50年前、我が家にテレビがやってきた

画像

今から50年前、昭和32年(1957年)の秋、我が家にテレビがやってきた。筆者が小学校2年生の時である。

そのころ夢中になって見た番組を思い出してみると、
ジェスチャー、私の秘密、チロリン村とくるみの木、お笑い三人組、日真名氏飛び出す、ダイヤル110番、私だけが知っている・・・

そしてなんと言ってもアメリカがもっとも輝いていた時代のテレビドラマ。
ハイウェイパトロール、アイラブルーシー、名犬リンチンチン、名犬ラッシー・・・
「弾よりも早く、力は機関車よりも強く、高いビルディングもひとっ飛び」「空を見ろ!鳥だ!ジェット機だ(最初は確か飛行機と言っていたような・・)!あ!スーパーマン」

西日が差し込むお茶の間で、祖母、母、妹に犬がそろって練炭の掘りごたつに入ってみかんを食べながら、小さな白黒の画面で栃錦若乃花戦を見る。今でも鮮明に思い出すシーンである。

それから50年、我が家に新しいテレビがやってきた。HDDレコーダー内蔵の32インチ液晶ハイビジョンテレビ(東芝REGZA)である。

最新の技術による鮮明な大画面には驚くが、50年前の、あのぬくもりのある空間が甦るわけではないのはいたしかたない。

カテゴリー[ 団塊世代 ], コメント[6], トラックバック[0]
登録日:2007年 11月 01日 12:58:40

コメント

チャンネル権は10才年長の兄にあり、子供番組の記憶は全くなし。原子力潜水艦シービー号、逃亡者、コンバット、ラットパトロール、バークにおまかせ、セイント、ハワイアンアイ、ルート66、宇宙家族ロビンソン、タイムトンネル、奥様は魔女、インベーダー、ヒッチコック劇場、

BDPマスター @ 2007年 11月 01日 15:55:22

BDPマスターさん
チャンネル権?ひょっこりひょうたん島は見てたでしょう?あとは同じ番組を楽しんでいた、ということです。
私が書いたのは50年代後半の番組、BDPマスターさんが書いたのは60年代中ごろの番組。その間、BDPマスターさんが生まれたころに一世を風靡したのが「パパはなんでも知っている」と「うちのママは世界一」です。この二つの番組と「三菱ダイヤモンドアワー」(ディズニーとプロレスの一週交代)がよくもわるくも今の日本社会の原点だと思います。

初期のシービュー号はドラマの最高傑作のひとつだと思いますが、アメリカのSF作家の名手、シオドア・スタージョンによるノベライズも傑作でした。原子力潜水艦と言えば、ネビル・シュートのSF小説を映画化した「渚にて」(グレゴリー・ペック主演)も史上に残る作品ですね。

アメリカの番組ばかり上がってますが、60年代中ごろから後半にはイギリスの番組も放映されており、中でも、エスピオネージとプリズナーナンバー6はいかにもイギリスらしいひねった味で傑作といっていいでしょう。

この手の話をはじめるとお互いきりがありません。

himori @ 2007年 11月 04日 01:22:06

「おだいさま=浜松弁でお金持ち」の桧森家とちがってわが家はサラリーマンの社宅住まいでしたが、1年遅れの昭和33年にテレビがやってきました。多分給料半年分くらいしたと思いますが、親父無理したなあと漠然と感じてました。観音開きの扉があって鍵がかかる、近所のおだいさまの家のテレビが6チャンネルだったのに、わが家の新型テレビは11チャンネルまであったのを覚えていますよ。番組はNHKと日本テレビしかまだ無かったと思いますがーーそれにしても、桧森さんものすごく当時の番組名を覚えてますね。読んで、なるほどなるほどと次々に思い出しました。当時はテレビの部屋で食事も宿題もやり、多分夜布団敷いて寝てもいたかもしれない。なにしろ部屋数が少ないから、家族は皆そこに集ってぬくぬくと話をしながらいつも一緒にいたのを思い出します。桧森さん、思い出のきっかけを作ってくれてありがとうね!!

Macchan @ 2007年 11月 06日 10:02:03

うちも普通のサラリーマンでおだいさまではありませんが、この年に海外勤務から帰ってきたのでお金がたまっていたのだと思います。macchanさんはどちらですか。東京では既に東京放送(TBS)もありました。いずれにしてもテレビが団欒の中心でしたよね。

himori @ 2007年 11月 07日 23:20:20

はい、私の思い違いでした。昭和33年は親父の社宅の都合で、代々木西原から赤坂表町に引っ越してきたのでした。そういえばTBSのテレビ塔が、既に一ッ木通りの突き当たりの今の局の所に建っていました。当時は狭い範囲にNHK、NTV、TBSと3本もテレビ塔があったんですね。それからすぐですね、東京タワーが完成したのは。桧森さん、またまた思い出させてくれてありがとうね!

Macchan @ 2007年 11月 15日 18:06:14

昭和30年代には、Macchan家と桧森家は東京山の手サラリーマン家庭ということで極めてよく似たライフスタイルだったと思いますよ。全国的に見れば少数派ですが。

himori @ 2007年 11月 19日 18:15:57

コメントを追加

Trackback

この記事に対するトラックバックURL:

カレンダー
< 2007年 11月 >




1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
プロフィール
Ryuichi Himori
(男)
ryuichi.himori@gmail.com
団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教授に転職しました。肩書きは日本文化政策学会理事、行政経営フォーラム副代表、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事などいろいろ。行政経営(NPM)、文化政策、アートマネージメント、NPO論、都市政策などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
(なお、mixiもやってます。)
最近のコメント
[08/16] 世界企業の本社ビル② nebu
[08/13] 合掌 himori
[08/13] 先生は夏休み何やってるの? himori
[08/10] 合掌 わたすげ
[08/08] 先生は夏休み何やってるの? BDPマスター
[08/05] 何のための税金か? メープル
[07/28] 昼酒最高! himori
[07/28] 昼酒最高! BDPマスター
[07/22] 地産地消 himori
[07/20] 地産地消 Macchan
最近のトラックバック
お気に入りリンク
検索