2007年 07月

団塊の冒険は続く

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先日は東京で学生時代の友人が集り「団塊同窓会」

昭和21年生まれから昭和24年生まれまで、10人ほどが集った。
中には30年ぶりに会った人もいる。

皆、長い年月働き、そろそろ転機を迎えているが、決して今までが平板だったわけではない。それぞれが冒険のある波乱の人生を歩んで来たのだ。

そしてこれからも冒険は続く。病気と闘っている・インドで人権NPOを立ち上げようとしている・いまだ独身で30歳年下の彼女がいる・過疎の地で田舎暮らしを始めた・・・・・

団塊の世代では、冒険は普通の人の人生の中にある。

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登録日:2007年 07月 31日 17:53:29

二院制の意義

安倍首相、続投の意向を表明

【7月30日 AFP】安倍晋三(Shinzo Abe)首相は29日、参議院選挙後も政権を担っていくとの意向を示した。
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(c)AFP

AFPBB News


参議院については不要論もある。政党中心で衆議院のカーボンコピーならいらない、という意見だ。

そう言われると天邪鬼の筆者としては、参議院必要論を考えてしまう。
それではその役割は何か?筆者の考えは「国体護持の機関」ということだ。

国体というのは、戦前の日本では万世一系の天皇が統治する国家体制のことだった。現代日本の「国体」は自由と民主主義の国、ということだ。

ソ連の崩壊による冷戦の終結までは、自由と民主主義はイデオロギーのひとつであり、それに対して社会主義というイデオロギーがあった。それぞれのイデオロギーを信奉する政党があり、どちらかが政権をとればそれこそ「国体」が代わった。

しかし今や自由と民主主義は我が国の唯一のイデオロギーとなり、それは「国体」になった(はずだ)。二大政党は自由と民主主義の「国体」を前提として、それぞれの政策を競い合う。「国体」を前提としない政党は選挙で淘汰される(はずだ)。

しかし、そこにはともすれば「逸脱」が起こる。例えば政権党による専横、官僚による恣意的な独断専行、あるいは「番人」としての司法の機能不全、さらにはネオコンのような勘違い集団の登場など(なぜ勘違いかと言えば、自由と民主主義を強制的に、軍事力で押し付けるのはそもそも自由と民主主義ではない)、様々な脅威にさらされる。特に反「国体」政党が登場し、大衆的な人気を博す時は脅威だ。

このような時、小選挙区の一院制は危険だ。ワイマール共和国で選挙で政権を取ったナチスのようなことがないとは言えない。自由と民主主義は日本の「国体」であり、高々1回の選挙でひっくり返っていいものではない。政権をとったそのような政党が、例えば言論の制限のような自由と民主主義の「国体」をひっくり返すような政策を取ろうとするとき、それをチェックし、その前に立ちふさがる役目が、「第二院」にはある。

そのような「第二院」にするためには、制度もあるが選ばれる議員の考え方と資質が重要だ。「国体護持」への固い信念を持ち、時の権力におもねらない個人。政党や組織、自らの利害にとらわれずに、自由と民主主義のために信念を曲げない自立した人間が集り、議論する場所になる必要がある。イメージ的に言えば、昔の市川房枝さんのような人ばかりが集っている感じだ。

このような観点から、今回の選挙では筆者は政党ではなく候補者の考え方を見て投票した。地方区では二大政党以外の無所属候補に好感を持ったが、その理由は「憲法の役割」について唯一筆者と同じ考え(憲法観)を述べていたからである。

残念ながら落選してしまったが、参議院にこのような役割を担わせることができるのは、私たち有権者だけであることを忘れてはならない。

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登録日:2007年 07月 30日 10:53:21

組織の終焉は組織選挙の終焉

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昨日は午前中2009年に開催予定の国民文化祭の打ち合わせで県庁へ。筆者の役回りは音楽に関連する事柄のアドバイザーのようなものだ。

終わって午後からは新幹線2駅戻り、市役所でやはり2009年に開催される国際モザイカルチャー(園芸芸術)大会の理事会に出席。理事会といいつつ代理出席が多いのはいかがなものかと思うが、とにかくイベントの多い県である。

そして夜は動員されて某党の「企業・業界・団体決起大会」へ。ホテルの宴会場に500人ほどが集り、地元選出の衆議院議員や党の大物総務会長がはっぱをかける。この地域は2人区で、2大政党から一人づつ当選するのは決まったようなものだが、逆風が吹いているこの党の候補はダブルスコアで水をあけられているとのことだ。

しかし回りを見渡すと、「企業・業界・団体」頼みの選挙は明らかに「終わって」いる。1社5人のノルマに動員された若手社員のしらけきった表情。居眠りする中小企業のおやじさんたち。候補者本人は来ず、代わって奥さんが深深と頭を下げるが、反応は鈍い。もともとこの地域はお祭り好き・選挙好きの風土があるのだが、その熱気が感じられない。

挨拶にたった企業経営者(売上740億円の一部上場企業社長)の話も「ここにいる500人が10人に話し,その10人が5人に話し、その5人がさらに5人に話せば12万5千票だ」などと耄碌しているとしか思えない。ここにいる500人の票でさえわかったものではないというのに。

個人が自立し、企業や団体への無条件の帰属意識が薄れている時代、個人が自分の可能性にチャレンジする、あるいは否応なくチャレンジさせられる時代は、大きな組織の終焉の時代だ。それは当然組織選挙の終焉の時代でもある。

それがわかっていないのは政治家と耄碌した一部の経営者だけらしい。

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登録日:2007年 07月 25日 13:39:28

ジャパン・クールの源流をさぐる:その3

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画像は大友克洋作「AKIRA」

ブレードランナーが公開されて5ヵ月後、ジャパン・クールの旗手と言われる漫画家で映像作家の大友克洋によるコミック「AKIRA」の連載が始まった。両方を同時代にリアルタイムで見た筆者には、「AKIRA」はブレードランナーの影響が色濃く感じられた。

その後シド・ミードは80年代の東京で様々な仕事をし、日本のクリエーターに更に影響を与えることになる。六本木にあり、シャンデリアの落下という不幸な事故を起こしたディスコ「トゥーリア」のデザインもシド・ミードだった。
ジャパン・クールとの直接の関係では、機動戦士ガンダムシリーズのひとつ、ターンAガンダムのキャラクターデザインも有名である。

このように、ジャパン・クールは、日本の社会とテクノロジーの影響を受けた欧米のSF・映像作家の普遍性のある作品に影響を受けた日本人のクリエーターによって生み出されたのである。それは、そのような日本社会にどっぷり浸かりながら欧米の作家の影響を受ける優位性である。

欧米の作家に見出された日本の驚異とは、単にテクノロジーと伝統的社会の並存だけではない。テクノロジーが生活の隅々にまで行き渡っていることが驚異だったのだ。
ハイテクがまず軍事に応用される欧米と異なり、日本ではハイテクはすぐに民生用に使われ、大量生産でコストが下がってさらに普及する。
しゃべる自動販売機など日本人にとって当たり前のものが、驚異なのだ。例えばパチンコは高度なハイテク機器である(弊社の音源半導体も使われている)。そこに欧米人は未来社会の姿を見る。

だから、ジャパン・クールのクールとは決してスマートで洗練されたものではない。いかがわしさ、猥雑さを含むアジア的混沌と、日常生活に浸透する高度なテクノロジーが、欧米の文化にないクールなのだ。

例えば、もし秋葉原の再開発がこぎれいなオフィスビルが生まれただけだったら、海外から見向きもされなくなっていただろう。そこに生まれたメイド喫茶こそが、秋葉原の救世主なのだ。

このような欧米の価値観を土台として生まれてくる日本人の作品が重要だ。だから本日の日本経済新聞「今を読み解く」欄の記事「自由が生んだジャパン・クール」と「停滞の突破口は交流」はとても重要な指摘だ。

もし、政府が文化政策としてジャパン・クールを振興したい、あるいはファンドビジネスがジャパン・クールに投資して利益を得たいのなら、この記事の指摘にある「表現や規範の自由」が重要なコンセプトである。リュック・ベッソン監督のSF映画「フィフス・エレメント」(1995年)に登場する、ちょうちんをぶらさげ自在に空中を飛び回るうどん屋の屋台のような自由さが、私たちの社会に必要だ。

この日経の記事では「日本の作り手の独創性は停滞期に入った」と指摘されているが、そのような自由で融通無碍な社会が持続すれば、欧米の作家を再び刺激し、そこから生まれた作品が日本人クリエーターに影響を与えて、元祖ジャパン・クールを再び生み出すだろう。

そのような社会は、誰かの言う「美しい国」の対極をなすものであると筆者には思われる。
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登録日:2007年 07月 22日 21:56:41

ジャパン・クールの源流をさぐる:その2

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画像は映画「ブレードランナー」

ジャパン・クールの源流は欧米のSF作家の日本観にもとづくSF小説の中にある。
このことを示しているいくつかの作品を紹介しよう。

1.フィリップ・K・ディック「高い城の男」(1962年)

映画トータル・リコール、マイノリティー・レポートなどの原作者として知られるディックの最高傑作のひとつと言われる作品。第二次世界大戦に枢軸国が勝利し、アメリカの東半分をドイツ、西半分を日本が占領し、統治している世界で、日本統治下のサンフランシスコを舞台に様々な謎が展開する。礼儀正しく、哲学的で神秘的な日本人が描かれる。

彼が考える日本人の神秘性・精神性は作品を通して日本人のクリエーターに影響を与え、ジャパン・クールの源流のひとつになっていると思われる。

2.イアン・ワトソン「銀座の恋の物語」(1973-74年)

前述のワトソンの作品。西暦2000年(この作品にとって26年後の近未来)の日本、ホステスが、高性能コンピュータ「暗示性魔法・和合機械」によって、客が望む通りの人格になって接客する銀座のクラブ「女王蜂」を舞台にした、切ないラブ・ストーリー。

高度なテクノロジーがホステスの接客という娯楽に惜しげもなく使われる、という物語を生み出したワトスンの日本観が、他のSF作家の日本観に影響を与えたと思われる。また、テクノロジーによる精神へ直接的な介入や改造は、ディックとも共通する要素であり、これもジャパン・クールの源流のひとつになっていると思われる。

3.ウィリアム・ギブスン「クローム襲撃」(1982年)、「ニューロマンサー」(1984年)

サイバースペース(電脳空間)という造語を発明した「サーバーパンクSF」の旗手ギブスン。人間が脳に電極を接続してコンピュータを介してサイバースペース(今で言うバーチャルリアリティーの世界)に直接プラグインするアイディアは、ここに始まっている。

サイバーパンクの世界観は、犯罪の渦巻く退廃した社会と高度なテクノロジーだが、その舞台にしばしばなったのが日本だ。ニューロマンサーの舞台は、「ハイテクと汚濁の街」チバ・シティである。映画「マトリックス」や前述の「攻殻機動隊」などギブスンに直接影響を受けたSF、映画、コミック、アニメは内外問わず数知れないが、ギブスン自身は日本のテクノロジーと社会に強い関心を抱いており、作品にはチバだけでなく日本的なものが数多く登場する。

日本社会に刺激を受けたギブスンが、その世界観で逆に日本人のクリエーターに影響を与える、というジャパン・クールの源流が見て取れる。

4.映画「ブレードランナー」(1982年)、原作フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」(1968年)

リドリー・スコット監督、ハリソン・フォード主演のこの映画こそ、SF映画の最高傑作としてカルト的人気を誇り、世界中のクリエーターに大きな影響を与えた作品である。小説、映画、コミック、アニメなどにブレードランナー以前・以後という区別があるほどだ。

2019年のロサンゼルスを舞台とするこの映画の美術を担当したアメリカ人デザイナー、シド・ミードの提示した世界観、未来像が、日本人のクリエーターにも影響を与え、ジャパン・クールの直接的な源流になったことは、この世界では広く知られている事実である。

聳え立つ高層ビルや高度な、そして奇妙なテクノロジーと、降り注ぐ酸性雨に煙る暗い世界、アジア的混沌や非西欧文明との融合などのペシミスティックな未来社会像は、その後の様々な作品における未来社会像の「グローバルスタンダード」になる。

この映画では随所に日本語が飛び交い(有名な冒頭シーン、屋台でのハリソン・フォードとスシ・マスターの会話など)、怪しげな日本人や日本的な巨大ビジョンなどのハイテク物が出てくる。そのヒントが現実の日本社会にあることは見れば明らかで、シド・ミードが日本に大きな影響を受けていることがわかる。

続く

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登録日:2007年 07月 22日 15:56:05

ジャパン・クールの源流をさぐる:その1

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画像はジャパン・クールの代表「攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL(海外作品名)」 士郎正宗作 アニメ監督押井守」

昨日は県文化政策審議会に委員として出席した。詳しくは別途述べるとして、議論の中で出た「ジャパン・クール」について考えてみたい。

今年2月に発表された文化審議会の答申「文化芸術の振興に関する基本的な方針の見直しについて」の中にこんな一節がある。

「日本文化の発信及び国際交流の推進:-略―現代の文化芸術創造活動を積極的に海外に発信し、アジアをはじめとする海外の文化芸術振興に資するように、国際文化交流の施策を検討していくことが必要である。その際には、アニメ、マンガ、音楽等の「ジャパン・クール」と呼ばれる分野も文化発信の上で重要な役割を担っており、メディア芸術などの新しい文化芸術の国際的な拠点を形成することも検討する必要がある。」

この表現では、あたかもジャパン・クールが、日本で、日本人の手によって独自に生み出され、それを世界に発信していかねばならない、というように受け取れる。しかしそれは間違いだ。

ジャパン・クールは、それが日本人の手によって創造され、ダグラス・マグレイによって紹介される以前に、既に欧米人によって発見されていたのである。欧米人によって発見された日本の姿、日本の捉え方が、日本人のクリエーターに影響を与え、ジャパン・クールが創造された、というのが筆者の説だ

欧米人によって発見された日本の姿、日本の捉え方とはなにか。それは自分たちの物だと考えていた高度なテクノロジー、自分たちの歴史や文化を背景にしてしか身につかないと思われていた科学技術が、それとは異なる文化的背景を持つ日本で消化され、発展し、しかもそれが伝統文化やアジア的混沌と両立していることの衝撃だ。それは彼らの思想、価値観を揺さぶるものだった。

そのあたりの欧米人の感覚を、イギリスのSF作家イアン・ワトスンの言葉から見てみよう。1943年に生まれたワトスンは1967年から1970年まで日本に滞在し、滞在中にSFを書き始めた。

「日本で暮らしてみて、SFを書くべきだとさとったんだ。まさに21世紀的な環境だったからね。ありとあらゆる娯楽やからくりがそこらじゅうに氾濫し、得体の知れない未来的なものと伝統的な文化とが、おかしなくらいごちゃごちゃにまじりあっている。が、同時にそこはディザスター・エリアであった。高層ビルの林立する大地は地震でゆさぶられ、耐震構造でない新築ビルの壁にはひびわれが走っている。テクノロジーの爆弾が日常くまなく浸透していたーコインを入れるとテレビの映るタクシーとかね。」(以下略:大森望・他訳、「イアン・ワトスン傑作集スロー・バード」早川文庫、訳者あとがきより引用)

ワトスンが書いている時代には、まだジャパン・クールとして海外で評価される日本の作品(アニメやマンガなど)は生み出されていなかったことに注目してほしい。

筆者は小説はあまり読まないのだが、SF小説だけは昔から読んでいる。そして、ワトスンだけでなく、多くの欧米のSF作家の作品の中に、ジャパン・クールの源流を見て取ることができる。

次の記事で、そのいくつかの作家と作品を紹介しよう。

続く・・・

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登録日:2007年 07月 20日 01:30:55

ふるさと納税:納税者からの見方

あるメーリングリストに「ふるさと納税」について書いたので、ブログにも転載しておきます。

「ふるさと納税の議論は様々な問題を含んでいて興味深いのですが、今まであまりふれられていない論点、つまり納税者側からの見方を少し。

1.世の中には転勤族というものがかなりの数います。私は東京都の出身で地方都市に住んでいますので、東京都に納税することになります。また、地方から都会の学校に行って、都会の会社に就職して転勤で別の地方に住んでいる人もたくさんいます。この人たちは地方から地方へ納税することになるでしょう。ふるさと納税が地域間格差の是正を目的とするなら、その「歩留まり」は地方交付税に比べればかなり悪いでしょう。


2.ふるさととはどこか、という問題があります。私のふるさとは東京都大田区田園調布1丁目です。私は大田区に納税するのでしょうか?大田区といえども、その中の地域によって解決すべき課題は異なります。大森や蒲田なら町工場の活性化や事業継承が課題です。私のふるさとは同じ大田区でも高齢化が進み、独居老人が多く住んでいます。老人施設も不足しています。もしふるさと納税をするのなら、田園調布1丁目の課題を解決するために使ってもらいたい。それ以外の用途は拒否です。

最近合併して浜松市になった旧水窪町の出身者は、70km離れた浜松市中心部の市街地活性化に自分の税金が使われたら納得できないでしょう。

3.地方自治体で、裏金はありません、官製談合もありません、無駄なハコモノは造りません、職員組合や同和団体など利権組織との裏取引はありません、首長や議員の利益誘導で無駄金を使うことはありません、爪に火をともすような努力で業務の効率化・歳出削減・行政サービスの向上に努めています、と言い切れるところがあれば、ふるさとでなくても納税しちゃいます。逆に、たとえふるさとであっても、税金を食い物にしているところにはびた一文払いません。

ある調査では、ふるさと納税について、もしやるなら、
納税する/しないを自由に選べる 61.6%
事前に税金の用途が明らかにされていること 59.9%
となっています。

私たち納税者は、首長、議員、行政職員に対して、税金の使途についてフリーハンドを与えたつもりはありません。
その意味で、ふるさと納税がカリフォルニア州で起きた「納税者の反乱」が日本でも起きるきっかけになる可能性でもあれば、なかなかおもしろい制度だと思います。」

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登録日:2007年 07月 18日 01:09:36

筆者にメール:期間限定

ひょっとしたら、筆者に何か意見・感想を言いたい人がいるかもしれないと思い、
期間限定でアドレスを開設します。

dankaiblog@yahoo.co.jp

とりあえず今月いっぱいくらいは開いておきますので、何かありましたらどうぞ。

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登録日:2007年 07月 16日 00:47:44

グローバル化の最前線

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グローバル化の最前線。それは行きつけの床屋。
カットのみなら1300円の格安店である。

店内を見回すと、ただいまの客が9人。国籍はブラジル人6人、日本人2人、カナダ人1人(ポルトガル語が通じないのでどこの国の人か聞いたら)。
店員は7人。国籍は日本人4人、ブラジル人3人。

この店にはもう6年通っているのだが、年々ブラジル人の客が増えている。ブラジル人の従業員も最初はマリアさんという国では美容師だったおばさん一人だったのが、年々増えてきた。日本人の理容師のおっちゃんたちもだんだんポルトガル語をしゃべるようになり、今では大きな声で「オブリガード!」などと挨拶される。

ブラジル人によると、ブラジル人がやっているもっと安い店はあるが、この店は腕がいいので人気があるとのこと。

何しろ人口809,118人のうち外国人が30,724人、内ブラジル人が18,188人という土地柄なのだが、この店はそのもっと先を行っている。

多文化共生は床屋から、ということでなかなかおもしろい。

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登録日:2007年 07月 14日 00:45:23

建築家のギミックとホールの現実 その3

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4.ついに実現

筆者はこの博覧会で12回のコンサートを企画し、実施した。

筆者のそれまでの仕事は、主催者である公共ホールからの依頼に基づいてコンサートを企画することであり、その場合筆者としてはそのホール独自の機能があれば、一度はそれを徹底的に使ってみることを自らに課していた。6月29日の記事に書いたグランシップでも、実は筆者の企画したイベントでコーンに照明やレーザーをあてる演出を試みている。

自分が企画するコンサートでは、一度は背面開放を使おうと考えていたが、博覧会も終盤に差し掛かった9月30日にチャンスが巡ってきた。この日は筆者が企画したエレクトーンとボーカルのコンサートで1日2回公演。他に出し物は入っていなかった。

筆者はコンサートの途中で背面を開放する演出を考えたのだが、大手広告代理店側の舞台監督は強硬に反対した。安全に責任がもてない、と言うのだ。これには主催者である県(博覧会協会)の担当者も同調した。
設計段階では賛成していたはずの発注者(県)が反対するのも変な話だが、当然建設と運営では担当者が違うので、良くあることなのだ。

なんとか説得してやることになり、黒ホリをはずして土嚢をどけ、ロックをはずす。ところが、1回目の公演は風が強くてやむなく断念。そして2回目の公演。何かあれば全て筆者が責任を負うということで最終的に主催者や大手広告代理店側に納得してもらい、いよいよ実現へ。

エレクトーンのイントロが流れると、するすると舞台背面の扉が開き、運河の景色を背景に、シルエットになった女性歌手がチャップリンの名曲、スマイルを歌いながら入ってくる。どよめく観客。それがやがて拍手と歓声に変る。

結局189日間の会期中、背面が開けられたのはこの1回だけ。たった1回のどよめきと歓声のためだけに造られた、扉の開閉機構だった。

もし、筆者がホールを計画するのであれば、このようなギミックにはお金を使わない。ホールの基本的な機能を高めるために、他にいくらでもお金をかけるところはある。建築家が考えるような、建物に付随した演出のための機構は、ほとんど使われないのが現実だ。

ホールを建てるときは、この事例をひとつの参考にしてほしい。

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登録日:2007年 07月 12日 14:39:55

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プロフィール
Ryuichi Himori
(男)
団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教員に転職しました。その他行政経営フォーラム副代表、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事、県生涯学習審議会委員、県NPOパートナーシップ会議委員などを務めています。行政への企業経営手法の導入や、文化政策、地域政策、NPO論などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
(なお、mixiもやってます。)
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