである。

市民委員会といいつつ、市民ではない人たちを委員に選んでいるのだ。市民の意見を反映させたいのなら、普通の市民を委員に選べばよい。文化団体関係者や文化人でなければ文化ホールのことはわからない、と思うかも知れない。しかしそのために筆者のような専門家がいるのだ。

まったく知識のない市民が委員になれば、筆者は音楽に適したホールか、演劇に適したホールか、ポピュラー音楽に適したホールか、講演会や展示会・社交ダンスに適したホールか、それともコストは高いけれども、またすべての要素を100%満たすことはできないけれど、あるていど多目的に使用できるホールか、その選択肢を提示することができる。市民はこの地域にもっとも必要だと思われるものを選べばよい。そして市民委員会として選んだ理由に責任を持ち、アカウンタビリティを発揮すればよい。

(このケースでは残念ながらそうはならなかった。)

政治家や行政の担当者が日常接している市民は市民ではない。それは利害関係者だったり、補助金や助成金をもらおうとか何かをしてもらおうと思っている人たちだ。あるいは「弱者の権利」を主張している人たちだ。そのような意見を市民の意見だと思うと、大多数の市民の意見とすれ違うことになる。

自治体では、ニューパブリックマネージメント(NPM)、いわゆる企業経営的手法の導入が盛んだ。市民の大多数は企業に勤めたり自営業を経営して民間の経済活動に携わっているので、NPMにはまったく違和感はなく、むしろ当たり前だと思っている。反対の声を上げるのは、導入によって利権を減らされる可能性のある、税金で潤っている人たちだ。もちろん本当に税金で救済しなければならないことはある。それには大多数の市民を納得させる徹底したアカウンタビリティが必要だ。

政治家も行政も、自分たちに見えている人たちではなく、大多数の市民が何を望んでいるのか、どのような価値観を持っているのかに注意を払わねばならない。そうでなければ、手痛いしっぺ返しを食らうことになるだろう。

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登録日:2007年 04月 22日 23:35:47

賢い産業政策~地方発ベンチャー企業とは?

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写真はわが町の中心市街地。夕方6時ごろだというのに閑散としているのは、奥にあるイトーヨーカドーが昨年撤退してしまったため。左側手前のマツモトキヨシが唯一がんばっている。

日経ビジネス2007年4月4日号の特集「席捲ドラッグストア」によれば、ドラッグストアは急成長しており、2012年には市場規模は10兆円に達し、百貨店(2004年約8兆円)総合スーパー(同約8兆4000億円)コンビニ(同約7兆円)を抜き、日本最大の流通業態になるという。その意味でこの写真は象徴的だ。

そこでドラッグストア1位から20位までの売り上げと本社所在地を見てみよう。
   
1.マツモトキヨシ              千葉   3129(単位億円)
2.カワチ薬品                栃木   2001
3.サンドラッグ               東京   1775
4.ツルハホールディングス       北海道  1574
5.CFSコーポレーション          静岡   1458
6.スギ薬局                 愛知   1229
7.富士薬品                 埼玉   1193
8.コスモス薬品               福岡   1050
9.クリエイト・ディー            神奈川  1032
10.アライドハーツ・ホールディングス 兵庫    840
11.セガミメディクス            大阪    786
12.キリン堂                 大阪    666
13.ウエルシア関東             埼玉    658
14.コクミン                  大阪    563
15.スギヤマ薬局              愛知    543
16.ダイコク                 大阪    515
17.セイジョー                東京    480
18.寺島薬局                 茨城    477
19.ユタカファーマシー           岐阜    425
20.千葉薬品                 千葉    375

リストを見てわかるように、本社が東京にある企業は2社しかない。また、都会にあるように見えても、例えばマツキヨは松戸市、カワチは小山市、サンドラッグは府中市、CSFは三島市、6位のスギ薬局の本社も愛知県安城市であって名古屋市ではない。このスギ薬局は日本にナスダックJができたとき最初に上場したベンチャー企業のひとつだ。

ベンチャー企業の創業は決してハイテクやIT分野ばかりではない。有効なビジネスモデルを確立すれば流通業やサービス業の分野からも有望な企業が生まれる。この点を自治体の産業政策担当者が見落としていることが多い。あなたの町の国道沿いに忽然と出現したロードサイド小売店が、実は全国に雄飛する新業態かもしれないのだ。TSUTAYAも、百円ショップの大創産業も、地方のロードサイドから生まれた。ロッテリアの1号店は川越市の国道16号線沿いだった。

もっとも雑草のようにふみつけられたからこそ丈夫に育ったので、自治体がへたに育成しようとして補助金をだしたり融資したりしたら育つものも育たなくなってしまう。邪魔せずにほっておくのが、賢い産業政策だろう。
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登録日:2007年 04月 21日 00:32:27

やはり老後は金か?

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庭のチューリップがきれいに咲いた日曜日は、実家の母を連れて義理の両親のいる介護つき有料老人ホームに面会に行ってきた。

83歳の母は親戚や友人があちこちの有料老人ホームや特養に入っているために、ちょっとしたホーム通である。その母に言わせるとこの施設は雰囲気が明るく、職員の人手が十分にあり、動きがきびきびしていてしかも心がこもっているそうだ。職員の丁寧なお茶の入れ方などを観察して判断しているらしい。年寄りをあなどってはいけない。

義理の母はこの施設に入る前に、体験入所で別の施設にも入っている。そこも大手が経営しているのだが、対応がマニュアル通りで心がこもっていないと感じたという。例えば食事の時間になると、「お客様、食事の用意ができました。食堂にお集まりください。」というアナウンスが流れる。それを聞くと「自分はお客様なのか」と寂しくなってしまうそうだ。その点この施設では、食事の時間になるとそれぞれ名前を言って呼びにくる。職員の服装も前の施設はジャージの制服お姿だが、この施設は私服にエプロンでそれも親しみを感じさせるらしい。義理の母にとってここはホテルではなく終の住家だ。だからお客様扱いではなく心をこめてアットホームに接してほしいのだ。

どうも老人ビジネスはまだ始まったばかりなので、顧客ニーズのリサーチが十分に行き届いていないらしい。だから頭で考えてピントがはずれたマニュアルにもとづいてサービスを提供する施設も出てくる。しかしながら誠に残念なことに、心をこめてアットホームに接してくれる施設ほど値段が高いのが現実である。施設のハードではなく、どれだけ人にコストをかけているか、ということが大切だからだ。

団塊の世代も後15年もすればこの世界に入る。やはり老後は金だ。無駄なことにお金を使っている暇はない。

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登録日:2007年 04月 17日 03:06:11

アートマネージメント参考本

書評を書く柄ではないが、最近読んだ本の中からアートマネージメントを考える上で参考になったものを紹介する。

1.片山泰輔『アメリカの文化政策』日本経済評論社2006年

著者から贈呈されたからほめるわけではないが、アートマネージメントの概念がなぜ生まれたのか、アメリカではアートについて政府の役割は本当に小さいのか、など数々の疑問に答えてくれる好書である。

2.クサビエ・グレフ『フランスの文化政策ー芸術作品の創造と文化的実践』垣内恵美子監訳、水曜社2007年

政策とはPOLICYであり、あることの目的と手段を含む概念である。文化政策とは、単に公立文化施設の自主事業をどうするか、というような矮小な問題ではない。本書ではフランスの事例により、国家にとって文化政策とは何を目的とし、どのような手段でなされるのかがわかりやすく説明され、文化政策と何かがよく理解できる内容である。

3.見城徹『編集者という病い』大田出版2007年

本書は、表現者であるアーティストとアートマネージャーの関係とはどのようなものかについて、数々の示唆を与えてくれる。また、大衆に媚びるのではなく、市場を創り出すことによって作品を売る方法についても数多くの示唆がある。芸術だから売れない、という言い訳に対する強烈なアンティテーゼである。

4.ハンス・アビング『金と芸術ーなぜアーティストは貧乏なのか?』グラムブックス
2007年

かねてからの芸術とお金についての筆者の身もふたもない主張を、身もふたもなく裏付けてくれる内容である。アートマネージメントを志す人にはぜひ読んでほしい。アーティストには、高額所得者もいれば奥さんの稼ぎで食っている人もいるのが現実だ。それはなぜか?

筆者はAMAZONで本を買うことが多いため、時々とんでもない「はずれ」を掴まされるときがある。

あえて書名は書かないが、音楽企画とアートマネージメントに関する本で箸にも棒にもかからないのがあった。例えば「第3節:制作の実践 1.印刷物」の項でこんな記述がある。
「また、印刷屋の選択もしなければならない。印刷屋によって値段の差がかなりあるので、知人などに訊いて参考にするのが賢明だ。」
こんなことを金をとって売る著作物に書いていいものか?

現代日本においてのアートマネージメントの概念を明らかにし、その手段と実践について説明したそのものずばりの本は、ありそうでなかなか見当たらない。なければ筆者が書くしかないか、と思っている。

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登録日:2007年 04月 13日 00:22:35

高度経済成長を担ったのは誰か?

一昨日は元社長の本葬だった。

故人の実兄の元ホンダ社長やダイエー中内功未亡人、故人と同世代のスズキ自動車会長、ダイエー、ヤマハ、ヤマハ発動機の元・現経営者など人数は多くはないがゆかりの人々が集まって見送った。

77歳で亡くなった故人と同年輩の元役員諸氏を見ていて思ったのは、やはり日本の高度経済成長を担ったのは団塊の世代ではなくこの世代、60代後半から80歳くらいの人々だ、ということだ。

団塊の世代がこれらの会社に入社して海外に赴任したとき、現地には既に事務所があり、現地社員がいて、販売網もあった。しかし先輩方が昭和30年代前半に海外に行った時には何もなかった。当時駐在員を置いていたのは戦前から伝統のある銀行、商社、鉄鋼会社、船会社くらいで、メーカーは影も形もなかった。先輩方が海外に行き始めたのは、それまで商社に頼っていた海外販売を、自前の販売網に切り替え始めた時期だ。

お金をトランクに詰めて飛行機を降り、事務所を探し、電話を引き、事務員を雇い、販売先を開拓した、という話をよく聞かされたものだ。

上記の企業の製品は、今でこそ高品質の日本製品の代名詞だが、昭和30年代前半、 MADE IN JAPAN は「安かろう悪かろう」の代名詞だった。先輩方の努力で昭和30年代中ごろから昭和40年代前半にかけて、日本製品は大幅に販売を伸ばし、海外の市場に浸透していった。
団塊の世代が大学を卒業してこれらの企業に入社し始めた昭和45年(1970年)には、レールは既に引かれていた。団塊の世代は先輩方が引いたレールの上を走ってきたにすぎない。兵隊として走り回り、量は増やしたかもしれないが、高度経済成長の仕組みや構造を作り出したわけではない。だから担ったとは言えないのである。

グローバル化、金融ビッグバン、IT革命によって新たな市場を開拓しているのは、団塊の世代より下の世代だ。それでは団塊の世代はこのまま新たな市場を開拓せずに終わってしまうのだろうか。

葬式に集まった先輩諸氏の老後の様子を見ると、会社を去った後の人生は必ずしも満足のいくものではなかったのではないか、という気がする。年金も退職金も充分で金銭的にはゆとりがあるが、会社人間だった自分をもてあましている様子が垣間見える。

団塊の世代は、先輩方のような金銭的にゆとりある老後は期待できない。しかし、先輩方のような会社人間の抜け殻ではなく、自らの豊かで充実した第二の人生を紡ぎだす、という新規開拓に取り組むことができる。多様化した社会に初めて登場する熟年だからだ。それに、先輩方ほど会社人間に徹していたわけでもない。

これから初めて、人の引いたレールの上を走るのではなく、自らレールを引く、という大仕事が団塊の世代に待っていると思うのである。
・・・・・・・・
 ... 続きを読む

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登録日:2007年 04月 12日 00:09:28

社葬~日本企業の伝統文化

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今日は弊社の元社長の葬儀の手伝いに駆り出された。
社葬ではないが、弊社とその後副会長を勤めたダイエーグループが総出で手伝っている。

21世紀になって日本企業の風土もずいぶん変わったが、このような葬儀では伝統文化が現れる。受付、誘導などそれぞれの係りにわかれ、厳粛にセレモニーが進行する。今日ばかりはOBの大先輩方もうやうやしく迎えられる。セレモニーをつつがなく進行させることに生きがいを感じている社員もいる。弊社をやめたのが27年前、その次のダイエーも今ではまったく違う会社になってしまったが、日本企業の伝統では、過去の経営者を忘れ去ることはないのだ。

元社長はビジネスマンとして数奇な運命をたどった。弊社の社長を3年勤めたが、オーナー的権力を振るった実力会長に解任された。会長の息子を社長にするため追い出されたと言われた。その後中内功オーナーに請われてダイエーに入り、子会社の再建などに辣腕を振るい、副会長まで勤めたが、最後は息子に後を継がせたい中内功に疎まれた。二人のオーナー経営者に抜擢され、捨てられた稀有な体験をした人だ。なお、弊社の社長だった時期に実兄がホンダ社長を勤めていた。

筆者の思い出と言えば、29歳のときに社長面談があり、何かのはずみでサラリーマン論になった。筆者が「どんなに会社に尽くしても、会社がそれに報いてくれることはない。会社に対してあれもしてくれない、これもしてくれないと不平不満を言っても、会社とはそういうものだ。会社に期待せず、ただひたすら仕事をするだけだ」と言ったら、「君の言うとおりだな」と遠い目をしたのを思い出す。その直後に解任されてしまったので、何か感じるものがあったのだろう。

日本企業史の一こま。昭和も遠くなりにけり、である。

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登録日:2007年 04月 09日 23:26:43

選びようがない議会選挙

代議制民主主義のもとでは、議員とは私たちの代わりに大事なことを決めてくれる人たちであって、私たちに何かをしてくれる人たちではない。
だから議員を選ぶときに大切なのは、現職であればその人は議会でどのような投票行動をとってきたかであり、現職も新人も、これからどのような価値観・見識をもって物事を決めようとするかである。
それなのに候補者はほとんどが「自分が当選したらあれもやりますこれもやります」と主張している。これでは選びようがない。
別にやらなくていい。私たちの代わりにしっかりと物事を決めてくれさえすれば。どのような考え方で物事を決めるのかを提示してほしい。
議員が何かやろうとすれば、「口利きだのろくなことがない。

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登録日:2007年 04月 06日 22:06:38

本質を忘れた公務員制度改革議論

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いま政治の世界では公務員制度改革が議論されており、天下り禁止と新たな人材バンクによる就職斡旋がテーマになっている。

しかし、この議論のどこを見ても、本質的な問題にあえて触れないようにしているとしか思えない。人材バンクから省庁の影響を排除するかどうか、などはどうでもいい。もっと大事なことがある。それについてあるMLに投稿した文章を転載する。

「公務員制度改革についてはたびたびMLでも議論になっていますし、日経の興味深
い連載もありました。しかしその時の議論、そして昨今の人材バンクをめぐる議論で
どうしてもわからないことがあります。

それは、なぜ定年制と勧奨退職廃止を決めないのか、ということです。
キャリアだろうがノンキャリアだろうが、「定年を60歳にするので、それまで勤め
て下さい。」と言えば済むことではないですか。法律の改正すら必要ないはずです。

その上で、「同期が局長になったのにおれはなれないからやめる。どっか次を用意
せい」というのは単なるわがままな、「退職」でなく「転職」希望です。
そんなわがままな人は勝手に転職先を探せばいいので、税金でめんどうを見る必要
はない、と思います。公社公団も含む天下り禁止は厳格にして、あとはやめたければ勝手にどうぞ、というのではなぜいけないのでしょうか?

それが謎です。

そもそも年功序列のピラミッドを維持しよう、という発想をそのままにしているの
が間違いのもとです。年上の部下や年下の上司がいるのは当たり前のことです。
なぜそれをいやがるのか理解できません。

成果主義や人材の流動化も、諸悪の根源である年功序列のピラミッドを残したまま
では機能しません。
ここが公務員制度改革のきもではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

ここまで書いていて、年功序列のピラミッドを維持するための案を二つ思いつきま
した。

①30代後半の事務次官をつくる。
ひとり事務次官になったらみんなやめる、というのなら、30代後半の同期やそれよ
り年上のキャリアはみんなやめてしまえ、ということです。

②特命全権大使にする。
外務事務次官より特命全権大使の方が格が上らしいので、やめる他省庁のキャリア
を全員任命して地震のあった国のような大使館のない国を埋める。

大英帝国時代のイギリスでは、地位や格にこだわる貴族や元将軍提督をかたっぱし
から女王陛下が総督や高等弁務官に勅任して赴任させる。総督になって赴任するのがカリブ海の人口1万人の島、というわけでで格は維持しながら体よく追っ払うわけです。

ピラミッドを維持したいならこんな方法もありますが、どうでしょうか。

ま、これは冗談ですが、人材バンクの議論で本質が忘れられているのが気になります。」

(ということで大英帝国総督の正装の写真を貼り付けてみた。本文とは関係はない。)

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登録日:2007年 04月 03日 22:46:39

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プロフィール
Ryuichi Himori
(男)
詳細プロフィールはこちら
団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教授に転職しました。肩書きは日本文化政策学会理事、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事、(社)指定管理者協会理事長などいろいろ。公共経営・行政経営(NPM)、文化政策、アートマネージメント、NPO論などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
(なお、mixi Twitter facebookもやってます。)
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