カテゴリー [行政経営]

行政学も様変わり

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昨日は学会に出席のため吉祥寺にある成蹊大学に行った。
38年ぶりの再訪だがキャンパスの雰囲気は変わっておらず、とても懐かしかった。

さて学会とは日本行政学会である。2003年にはじめて出席してから5年がたつがこの5年でずいぶん変わったなと感じたのが最初のプログラム共通論題1「公共サービス論再考」を聞いた時である。

もはや誰も公共サービスを民間に委ねることの是非は議論していない。そして行政が「マネージメント(経営)」される対象だというのは当り前の概念になっている。そして議論の焦点は「行政による公共サービスの解体」後の行政の役割や「権力」のありかた、多様な公共サービス提供主体間のガバナンス(コントロールやレギュレーションによる公共性の担保や調整)に移っている。

以前誰かから社会科学というのは新しい現象をすぐには取り上げない。取り上げるのはそれが研究対象として「落ち着いて」からだ、という話を聞いたことがあるが、なるほどこういうことだったのか、と納得させられた。

センセーショナルではないが知的に刺激的な議論になるのはさすがアカデミズムだ。筆者もこれが本職になってしまったのでせいぜいがんばらなくては。

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登録日:2008年 05月 11日 00:19:01

第43回行政経営フォーラム例会

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土曜日は大阪で筆者が副代表を努める行政経営フォーラムの例会があった。

テーマは「大阪市役所の改革~市政改革本部の取組みを中心に」

内容は以下の通り。
1. オープニング(今日の狙いなど)
2. 「大阪市政改革の取組み」
3. 「事業経営改革」
4. 昼食(グループに別れて話し合いながら)
5. 「コンプライアンス改革」
6. 「ガバナンス改革と現場改善」
7. 「パネルディスカッション:外部から見た大阪市の改革」
8. 懇親会

ヤミ手当、カラ残業など職員の厚遇問題に端を発した大阪市改革は、労組との癒着断ち切りや同和団体との決別など今までタブーとされてきた分野に踏み込みながら、ドラスティックに進んできた。

なぜ短期間のうちにここまで進めることができたのか。筆者がフォーラムの各セッションを通して感じたことは以下の三点である。

1. 外部の起用
市政改革推進会議委員長の上山信一さんや、コンプライアンス委員に就任したこれまでの市役所の「天敵」市民オンブズマンの辻弁護士、関西経済界の経営者など多くの部外者が様々な立場・役職で改革に参加した。これほどの規模で外部から自治体改革に参加したケースは過去になかっただろう。

2. 政治家のリーダーシップ
これだけの外部の力を改革に参加させ、市役所内部を揺さぶり、改革推進体制を作り上げるためには政治家の強力なリーダーシップが必要である。ともすれば政治家は専門家である役人の上に載ることによって職務を全うしようとする。しかし今回は役人の専門性に能力識見で対抗し得る外部有識者を連れてきて役人にぶつけた。これには現市長と共に大平前助役の役割が大きかったことが今回のフォーラムで明らかになった。

3. 市役所職員の優秀さ
基本的に日本の地方公務員、特に政令市の職員は優秀だ。いったん方向が決まれば彼らはその能力を全力で発揮する。今回短期間のうちに改革が進んだのも大阪市職員の能力によるところが大きい。今回紹介された事業分析の精度などは民間企業でもなかなかできないことである。詳しくは以下のURLをごらんいただきたい。
http://www.city.osaka.jp/keieikikakushitsu/kaikaku/index.html

http://www.city.osaka.jp/keieikikakushitsu/kaikaku/mokuzi_manifest.html

なお、上記ホームページにも見られるような徹底した情報公開が推進の大きな力になったことは言うまでもない。まずいこと不都合なこともすべて出すことは、議論を起こし、抵抗勢力を炙り出して改革の障害を取り除くために必ず必用なのだ。

さて、それではこれからの大阪市政改革の課題はなんだろうか。

一つはフォーラムのパネルディスカッションで大阪市をウオッチしてきた新聞記者が指摘した「大阪市民は、俺たちが苦労しているのに市役所はけしからんと怒ったが、誰も改革してくれとは言わなかった」という点である。つまり首尾一貫とした改革を続けようとしても、場合によっては市民の支持を得られないかもしれない。その時に行政と議会の確執が出てくる(今までもさんざん出ているが)。「市民の改革」をどうするかが問題だ。

二つ目は、今までのハコモノ行政(大阪市の財政に深刻なダメージをもたらした)の反省の上に立って、人材と文化・芸術に投資しようとする「創造都市戦略」(改革から創造へ)である。一つ目と関連するが、改革の目的を単に市役所内部の改革ではなく地域の活性化とする発想自体間違ってはいないだろう。その手段としての創造都市だが、これについては筆者の専門分野でもあり、今打ち出されている方向が果たして妥当かも含め後日コメントしたい。

今回もいつもの行政経営フォーラム例会と同じように、行政職員だけでなく企業、市民・NPO、研究者など様々なセクターの、熱い思いを持つ会員により活発且つ率直な意見交換が行われた。この手のフォーラムの中では最もアグレッシブな会であることは間違いないだろう。

行政経営フォーラムに興味のある方は下記のURLをご覧いただきたい。
http://www.pm-forum.org/

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登録日:2007年 10月 31日 00:52:51

貧しくてゆたかな町

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今年(2007年)4月に亡くなったアメリカ文学界の巨匠(SFファンの筆者としては偉大なSF作家)カート・ヴォネガットの短編小説に、「貧しくてゆたかな町」(1952年)という一編がある。

ストーリーはこうだ。

経営コンサルタントのケイディは「もう一世代にわたって赤字続きの工場でも、その中をぐるっと一周し、帳簿をざっとながめただけで、どうすれば年間50万ドルの原料を節約し、いまの従業員の三分の一を減らして、しかも生産高を三倍に増やせるかを、工場の支配人に助言することができた。どうすればいままで廃棄処分にしていたものを資源として売り、その金で工場全体にエアコンを設置し、背景音楽を流す費用を浮かすだけでなく、そのエアコンと音楽のおかげで個人の生産性を十パーセントも高め、不満を五分の一に減らせるかを教えることができた」(浅倉久志訳、早川文庫SF1635、2007年)という凄腕だ。

ケイディはある企業に雇われ、新しい本社を立ち上げるために「周囲の酪農家たちに奉仕する小さな商店街と、公立学校、郵便局、警察署、消防署の集まり」とかつて温泉で不動産ブームになったときに建てられ、今は空家同然になっている15件の邸宅のある小さな町に引っ越してきた。人々は有力者の転入を熱烈に歓迎した。

町の一員となったケイディは、郵便局員のおばさんの作業効率を改善し、消防車の新規購入を無駄だとしてやめさせ、町の文化祭に競争を持ち込んだ。古い邸宅を買い上げ、ケイディの新たな本社に勤める人に転売するために都会から不動産屋がやってきて、町は沸きかえった。ケイディは町の人たちに「ささやかな進歩」もたらした。

あるときケイディは、町の郵便局を廃止して広域の郵便集配制度を利用しようと提案した。「状況の内部にいる人たちは、慣習に目をふさがれているからね。この町のあなたがたがそうだ。何分の一かの経費と手数で、はるかによいサービスを受けられるのに、郵便局を存続させようとする」(同) 郵便局のおばさんは町の人たちを助けるために殉職した消防署員の未亡人だった。この時町のひとたちは我に帰った。

町の志願消防士会員になるのに3年間の居住を必要とする、という規則をケイディに通告することを決める総会で、それまでケイディと行動を共にしてきた町の有力者はこう演説した。「彼は頭脳明晰な人物だから、きっと居住年数の条件を理解してくれるでしょう。田舎町は工場とはちがいます。その中へはいって、何が作られているかをひと目で見てとり、つぎに帳簿を見て経営状態のよしあしを判断する、というわけにはいきません。われわれは何かを作ったり、何かを売ったりしているのではない。みんなで一緒に暮らそうとしているのです。それについては、あらゆる人間が自分なりの専門家でなくてはなりません。それには何年もかかります」(同)

現代の日本の状況、自治体改革や郵政民営化にとっても実に寓意に満ちた話ではないか。「それについては、あらゆる人間が自分なりの専門家でなくてはならない」というのは実に自治の原点だろう。

それから、私たちはアメリカは市場原理主義一辺倒の国、というイメージを持っているが、この小説に描かれた1950年代のアメリカの田舎町ではそうではなかった、ということが良くわかる。アメリカの原風景、ということだろうか。

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登録日:2007年 10月 05日 23:45:52

指定管理者制度についての三題話

指定管理者制度についての最近の筆者の動き。

1.8月31日はある市の文化施設への指定管理者導入アドバイス会議

募集要項と業務要求水準書づくりにアドバイスしているのだが、すぐれた要項とはどのようなものか次のような話をした。

(1) 基本理念
市の基本理念とそれに基づく施設の基本理念(市の基本理念のどのような部分を担うのか)を明確にする。

(2) なぜ指定管理者か
なぜ直営ではなく指定管理者にするのか、何を期待しているのかを明確にする。

(3) 基本方針
指定管理者に守ってほしい基本方針を明確にする。

(4) 提案
指定管理者に特に提案してほしい部分を明示する。

このような要項は応募側から見ると非常に書きやすいものであり、書きやすいということは優れた提案が集まるということであり、高いレベルの競争でいい団体を選べるということである。
前の記事に書いた千代田図書館では、指定管理者側から、基本方針がはっきりしていたために提案がしやすかった、という話があった。

2.9月2日は「市民と議員の条例づくり会議2007」第6分科会「地域ガバナンスにおける議会の責任」でパネラーとして指定管理者制度の話をした。

指定管理者制度、PFI、市場化テストが進む中で、地方議員の役割は何かというのはなかなか難しい問題だ。非常に専門性の高い分野で、議会が実質的なチェック機関になるというのは現実には困難だ。

筆者の考えは上記1.の(1)基本理念と(3)基本方針の策定に議会が関与すべきだ、というものだ。
拙著「指定管理者は今どうなっているのか」の「指定管理者制度の光と影」で書いたように、指定管理者に対するガバナンスは自治体と利用者・市民並立であり、議会の立場は自治体の側にある。議決によって責任の一端を担っているからだ。だからその意味でもチェックという役割を果たすには限界がある。ガバナンスの一端を担って基本方針を定め、その達成度を評価し、改善を議論する、という役割と思った方がいい。

もうひとつ大事なことは、施設の利用者と利用しない市民は考え方が異なるかもしれない、ということだ。そこを調整するときに議員の出番がある。そのためにも基本理念にコミットしたほうがいい。

3.9月6日は親しい市議会議員から指定管理者について質問する、ということで相談を受けた。

彼女は9月2日の会議にも出席している。彼女は大変おもしろいことをやっている。指定管理者制度が導入されている市内140施設すべての事業報告書を集めようとしているのだ。彼女が集めた事業報告書のいくつかを見ていておもしろい点に気がついた。

ほとんどの報告書が自己評価と改善報告を記載していないのだ。つまりセルフモニタリングができていない、ということだ。利用者アンケートを実施し、その結果を記載しているところはあるが、アンケート結果をどのように評価し、何を改善したかが書いてない。モニタリングの意味が十分に理解されていないのだろう。

そのほかにも、発注者側のコミットメントの問題や、委託費があまりにも安く、指定管理者を有償ボランティアと間違えているのではないかというと事例などいろいろある。

次回の指定に向けて、改善すべき点がいろいろ見えてくるので140事例をじっくり研究したい。

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登録日:2007年 09月 08日 02:13:32

PFIなんかきらいだぁ~

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(写真は本文と関係ありません)

夏休みもあと2日。終わればいろいろな仕事が待っているが、そのひとつに、ある新設文化ホール計画のPFIに関することがある。

弊社には設計や設備・備品・工事など文化ホールに関わるさまざまな部門があるが、ある案件がPFIになることが決まったとたんに担当者から出るのがタイトルの叫びだ。

なぜそうなのか。

多くの場合日本のPFIの代表企業にはゼネコンがなる。そして多くの場合、施設の目的やコンセプトまで応募側が提案させられる。
これはまったくおかしな話で、PFIが民間からの公共サービスの購入だということを行政が理解していないからこういうことになる。

ゼネコンが代表企業になるのは、所詮建築が主体で最大の受益者だからだが、そもそもPFIにとって建築はサービスを構成する手段のひとつに過ぎないはずだ。それなのに発注者も受注者もハコモノを建てることが目的化している。だからゼネコン主体になる。

PFIにおいて、サービスの質に占める建物の比率は必ずしも最大とは限らない。例えば刑務所のPFIを考えてみれば、サービスの内容は囚人の更正なのだから、その質に建物も重要かもしれないが矯正教育プログラムもそれ以上に重要かもしれない。そのもっとも重要なところをゼネコン主体でいいのか、ということである。

次にコンセプトの問題だが、自分がどのようなサービスを購入するかを、購入者ではなく提供者に決めさせることがありうるだろうか。コンセプトを提案させるというのはそういうことだ。
目的を達成する手段を提案させるのであって、目的を提案させるのではない、ということを多くの行政が誤解しているように思われる。

さて、弊社の仕事は文化ホールを通して提供するサービスの質に関わることである。例えばホールの音を良くしたり、目的に合った電気音響設備を設計したりすることだ。しかしゼネコン主体ということになると、「それは必要最小限度でやってくれ」ということになる。建てることが目的なので、建築コストを下げて利益を出す他ないからだ。

発注者側から目的・コンセプトが示されていれば、それを実現するためにはこれだけの設計・設備が必要だと主張できるのだが、多くの場合そうはならない。

売り上・利益以上に、いいものを作りたいという職人気質を持つ弊社社員としては、やる気が起きないのでタイトルのような嘆きになるのだ。

ハコモノを作るだけの日本型PFIならやらない方がいいのだが、どうしても作るのなら、民間ペースでコスト削減をするだけPFIの方がましかも知れない、というのも情けないことではある。

用語解説↓
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登録日:2007年 08月 17日 23:34:31

誰が市民か?

今から6年ほど前、筆者はある市が新たに建設する文化ホールの基本計画の策定のコンサルをやったことがある。市長はいわゆる改革派で、市民の意見を計画に反映させるために、市民委員会を発足させた。

市民委員になったのは市内で活動している文化団体(合唱連盟や吹奏楽連盟、市民オーケストラなど)の代表、市民劇団など演劇団体の代表、バレエやダンスの先生、市内在住の文化人(ピアニストや演劇プロデユーサー、引退した元大学教授など)のような人たちである。

ところがこの人たちはてんで勝手に自分たちの利害を主張する。つまり自分たちが舞台に立つときに使いやすいようにがんばるのだ。実はその主張は相互に相容れない。合唱団は自分たちの声が響くように残響時間は2.5秒以上にしろ、という。ところがそれでは演劇のセリフは反響しすぎて聞こえない。演劇関係者は音響はデッド(残響0)にしろ、という。

演劇関係者は背景幕を収納できるように舞台の上にフライングタワーが必要だという。ピアニストは舞台の上が抜けているなどとんでもない、舞台を音響反射板ですっぽり覆うべきだという。
バレエやダンスの先生方は舞台の上はダンスマットを敷き詰めないとダンサーは足を痛めるといい、演劇関係者は板張りにして釘を打てるようにしろという。

委員会では委員たちはこのような主張をお互い同士ぶつけているわけではない。お互い同士は味方のような顔をして、すべて出席している行政の担当者にぶつけているのである。見かねて筆者が、市民のために地域社会にとってもっとも必要なホールのコンセプトは何かから議論しないと、などと言おうものなら総すかんである。

すべての要望に70%くらい応えることは技術的には可能だ。しかしそのために文化ホールの構造と設備は割高になる。行政の担当者はそれで要望に応えられるのなら予算を増やそうと思うかもしれない。市民の意見を聞いて造るのだから。

ちょっと待ってほしい。市民とは誰か。多数派の市民とは一般の納税者であり、百歩譲ってもこの文化ホールに観客としてくる市民である。間違っても文化団体関係者や文化人は多数派ではない。納税者市民にとって必要な文化ホールとは何か、そのような市民が観客として来るときに使いやすい文化ホールは何か、という議論が必要なのである。

市民委員会といいつつ、市民ではない人たちを委員に選んでいるのだ。市民の意見を反映させたいのなら、普通の市民を委員に選べばよい。文化団体関係者や文化人でなければ文化ホールのことはわからない、と思うかも知れない。しかしそのために筆者のような専門家がいるのだ。

まったく知識のない市民が委員になれば、筆者は音楽に適したホールか、演劇に適したホールか、ポピュラー音楽に適したホールか、講演会や展示会・社交ダンスに適したホールか、それともコストは高いけれども、またすべての要素を100%満たすことはできないけれど、あるていど多目的に使用できるホールか、その選択肢を提示することができる。市民はこの地域にもっとも必要だと思われるものを選べばよい。そして市民委員会として選んだ理由に責任を持ち、アカウンタビリティを発揮すればよい。

(このケースでは残念ながらそうはならなかった。)

政治家や行政の担当者が日常接している市民は市民ではない。それは利害関係者だったり、補助金や助成金をもらおうとか何かをしてもらおうと思っている人たちだ。あるいは「弱者の権利」を主張している人たちだ。そのような意見を市民の意見だと思うと、大多数の市民の意見とすれ違うことになる。

自治体では、ニューパブリックマネージメント(NPM)、いわゆる企業経営的手法の導入が盛んだ。市民の大多数は企業に勤めたり自営業を経営して民間の経済活動に携わっているので、NPMにはまったく違和感はなく、むしろ当たり前だと思っている。反対の声を上げるのは、導入によって利権を減らされる可能性のある、税金で潤っている人たちだ。もちろん本当に税金で救済しなければならないことはある。それには大多数の市民を納得させる徹底したアカウンタビリティが必要だ。

政治家も行政も、自分たちに見えている人たちではなく、大多数の市民が何を望んでいるのか、どのような価値観を持っているのかに注意を払わねばならない。そうでなければ、手痛いしっぺ返しを食らうことになるだろう。

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登録日:2007年 04月 22日 23:35:47

知事のモラルハザード

筆者の住む県では、平成21年3月の開港を目指して空港の建設が進んでいる。

福島空港、松本空港など何かと話題の地方空港だが、バブルのころの計画が20年たってやっと目処がついたということで、既に時期を逸している感がしないでもない。なぜ、まだ完成していないことを幸いに、20年間の経済情勢の変化を反映して計画を見直すことができないのだろうか。(当然県民にも責任がある)

先日テレビを見ていたら、知事も出演して空港問題の討論会をやっていた。

その中で知事が次のような発言をしていた。「建設費の500億円はインフラだから回収しなくていい。採算は建設後の維持費の問題だ」(本当は周辺整備も含め17年間で1900億円)。
それに対して討論者の慶応大学の中条教授が「その考えは困る。500億円の建設費は県民だけではなく全国の納税者が負担した。全国の納税者は、過疎の離島なら空港建設負担もやむを得ないが、豊な県の空港をなぜ自分達が負担しなければならないのか、と考えるだろう。空港が充分に活用されない場合、維持費の赤字だけでなく建設費も含めて県民が負担するくらいの覚悟が必要だ。その覚悟は県民にあるのか」と噛み付いていた。それに対して知事は要領の得ない答えをしていた。

起債して元利償還金を交付税でもらったり、補助金をもらったりで知事の念頭からは建設費を全国の納税者がまかなっているという観念が完全に欠落している。空港はとりあえず国から与えられたとしか思っていなかったらしい。それをモラルハザードと呼ぶ。
知事はさらに「年間維持費は5億円で県の大型複合文化施設より安い。赤字になっても大したことはない」と言って「いや5億円は大したことないとは言えないでしょう」と中条教授にたしなめられている。

ある地方新聞に載った航空会社幹部の話を引用する。
「開港時は国交省や自治体から圧力がかかるから、何とか飛ばすが、半年もすれば(客数)のメッキがはがれ、便は切ることになるだろう。神戸空港がその典型だ。離島なら使命として守るが、恵まれた所は赤字補償されてもお断り。せっかく新調する機材をそんなことに使う余裕はない。うちがつぶれてしまう」。

このような姿勢の民間の航空会社と知事と、どちらが公共性を考えていると言えるだろうか。

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登録日:2007年 02月 22日 17:02:39

スパイの行政学

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007という殺しのライセンスを持つジェームス・ボンドは国家公務員である。所属はイギリスの対外情報機関SISだ。SISは外務省の傘下にある機関だが、その上部にはJIC・合同情報委員会がある。各情報組織のトップ、外務省、国防省、内務省、警察の次官級の高官で構成されるこの委員会は、あらゆる機密情報にアクセスする権限を持つが、その目的は「国家の舵取りを担う政治指導者の決断に資する」ことである。

いかに全能な007といえどもその任務は限定的であり、殺しのライセンスも任務達成の過程での免責特権にすぎない。誰でも殺せばいいというものではなく、任務を逸脱して殺せば訴追される。政治家が決めた任務を忠実に遂行することを求められるしがない公務員にすぎない。だから上に理解されなかったり切り捨てられたりという公務員の悲哀も味わう。

スパイ小説でも、ジョン・ル・カレは極めて抑制的で公務員たるスパイへのガバナンスが充分に働いていてリアリティーがあるが、ジェフリー・アーチャーやトム・クランシーの小説には時として公務員の分を超えた僭越さが見られ、民主主義の観点からは極めて不健全だ。

日本のインテリジェンス(諜報)を考えるとき、外務省のラスプーチンこと佐藤優氏の本はどれも非常に興味深い。高度な機密を扱うからこそ、そこには個人や組織の私益を追求するのではなく、政治家の決めた方針に従う官僚としての高いモラルが求められる。その意味はどんなに自分が優秀と思っても、アホな政治家の決定に従う、ということだ。

その辺を佐藤優、手嶋龍一の共著「インテリジェンス武器なき戦争」(幻冬舎新書)から引用してみよう。

「ソ連共産党中央委員会とそっくりです。絶大な権限があるんだけど、責任は負わない。官僚というのは、放っておくとそうなってしまう。責任を取らせるには、政治が手を突っ込まないかぎり無理なんです。「政官の癒着が問題だ」「政治家はろくでもないんだ」と遠ざけていると、結果的に官僚にフリーハンドを与えることになってしまう。」

「理屈の真理はいくつもあって、それぞれ同格でしょう。その中でどうやって折り合いをつけるかは、政治家の判断することです。テクノクラート(官僚)が言うべきことは、「靖国神社に行ったらメチャクチャなことになりますよ。しかしそれでも行かれるならば、その上で対中外交を組み立てなければならないですね」ということです。そして、時の総理をお支えするために、官僚としての全能力を投入する。それだけのことです。」

スパイのこのような考え方は極めて健全だ。一方で戦前の革新官僚から現在に至るまで、僭越な誤った使命感を持った官僚による民主主義的ガバナンスの逸脱が、今日の状況(官の肥大と借金漬け国家)を招いたのではないかと思うのである。あらためて言うまでもないが、民主主義国では国家の舵取りをするのは官僚ではない、ということだ。

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登録日:2007年 02月 09日 22:46:25

社会主義共和国!?

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指定管理者の話をするために28、29日と新潟県佐渡市に行ってきた。

東京都23区の1.4倍の面積に人口6万9千人、10市町村が対等合併してできた全島1市のこの島に、1030の公共施設がひしめいている。
そのいくつかを案内してもらったが、車で30分の距離に1000席規模のホールが二つあるなどはまだ序の口だ。15分走るごとに現われる入浴施設。いたるところにある公衆トイレ。しかも同じ旧行政区に類似施設が重複しているのは、補助金の出所が違うために所管課が異なるからだ。

回っているうちに思わず口をついて出た感想が、「これは社会主義共和国だ!」。

写真の手前側青いじゅうたんの施設はコミュニティーセンター。某省の事業で建設された施設だ。奥に見えるピンクのじゅうたんの施設は活性化センター。別の省の事業で建てられた施設だ。その実態は早い話お風呂場と休憩所だ。

10市町村の当時、各自治体の担当者はいかに上手に作文して補助金を通すかが仕事だった。別々の補助金で建てられた施が隣り合っている、など行政マンの腕が見事に発揮された事例にはことかかない。地域にとって良かれと思ってやった結果がこの状態。合成の誤謬とはまさにこのことだ。

全島1市になって公共施設の見直しが始まっている。当然ながら、この問題は指定管理者の導入程度では解決できない。思い切ったスクラップアンドビルド、選択と集中が必要だ。合併直後には複雑すぎてどこから手をつけていいのかと立ちすくんでいた状態から、ようやく見直しが動き出している。

しかし、市民にとっては、今までのように与えられるのを待っている状態、要望さえすれば実現する状態からの頭の切り替えが必要になる。
合併は社会主義からの体制転換のようなものだ。新しい体制では、行政の役割は後退する。市民自らがお互いに助け合って施設を管理したり、新たな行政サービスを生み出したりしなければ、とてもこの問題は解決しない。今までの地縁社会だけではない、市民による新たなコミュニティの創成が求められているのだ。
しかしこのことを説き、仕掛けるのは行政だけの役割だろうか。

公務員の数が1700人(公営企業などを含む。この他に県職員、国家公務員も相当数いる)の社会主義国の基幹産業は、公共事業と米作だ。民間産業であるはずの観光事業ですら公営の宿が相当数ある。果たして官依存の社会主義から脱却し、自立の道を歩み始めることができるだろうか。地元の人の「ここは日本の縮図だ」という言葉が印象に残る。

佐渡には魅力的な自然と田園風景、豊な人情がある。これらは貴重な資源であり、筆者は大きな可能性を感じる。この点は項をあらためて述べたい。

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登録日:2007年 01月 30日 17:27:58

都市のマーケティング

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写真は以前紹介したわが町の巨大クリスマスツリーの横にあるCOACHの単独店舗である。本日、2006年12月22日金曜日夜7時、入店者ゼロである。
クリスマス商戦の真っ只中、帰ってきたばかりの名古屋ではデパートもブランドショップもプレゼントを選ぶカップルや「自分へのご褒美」のOLでごった返していたというのに、この町はどうしたことか。
筆者はかつてマーケティング・商品企画をやっていたので、COACHに客が入っていないのはなぜなのかが非常に気になる。来年は政令指定都市になる人口80万人のこの町の本当の姿が、COACHというポジショニングのブランドが売れないことによって浮かび上がってくる。
町づくりや中心市街地活性化を担当する行政の担当者は、市民の購買行動を分析してわが町のマーケティング上のポジションを知り、身の丈に合った政策を考えるべきだろう。

COACHが主要なターゲットとしている層は誰ですか?わが町でそれが売れないのはなぜでしょうか?

ヒントをひとつあげると、COACHというブランドは、郊外の大型ショッピングセンターでは価格が高すぎて売れないため、百貨店業態がない限り出店していない。

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登録日:2006年 12月 22日 19:41:30

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プロフィール
Ryuichi Himori
(男)
団塊世代の会社員から、定年を1年半後にひかえ、大学教員に転職しました。その他行政経営フォーラム副代表、市民フォーラム21・NPOセンター常務理事、県生涯学習審議会委員、県NPOパートナーシップ会議委員などを務めています。行政への企業経営手法の導入や、文化政策、地域政策、NPO論などを研究しています。
というような立場を離れて、勝手なことを書かせていただきます。
(なお、mixiもやってます。)
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