2007年 09月
アートと社会を結ぶアートマネージメント

(写真は講義で話したバスキアの作品。人々が芸術と思うものが芸術である。だとすれば、なぜ人々はそれを芸術と思うのか?と言う話。)
以下が昨日の講義の内容の見出しである。身もふたもない話が多いのだが、聞いていたアーティストからは「こういう話を聞く機会はめったにないので面白かった。聞く必要がある話しだった」という感想をいただいたのでまあ良かったのかな、と思う。
この内容はもっと詰めてそのうち本にしたいと思っているのだが。
0.はじめに
自己紹介とともに
国も認めるアートマネージメント
1.アート
文化とは何か
芸術とは何か
2.アーティスト
アーティストとはどのような人たちか
プロとアマチュア
3.企画
アートの公共性
アートの効用
4.お金
アートの費用
アートの対価
5.マネージメント
効用の最大化とロスの最小化
マーケティングプロセス
6.アートマネージメント
付加価値と雇用の発生
付加価値なくして雇用なし
7.おわりに~社会
地域社会とアートマネージメント
アートマネージメント人材が食える社会
半年はかかる内容を60分に凝縮しているのでいそがしい。
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登録日:2007年 09月 30日 10:03:57
やっぱりファシリテーターいるかも!?

前の記事でファシリテーターはいらないと書いたときには実はすっかり忘れていたのだが、今日は「アートワークショップファシリテーター養成講座」の講師をやったのだ。
あれほどいらないと言っていたのに、講師をやるって、どうよ。
筆者の演目は「アートと社会を結ぶアートマネージメント」ということで、内容は後ほどアップするが、現代美術作家岡山直之氏の「人と人をつなぐもの:ワークショップという表現」という講義は筆者にとってワークショップへの理解を深める内容だった。
「多元的な価値観が一元化されず、外に向かっても多元的にひらかれる」(さとうまこと氏の引用)というのはなるほどという気がした。
そして、筆者が、これはファシリテーターはいるかも、と思ったのは、その後ファシリテーターとして登場したアーティスト、ホシノマサハル氏のワークショップ「ワークショップの創り方」を見たときである。
17人の参加者に1から17までの番号札を引かせる。そして隣の部屋には1番から17番までの番号を振った、とりとめのない(突拍子もない)ものが置いてある。空き瓶、ペットボトル、ロープと滑車、木の破片、拡大鏡、新聞紙、ひかりと書いてある札等など。自分が当たった番号のものを持って作品を作る、あるいはそれを使ったワークショップのやり方を考える。
ものを持った人は一人で作ってもいいし、他のものを持った人と合体してグループになってもよい。画材やボール紙などは共通に使えるものとして用意されている。明朝にはワークシートに記入し、発表する。
これはかなりインパクトがあり、さまざまな気づきを得られるワークショップだと思うが、ホシノさんのように仕掛けを考え、参加者が真剣に取り組むように方向づけをする優秀なファシリテーターがいないとできないことである。
17人の参加者は現役の学芸員、アーティストから学生まで年齢性別経歴も様々である。さて、どんな発表になるか。
単に会議を進行させるとか結論が出るのを助けるとかでなく、「多元的な価値」への気づきを促進するようなファシリテーターならいるのかもしれない。
そしてコーディネーターについては、目的がクリアでコーディネーターにある種の権限がある限りその存在を否定するものではない(ということです。ナカノさん、すみません)。
なんだ、前の記事と違うじゃないかと言われれば、一言もない(でも、もっともらしい説教型はきらいなので)。
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登録日:2007年 09月 29日 21:57:23
中学生の感想
昨日も前回と同じ中学校にこんどはマーケティングの話をしに行った。
その際、前回の講話の感想文集をいただいた。
中学生144人分の、一人約200~400字の感想文は、先生がまったく手を入れていない生のものなので、読んでいておもしろい。
「仕事するには1番学歴が大事だと思っていましたが、本当は続けることが大事とわかって、少しびっくりしたけど確かになー、と思いました」
「人が働くのはお金持ちになるためと思っていましたが、普通の生活をするためと知り、すごいと思いました。やっぱり仕事をしないでぐーたらしていると普通の生活もできなくなるので、仕事は大切だなと思いました」
「残念なことに中卒で働く人の離職率がとても高かったので、自分はもっと真剣に考えて選ばなければと感じました」
「自分の好きという気持ちだけでは仕事に成り立たない、”人が喜べば自分もうれしい”ということも大切だと学びました。まさにその通りだと思います。仕事というのはとても厳しいと思います。競争があったり、努力、工夫をしなければいけないなど。私も少し考えてみたいと思いました」
そのほかにも多様な感想があり、中には「後半は寝ていたのでよくわかりませんでした」というのもあったが、総じて働く目的は普通の生活を送るため、ということは伝わったようだ。
また最低賃金682円、月の生活費35万円という話はかなりインパクトがあったようで、少し薬が効きすぎたか、と思わないでもない。いずれにしろ、中学生の率直な感想はとても参考になる。
こんな感想を抱いて来月は職業体験に行くことになっているが、ぜひがんばってもらいたいものだ。
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登録日:2007年 09月 28日 02:00:54
ファシリテーターだのコーディネーターだのへの疑問
またまた委託先のNPOを選ぶ審査員をやった。
あらためて審査員になって見て、プレゼする側として大事だと思ったのが、提出した企画書をきちんと説明することである。もちろん審査員は事前に提案書は読んでいるのだが、説明されてあらためて気づくことも多い。別資料を配布して説明されたり、提案書に書いていないことだけを説明されても正直よくわからない。
自分がやるときは気をつけよう。
さて、内容を聞いていてふと疑問に思ったのが(コンペとは直接関係ないが)、ファシリテーターだのコーディネーターだのはいったい何だ?ということだ。どうも行政やNPOはこういうのが好きだ。ファシリテーションやコーディネーションはそれ自体がひとつの技術であり、汎用性がある、ということらしい。それはそうなのかもしれないが・・・
しかし企業の現場で考えると、まず会議というのは必要悪である。やらざるを得ないときに必要最小限でやる。いかに時間を短くするかも勝負だ。だからコンテクストを共有していてあとはファクトと専門用語が飛び交って終わりだ。ファシリテーションの余地などないように思う。
また、企業にはコーディネートでなく「すり合わせ」という概念がある。ひとつの目的に向かってお互い(社内も社外も)同士が少しずつ身を削ってすり合わせるのだからコーディネーターなど必要ない。人件費の無駄である。
要は事業をするのだから目的を共有したらあとはさっさと実行する。現場で実行することに最大限のエネルギーをかける。そして結果を検証し、改善する。営利だろうが非営利だろうが事業なら同じことだ。そこになぜファシリテーターやコーディネーターが必要かが良くわからない。(もちろん臓器移植コーディネーターのように専門分野で職掌がはっきりしているものは別だが)。
自分の理解が浅いのだろうか。どなたかご教示いただきたい。
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登録日:2007年 09月 27日 01:41:13
首班指名の民主主義
【9月25日 AFP】福田康夫(Yasuo Fukuda)自民党総裁(71)が25日午後、第91代、58人目の首相に選出された。
23日に自民党総裁に選出された福田氏は、衆院で首相に指名されると、起立して周りの議員らに一礼した。
一方、野党が過半数を占める参院は、決選投票で新首相に小沢氏を指名した。
両院が異なる議決をしたため、両院協議会が開かれたが意見が一致せず、衆院の議決が優先され、福田氏が首相に選出された。(c)AFP
筆者が安部総理辞任から始まる一連の騒動にコメントしないのは、誰が首相、大臣をやっても(民主党も含めて)、1000兆円の借金のもとで政策の選択肢がそれほどないからである。誰がなってもやるべきことをやらざるを得ないだろう。
それよりもコメントしなければならないと思ったのは、筆者の奥さんの一言である。
「どうせ衆議院の多数派なんだから参議院の首班指名選挙とか両院の協議とか、形式的なことはやめてさっさと決めればいいのに。国民はみんな時間の無駄だと思ってるんじゃない?国民が思ってることはくだらない手続きなんかすっとばしてさっさとやればいいのよ」
奥さんの素朴なコメントに正面から難癖つけるのも大人気ないが、ここはまたハイエクを引用したい。
「対立は異なる種類の法律ー同じ名をもって呼ぶことがほとんどできない法律ーの間にある。すなわち一つはその一般原則が前もって規定されている法の支配であり、どのように国家の強制的機構が用いられるか、また個人やその仲間が、そういう状態のもとにおいて何をなすことが許され、またはなすようにされているかを、個人に予見させうる「ゲームの原則」である。他の種類の法律は実際上、当局が適当と考えることを行う権限を当局に与えるものである。かくて法の支配は、あらゆる利害の対立を前もって規定されている規則によってではなくて、「その功罪にしたがって」判定しようとする民主主義においては、明らかにもはや維持することはできないであろう。」(フリードリヒ・A・ハイエク『隷属への道』一谷藤一郎、一谷映里子訳、東京創元社2007.2)
よく形式民主主義が大切だと言われるが、その本質はこういうことである。「国民がみんなそう思っているから」と誰かが民意を「判定」して手続きを恣意的に曲げることは、法の支配による自由の崩壊の一歩である。
民主主義を守るためには、このような「素朴な民意」に従うことはできないのである。そしてそのアンカーは、民主主義国家において民意によって選ばれた議員の一人ひとりに課せられている。この責任の重さを議員は自覚してもらいたい。
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登録日:2007年 09月 25日 20:30:43
首都圏は別世界!?~東京JAZZで地方都市の文化政策を考える
写真は東京JAZZの併設イベントCIRCUIT2007ネオ屋台村スーパーナイトの会場、東京国際フォーラム地上広場ステージでリハーサル中の矢野沙織。
23日は東京JAZZ(TOKYO JAZZ FESTIVAL 2007)の夜の部へ。
ベニー・ゴルソンは渋い!
マイク・スターンはかっこいい!
ランディ・ブレッカーはすごい!
休憩時間に東京国際フォーラムホールAのロビーでビールを飲みながらガラス越しに高層ビルの明かりを見てふと考えたのが、首都圏は芸術・文化にとって別世界!?
イメージとして透明なドームに覆われ自己完結した別世界。
6時半から始まったコンサートは出演者と観客が乗りに乗って終わったのは11時。筆者の住む町なら確実にクレームが来るだろう。この別世界の中心部では、夜遅くまで多様な芸術・文化を楽しむことができるのだ。
しかしながら、筆者は首都圏が地方都市に比して文化度が高いとは思わない。帰りがけにお客の会話を聞いていると、「もう少し知っている曲をやってくれるといいのにね」という声が聞こえる。同じ出し物を筆者の住む町でやっても、まったく同じ声が聞こえただろう。また、これだけの充実した内容にも関わらず、5000席のホールが必ずしも満席になっているわけではない。これも筆者のいる町の2000席のホールでも同じような入り(入場率)になるだろう。
それでは何が別世界を形成しているのか。それは人口集積と交通だ。一都三県に約3500万人が住む。その他に茨城、栃木、群馬の南部と山梨東部が在来線・私鉄を利用した通勤圏になる。
これだけの人口があると、アクセスの良い中心部では、どんなに愛好者の少ない芸術・文化でも一定の観客を集め、成立することができる。首都圏が芸術・文化の愛好者の比率が高いから成り立つわけではない。筆者が各都市の公共ホールの自主事業を企画してきた経験から言えば、例えばほぼ同じ人口規模の春日部市と松江市、松戸市と金沢市を比較すると、後者のほうが芸術・文化に親しむ人の比率は多いと見受けられる。郊外の新興住宅地と比較して地方都市の伝統文化の蓄積は伊達ではないということだ。
それでも圧倒的な人口集積の差が、首都圏中心部において多様な芸術・文化イベントの開催を可能にしていると筆者は考える。
さて、それでは地方都市が芸術・文化によって活性化を図りたいとするならばどうしたらよいのか。その答えはやはりビルバオのグッゲンハイム美術館だ。つまり中途半端なことをやってはいけない。世界的に評価される超一流・超最先端の出し物を用意して人口の多い首都圏から集客するのだ。首都圏でもめったにないような、とんがったすごいものをやる(自称でなく世界が評価するもの)。地元で愛好者は少なくてもいい。首都圏から好きな人を集客する。首都圏だけに絞って徹底的に宣伝もする。
芸術・文化による地方都市の活性化はまず集客から始まる。役所風に言えば交流人口の拡大だ。次にそれをてこにクリエイティブクラスの定住を誘致する。その結果知識産業が活性化し、新たな雇用を生み、さらに人口が増える。これが戦略のシナリオだ。
実現できるかどうかは、地元の人にとってわけのわからないものをやることを、納税者に説得できるかだ。つまり芸術・文化による地方都市の活性化には半端ではない覚悟がいる。首長や行政の担当者がどこまで腹をくくれるかが成否を分けるだろう。
芸術・文化で別世界から観光客と移住者を誘致する。これに尽きる。
しかしながらそれには難題がある。それは・・・
・・
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登録日:2007年 09月 24日 01:22:33
残すべき自然
長い間人間が住んでいる地域の自然とは、実は長い年月にわたって人間が手を入れてできあがった自然であり、人間と共生関係にあることが知られている。美しいイングランドの田園風景などはその典型だ。
筆者の家の近くにある小さな湖を取り巻く公園に、写真のような一角がある。これは里山の自然を保護している区域だ。このように奥まった低地の田んぼとその周りの低い丘陵の落葉広葉樹林は、昭和30年代までは都市近郊でも普通の風景だった。例えば東横線沿線でも日吉あたりではよく見かけた。
誰にでも懐かしさとやすらぎを感じる風景なのも、私たちのDNAに焼きついているからだろう。
縄文時代から薪を取り、炭を焼き、落ち葉を堆肥にするために営々と手を入れ造られて来た里山の自然。多様な生物を育んできたが、放っておけばうっそうと茂る常緑広葉樹(照葉樹林)というもとの植生に戻ってしまう。5000年の努力も50年でふいになる。
共生関係ということは、どちらかがなくなればもう一方もあぶないということだ。エネルギーなど経済的理由はもうないのだから、人間の手が入らない本来の植生に戻せという理論もあるが、やはり人間にとって居心地がいいのはこのような代償植生(半分人の手が入った植生)だろう。
少子高齢化で日本はこれからゆっくりと下り坂に向かう。宅地はもう必要ない。今こそ里山の自然を復元する時代に入ったということだ。福田さんはストックの時代と言っているが、里山の自然こそ日本人が創りだしたストックの代表ではないだろうか。
公共経済学から考えても外部性があると思うのだが、どうだろうか。
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登録日:2007年 09月 20日 22:08:07
今日は1日NPOデー
うちのNPOは代表理事、事務局長、総合職全員でイギリスにチェンジアップ(非営利組織への新たな助成のシステムらしい)の調査に行っている。
そこで無給のボランティア常務理事の私にいろんな仕事が回ってくる。今日はついに会社を休み、NPOデーに。
午前中はこれも育児休職中を駆り出された職員(アメリカの大学院を出た、とても優秀な女性だが第一子出産)とともに、ある市の業務委託のプロポーザルに臨んだ。
これは選ぶ側へのアドバイスだが、事前に提案書を提出して読んでもらっていても、20分のプレゼ10分の質疑では、真意を伝えるのは無理である。NPOの場合、文脈まで理解するような時間をかけた接触の上で判断を下す方法はないものだろうか(応募側も忙しくて付き合えないかもしれないが)。
質疑の様子で相手がどのような方法と効果を望んでいるかは推測でき、こちらがはずしたことはわかったのだが、こちらは相手の望んでいる方法は間違っていると認識し、別の方法を提案しているから始末が悪い。なぜ違うかを十分に説明し説得する時間は計30分にはおさまらない。まあ、結果はわからないが。
終了後はNPOの事務所である助成金の書類選考。約50通の応募書類から10通くらいに絞り込んでプレゼにきてもらうための選考だ。内容は非営利の社会事業の創業助成プログラムへの応募で当NPOが運営を請け負っている。
書類を見ると、思いだけが先行し、お客が誰で、どのような商品・サービスを提供し、どのようにして収益を得るのか、という事業の基本的な構造がさっぱりわからないものが多い。ニーズがあるか、市場性があるか、新規のアイディアがあるか、成長性があるかを判断する以前の問題である。
非営利の事業でも、提供する商品やサービスの費用は誰かが負担しなければならない。負担するのは必ずしも利用者でなくてもいいが、誰かが何かの理由で持続的に負担するという仕組みをつくらなければならない。
例えば、子育て中のママさんが交流したりアドバイスを受けたりできるサロンをつくる、というのはいいが、そのために発生する費用は誰がどのように負担するのか?それでサービスとその対価、という事業が描けるのか?
このようなことを一緒に作業したNPOの有給会計アドバイザー(定年退職した元企業の経理マン)と二人でぶつぶつ言いながら、50通の応募書類をとっかえひっかえ見てぐったり疲れてしまった。この社会起業の問題は記事をあらためてじっくり書きたいと思っている。
NPOも楽ではない、という一日である。
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登録日:2007年 09月 18日 23:03:18
炊き出し

前の記事のは中学生がならんで話を聞いている写真だが、こちらの写真は上野のホームレスがならんでキリスト教団体による炊き出し前の説教を聞いているところ。
300人ほどが静かに説教を聞き、終わると整然と並んで食料を受け取る。説教をしている女性は、なまりからおそらく韓国人の宣教ボランティアだろう。聞くほうもいやいやという感じではなく、説教の言葉はそれなりに心に届いているらしく、神妙に聞いている。
説教の最後は「信仰にも努力が必要です」という言葉で自立を呼びかけていたが、果たして信仰だけで自立できるかどうか。それに炊き出しも必要だとは思うし無責任な評論はできないが、見たところ仕事のない建設労働者が多そうなホームレスの人たちに、仕事を与えるビッグイシューのような工夫はもっとないものだろうか。
いずれにしろ、博物館、美術館が立ち並ぶ美しい公園と対照的なホームレスの姿は、都市政策の最重要課題を示しているようだ。
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登録日:2007年 09月 16日 00:41:44
キャリア教育に「自分探しの旅」はご法度
今日はこれから職業体験に行く144人の中学二年生に講話をした。筆者がなぜこのような話をしたかというと、ある県の「家庭で進めるキャリア教育~中学校生徒・保護者用」という資料を見たからである。そこにはこのような表現が踊っている。
「生きること、学ぶこと、働くことの大切さを学ぶのがキャリア教育です。自分探しの旅。「夢」や「生き方」「人生」「進路」について、ともに語り合いたい・・・・」
これは違うだろう、ということで次のような話をした。(少し長いが、パワーポイントのテキストより紹介する。)
テーマ:職業体験の前に考えて欲しいこと
1.人はなぜ働くのか?
「夢」「人生」「生き方」などいろいろ言われているが、本当は・・・・
「普通の生活」をするための費用を賄うため。
では、「普通の生活」をするためにはいくらかかるのだろうか?
その前に、「普通の生活」をするためには女子も働く必要がある。「専業主婦」は死語。
(普通の人の家計。父、母、小学生二人の四人家族、手取り月収35万円の家計支出モデルの紹介)
2.いくら稼げるのだろうか?
682という数字は何か?
この県の最低賃金(円/時給)
(任天堂のWIIを買うのに36時間半働かねばならない。)
1日約17時間×30日間働くと35万円
普通の生活をするためには、稼ぎが増えていかなければならない。
働きつづければ(修行を続ければ)、腕が上がって能率がよくなり、稼ぎが増える。でも・・・
この県の中卒の就職後3年の離職率は74.8%
3年でやめればまた682円からやり直し。
いくらからスタートするの?
中卒 約12万(最低賃金)
高卒 15.4万
大卒 19.6万
やめなければほとんどハンディはない。
中卒で「普通の生活」の事例
(学校の近くにある中華レストランのオーナーシェフの事例紹介。中卒で修行に入り、陳建民に師事。41歳で自分の店を持つ。今では市内に2店舗。中華一筋の人生)
3.職業とは何か?その本質は?
職業とは生計のために主にする仕事。
職業は、人を喜ばせ、楽しませ、人が求めること、人のためになることをすることで成り立つ。
自分が「好き」というだけでは職業にならない。
人を楽しませ、喜ばせればお金はあとからついてくる。だから職業になる。
趣味は自分のため。職業は人のため。
人に喜んでもらえたら、自分もうれしい。だからおもしろい。
(中学生が興味を持った職業について、趣味の考え方と職業の考え方の違いを紹介)
4.職業についてのもうひとつの視点=競争について
どれだけ上手に、たくさんの人を喜ばせたか、について競争がある。
たくさんの人を喜ばせた人にお金もたくさん=市場での価値。
「普通の生活」をするためでも、少しは競争しなければならない。
そのために、より人に喜ばれ楽しませるための努力、工夫が必要。
5.職業体験でつかんでほしいこと。質問して見よう。
1.誰を楽しませたり喜ばせたりしていますか?(お客は誰ですか?)
2.人を楽しませ、喜ばせるために、何をしていますか?どんな努力、工夫をしていますか?
3.誰と競争していますか?ライバルは誰ですか?どんな競争をしていますか?
4.体験先の人たちはどんなことの喜びを感じていますか?仕事をやっていて楽しいことは何ですか?
(途中略)
おわりに
「世界にひとつだけの花」は市場に持っていって売れる花と売れない花がある。
一人ひとり違いに人間として優劣はないが、市場での価値は平等ではないのが現実。
自分なりの個性、あるいは市場価値のある個性は長い時間かけてできる。中学生にまだ個性がないのは当たり前。(天才は別)
だから、まず「普通の生活」ができるようになることを目指す。個性はそのあと。
自分らしく生きるのは「普通の生活」ができるようになってから。まどわされずにがんばろう。
終わったあと先生からこんな感想があった。
「自分たちはつい建前で生徒たちの夢を目いっぱい膨らませるようなことを言っている。それと社会に出たときの現実とのギャップが挫折する子を産んでいるのかもしれない。もっと社会の厳しさを教えなければならないのだろうか」
私の答えは、
「そうですね。でもこれは別に厳しさではなく普通のことです。普通の事実を普通のこととして教えればいいのです」
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登録日:2007年 09月 12日 20:37:02
- プロフィール
- Ryuichi Himori
- (男)
- 団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教員に転職しました。その他行政経営フォーラム副代表、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事、県生涯学習審議会委員、県NPOパートナーシップ会議委員などを務めています。行政への企業経営手法の導入や、文化政策、地域政策、NPO論などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
(なお、mixiもやってます。)
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