ホールを設計する建築家にお願いしたいこと

磯崎新氏設計のグランシップ大ホールのステージ上には写真のように「コーン」と呼ばれる巨大なものが覆いかぶさっている。上下にわかれたコーンのうち、下側はモーターで動き、角度を変えられるようになっている。上に跳ね上がった状態にもできるし、写真のように下に垂れ下がった状態にもできる。磯崎氏のアイディアに基づいて三菱重工が造った巨大な可動装置である。
この装置は音響反射板ではない。むしろパンチングメタルで表面を覆われて吸音効果がある。筆者はこの「コーン」の用途を磯崎氏の事務所の所員に訊ねた。その答えは「演出のためのものです。「コーン」にさまざまに照明をあてて、効果を演出することができます。」
この答えを聞いて筆者はキレたのである。
「コーン」に照明を当てて演出効果を出すのが良い出し物もあれば、それを必要としない出し物もある。必要としない出し物でも、白い巨大な「コーン」は存在感を示す。場内を暗転しても白い姿が浮かび上がる。そのようなときは邪魔者以外の何者でもない。
実演芸術では、毎回それにふさわしい舞台美術を考える。何もないステージの上に、その都度「異空間」を作り出し、観客を夢の世界に誘い、実演の世界に取り込むのだ。それなのに、どんな場合でも「コーン」が存在を主張したらぶち壊しだ。所員は「だからどんな演目でも「コーン」を効果的に使えばいいじゃないですか」と言う。実演芸術をなめているとしか思えない。いかに他とは違うものを創るか努力しているのに、舞台装置がホールに備え付けで毎回同じというのはありえないではないか。
建築家は自分も芸術家だと思っているので、実演芸術が好きだ。だからホールの設計で何とか関与しようとする。しかし実演芸術にとって良いホールのデザインとは、デザインの存在を消すデザインである。シンプルで何もない空間に、実演芸術家は自分の世界を作り上げる。だからどうかそれを邪魔せず、何もないシンプルな空間を用意してほしいのだ。
ホールが暗転したら完全に建築の存在感は消えてほしい。たとえ客電が点いても、建築の存在感は最小限にして、観客の想像力や余韻を邪魔しないでほしい。だからとんがったデザインは必要ない。シンプルで、バランスがとれていればよい。それが多くの実演芸術家の考えている演じやすいホールだ。実演家は建築からインスピレーションを与えられるだろう、という建築家がもしいれば、それは傲慢だ。
小田原市の仮称城下町ホールの山本理顕氏の設計は、湾曲の壁面をはじめとしてホールの内部で建築が存在を主張しすぎている。実演家にとってはとてもやりにくいホールになるだろう。
前々回の記事に書いた19世紀ドイツの偉大な建築家、シンケルはそこのところをよくわかっていた。彼は建築家であるとともに優れた舞台美術家であり、オペラなどで数々の優れた舞台美術を残した。恒久的な建築と、一期一会で消えていく舞台美術の違いがはっきりわかっている、真の芸術家だったと言えるだろう。
現代日本の建築家も、その違いをわかってほしいと切に願うのである。
カテゴリー[ 文化ホールについて ], コメント[8], トラックバック[0]
登録日:2007年 06月 29日 20:58:57
コメント
磯崎氏の建築はヤッパリ、嫌いな私です。建築家は設計した建物を作品と呼びますが、アーティストたちが創作した作品とは違うと思います。某美術館は建物に著作権がかかっていて、学芸員だった友は非常に嘆いていました。オーナーが建築家に理解があったかも知れませが。公共ホールと同様美術館建築にも共通する困った事があります。ただ建築家の作った建物もそこで行きかった人々、時間の積み重ねが建物独特の味を出し、後の人々や芸術家にインスピレーションを与える建物になる事があります。それで良い建物だなと周囲は価値を認めます。建築家イコールアーティストではないと市民も認識しなければいけませんね。
あここ @ 2007年 06月 30日 23:30:01
私は、建築のことはよくわかりません。ただ、全般的にいえることは、建築だけでなく、ほかの分野も、基礎的素養というか、いわゆる「教養」がないという感じがします。それゆえ、桧森さんのご指摘にあるようなバランス感覚のなさにつながっているのではないでしょうか?
最近の学生もそうですが、幅広い知識が欠落しているように思えることが多くあります。これは、学力と関係はあまりないかもしれません。まして、建築家になっていらっしゃる方々は専門家ではありますが、みなさん、古今東西の文化(建築は除いて)に精通しているとは思えません。だいたい、日本文化・歴史とはなにかということすら、「芸術家」でもご存じない方もときにはいらっしゃいます。こればっかりは、家庭の環境とか、品の問題に関係しているような気がします。「家庭の品格」が今後、ますます問われる時代になるでしょう。文化や歴史観を教育に求める情けない親が多すぎです(現場の実感)。子供を嘆く前に、自分が教養を身につけてほしいと思うのは、私ぐらいでしょうか…。その意味でも、建築だけでない感性は「品」だと感じる私です。
言いたいことを述べまして、失礼しました。
yoshi @ 2007年 07月 01日 15:07:53
一瞬、両国の国技館がリニューアルしたのかとおもいました。格闘技には向いていそう…。建築家より大工の設計した家のほうが、住みやすいとは昔から云われてはいますが、今は大工さんも匠の技がふるえないようです。皇居のそばに深紅のビルを建てたイタリアの建築家の例もあります。教会のそばにマツモトキヨシのビルが建つような感じなんでしょうか? 箱物行政って、まだやってるんですね……。
なび @ 2007年 07月 01日 20:05:15
あここさん
建築というものは産み落とされてから長い年月をかけて育っていくものだと思います。それなのに、現代日本の建築は、生み出されたときが一番美しくて、時間がたつにつれて劣化し、醜くなっていく。
建築家は、風雪に耐え、ひとの手垢がついて味が出てくる、とは思わないようです。どこかおかしいと思います。
himori @ 2007年 07月 03日 00:22:18
yoshiさん
数々のコンペで名を馳せた世界的に有名な先生方に、皆さん、教養が足りないんじゃないの、とは一度言ってみたいものです。しかし事実はおっしゃるとおりだと思います。何かそれによるコンプレックスの裏返しではないか、という気がするのは穿ちすぎかもしれませんが・・・
himori @ 2007年 07月 03日 00:27:03
なびさん
山本理顕氏の計画では、プロレスの興行も使用目的にあげられています。決して財政が豊かでもない市で、1年に何回も使わないプロレスのために、余分な機能が付加されてお金がかさむ、というのはどうかと思いますが。ここは最後のハコモノ行政、という感じがします。
himori @ 2007年 07月 03日 00:32:46
偶然このページに立ち寄ってしまったの者です。まず、美しいホールの写真に関心。どこにあるのかな、これ?
世界のどこの名ホールもそれぞれ独特のそこでなければない「場」があるわけで、名舞台、名演奏というのはそういう特殊な場所で出会うものです。
名舞台、名演奏、名展覧会に出会うという事は、観客にとってはテレビでそれを見るという事と違って、それをその場に見に行くということからしてもう始まっているのです。
ホールを作るのであれば、テレビのスタジオの様なニュートラルな場が作られるのはあまりに残念なことであり、私は独特な場には賛成です。特殊な場に負けてしまう種類のスペックタックルは、その場所でやるべきでないというだけの話だと思います。
箱もの行政には私も反対ですが、そこの住民が誇りに思う事のできる公共建築は、地域に誇れる美しい自然があった方が良いというのと同じで、美しい建築物は無いよりあった方が絶対に良いと思います。時間がたつにつれて劣化し、醜くなっていく建築は、日本だけに限った事ではありません。その場をうまく生かされない行政の責任が大きいです。美しい建築物というのは、その入れ物だけで存在するのではなく、それを使うものによって美しくもなり、醜くもなり、世界に誇れる名所にもなるものだと思います。
ぴあ @ 2008年 06月 15日 20:29:05
ぴあさん、お立ちよりいただきましてありがとうございます。この写真は静岡市にあるコンベンションアーツセンター“グランシップ”です。写真は大ホール“海”で60mの吹き抜けが圧巻です。県の施設です。同じ建物内に昨年まで鈴木忠志さんが芸術監督をやっていたSPACがあります。
私もぴあさんのおっしゃるような住民が誇れるような美しい建築物には賛成です。また、独特な場、というのもわかります。観客を非日常に誘い、演目への期待感を抱かせるホール空間というのは確かにあると思います。
しかし一度客電が落ち、パフォーマンスが始まったら、その空間は照明と音響と舞台美術が演者と一体になって創り出すものであり、建築が介在する余地はありません。建築は裏方に回り、演者や制作者が最大限の効果を発揮できるように機能に徹すべきなのです。
その意味で「特殊な場に負けてしまう種類のスペクタックルは、その場所でやるべきではないというだけの話だと思います」というのはあえて間違いだと申しあげましょう。
私は今は離れていますが、このホールで何回もコンサートやイベントを企画し、実施してきました。オープン時からの思いいれがあってあれこれ工夫する私のようなのがいないと大変です(今もホールにちゃんといますが)。このホールはやりやすいから自分からぜひやってみたい、というプロはほとんどいないのですから。
himori @ 2008年 06月 16日 01:18:32
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- 団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教授に転職しました。肩書きは日本文化政策学会理事、行政経営フォーラム副代表、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事などいろいろ。行政経営(NPM)、文化政策、アートマネージメント、NPO論、都市政策などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
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