数百年の隠された真実と、ナポレオンの死に隠された謎を追う!!

序章.数百年の隠された真実

今回はフランスの英雄「ナポレオン」のミステリーに迫る。今回、謎に迫る上で重要なポイントは "数百年の時"

第一章.ナポレオン・ボナパルト



ナポレオン・ボナパルト

ナポレオン・ボナパルト(以下、ナポレオン)はフランスの国民的英雄で、彼によってフランス革命の理念がヨーロッパに広がったといっても過言ではない。オーストリア、プロイセン、スペインと数々の戦いを行って大陸に覇を唱えた。しかし、ロシア遠征に失敗後、ライプチヒの戦いに敗れて退位し、エルバ島に流された。その後、エルバ島を脱出し、皇帝に復帰したがワーテルローの戦いに敗れてセントヘレナ島に流され、一生を終えた。

第二章.毒殺の恐れ

ナポレオンがセントヘレナ島で死去した時に、ナポレオンの毒殺について既に恐れていた人物がいた。その人物はハドソン・ロー。彼はイギリスの知事で、ナポレオンとの不仲がイギリスでもよく知られていたため、毒殺の疑いがかけられるのを気にしていた。彼が直接毒殺に関与していなくとも、管理責任の責任が負われる恐れがあったのだ。解剖は翌日、イギリスの医師たちによって行われ、胃ガンであると公表され、受け入れられた。

第三章.毒殺説の浮上

ナポレオンが死去してから約150年経過し、フランスではナポレオンの死はガンによるものだという説が通説になっていた。しかし、当時、ナポレオンの看護師をしていたルイ・マルシャンの日記を子孫が公表することによって実に100年以上の時を越えてナポレオン毒殺説が再度浮上した。日記が刊行されたのは1955年のことであった。

第四章.スウェーデンの歯科医「ステン・フォルシュフード」

当時、フランスのボルドー大学で毒物の研究を行っていたスウェーデンの歯科医、ステン・フォルシュフードはこの日記を読んで、ある衝撃的なことに気がついた。それは、ナポレオンの病状の推移には少しずつ投与されたヒ素による中毒症状が現れているということであった。その後、彼は1961年に「ナポレオンは毒殺か?」という本を出版した。これを機に、ナポレオン毒殺説は次々に反響を呼び、注目を浴びるようになった。

第五章.ガンとは考えにくい…

さらに、20年経った頃に雑誌「ルポワン」が解剖台の上に横たわるナポレオンのデッサンを掲載した。このデッサンは旗持ちであった家系が保持していたもので、デッサンには体格が良いナポレオンが描かれている。同誌には「死去する一ヶ月前にはフライ、デザートなどを食べていて、胃ガンならばこれほど食べれるはずがない」と掲載されている。

続きは明日

スタービーチ

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登録日:2008年 01月 16日 17:43:45

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