2006年 04月

キューバ移民、アンディ・ガルシアの初監督作品

アンディ・ガルシア キューバ・ミュージシャンらと共にパフォーマンスを披露 - 米国

【ニューヨーク/米国 26日 AFP/Getty Images】俳優でミュージシャンでもあるアンディ・ガルシア(Andy Garcia)が25日、B・B・キング・ブルースクラブ(B.B. King Blues Club & Grill)でキューバの伝説的ミュージシャン、カチャオ(Cachao)の愛称で親しまれるイスラエル・ロペス(Israel Lopez)とバンド、シネソン・オールスターズ(Cineson Allstars)と共にライブ・パフォーマンスを披露した。(c)AFP/Getty Images Bryan Bedder

AFPBB News


おそろしく忙しいので、最近気になっているトピックを簡単に二つ。

<チカーノ研究>
スタンフォード大学の教授でチカーノ研究者のラモン・サルディバルが新刊を発表した。チカーノ研究の嚆矢となる『ピストルを手に構えて』を著したアメリコ・パレーデスに関する浩瀚かつ詳細かつ機知に富んだ優れた評伝である。私が先日お会いした今福氏はすでにハードカバー版を手に入れ、大事そうに抱えながら誇らしげに私に見せてくれたが、私はペーパーバック版が出版されるのをひたすら待っていたのであった。数年前にラモンに愛知県立大学でお会いしたときはちょうど、アメリコ・パレーデスの日本での足跡を調査していた時期に当たっていて、県立大の田中先生がナビゲートされていた。そのとき、パレーデスについてもっとお聞きしておけばよかったと悔やまれる。四方山話で盛り上がってしまった。先日、アマゾン経由で送られてきて、パラパラとめくり、予想をはるかに上回る出来に驚き、私はすぐに彼に称賛のメールを出した。そしていつものように、あっという間に返事をくれた。その一部。

Thank you for your very kind note. Yes, of course I remember our conversation at Aichi Prefectural University very well. As you will see, my trip to Japan was immensely important to me as it helped me put into perspective elements of what I call "the transnational imaginary" that I had simply not understood before. Our conversations deeply influenced me!

Thank you and I hope that we can keep in touch in the future about our common interests. It would be wonderful to discuss how my trip to Japan influenced the course of my thinking in my new book.

未読の書物に囲まれながら、この本は私にとってまず最初に征服しなければならない山であることは間違いない。しかし、これほど登り始める前にわくわくするような思いにおそわれる本も珍しい。ありがとう、ラモン!


<キューバ映画>
『アンタッチャブル』『ゴッドファーザー』『ブラックレイン』『オーシャンズ11,12』などの出演で有名なハリウッドスター、アンディ・ガルシアの初監督作品は、彼のアイデンティティへと立ち返るような作品となった。恋愛模様を織り込みつつキューバ革命前夜を描いた『The Lost City』である。アンディ・ガルシアはマフィア映画から連想されるイタリア系ではなく、1956年にキューバのハバナで生まれ、カストロ革命後の1961年に一家でマイアミに移住したヒスパニックだ。映画の原作は、革命前のキューバを華麗な文体で描いたギリェルモ・カブレラ=インファンテ(1929-2005)の『三頭の寂しい虎』。カストロ体制の支持者から一転して1965年にロンドンに亡命したインファンテが、ラテンアメリカの代表的な作家と認知された記念すべき作品である。革命前の豊穣な記号に満ちあふれたキューバの過剰なエネルギーを描き出すこの小説を、アンディ・ガルシアはどのように映像化したのか興味は尽きないが、日本で公開されるかはまだ決まっていない。

●Directer:Andy Garcia アンディ・ガルシア
●Screenwriter:Guillermo Cabrera Infanteギリェルモ・カブレラ=インファンテ
●Cast:Andy Garcia アンディ・ガルシア Dustin Hoffman ダスティン・ホフマン Tomas Milian トマス・ミラン Bill Murray ビル・マーレイ Jsu Garcia ガルシア Inés Sastre イネス・サストレ Enrique Murciano  Nestor Carbonell ネスター・カーボネル Victor Rivers ヴィクター・リヴァース Steven Bauer ステーヴン・バウアー  Dominik García-Lorido ドミニク・ガルシア=ロリド Juan Fernández ユアン・フェルナンデス Alfredo Álvarez Calderón アルフレド・アルバレス・カルデロン Richard Bradford リチャード・ブラッドフォード Sergio Carlo セルジオ・カルロ Waldemar Kalinowski ワルデマール・カリノフスキ William Marquez ウィリアム・マルケス Julio Oscar Mechoso ジュリオ・オスカー・メチョソ Carlos Menéndez カルロス・メンデス Gonzalo Menendez ゴンサロ・メンデス David Michie デヴィッド・ミッチー Lorenzo O'Brien ロレンツォ・オブライエン Elizabeth Peña エリザベス・ペーニャ Millie Perkins ミリー・パーキンス Daniel Pino ダニエル・ピノ Tony Plana トニー・プラマ Ruben Rabasa ルーベン・ラバサ Jordi Vilasuso ジョルディ・ヴィラスソ Mario Ernesto Sánchez マリオ・エメスト・ソンチェス

コメント[0], トラックバック[625]
登録日:2006年 04月 29日 02:02:10

アメリカを鏡とするメキシコ、そして日本

<米移民規制法案>ヒスパニック系住民のために闘牛開催 - 米国

【テキサス/米国 17日 AFP】メキシコとの国境の町テキサス(Texas)州エルパソ(El Paso)のEl Paso County Coliseumで16日、闘牛が開催された。
≫続きを読む…
(c)AFP/HECTOR MATA

AFPBB News


<アンビバレントな感情>
日本とメキシコは似ている。160年前(1848年)にアメリカに国土の半分を強奪されたメキシコと、60年前(1945年)に原爆を落とされてアメリカに占領されて骨抜きにされた日本。どちらもアメリカを特別に意識しているところが、だ。もう少しかっこよく言うと、アメリカに対して「屈辱を感じつつも憧れを抱いてしまうアンビバレントな感情」をもっている、となるだろうか。まあ、人によっては「日本はすでにアメリカと対等な関係に立っているじゃないか」と言うかもしれない。中曽根首相のおかげ? そうだろうか。最近はその辺のところを暴露するような本がどんどん出ている。夢を見ている方がいいこともあるが、それでも現実は存在する。少なくともメキシコは、911のあとに減少したとはいえ(テロリストの入国を防ぐためにボーダー・パトロールが強化されたから)、断続的に続いている移民ラッシュをみる限り、いまだアンビバレントな感情のなかにいるようである。

<天国には遠くアメリカには近い>
日本とメキシコの考え方・態度の違いは、地理的な距離とともに経済的な格差の影響が大きい。日本がアメリカと対等だと誤解できるのは、経済的にアメリカと拮抗した力を持っている(いた)からである。メキシコの場合、今津晃氏の『アメリカ大陸の明暗』にあるように、米墨戦争のあとの両国の国力は加速度的に開いていき、そして、メキシコ人は自嘲的に「天国には遠くアメリカには近い」とつぶやくような状況になっていった。メキシコとアメリカの国境線は先進国と第三世界の境界線と言われ続けてきたのである。彼らにもともと内在している人種的にも宗教的にも複雑なアイデンティティに(その複雑さのなかには「マリンチェの子」「グアダルーペの聖母」などの要素も含まれる)、もう一つの自虐的なアイデンティティが付加されたのだった。つまり、メキシコはアメリカを鏡として自らが何者であるかを映し出そうとするようになったのである。

<パチューコと鏡>
とくに、アメリカに渡ったチカーノにその傾向は顕著だ。オクタビオ・パスが『孤独の迷宮』で「パチューコ」を通して描いたのは、メキシコとアメリカのボーダーランズに呆然と佇む、万華鏡のような鏡がなければ自分を映し出せない人々の一群である。日本人もじつは自分を知ろうとするときにアメリカを鏡としている。本人がそのことに気づいているかどうかは別にして。それでいて、一方のアメリカは鏡をもたない。アメリカは他者を鏡として自らを映し出そうとしない世界で唯一の国家である。他者を次々になぎ倒す(メキシコも日本もそのなかの一つ)ことによって成立している国家は鏡によって内省する必要がない。彼らはただ、理念のなかに自らを流し込む。その理念自体は高尚であるが、潔癖性はことをし損じるものでもある。アメリカが起こしてきた数々の戦争を見ればそれは明らかだ。

<ねじれた自己確認>
アメリカに果敢に立ち向かったチカーノのヒーローたち。まるでドン=キホーテのように無謀な戦いを挑んだ、ホアキン・ムリエータやグレゴリオ・コルテスら数々のヒーローは、文学作品やコリードにおいて何度も言及されるごとに復活し、アメリカという鏡のなかに自分自身の理想像を映し出してきた。しかしどれも成功した戦いではなかった。チカーノたちはアメリカに映し出された「真の自己のつかの間の姿」をかいま見ることによって、自分たちが何者であるかを確認するという「ねじれた自己確認」を行うのである。このような「ねじれた自己」があるからこそ、彼らは文学や芸術を必要とした、とも言えるかもしれない。

<チカーノを鏡とすること>
日本とメキシコはつながっている。1609年に千葉県の御宿に漂流したメキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)の人々。そして、メキシコに向かった支倉常長。かつてアメリカと戦火を交えた両国。メキシコにとって日本は、初めて対等な友好通商条約を結んでくれた国でもある。今回、WBCで日本を決勝戦に導いてくれた国というのも加わった。日本と意外に近いところにいる人々、アメリカを鏡としている人たちを見ることによって、私たちが何者であるかをさらに深く知ることができるだろう。日本はアメリカを直視するにはあまりにも彼らに近くなりすぎてしまったからである。

そのうえで、最近かまびすしいアメリカの「移民法規制法案」についても考える。メキシコとアメリカのあいだの3000キロにわたる国境線からの不法移民よりも、日本海に中国や北朝鮮からの不法移民がボートに乗って押し寄せてくる方がはるかにぞっとする光景だ。無防備な国境線。不法入国する大量の人々。それは、あまりにも小説的な(村上龍的な?)想像力だと笑われてしまうだろうか。

コメント[3], トラックバック[481]
登録日:2006年 04月 20日 10:58:47

南北アメリカを結びつけるヒスパニック

増加し定住化する不法移民 - 米国

【カリフォルニア州/米国 8日 AFP】民間研究機関ピュー・ヒスパニック研究所(Pew Hispanic Institute)の最新報告書によると、米国内の不法移民の数は1200万人に達し、労働者の20人に1人は不法移民となる計算だと言う。
≫続きを読む…
(c)AFP/HECTOR MATA

AFPBB News


<勢いを増す反米の波>
決選投票がいままさに行われているペルーの大統領選も、前回のブログに書いたラテンアメリカにおける「反米」の流れのなかにある。その流れはますます勢いを増しているようだ。アメリカを中心とした多国籍企業が介入したことによる貧富の格差の増大は、ラテンアメリカ諸国の人々の不満をも増大させ、当分その出口は見えてきそうにない。豊富な天然資源をもちながら経済成長率が大して伸びないことに人々はいらだちを隠せないでいる。ラテンアメリカがアメリカの「裏庭」と言われた時代はもう遠い昔のことで、アメリカはいい意味でも悪い意味でも、ラテンアメリカへの関心を低下させているのだ。さらに、アメリカがキューバへの経済制裁を解除しないことがキューバのカストロ議長の神話化を促進させ、ラテンアメリカ諸国の「反米」へのうねりを後押しする結果となってしまってもいる。

<悪化する南北アメリカ関係?>
しかし「反米」の叫びのなかに「もっと俺たちのことも考えてくれ!」という谺が聞こえるのもたしかだろう。アメリカを抜きにした政治や経済は現実にあり得ない。アメリカは無視することができない強国であり続けると考えるなら当然そうなる。一方、ウゴ・チャベス大統領(ベネズエラ)を中心に反米を進める諸国は、これからの国家である中国との連携(天然資源の輸出先など)を模索している。彼らにとってはアメリカはもはや、連携相手の選択肢から漏れた「過去の国」に過ぎないようだ。今年1・2月号の『フォーリン・アフェアーズ』誌で「米州対話」(Inter-American Dialogue)」のピーター・ハキム所長は、「9・11以降、ワシントンは中南米への関心を失った」とし「アメリカの企業がアジアや中央ヨーロッパで見いだしている貿易や投資の機会を、ラテンアメリカが提供することはない」と述べた。最後に「アメリカとラテンアメリカの関係は悪化し続けるだろう」と予測している。果たして本当にそのようなことになるのだろうか? そもそも、ラテンアメリカとアメリカの関係が悪化するとはどういうことなのだろう。

<ラテンアメリカは一つになりアメリカを飲み込む>
アメリカが始まりラテンアメリカが始まる場所、ラテンアメリカが終わりアメリカが始まる場所、それがメキシコとアメリカのあいだを流れるリオ・グランデ(リオ・ブラーボ)と呼ばれる川である。北と南の関係はここにおいてもっとも先鋭的に対峙している。アメリカとラテンアメリカの関係は悪化し続けると予測されながら、北に入ろうとしてこの川を渡る「ウェットバック」の数が減ることはない。また彼らの労働力なしにはアメリカは立ち行かないという事情もある。それに対して国境に新たにフェンスを作ろうとする動きがあり、フェンスに穴をあけ続けようとする動きが収まることもないだろう。「アングロとメスティソ」「プロテスタントとカトリック」「英語とスペイン語」の境界線の役割をかろうじて担っているように見えるこの川は、実際は穴だらけなのであり、それどころか、民族と宗教と言語を混ぜ合わせる現場に立ち会っているようにさえ見える。地続きの国境線がおかれることによって私たちは、民族と宗教と言語がどのように混淆していくのかを可視化することができるのである。そして、国家と国家の間隙にあたるボーダーランズにはヒスパニックの人々がいて、大局的な経済や政治レベルの結びつきを越えて、南北アメリカ社会を多様に結びつけている。

いま、ラテンアメリカは反米を糧としながら、これまでになく「一つ」になる方向性にあるといわれているが、もしそうだとしても、統合されたラテンアメリカは北アメリカをも飲み込む足がかりをもっている。ラテンアメリカとアメリカの関係において、ヒスパニックの人々の動向にこれまで以上に注目していかなければならないだろう。

コメント[0], トラックバック[755]
登録日:2006年 04月 13日 00:45:35

国家を鏡として乱反射される新たなコミュニティ

ベネズエラとウルグアイの大統領会見 - ベネズエラ

【カラカス/ベネズエラ 14日 AFP】14日、カラカス(Caracas)のミラフローレス(Miraflores)大統領宮殿で、一連の合意文書に署名を行う式典に出席し懇談するベネズエラのチャベス(Hugo Chavez)大統領(右)とウルグアイのバスケス(Tabare Vazquez)大統領。(c)AFP/Juan BARRETO

AFPBB News


<不法移民の国アメリカ>
あとからアメリカにやってきた移民たちを「不法入国者」と認定する者たち自身が、かつて不法に入国してきたり、永住権を好意で配ってもらったりした者(の子孫)であることを考えれば、アメリカの移民問題において「不法であるかどうか」の線引きが厳しく問われているわけではない。アメリカが依然として求心力を持つ大国であり、テロリストの標的であり、身元が詳らかではない人々が多数存在し、激しく変化し続けている国であることが確認できるだけだ。なんといってもアメリカは、かつて永住権を「くじ」でプレゼントしてきた国である。私もアメリカの友人に勧められて何度か応募したことがあり(残念ながらはずれた)、私のある日本人の友人はそれに「当たって」いまカリフォルニアで楽しくやっている。そんなアメリカが、狂信的に移民を排除するような時代がこれからやってくるのだろうか。そのとき、アメリカはどこに向かうのか?

<同じ空間を共有するためのデモ>
この時期、不法移民をとりしまるための法案に反対するアメリカ人のデモとともに、テレビ画面には、CPE(初期雇用契約)に反対するフランス人によるデモが映し出されている。デモを行うための理由も違えば、アメリカとフランスでは社会の成り立ちも異なる。しかしどちらも、死者が出るほどに当局と激しくやり合うといった状況にはないようだ。というよりもむしろ、フランスからの写真を見る限り、参加している人たちはとても楽しそうに見える。誤解を恐れずにあえて書くならば、彼らはデモ行動を通して「人と人のつながりを確認し合っている」ようにさえ見える。血縁や階級や宗教のような旧態依然としたつながりではなく、ある考えをともにした者が街に繰り出して同じ空間を共有するという行為は、私たちを昂揚させるのだろう。日本でも、街を練り歩く「デモ」をたまに見かけるが、彼らもとても楽しそうに私には映る。国家を鏡として乱反射されるさまざまなつかのまの共同体は、これまで国家などが提供してくれた「帰属感の代替物」となっているのではないだろうか。

<ラテンアメリカの左傾化>
話は大きく変わるが、3月10日に、強硬姿勢で有名なベネズエラのウゴ・チャベス大統領は、与党が全議席を閉めている国会で国旗のデザインの変更を決めた。中央にある7個の星を8個にし(シモン・ボリバルの分を足したということだ)、国旗の左上に掲げられている「右」を向いて走っていた馬は、「左」に向かって走ることになった。右から左への転換は左傾化を意味しているのだろう。また、今年の初めに、コカ葉の栽培農家代表であり反米左派のエボ・モラレスが、アメリカが不快感を示すなか、ボリビア初の先住民出身の大統領に就任して話題になった。二人ともカストロを賞讃する内容の演説を行っている。つまり、「反アメリカ」の表明が、国民からの信託に直結する時代になったと言えるだろう。カストロはその象徴というわけだ。

<象徴としてのカストロ>
しかしまた、それは残念なことに「象徴」でしかない。ラテンアメリカのどの国も、いまのキューバのようになりたいとは考えていない。ただ、国境線の敷居が低くなり、国家の独自性を保つことがますます困難になる状況で、カストロだけが独自性を維持しアメリカと渡り合ってきた唯一の国家であることは間違いない。アメリカに経済制裁を受けながらもしぶとく生き残ったキューバは、アメリカを快く思っていないラテンアメリカ諸国にとっては、現実に政治体制や経済を真似するかどうかはともかく、反米の輝かしき象徴として存在しているのである。アメリカを鏡にしながら、ラテンアメリカ諸国は独自性を保ち、結束する。アメリカを意識せずに、ラテンアメリカは成立することはできない状況にまだおかれている、日本のように。彼らがその呪縛から解き放たれるかどうかの鍵は、アメリカ国内にいるヒスパニックの人々とのつながりにかかっているのではないだろうか。

コメント[0], トラックバック[165]
登録日:2006年 04月 05日 17:08:09