カテゴリー [戦争と平和]
改心は本物か?
【12月11日 AFP】フランスを訪問中のリビアの最高指導者ムアマル・カダフィ(Moamer Kadhafi)大佐とニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)仏大統領は10日午後、仏-リビア間のおよそ10の売買契約を締結した。
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(c)AFP
1969年、リビアでクーデターが発生し、カダフィ“大佐”が実権を握った。
独特の直接民主主義と反アメリカの姿勢、石油の国有化などの社会主義的政策は、「緑の革命」と呼ばれ先進国の若者の心を捉えた。
(1963年、筆者はイギリスの私立学校の寄宿舎にいて、当時のリビア国連大使の息子兄弟と同室だった。革命勃発時、王家に連なる彼らがはたして生き延びることができたか心配したものだ。)
その後もカダフィは反米の姿勢を変えず、多くのテロを仕掛けた。業を煮やしたアメリカは、1986年に空軍機でカダフィ殺害を狙ってトリポリ空港を爆撃した。
その後、ソ連の崩壊、湾岸戦争に恐怖を覚えたのか、寄る年波に勝てなかったのか、カダフィが“改心”して核開発を放棄しIAEAの査察を受け入れ、テロ犯人を引き渡し、テロ支援国家の指定を解除されたのは皆さんご存知の通りだ。
見方によっては、アメリカ帝国主義すなわちグローバリズムに対する抵抗の砦がまたひとつ陥落したわけだが、この記事にあるようにラファールなんか売ってしまってほんとうに大丈夫なのだろうか。
この戦闘機は、かつてのイラクや現在のイランが持っている戦闘機とは比較にならない高性能機で、これがあるとアメリカ軍もおいそれとは爆撃などできなくなる。よっぽど“改心”が本物だということなのだろう。
改心しても正式国名は大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーア国、国家元首の正式の称号は“ムアンマル・アル・カダフィ9月革命指導者閣下”、石油埋蔵量世界第9位。筆者には興味の尽きない国である。
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登録日:2007年 12月 12日 00:17:47
瀬島龍三氏の死とシベリアの闇

瀬島龍三氏が亡くなった。
1911年に生まれた氏は、帝国陸軍のエリートとして大本営参謀、関東軍参謀を歴任し、終戦時には関東軍を代表してソ連軍との停戦交渉にあたり、11年にわたってシベリアに抑留された。帰国後1958年に伊藤忠商事に入社して見る見る頭角を表し、副社長、会長を務めた。1981年から土光臨調の委員になり、国鉄、電電公社の民営化など行革に力を振るった。
気骨のある戦略家という評価の一方で、終戦時にソ連軍との交渉の際賠償のため日本兵を労働力として提供する密約を交わしたのではないか、といううわさがあった。
瀬島氏のことを考えると、筆者の父のことを書かないわけにはいかない。
1916年生まれの筆者の父は、東大を卒業後旧横浜正金銀行に入社したが、ほどなく応召され、終戦時は陸軍主計大尉として朝鮮北部にいてソ連軍の捕虜となった。シベリアに連れて行かれ、酷寒の中で過酷な労働を強いられた。多くの日本兵捕虜が斃れる中、奇跡的に生き延びて1948年に帰国した。
父はシベリア時代のことについて語ることはほとんどなかった。しかし一度だけ、当時の話しを聞いたことがある。
父は当時のインテリの常として、マルクスの著作を読んでいたらしい。もしかしたらマルクス主義にインテリらしいシンパシーを抱いていたのかもしれない。
シベリアの捕虜生活では、ソ連軍は捕虜のうち労働者、農民出身の兵卒の中から人民委員を選んだ。目的は捕虜の相互監視と、いずれ日本に帰したときに共産主義を広めることだったらしい。この人民委員たちはソ連軍におもねっていいところを見せるために、折に触れて「反動将校糾弾」と称して旧将校をつるし上げた。父も何回も糾弾の矢面にたった。マルクスを知っている父が、マルクスのマの字も知らない労働者農民出身の兵士から集会に引っ張り出され、反動分子だとののしられるのも皮肉な話だった。
帰国が決まり、シベリア鉄道でナホトカまで護送される間に、人民委員たちの糾弾はさらにエスカレートした。ソ連軍にいいところを見せ、自分たちだけでも帰国を確実なものにしたい、食料も多めに支給されたい、という思惑からだったのだろう。港で、まさに帰還船に乗り込む直前にも皆の前で糾弾された父は、取り残されることも覚悟したという。
しかし幸いにも父は船に乗り舞鶴の港にたどり着くことができた。
「その後、帰国した人民委員たちはどうなったの?共産主義の活動家になったの?」と質問した筆者に対して父は「そんなものになるものか。みんな田舎に帰って百姓に戻ったら、手のひらを返したように共産主義のきの字も言わなくなった」とはき捨てるように言った。
父はどんなに誘われても、決して戦友会やシベリア抑留者の会に行くことはなかった。
さて、そんな父からシベリアに関係の深い瀬島龍三氏の評価を詳しく聞いた記憶はない。しかし何かの拍子に「あのインチキ野郎」と漏らしたことはいまでも鮮明に耳に残っている。
そんな父も亡くなって今年で10年になる。
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登録日:2007年 09月 05日 23:29:18
理想主義の凋落と北朝鮮の核実験
(わかりにくいので改稿しました。単なる感想文です。)
以前にも書いたように、団塊の世代である筆者は学生時代ベ平連のデモに参加していたが、共産主義には懐疑的だった。
一人が万人のために、万人が一人のために、というのは人間が欲望より理性が勝る生き物でなければ成り立たない究極の理想主義だ。だから戦前から多くのインテリの若者をひきつけた。
しかし、人間はそんなに理性的な生き物だろうか?自己の利益の最大化を図るのが人間ではないだろうか?
思ったとおり、また心の隅には残念な気持ちもあるが、理想主義は凋落した。そのなれの果てが北朝鮮の核実験だ。
凋落の軌跡を簡単にたどってみよう。
1.もともとの共産主義
「万国の労働者よ団結せよ」というのが本当に成り立つなら、これはこれでロマンがあった。労働者が国境を越えて団結するためには、先進国の労働者は身を削って発展途上国の労働者を支援しなければならない。共産主義はお互いに我慢して相手を助ける気持ちがなければ成り立たない。
労働者は国境を越えて団結しない限り、分断され、搾取される。例えば、これは今でもそうだが、低賃金を許容するスト破りが現れると、賃金は下がっていく。そうならないように力の弱いもの同士連帯しなければならない。
もともと共産主義は国家を超える思想だった。
2.一国社会主義
社会主義というのは共産主義の前段階のことだ。そこではまだ国家は存続しているが、労働者の国家であり、労働者の国際的連帯の前衛だというのが建前だった。
しかし、筆者が学生時代、既に社会主義国家の仮面ははげ、結局指導者は自国さえよければいい、と思っていることが明らかになった。国境を越えた労働者の連帯ではなく、自国さえ良ければ他国はどうでもいい。周辺国の社会主義化は世界革命ではなく、単に自国の安全保障のための衛星国化だった。もっと言えば、自分の支配体制さえ持続できればあとはどうでもいい。それがわかっているので当時の社会主義国家と西側の労働者が連帯することは結局なかった。
3.共産主義の凋落
これは今の北朝鮮のことだけではなく、スターリンのソ連も、毛沢東の中国も、チャウシェスクのルーマニアも、ホーネッカーの東ドイツもみんなそうだった。いわゆる一国社会主義はもはや国家を超えた労働者の連帯は放棄していたのだ。共産主義の理想によってみんなが我慢することが崩れ、一部の国、一部の党員がいい目にあうことが明らかになれば、自由な経済活動によって豊かになろうとする人民の反乱はいつか体制をひっくり返す。
社会主義国家の崩壊は、共産主義という理想が結局は成り立たないことを最終的に証明した出来事でもあった。
4.共産主義とは似て非なるもの
いまや北朝鮮を共産主義国家と思う人は誰もいないだろう。共産主義の理想から程遠い今の姿は、人々をいくらでも不幸にもできる単なる国家というシステムの極端な姿だ。
かつて中国が最初の核実験を行なった時、日本の左翼の間では賛否両論が沸き起こった。アメリカ帝国主義に対抗する労働者の武器か、世界の核廃絶を願う市民に対する挑戦か。結局は自国の覇権と指導者の安泰を保障する手段にすぎなかったのだが。
北朝鮮の核もそういうものだ。しかし自由な経済活動によって成功を目指す行動は人間の欲望に基づいている。それを押さえつける体制は、長くは持たないだろう。
誠に残念なことに、人々の欲望に依拠する不完全なシステムである資本主義市場経済の代わりは、まだみつかっていない。(労働組合はまだ残っているが、組合員である正社員の既得権を守るだけのものになってしまった。)
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登録日:2006年 10月 09日 23:01:06
A級戦犯合祀

A級戦犯も国のために戦った方々なのだから、一緒に祀るのは当然だ、思っている方は、もう一度「私は貝になりたい」という映画を見ていただきたい。
平凡な床屋が軍隊に召集され、上官の命令で木に縛りつけられた捕虜のアメリカ兵を銃剣で刺す。復員して再び床屋をやっているところを突然逮捕され、戦犯として訴追され、死刑になる。絞首台の階段を上りながら、「私は貝になりたい」と独白する故フランキー堺の名演技は忘れられない。
1958年にテレビドラマとして放映され、小学校3年だった私はリアルタイムで見たことを今でも覚えている。(当時は意味はわからなかったが、悲しくて泣いたのは覚えている。)
この話しは、極東軍事裁判がインチキだ、という見方もできるが、上官の命令で殺人者の汚名を負ったBC級戦犯は、上官の上官である戦争指導者と一緒に祀られていることを、どう思っているだろうか。
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登録日:2006年 08月 16日 02:39:53
英霊とは?
【東京 15日 AFP】9月に退陣を控えた小泉純一郎首相は終戦記念日の15日、近隣アジア諸国の強い反発があったにもかかわらず、東京・九段北の靖国神社を参拝した。
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(c)AFP/KAZUHIRO NOGI
靖国神社に祀られているのは誰か?
おろかな戦争指導者に引きずられ、だまされ、泣く泣く徴兵され、死地に赴いた兵士や、爆撃になすすべもなく死んだ犠牲者ではないか?
国を守るために命を捧げた英霊の犠牲の上に今の日本の繁栄があると言われている。
本当にそうなのだろうか?
あたら捨てなくてもいい命を捨てた人々は、無駄死にだったのではないだろうか?
亡くなった人々は、理不尽な死に方に、さぞかし無念だったのではないだろうか?
死者を追悼するということは、その無念に思いをはせることだろう。
戦争は人災だ。戦争で死ぬのは無駄死にだ。英霊ではなく被害者だ。
父母、叔父叔母の世代が戦争で辛酸をなめた団塊の世代としては、率直にそう思う。
その辺が、若いころベトナム反戦運動にのめりこんだ理由だったかもしれない。
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登録日:2006年 08月 15日 22:33:46
- プロフィール
- Ryuichi Himori
- (男)
- 団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教員に転職しました。その他行政経営フォーラム副代表、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事、県生涯学習審議会委員、県NPOパートナーシップ会議委員などを務めています。行政への企業経営手法の導入や、文化政策、地域政策、NPO論などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
(なお、mixiもやってます。)
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