2008年 05月 18日

開発援助について

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(この写真も国連ボランティア計画)

このブログを読んでいる筆者の友人から以下のような趣旨のメールをいただいた。

「ヨーロッパ的近代化が本当に人々を幸せにしたのか。
これだけ情報化がすすんだところで考えた方がいいんじゃないでしょうか。

アフリカの人はその村を出ないでも電気と水道、下水があれば、後は畑で採れる芋食べて、盲腸の手術ぐらいできる医療を受け入れて、人口があまり増えないような教育して、のんびり暮らしていける、そんなイメージの援助をしていけないものでしょうか」

ほとんどのNGOの人たちは同じようなことを考えているだろう。貨幣経済に過度に巻き込まれずに、自然と一体化した素朴な村の暮らしを送ることが、そこにいる人々にとって一番幸せなのだ、と。ところが問題が二つある。

ひとつは、友人のいう最低限のインフラを確保し、維持するだけでもその地域の人々にとっては多額の現金を必要とし、そのための現金収入を得る手段が必要だ、ということだ。そのためにはたとえば簡易舗装の道路を村まで伸ばし、雨でぬかるんでも町まで農産物を出荷できるようにする、というような投資がいる。

また、本日付の日経新聞によれば、携帯電話の普及(もちろん個人でなく共有)により、農産物や水産物をどこの市場や漁港に持っていけば高く売れるかが瞬時にわかるようになり、あこぎな仲買に買いたたかれることが減って所得が向上したという。これを「人々による価格の発見」というそうだ。

このようにある程度は貨幣経済の世界での成功を求めざるを得ない。

ふたつめはもっと厄介なことだが、先進国からきたNGOは現地の村の人々に幸せな暮らしを説得できない。それはまさに友人の言う情報化がすすんだことによる。彼らは私たちがどんな暮らしを送っているか(表面的には)知っている。「あんたがたは物質的に豊かな生活をしているのに、なんでおれたちは我慢しなければならないんだ?」という問いになかなか説得力を持って答えられない。

この問題は私たち先進国の人間が「三丁目の夕日」の生活に戻らない限り解決しないだろう。個人的にはそれも悪くないと思うのだが。

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登録日:2008年 05月 18日 23:18:31

亀のひなたぼっこ

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木曜から土曜にかけて東京ー浜松ー岡崎ー浜松ー大阪ー東京といそがしく動き回った中で、ぽっと空いた時間に大阪の四天王寺へ。

四天王寺の池でのんびりと日向ぼっこする亀につい見とれてしまった。

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登録日:2008年 05月 18日 11:44:21

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プロフィール
Ryuichi Himori
(男)
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団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教授に転職しました。肩書きは日本文化政策学会理事、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事、(社)指定管理者協会理事長などいろいろ。公共経営・行政経営(NPM)、文化政策、アートマネージメント、NPO論などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
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