2006年 02月 22日

ホセ・マルティとヒスパニック化するアメリカ

ベネズエラ大統領 ホセ・マルティ賞受賞 - キューバ

【ハバナ/キューバ 6日 AFP】4日朝、ベネズエラのウゴ・チャベス(Hugo Chavez)大統領は、ハバナの革命広場(Revolution Square)で、キューバのフィデル・カストロ(Fidel Castro)議長からユネスコ国際、ホセ・マルティ賞(UNESCO's International Award Jose Marti)を授与された。
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(c)AFP/Marcelo GARCIA

AFPBB News


<カストロとマルティ>
いまだにキューバに君臨するフィデル・カストロと比較したとき、ホセ・マルティの名前は我が国において、ほとんど無名のままであると言っても過言ではない。シモン・ボリーバルとともに「ラテンアメリカの解放者」と呼ばれ、また、類いまれなる文才に恵まれた「モデルニスモの詩人」は、帝国主義的なアメリカを意識しながらラテンアメリカ全体を視野におさめることのできた偉大な思想家でもあった。のちのカストロの行動力を知的な側面から支えた人物こそホセ・マルティだったのである。彼の名前が冠された賞が存在する理由はここにある。

<亡命と混淆>
キューバが独立するはるか以前に、ホセ・マルティはメキシコ、グアテマラ、スペイン、ニューヨークなどへと何度となく亡命を余儀なくされた。「亡命と記憶の国」キューバは、ホセ・マルティに始まる。しかしまた、亡命とは交渉と混淆の第一歩でもある。それにより、純血を維持しようとする国民国家は混血によるボーダーランズの色彩を帯びるようになるだろう。アメリカ国内にいるヒスパニックが「数」においてだけではなく、文化や政治や芸能などあらゆる分野において存在感を増していくにつれて、アメリカを知るためにはヒスパニックを知らなければならない時代が来ようとしている。無論、ヒスパニックを知るにはラテンアメリカを知らなければならない。ホセ・マルティはラテンアメリカを知るために、最初に当たらなければならない人物の一人である。アメリカを知るためのホセ・マルティという視点が求められている。

<純血と混血>
あえて純血を守ろうとすることは、なるべく狭い範囲の狭い人間関係のなかで婚姻を繰り返すといういわば時代錯誤な行為である。また、混血は後戻りできないという点において、純血を駆逐する。さらに言うならば、純血などというものは幻想に過ぎない。たとえば、アメリカは最初から多民族によって構成された国だった。先住民が暮らす土地にイギリス人が植民地を作るはるか前にスペイン人が入植し、それ以降もさまざまな出自とさまざまな血と文化が混ざり合ってできた国である。ヒスパニックはアメリカという土地に胚胎しているクレオール的状況を逆に引き出し、開花させるような存在となっているのではないだろうか。

<チカーノとクバーノ>
クレオール的状況へと踏み出すにはそれなりの覚悟と戦略が必要である。そしてできることならば先達を必要とする。チカーノ(メキシコ系アメリカ人)はその架け橋となるだろう。黒人と白人の対立にブラウンという曖昧な人種が割り込むことによって、対立は複雑さを増しつつも先鋭さを減少させ、人種対立をより知的な次元へと押し上げようとしている。しかも、ヒスパニックの多様な出自がその複雑さに輪をかけている。そのヒスパニックのなかのクバーノ(キューバ人)もまた、私たちの目指すべきゴールのひとつを提示している。キューバは自らを相対化させる相手としてのアメリカとの関係性なしには語ることができない国だが、そのことがキューバ性の自意識を育て、土地や血のつながりを凌駕するひとつ上のレベルを目指すことにもつながった。チカーノのカルナリスモが時間と空間を越えてつながるように、キューバのクバニスモはあらゆる土地の種子を受け入れるのである。

虐げられた黒人たちを助けたいという思いから始まった革命家としてのホセ・マルティ。彼の両親はどちらも、スペイン生まれのスペイン人だったことを忘れてはならないだろう。革命の思いは人種を越えるのである。

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登録日:2006年 02月 22日 19:51:28