ハコモノ行政における建築家の罪

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19世紀ドイツの新古典主義建築家、カール・フリードリヒ・シンケルは、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世の求めに応じて、ベルリンに今なお残る名建築、シャウスピールハウス(現コンツェルトハウス・ベルリン)を設計した。

発注者であるプロイセン国王は当時の絶対君主なので、シンケルは国王の支持のもとに思う存分腕をふるうことができた。国王さえ満足させればよかったのである。また国王の注文には国威を発揚し、国王の権威を高めることが含まれていた。シンケルは見事に期待に応えた。

ふりかえって現代の日本では、建築の発注者である自治体の首長は、直接選挙で選ばれ、大統領的権限を持つとはいえ、絶対君主ではない。それにもかかわらず、首長が恣意的に自らの趣味を発揮することにより、建築コストもメンテナンスコストも高く、機能性の劣る公共建築が数多く造られてた。その多くがいわゆる「アトリエ系」といわれる建築家によって設計されてきた。名誉欲があり、自分のモニュメントを残したい首長が、「芸術家」としての「アトリエ系」建築家に取り込まれる形で、このような建物が設計されてきたのだ。ただでさえ無駄なハコモノに、無駄なデザインが施されていた、ということだ。

しかし建築家は時代が変わったことを知るべきである。何が変わったかについては、2点ある。

第一点目は、建築家はもはや公共建築の機能についての全能な専門家ではない、ということである。

今、小田原市では、仮称城下町ホールの建設をめぐって市民の反対運動が起きている。この反対運動は、建設に対する反対運動ではなく、設計案に対する反対運動だ。設計者は「アトリエ系」建築家の代表格である山本理顕氏だ。

筆者は今まで、数多くの公共ホールでコンサートや音楽イベントを企画し実施してきた経験から、公共ホールを設計した建築家の勘違いを指摘してきた。例えば磯崎新氏が設計した静岡グランシップ大ホールの設計上の欠陥などである。その原因は建築家の実演芸術の現場に対する無理解(しったかぶり)から生じている。

この観点から仮称城下町ホールの設計を見ると、「アトリエ系」建築家の手法の欠点が見えてくる。それは端的に言えば、コンセプトへの理解が浅い、ということだ。言葉を真に受けてしまう、とでも言えばいいのか、言葉に酔ってしまうと言ったらいいのか。その割りに本当の機能に対しては無知なのだ。

例えば、城下町ホールは市民が集い交流する広場だということが言われている。それはどのようにして実現できるかといえば、ホールで行われるコンサートや演劇、イベントなどのソフトで、そのような交流を生み出すものを企画する必要があるということだろう。しかるに山本理顕氏はこの言葉を短絡的に解釈し、ホール内を広場にして外から直接パレードなどが入っていけるような設計を考えている。そんな機構を利用する演目などほとんどないだろう。

グランシップ大ホールにもそのような仕掛けがあるが、使われたのはオープン以来1~2度に過ぎない。ホールのコンセプトが広場だから物理的に広場を作ってしまう、という驚くべき単純な発想だ。その結果ホール本来の機能が損なわれ、市民が集い交流する「広場」としての役割が低下してしまう。しかも余分なコストがかかる。

小田原の反対運動は、デザインによる機能低下を懸念するアマチュアの実演団体や音楽、演劇などの専門家から起こっている。

アトリエ系建築家特有の、饒舌かつ難解な言葉遊びとそれを単純に設計に反映させる手法は、社会が成熟し、人々が公共建築に求める機能がはっきりしていて、しかもコストパフォーマンスにシビアになっている時代には通用しない。市民も、実演家などの専門家も、建築とその機能に対して建築家よりも専門的な観点からシビアな目を向けている。これは建築家が唯一の専門家と目された時代が終わったということだ。

二点目に建築家が理解しなければならない時代の変化は、地方自治における本来のガバナンスが回復し、市民が主役になりつつあることである。

今まで建築家は、首長が単に市民から執行を付託されているだけの存在に過ぎないことを理解せず、あたかも絶対君主であるかのようにみなしてきた。しかし今や市民の意向を無視することはできないのだ。

山本理顕氏は群馬県邑楽町で訴訟を起こしている。新庁舎の設計コンペに勝って実施設計まで完了したのに、町長が選挙で交代したら山本氏の設計を採用せず、もう一度選考をしなおしてまったく別の設計案を採用したからだ。

法律上の問題や、山本氏への町の対応の適否はともかく、新町長は、「ぜいたくな庁舎はいらない」、「造るなら庁舎建設基金の予算内で建てられるよう努力する」という公約を掲げて当選している。これは山本氏の設計案が市民の支持を得られなかったことを意味している。山本氏の設計案では本体工事は37億円、新たな設計で町が目指しているのは26億円以内で建てることである。(ちなみに既に支払われた山本氏の設計料は1億1300万円、新たな設計案に当選した事務所の設計料は4000万円である)。

建築家はこう反論するかもしれない。「市民の理解を得られることがもっとも大切なのはわかっているので、市民ワークショップを何回もやったり、市民の委員会と一緒に考えてきたのだ」と。それは市民の意向を理解していることにならない。

市民の関心事は、国の借金であり自治体の財政悪化だ。ハコモノはできるだけ造らない、造るのであれば最小の費用で最大の効果を発揮してほしい、というのが現在公共建築を設計する建築家に突きつけられている市民の意向だ。山本氏の設計案はいずれも(邑楽町も小田原も)この意向に沿っているとは言い難い。邑楽町の新設計案は山本氏の設計案から見れば何の新鮮味もなく、「作品」として見れば比較にならない。しかし10億安いのだから多くの町民はそれで良しとしているのだ。

ガバナンスが変化し、建築家は市民の意向を無視することはできなくなった。そしてその意向とは、機能性にすぐれたものを、いかに安くつくり、メンテナンスコストも下がる設計ができるかだ。絶対君主ではないのだから、権威や象徴性はいらない。ましてや、公共建築は建築家の「作品」(建ってしまえば)という時代ではなくなったのだ。
・・・・・・・・・・・

バブル崩壊以降の建築コンペでは、あまり形やデザインを主張すると落とされるので、市民との対話やメンテナンスコストなどを前面に出すプレゼが多いらしい。とりあえずそれで通ったら勝手にやろう、ということのようだ。その手が通用しなくなっているのが時代の変化ということなのだが。

カテゴリー[ 文化ホールについて ], コメント[6], トラックバック[0]
登録日:2007年 06月 25日 00:50:23

コメント

カール・フリードリヒ・シンケルの「シャウスピールハウス」(現コンツェルトハウス・ベルリン)の話題と、日本のいわゆるハコモノを対比されたところが興味深かったです。日本においても、そこまでハコモノが立派であれば、地域に集客が可能であるので、是非はともかく価値はあると思います。もちろん、そこまでのものでなければ、反対ですが…。
市民のガバナンスという観点で、もうひとつ重要なのは、問題のある首長であったとしても、市民が選んでいることです。これをどのように考えるかが政治学的な大きなテーマのような気がします。

yoshi @ 2007年 06月 26日 12:02:54

yoshiさんの鋭いご指摘の通り、プロイセン国王は世襲(ついでに神聖ローマ皇帝は選挙)だが、市長は選挙で選ばれています。いったい市民は市長にどこまで付託しているのかは政治学的な大きなテーマですね。
それから、プロイセン国王や鉄鋼王カーネギーがいない現代では、アラブ諸国以外では芸術的価値があるハコモノはほとんどできないかもしれません。ビルバオのような例外はありますが。(どちらがいいかと言われれば、アラブよりうるさい市民がいる日本の方がいいかも・・)

himori @ 2007年 06月 26日 13:38:41

初めて書かせていただきます。小田原の住民です。

あまりに的確な指摘に、驚きました。
特に、山本理顕氏が理解が浅く、言葉を真に受けるというか、言葉に酔ってしまった。
と言う見方は、どうもスッキリしなかった気持ちが明確に成りました。
6回の住民への説明会が最近ありましたが、
山本氏が何故、奇抜な設計を小田原行ったかについて、
質問は何度かでていましたが。結局、説明がありませんでした。

頼まれた考えを生かして設計し、それが選ばれたのであって、今更文句を言われても、と憤慨していました。

笹鶏 @ 2007年 06月 29日 05:29:31

笹鶏さん

コンセプトを表す言葉をそのまま建築に置き換えようとしているところに、無理があると思います。多くの建築家に共通する欠点です。コンセプトは一度その建築で行われる行為「事」に置き換わり、さらにそれを実現するための機能が考えられ、その上でようやくその機能を支える建築が考えられるはずです。

それを飛ばしていきなり、というのは、おそらく建築家に自分が実現したい「形」が先にあるからだと思います。あとの理屈はそれを通すための方便だ、というのが本音ではないでしょうか。

その証拠に、山本理顕さんは最近は「湾曲した壁面」がマイブーム?のようで同じアイディアを住宅に使っています。

himori @ 2007年 06月 29日 16:43:08

静岡空港はどうなんですか? 県民の合意があったのですか?

なび @ 2007年 07月 02日 21:31:46

なびさん
静岡空港については、このブログの2月22日に「知事のモラルハザード」というタイトルの記事を書いていますのでご覧ください。いずれにしろ、ほとんど支持はないと思いますが。

himori @ 2007年 07月 03日 00:37:38

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プロフィール
Ryuichi Himori
(男)
ryuichi.himori@gmail.com
団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教授に転職しました。肩書きは日本文化政策学会理事、行政経営フォーラム副代表、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事などいろいろ。行政経営(NPM)、文化政策、アートマネージメント、NPO論、都市政策などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
(なお、mixiもやってます。)
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