2009年 02月 26日

改革たたきの錯誤

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世の中改革たたき花盛りである。

日本の本当の問題は、多くの日本人が感じている通り、改革のやりすぎではなく改革の不十分・不徹底だ。

このことは別の記事で論じるとして、今日いちゃもんをつけたいのは、改革に対峙するに日本の伝統なるものを持ち出す人たちに対してである。

いわく武士道、いわく日本の美意識。

そんなものはない。幻想だ。古き良き共同体はその時代の人々の生きる知恵にすぎない(しかも場合によっては五人組として連帯責任を強要されたものだ)。皆が新島襄の言う武士道の道徳を持っていたわけではないし、庶民に至るまで葉隠れを読んでいたわけではない。日本の美意識もおそらく身の処し方、出処進退の美学を言おうとしているのだと思うが、それはごく一部のエリートのものだ。階層を超えた、日本人に普遍的な道徳は(宗教以外に)なかった。人々が豊かになったこの時代、これから新たに作らねばならない話である。
やっと衣食足りてこれから礼節の時代だ。みんなでルールやマナーを作ってお互い守ろうよ。

さて、自分自身から沸き起こってきた規制、自律ではなく、何かの道徳や思想によって、観念によって人々を律し、自由を制限しようとするのは、それが武士道だろうと日本の美意識だろうと共産主義と同じである。

結局それは支配・被支配の関係になる。道徳を言い立てる人は、自分が被支配の側に回るとは思っていないのだろう。だから鼻もちならない。下世話な言いかたをすれば、何さまだと思っているのか、ということだ。

誠に残念ながら、人間にはそれほどの徳は備わっていない。だから「一人が万人のために、万人が一人のために」という共産主義は成り立たないし武士道を持ってこようが日本の美意識に訴えようがそれで社会を統御するためには強制・強要がいる。そして強制する側に正当性を得られる可能性はないだろう。

だから最悪だがそれ以外のものよりましな民主主義と市場社会でやるしかない。人々の利己的な欲望を前提として、それをどう利用しながら制御して社会を持続可能とするかを(その都度)制度として考えるしかないのだろう。欲張りすぎたら自分が損をする、という制度だ。改革が行き過ぎだ、改革が足りない、というのは、どっちかに傾いたら直し、直しすぎたら戻す、という復元力を制度に組み込むことに過ぎない。社会の運営は綱渡りである。

もちろん、社会のリーダーを自任する人たちがノブレスオブリージュ(高貴なるものの義務)を自覚するのは結構なことである。しかしそれはあまねく庶民に至るまで強要するものではない。(とはいえ、豊かな国に住む私たちには、貧しい国の人たちを何とかする義務があると考えた方がいいと思うが)。

日本の集合的無意識が安倍元総理の「美しい国」に乗らなかったのは極めて健全であると思われる。

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登録日:2009年 02月 26日 23:26:20

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Ryuichi Himori
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団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教授に転職しました。肩書きは日本文化政策学会理事、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事、(社)指定管理者協会理事長などいろいろ。公共経営・行政経営(NPM)、文化政策、アートマネージメント、NPO論などを研究しています。
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