思い出のサンフランシスコ

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パリ出張の話を書いていてやはり同じころのサンフランシスコ出張を思い出した。

トニー・ベネットが歌う「思い出のサンフランシスコ」を頭に浮かべながらお読みいただきたい。

当時の常務と部長に筆者がかばん持ちでお供をしてサンフランシスコに行ったときのこと。普段は工場の管理をしているこの部長さんも、このときが初めての海外だった。

さて、夕食の時間になり、常務が「桧森君、日本人には和食中華でなければイタ飯がいい。どこかおいしいイタ飯屋を探しなさい」というので、港の方にあるそこそこのイタリアンレストラン(ウェイターが全員男性、というランク)を予約した。

行ってみると時間がちょうど夕暮れ、海を見ながらなかなかいい雰囲気。それぞれ注文し(この通訳がまた一苦労)、まずスープが運ばれてきた。そこで筆者は信じられない光景を見てしまった。向かいに座った部長が、スープ皿を両手で持ち上げてズズズ・・とスープを皿から直接啜っているのである。カップではない。平たいスープ皿だ。

この部長とはそれから1週間二人だけで東海岸を回らなければならなかったので、この先どうなることかと頭がくらくらしてしまった。

さて、何とか食事が終わってホテルに帰ってくると、常務が「ちょっと」と呼ぶ。「はい何でしょう」「あの部長はまじめ一方の堅物でおよそ遊びというものを知らん。君がちょっとポルノショップへでも連れてってやってくれ」

はあ?こっちだってまじめ一方なのでそんなところは知らないのだが、常務の命令とあればしかたがない。確かホテルの近くにあったとめぼしをつけておいた店へ、部長を誘って連れて行った。

店に入ると、ポルノ雑誌などを売っている店の奥に個室ビデオ鑑賞コーナーがある。では、とそれぞれブースに別れて入ったが、操作がよくわからない。いろいろやってみたがちっとも映らないので、特に見たいわけでもなし、そのままブースを出て店の中をうろうろしながら部長が出てくるのを待った。それがなかなか出てこないのである。

いいかげん痺れを切らしていると、ようやく現われた。「よくわからなくて見れませんでしたが、部長はどうでしたか?」と聞くと、「桧森君、それはカウンターでお金を専用のコインに替えて、それを入れて見るんだよ」とのお答え。

一言も英語がわからないのに、なんでそんなことだけわかるの?
そんな部長の積極性で東海岸の出張も無事済んだことは言うまでもない。

今から26年前のサンフランシスコでの思い出である。

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登録日:2008年 01月 29日 23:18:46

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Ryuichi Himori
(男)
ryuichi.himori@gmail.com
団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教授に転職しました。肩書きは日本文化政策学会理事、行政経営フォーラム副代表、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事などいろいろ。行政経営(NPM)、文化政策、アートマネージメント、NPO論、都市政策などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
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