2007年 06月

ホールを設計する建築家にお願いしたいこと

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磯崎新氏設計のグランシップ大ホールのステージ上には写真のように「コーン」と呼ばれる巨大なものが覆いかぶさっている。上下にわかれたコーンのうち、下側はモーターで動き、角度を変えられるようになっている。上に跳ね上がった状態にもできるし、写真のように下に垂れ下がった状態にもできる。磯崎氏のアイディアに基づいて三菱重工が造った巨大な可動装置である。

この装置は音響反射板ではない。むしろパンチングメタルで表面を覆われて吸音効果がある。筆者はこの「コーン」の用途を磯崎氏の事務所の所員に訊ねた。その答えは「演出のためのものです。「コーン」にさまざまに照明をあてて、効果を演出することができます。」

この答えを聞いて筆者はキレたのである。

「コーン」に照明を当てて演出効果を出すのが良い出し物もあれば、それを必要としない出し物もある。必要としない出し物でも、白い巨大な「コーン」は存在感を示す。場内を暗転しても白い姿が浮かび上がる。そのようなときは邪魔者以外の何者でもない。

実演芸術では、毎回それにふさわしい舞台美術を考える。何もないステージの上に、その都度「異空間」を作り出し、観客を夢の世界に誘い、実演の世界に取り込むのだ。それなのに、どんな場合でも「コーン」が存在を主張したらぶち壊しだ。所員は「だからどんな演目でも「コーン」を効果的に使えばいいじゃないですか」と言う。実演芸術をなめているとしか思えない。いかに他とは違うものを創るか努力しているのに、舞台装置がホールに備え付けで毎回同じというのはありえないではないか。

建築家は自分も芸術家だと思っているので、実演芸術が好きだ。だからホールの設計で何とか関与しようとする。しかし実演芸術にとって良いホールのデザインとは、デザインの存在を消すデザインである。シンプルで何もない空間に、実演芸術家は自分の世界を作り上げる。だからどうかそれを邪魔せず、何もないシンプルな空間を用意してほしいのだ。

ホールが暗転したら完全に建築の存在感は消えてほしい。たとえ客電が点いても、建築の存在感は最小限にして、観客の想像力や余韻を邪魔しないでほしい。だからとんがったデザインは必要ない。シンプルで、バランスがとれていればよい。それが多くの実演芸術家の考えている演じやすいホールだ。実演家は建築からインスピレーションを与えられるだろう、という建築家がもしいれば、それは傲慢だ。

小田原市の仮称城下町ホールの山本理顕氏の設計は、湾曲の壁面をはじめとしてホールの内部で建築が存在を主張しすぎている。実演家にとってはとてもやりにくいホールになるだろう。

前々回の記事に書いた19世紀ドイツの偉大な建築家、シンケルはそこのところをよくわかっていた。彼は建築家であるとともに優れた舞台美術家であり、オペラなどで数々の優れた舞台美術を残した。恒久的な建築と、一期一会で消えていく舞台美術の違いがはっきりわかっている、真の芸術家だったと言えるだろう。

現代日本の建築家も、その違いをわかってほしいと切に願うのである。

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登録日:2007年 06月 29日 20:58:57

ホール建設を計画している自治体及び建築家への提言

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厳しい財政事情の中でホール建設を進めている自治体及び建築家の皆さんに提言がある。

それは、いいホールを建てるために、興行会社の劇場から学んだらどうか、ということだ。

自治体のホールは建設費を償却する必要がない。しかし興行を本業とする企業は、そのための設備としての劇場の建設費を事業収入から償却していかねばならない。つまり建設費の元をとらねばならないのだ。

そんなことが本当に可能だろうか。自主事業の収支比率(公演の総経費に占める収入の比率)が50%そこそこの公共ホールから見れば信じられないかもしれないが、興行会社はこれができなければ倒産してしまう。

そのためには当然ながら劇場の建設費は徹底的に抑えなければならない。その典型が、1998年に竣工した劇団四季の劇場「春」と「秋」だ。写真を見ていただければわかるように、この劇場の形状は単純な箱の組み合わせで、外壁の素材は鉄板だ。いわゆる「安普請」だ。

しかし、劇場の建築が粗末だからといって、劇団四季の公演が粗末だという話は聞いたことがない。劇場の外観・デザインと公演の質にはあまり関係がないということだ。

この劇場はミュージカル専用劇場なので、ミュージカルのための舞台設備・機能は非常に充実している。また、観客を快適にする数々の工夫がされている。ミュージカルはロングランで演目の転換も大掛かりのため、それをやりやすくするための構造上の工夫も欠かせない。当然山本理顕氏の城下町ホールと違い、搬入口は道路に直接面していて大型トラックが横付けできる。

以前劇団四季の主催者浅利慶太氏は、自分たちの劇場は公共ホールの半分のコストでできると豪語していた。確かに、型が単純で大理石の壁のような余分なものは何一つないので説得力がある。

建築家は劇場は夢を与える空間だと言うかもしれない。それなら劇団四季の公演がある夜に行ってみるといい。道路からファサードに向かうライトアップで演出された通路を行くだけで、心が高揚し、期待感が膨らむ。たとえ壁が鉄板であってもだ。

建築家にとっては立体的な造形ができず、せいぜい平面の色やグラフィック的なデザインしかやる余地がないので不満かもしれない。しかし四季劇場の事例で発注者である自治体に考えて欲しいのは、建築家の考える造形と、そこで行なわれる実演の質を高めたり集客したりするととは関係ない、ということだ。そう考えれば建設費を劇的に下げる方法が見えてくる。

それにしても、2001年度の劇団四季(四季株式会社)の営業収入(売り上げ)は189.5億円、営業利益は25.7億円(直近2007年3月期の売上は229.2億円)。建設費を償却しながら(あるいは償却費相当の使用料を支払いながら)この数字は立派というほかない。

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登録日:2007年 06月 27日 23:36:05

ハコモノ行政における建築家の罪

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19世紀ドイツの新古典主義建築家、カール・フリードリヒ・シンケルは、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世の求めに応じて、ベルリンに今なお残る名建築、シャウスピールハウス(現コンツェルトハウス・ベルリン)を設計した。

発注者であるプロイセン国王は当時の絶対君主なので、シンケルは国王の支持のもとに思う存分腕をふるうことができた。国王さえ満足させればよかったのである。また国王の注文には国威を発揚し、国王の権威を高めることが含まれていた。シンケルは見事に期待に応えた。

ふりかえって現代の日本では、建築の発注者である自治体の首長は、直接選挙で選ばれ、大統領的権限を持つとはいえ、絶対君主ではない。それにもかかわらず、首長が恣意的に自らの趣味を発揮することにより、建築コストもメンテナンスコストも高く、機能性の劣る公共建築が数多く造られてた。その多くがいわゆる「アトリエ系」といわれる建築家によって設計されてきた。名誉欲があり、自分のモニュメントを残したい首長が、「芸術家」としての「アトリエ系」建築家に取り込まれる形で、このような建物が設計されてきたのだ。ただでさえ無駄なハコモノに、無駄なデザインが施されていた、ということだ。

しかし建築家は時代が変わったことを知るべきである。何が変わったかについては、2点ある。

第一点目は、建築家はもはや公共建築の機能についての全能な専門家ではない、ということである。

今、小田原市では、仮称城下町ホールの建設をめぐって市民の反対運動が起きている。この反対運動は、建設に対する反対運動ではなく、設計案に対する反対運動だ。設計者は「アトリエ系」建築家の代表格である山本理顕氏だ。

筆者は今まで、数多くの公共ホールでコンサートや音楽イベントを企画し実施してきた経験から、公共ホールを設計した建築家の勘違いを指摘してきた。例えば磯崎新氏が設計した静岡グランシップ大ホールの設計上の欠陥などである。その原因は建築家の実演芸術の現場に対する無理解(しったかぶり)から生じている。

この観点から仮称城下町ホールの設計を見ると、「アトリエ系」建築家の手法の欠点が見えてくる。それは端的に言えば、コンセプトへの理解が浅い、ということだ。言葉を真に受けてしまう、とでも言えばいいのか、言葉に酔ってしまうと言ったらいいのか。その割りに本当の機能に対しては無知なのだ。

例えば、城下町ホールは市民が集い交流する広場だということが言われている。それはどのようにして実現できるかといえば、ホールで行われるコンサートや演劇、イベントなどのソフトで、そのような交流を生み出すものを企画する必要があるということだろう。しかるに山本理顕氏はこの言葉を短絡的に解釈し、ホール内を広場にして外から直接パレードなどが入っていけるような設計を考えている。そんな機構を利用する演目などほとんどないだろう。

グランシップ大ホールにもそのような仕掛けがあるが、使われたのはオープン以来1~2度に過ぎない。ホールのコンセプトが広場だから物理的に広場を作ってしまう、という驚くべき単純な発想だ。その結果ホール本来の機能が損なわれ、市民が集い交流する「広場」としての役割が低下してしまう。しかも余分なコストがかかる。

小田原の反対運動は、デザインによる機能低下を懸念するアマチュアの実演団体や音楽、演劇などの専門家から起こっている。

アトリエ系建築家特有の、饒舌かつ難解な言葉遊びとそれを単純に設計に反映させる手法は、社会が成熟し、人々が公共建築に求める機能がはっきりしていて、しかもコストパフォーマンスにシビアになっている時代には通用しない。市民も、実演家などの専門家も、建築とその機能に対して建築家よりも専門的な観点からシビアな目を向けている。これは建築家が唯一の専門家と目された時代が終わったということだ。

二点目に建築家が理解しなければならない時代の変化は、地方自治における本来のガバナンスが回復し、市民が主役になりつつあることである。

今まで建築家は、首長が単に市民から執行を付託されているだけの存在に過ぎないことを理解せず、あたかも絶対君主であるかのようにみなしてきた。しかし今や市民の意向を無視することはできないのだ。

山本理顕氏は群馬県邑楽町で訴訟を起こしている。新庁舎の設計コンペに勝って実施設計まで完了したのに、町長が選挙で交代したら山本氏の設計を採用せず、もう一度選考をしなおしてまったく別の設計案を採用したからだ。

法律上の問題や、山本氏への町の対応の適否はともかく、新町長は、「ぜいたくな庁舎はいらない」、「造るなら庁舎建設基金の予算内で建てられるよう努力する」という公約を掲げて当選している。これは山本氏の設計案が市民の支持を得られなかったことを意味している。山本氏の設計案では本体工事は37億円、新たな設計で町が目指しているのは26億円以内で建てることである。(ちなみに既に支払われた山本氏の設計料は1億1300万円、新たな設計案に当選した事務所の設計料は4000万円である)。

建築家はこう反論するかもしれない。「市民の理解を得られることがもっとも大切なのはわかっているので、市民ワークショップを何回もやったり、市民の委員会と一緒に考えてきたのだ」と。それは市民の意向を理解していることにならない。

市民の関心事は、国の借金であり自治体の財政悪化だ。ハコモノはできるだけ造らない、造るのであれば最小の費用で最大の効果を発揮してほしい、というのが現在公共建築を設計する建築家に突きつけられている市民の意向だ。山本氏の設計案はいずれも(邑楽町も小田原も)この意向に沿っているとは言い難い。邑楽町の新設計案は山本氏の設計案から見れば何の新鮮味もなく、「作品」として見れば比較にならない。しかし10億安いのだから多くの町民はそれで良しとしているのだ。

ガバナンスが変化し、建築家は市民の意向を無視することはできなくなった。そしてその意向とは、機能性にすぐれたものを、いかに安くつくり、メンテナンスコストも下がる設計ができるかだ。絶対君主ではないのだから、権威や象徴性はいらない。ましてや、公共建築は建築家の「作品」(建ってしまえば)という時代ではなくなったのだ。
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登録日:2007年 06月 25日 00:50:23

お疲れ様!

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9日間にわたったジャズウィークも17日(日曜日)の弊社の冠をつけたジャズフェスティバルで終了。写真は会場の2300席の大ホールで本番前の最後の音響調整。

本番は、第一部山中千尋トリオ、第二部三木俊雄とフロントページオーケストラ+meg、第三部が渡辺貞夫クインテット。フィナーレは全出演者がステージに乗ってのセッションで大いに盛り上がった。

今週は虚脱感に襲われてろくに仕事ができなかったが、後始末があり、来年、再来年の企画も既に動いており、のんびりできない。来週から気持ちを立て直してがんばらねば。

今回もたくさんの素晴らしいミュージシャン、スタッフと一緒に仕事ができ、またたくさんのお客様に来ていただくことができた。このイベントのために集まり、終われば去っていく。
この仕事の醍醐味は一期一会の人との出会いにある。マニアックに音楽が好きなだけではできない。
来年はどんな素晴らしい人たちと出会えるだろうか。楽しみである。

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登録日:2007年 06月 22日 21:45:24

B級グルメ礼賛

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静岡駅南口近くにある、一見なんの変哲もない居酒屋。

しかしよく見るとなかなか凝っている。BGMには銀座の恋の物語や星ふる街角など昭和の歌謡曲がかかり、カウンターのお姉さんの衣装はTシャツにGパンの上から白の割烹着、頭に白手拭。

その日の朝用宗漁港に揚がった生しらすや、由比の生桜海老など地の物が中心のメニューだが、なんといってもこの店の名物はあの静岡おでん。真っ黒な汁は牛筋でだしをとった醤油味。濃い目の味付けなので皿に盛るとき汁は入れない。種はだいこん、卵、こんにゃく、じゃがいも、牛筋串などが定番だが、なんといっても欠かせないのは焼津名物黒はんぺん。皿にもって鰹節と青海苔を粉にしたものをかけて食べる。

富士川と大井川の間に住んでいる人は、これが全国的に普通のおでんだと思っているので、なぜ騒がれるのかよく理解していないらしい。ともあれ、その土地土地で地元の人が日常的に楽しんでいるB級グルメはまだまだ発掘の余地がありそうだ。

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登録日:2007年 06月 21日 00:38:31

参加型企画の切り札

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ジャズウィーク8日目、土曜日の企画は「佐藤允彦ジャズ塾」。
弊社の楽器店舗の中にある100席ほどのホールで行われる公開クリニックだ。

出演はジャズピアノの大御所佐藤允彦を塾長にドラム村上寛、ベース山田晃路という超一流トリオ。さらにジャズボーカルの第一人者伊藤君子が加わる。

これだけの豪華メンバーで、一般から公募で選ばれたアマチュアのピアニスト2人、ボーカル3人に観客の前でレッスンをつけるのだ。

やり方は、一人45分の持ち時間の中で、このメンバーをバックに演奏し、佐藤さんや伊藤さんがコメントし、レッスンをつける。それを2曲やる。アドバイスは歌い方や声の出し方から発音、顔の表情に至るまで微に入り細にわたる。その場で講師が実際にやって見せることもある。

プロジェクターで生徒が使う楽譜と歌詞が映し出されていて、観客はそれを見ながらステージで行われているレッスン(といっても小さなホールなのですぐ目の前で行われているのだが)の内容をより理解することができる。

講師のアドバイスによって見る見る良くなっていくのが素人にもわかり、人様のレッスンながら実に面白い。アマチュア参加型としては最も面白い企画だと思う。下手なアマチュアの自己満足を聞かせられるよりも、それが一度ずたずたにされ、再生していく過程を見る方がはるかにスリリングだ。

もちろん、講師が超一流の実演家であることが条件だ。その理由は実演家は聞いているお客様を楽しませることを意識してくれること、自分自身が理解し実践していることを教えてくれること、そして自らが素晴らしい見本をその場で見せてくれるからだ。

さらに言えば、この企画はアマチュアへのレッスンを通してジャズという音楽の成り立ちや、再演芸術とは何かを教えてくれる。クラシックもジャズも、多くの場合演奏家は他人が作った曲を演奏する。しかし演奏家は時間をかけて自分なりに曲を仕上げていく。試行錯誤を重ね(ここの音をどのようにするかなど一音一音を)作り上げていく。その結果完成した作品が本番の演奏だ。ジャズの場合はインプロビゼーションがある。しかしそこに至る過程で作り上げたものがあって、その上にはじめて即興があるのだ。その過程は抽象的なものではなく、極めて具体的である。

1曲ずつのアマチュアへのレッスンを通して、そんなことまでなんとなくわかるようになるのが、この企画のいいところである。公開レッスンはジャズだけでなくクラシックや吹奏楽でも行われているので、機会があればぜひ見てほしい。
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登録日:2007年 06月 18日 23:50:40

レクチャーコンサートはなぜ失敗するか?

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ジャズウィークも本日のジャズフェスティバルで無事終了。
4日連続の打ち上げがこたえているが、その話はいずれ書くとして、今日は金曜日に行われたレクチャーコンサートについて。

タイトルは「佐山雅弘ジャズレクチャーコンサート“ビバップからモードへの変遷、その1 ビバップ探求”」。ピアノの名手にして理論派の佐山雅弘さん、人気最高のドラマー大坂昌彦さん、作曲も手掛けるベテランベーシスト小井政都志さんのトリオによる贅沢なレクチャーコンサートである。

内容は台本の一部を紹介しよう。

「このように既成曲のコードチェンジに八分音符主体の新しいメロディラインをつけて新曲にする、というのも随分とあります。一番有名なのは “How High The Moon" から “Ornithology" by Charlie Parker (ワンコーラスずつ弾く)。」

読むと固そうだが、これを佐山さん独特の柔らかな関西弁で、弾きながらわかりやすく説明する(当然関西人のぼけとつっこみがある)。それに大坂さんがリズムの変遷を実際にドラムをたたいて解説したり、実に説得力がある。

さて、このブログのタイトルは「レクチャーコンサートはなぜ失敗するか?」だが、その理由はこのレクチャーコンサートの逆をやっているからである。

その1:初心者を対象にするから失敗する。

そもそも、興味のない人はレクチャーを受けない。来る動機がない。別に教えてもらいたいと思っていない。レクチャーに来るのは興味のある人だ。興味のある人はそれなりに勉強もしている。だからそれ以上の知識がほしいのだ。それを超初心者向けにしたら不満が出る。
逆に言えば、初心者やあまり興味のない人を対象にレクチャーコンサートをやっても人はこないし効果はない、ということだ。好きな人を対象に、ますますマニアックな世界に引きずり込むのがレクチャーコンサートなのだ。だから主催者がレクチャーコンサートを地域への芸術文化の普及を目的にやると失敗する。

その2:レクチャーこそ超一流の演奏者を。

学者や評論家が解説して演奏者が実演しても何にもおもしろくない。演奏者が音楽の違いをどのように捉え、表現しているかが重要だ。われわれに聞こえるのは演奏なのだから。その違いを弾きながら語ってもらえば説得力がある。紙の上の知識としてのレクチャーはいらない。
ところが大坂さんも言っていたのだが、話しながら演奏するというのは演奏家にとってものすごく難しいことなのだ。何しろ頭の中できちんと組み立てておいて演奏するので、話すと崩れてしまうのだ。クラシックの演奏家が暗譜してさらにどう弾こうかあらかじめ考えておいて演奏を始めるのと同じで、その前になんかしゃべって解説せよと過酷な要求をしているのがレクチャーコンサートなのだ。よっぽど力量がなければできないことだ。だから超一流の演奏家が必要なのである。それに超一流の演奏家は音楽の歴史や理論の捉え方でも超一流である。なぜならそれを超えようと思っているから。
レクチャーなのだからその辺の地元の先生に弾いてもらおうと思うと失敗する。

その3:大切なのはユーモア。

レクチャーコンサートにとって最も大切なのはユーモアの要素だ。演奏が細切れになる以上、語りの部分でエンターテインメント性を発揮しなければ、どんなにお勉強になってもお客様は退屈してしまうし頭に残らない。そのためにどうするか。
写真は佐山雅弘トリオの入念なリハーサル。ここでレクチャーで伝えたい内容とそれを表現する演奏をきちんと組み立てるからこそ、本番における佐山さんの軽妙なトークが可能になるのだ。左側の五線譜白板には解説用の譜面をあらかじめ書き込んで準備している。ぶっつけ本番からユーモアは生まれない。人を笑わせるにはそれなりの準備が必要だ。
準備を怠ると失敗する。

よく公共ホールの人からレクチャーコンサートの相談を受けるが、普通のコンサートより安易に考えている人が多い。以上述べてきたように、普通のコンサートより難しいのだということを理解してほしい。レクチャーコンサートでは、「話はいいからもっと演奏を聴きたかった」というお客様が必ず現れる。その人たちをも黙らせる内容にしなければならないのだから。
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登録日:2007年 06月 17日 23:16:40

感動のバロメーター

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先週の土曜日から始まったジャズウィークも、いよいよあと一日を残すのみ。
忘れないうちに少し振り返っておきたい。

木曜日は200席の小ホールでのコンサート。この企画は有望な若手の登竜門で、毎年これぞという人を選んでいる。
1996年にはケイコ・リーさん、1999年には寺井尚子さんが出演している。お二人とも当時は無名に近く、チケットを売るのに苦労した記憶がある。聴きにきたお客さんは素晴らしさにびっくりしていたが。

ことしは若手ボーカリストMAYAさんのグループ MAYA collez 。スリーリズムにトロンボーンとヴァイオリンという変わった編成だが、ラテン中心の乗りのいい選曲で大いに楽しめた。

この日の筆者の役割は、表周りの統括と打ち上げ要員。疲れたので早く打ち上げに行きたいのだが、写真のように終演後のCD購入者対象のサイン会に40人以上が並んでしまい、なかなか終われない。一人ひとり丁寧にサインしながら会話し、握手する。記念写真にも応じる。人気商売のアーティストとしてはどんなに疲れていてもおろそかにはできない仕事である。

コンサートのCD販売数はお客様の感動のバロメーターである。本日は180人の観客に対して40枚の販売。これはなかなか優秀な数字だ。

おかげで打ち上げが終わって帰宅したのが2時。それなのに翌日も打ち上げ要員なのだ。年寄りには過酷な日々が続く。

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登録日:2007年 06月 17日 00:12:17

現代のパトロン

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今日はジャズウィークの4日目。

昨日から「街のライブハウス」という企画が始まっている。市内に8軒あるジャズのライブをやっている店とタイアップし、期間中毎日どこかでライブを開催している、という企画。なにしろ地方都市のため、通常は月曜から木曜はやらないのだが、一緒にプロモーションをして集客を図る、ということで協力してもらっている。もちろんプロモーション以外は各ライブハウスの独立採算である。

さて、今日のライブは市中心部から車で20分ほどのところにある、不動産屋さんがオーナーの会場だ。出し物はトランペットの五十嵐一生カルテット。オリジナル曲中心のマニアックなコンサートだが100人近い観客が集まっている。一言でいえば素晴らしい演奏で堪能した。ジャズの芸術としての側面を垣間見たようだ。

地方都市でもこれだけの観客が集まり、これだけの演奏が聴けるというのは企画した甲斐があるというものだ。

ところでステージの後ろにあるのは木津文哉画伯の作品だ。ここのオーナーは日本では数少ない、芸術家のパトロンだ。音楽家に演奏の場を提供し、アーティストの作品を買い上げる。ライブハウスもオーナーの道楽である。

しかし現代的なのは、自分でコレクションするだけでなく、作家のマネージメントとアートのプロデュースをする会社を作ってビジネスにしていることだ。作家の著作権管理などもやっている。また、自社の手がける高級分譲マンションのモデルルームをアーティストの作品で飾ることにより、付加価値を高めている。ライブハウスも不動産の顧客への会員サービスという側面もあるようだ。

それでは、儲けるためにアートをやっているのかというと必ずしもそうではない。純粋に芸術と芸術家が好きなのだ。あくまでも、道楽を続ける手段として、ビジネスとからませているように見受けられる。なぜなら、現代のパトロンは、オーナーといえども好き勝手にはできないからだ。道楽にも理由付けが必要らしい。つまり、税金対策や従業員のモチベーションを維持することなどを無視できないのだ。とはいえ、それをむしろ自らのビジネスに積極的に役立てようとしている。

アートマネージメントにも、立場によってさまざまな側面があるが、このしたたかさを見習う必要はありそうだ。

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登録日:2007年 06月 13日 00:09:14

「何かあったとき」係

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今日はジャズウィークの2日目、ストリートジャズフェスティバル。

市内3ヶ所(二ヶ所は野外、一ヶ所は屋内)で、昼から夕方までアマチュアジャズバンドが次々に演奏する。

前に書いたように野外のイベントは雨さえ降らなければ成功だ。今日は朝から豪雨の中で設営。雷もなり、大雨洪水警報も。ところが11時ごろから雲が切れ始め、開演時には晴天に。奇跡だ。これも日ごろの行いのよさの成せるわざか。

さて、今日の筆者の役割は、中心市街地の再開発ビルに囲まれた広場の会場の主催者代表。つまり何かあったときに判断したり対応したりする「何かあったとき」係だ。何もなければ黙って座っていればいい。

で、何かあったのかというと、たいした事はない。ひとつ目は、出演バンドの器材トラブルで、なかなか演奏が始まらなかった時、つなぎに困った司会者に突然引っ張り出され、トークをさせられたこと。

ふたつ目は、平均年齢39歳ながら着ぐるみなど奇抜な扮装でエンターテインメントあふれるステージを展開したブラスバンド(写真)のとき、観客があふれて動線を塞いでしまったのが見えたので、あわてて飛んでいってお客様につめてもらい、通路を確保したこと。整理係りの大学生もいたのだが、こういうときは年の功である。

事故もなく、悪天候による中止もなく、無事終了してほっとしたのだが、まだまだ次の日曜日までこんな調子で続くのだ。

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登録日:2007年 06月 11日 00:11:35

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プロフィール
Ryuichi Himori
(男)
団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教員に転職しました。その他行政経営フォーラム副代表、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事、県生涯学習審議会委員、県NPOパートナーシップ会議委員などを務めています。行政への企業経営手法の導入や、文化政策、地域政策、NPO論などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
(なお、mixiもやってます。)
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