憲法をめぐる本当の対立軸とは?

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国民投票法案が成立し、憲法改正をめぐる議論が現実味をおびつつある。

筆者はあえて、第9条を改正するかどうか、集団的自衛権を認めるかどうか、国際的な平和維持活動への軍事協力の是非などは本当の対立軸ではないと考える。

本当の対立軸は、「憲法とは何か」をめぐる対立である。

民主党は「『公権力の行使を制限するために主権者が定める根本規範』というのが、近代立憲主義における憲法の定義です。決して国家がその伝統をうたったり、国民に道徳や義務を課すための規範ではありません。」(憲法記念日にあたっての談話、2007年5月)と主張している。

一方自民党はこんな主張をしている。

「これまでは、ともすれば、憲法とは『国家権力を制限するために国民が突きつけた規範である』ということのみを強調する論調が目立っていたように思われるが、今後、憲法改正を進めるに当たっては、憲法とは、そのような権力規範にとどまるものではなく、『国民の利益ひいては国益を守り、増進させるために公私の役割分担を定め、国家と国民とが協力し合いながら共生社会をつくることを定めたルール』としての側面を持つものであることをアピールしていくことが重要である。さらに、このような憲法の法的な側面ばかりでなく、憲法という国の基本法が国民の行為規範として機能し、国民の精神(ものの考え方)に与える影響についても考慮に入れながら、議論を続けていく必要があると考える。」(憲法調査会憲法改正プロジェクトチーム「論点整理」平成16年6月)

このように、「憲法とは何か」については「公権力の行使を制限する規範」と、「国民の行為規範として国民の精神に影響」を与えるもの、とうい二つの考え方がある。

筆者の考えを一言で言えば、自民党は何をボケたことを言っているのか、ということだ。

憲法というものが、国家の名の下に行われる際限なき収奪から人民を守るためにできあがったのが、マグナ・カルタ(1215年)、権利の章典(1689年)以来連綿と続く歴史だ。人類が長い闘いの末に勝ち取った概念だ。断じて国民の行為規範ではなく、しいていえば国家の行為規範だ。

フリードリヒ・A・ハイエクの「隷従への道」(一谷藤一郎、一谷映里子訳、東京創元社)より引用する。

「自由国家が恣意的な政府下の国家と相違することを最も明白にするものは、自由国家においては、法の支配として知られている大原則が遵守されているということである。すべて専門的なことを度外視すれば、このことは政府のあらゆる行動が一定の、前もって知られている規則ー(略)ーによって、拘束されることを意味している。」

憲法をめぐる議論は、防衛問題などは現実的な国際情勢や国際的スキームの中で収斂するだろうが、この「憲法観」の問題は決定的な対立軸だ。ハイエクを引くまでもなく、ナショナリズムを強調する国家主義も、社会主義も、国家の名の下に個人の自由を制限し、特定の規範を押し付ける、ということでは「同じ穴の狢」だ。

グローバル化や市場原理主義への反感が、「狢」にエネルギーを供給する。しかし、私たちが今の生活を送っていられるのも、自由な市場で個人がその能力を発揮することができるからこそだ。規範の押し付けでは創造性を発揮するすべもない。そして危険なのは「狢」が大きな政府を志向することだ。大きな政府は、国民に規範を押し付けながら自らは腐敗する。しかも国民は政府依存症になる。ねじを逆回転させてはならない。

既存政党は「憲法観」をめぐって再編される必要がある。国民に本当の対立軸を明確にしてほしい。

カテゴリー[ 政治について ], コメント[6], トラックバック[0]
登録日:2007年 05月 18日 00:48:47

コメント

このところ憲法改定論議に漠然と感じていたことを、見事に筋道をたてて解説してくれました。まったくその通りだと思いました。ありがとう、桧森さん!

>既存政党は「憲法観」をめぐって再編される必要がある。国民に本当の対立軸を明確にしてほしい。

とは、私もまったく同意見ですが、今後50年100年を見据えて憲法論議をリードできる政党やリーダーがいるでしょうか。

それにしても、押し付けであれ敗戦国にこれだけの憲法を制定させた米国の懐の深さ、食うや食わずのドサクサ時代に米国に協力する形で憲法制定に尽力した日本の政治学者らは偉大だった。

私も逃げずに、ここは真剣に後の世代のための判断をしていきたい。

macchan @ 2007年 05月 19日 00:11:09

そもそも憲法と法律の違いを本当の意味でわかっている議員がどれだけいるのかと…。

この自民党の見解は笑いますね。たぶん、自由主義という言葉の意味を知らないのでしょう。

若造の私が言うのも失礼でしょうけど、尊敬できる政治家が現在いません。これは悲しい現実です。

handa @ 2007年 05月 19日 00:36:27

macchanさん
やはりアメリカはデモクラシーを育んできた伝統がありますからね。しかし日本も61年たっているわけですから、いまさら憲法とは何かについて的外れな考えがでてくるのも変な話です。

himori @ 2007年 05月 21日 21:19:29

handaさん
この自民党の見解で決定的におかしいのは「国家と国民とが協力し合いながら」というところです。国民が寄り集まって国家を創っているのだから、「国民同士が協力して」というならわかるけど、国家を国民と別のものと考えるのは致命的な間違いだと思います。これがいわゆる「国家主義」の発想です。

himori @ 2007年 05月 21日 21:26:30

「日本国憲法とは何か」、この問いに真摯に向き合ったのが米軍占領下の沖縄県民ではなかったか。
1972年5月15日の沖縄タイムズ紙は全紙面を割いて日本国憲法全文を
掲載した。当時の沖縄では、日本復帰により外国の軍隊の支配下から解放され、平和憲法のもと日本国民としてのさまざまな権利を享受できる期待感があった。あれから35年、昨今の教育基本法の改正、国民投票法の成立や辺野古への自衛隊調査艇派遣という経緯からは、国家が全面にしゃしゃり出て国民の教育権・人権・環境権などをいともたやすく脅かす事態がみてとれる。成熟した市民国家には条文化された憲法は必要ないという考えもある(イギリスなど)。国民が選んだ議員がしっかりした政治を遂行することがより重要ということらしい。国民が頼みもしない憲法改正をなぜ選挙の争点にするのか、理解に苦しむ。1947年、憲法と同じ年に生まれた私の率直な感想である。

 それにしても、ジュゴンに新たな引っ越し先はないはず…。

なび @ 2007年 05月 23日 22:56:08

なびさんの言うとおりですね。先日ジュゴンと海亀が遊んでいる映像をテレビで見ましたが、もうあのような光景は見られなくなってしまうのでしょうか。国防とジュゴンとどっちが大切か、ということかもしれませんが、ジュゴンが遊ぶ平和な海を守れないのでは本末転倒というものでしょう。
誰も頼んでいない憲法改正については、また本文で書きたいと思っています。

himori @ 2007年 05月 24日 22:29:23

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Ryuichi Himori
(男)
ryuichi.himori@gmail.com
団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教授に転職しました。肩書きは日本文化政策学会理事、行政経営フォーラム副代表、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事などいろいろ。行政経営(NPM)、文化政策、アートマネージメント、NPO論、都市政策などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
(なお、mixiもやってます。)
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