2006年 04月 20日

アメリカを鏡とするメキシコ、そして日本

<米移民規制法案>ヒスパニック系住民のために闘牛開催 - 米国

【テキサス/米国 17日 AFP】メキシコとの国境の町テキサス(Texas)州エルパソ(El Paso)のEl Paso County Coliseumで16日、闘牛が開催された。
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(c)AFP/HECTOR MATA

AFPBB News


<アンビバレントな感情>
日本とメキシコは似ている。160年前(1848年)にアメリカに国土の半分を強奪されたメキシコと、60年前(1945年)に原爆を落とされてアメリカに占領されて骨抜きにされた日本。どちらもアメリカを特別に意識しているところが、だ。もう少しかっこよく言うと、アメリカに対して「屈辱を感じつつも憧れを抱いてしまうアンビバレントな感情」をもっている、となるだろうか。まあ、人によっては「日本はすでにアメリカと対等な関係に立っているじゃないか」と言うかもしれない。中曽根首相のおかげ? そうだろうか。最近はその辺のところを暴露するような本がどんどん出ている。夢を見ている方がいいこともあるが、それでも現実は存在する。少なくともメキシコは、911のあとに減少したとはいえ(テロリストの入国を防ぐためにボーダー・パトロールが強化されたから)、断続的に続いている移民ラッシュをみる限り、いまだアンビバレントな感情のなかにいるようである。

<天国には遠くアメリカには近い>
日本とメキシコの考え方・態度の違いは、地理的な距離とともに経済的な格差の影響が大きい。日本がアメリカと対等だと誤解できるのは、経済的にアメリカと拮抗した力を持っている(いた)からである。メキシコの場合、今津晃氏の『アメリカ大陸の明暗』にあるように、米墨戦争のあとの両国の国力は加速度的に開いていき、そして、メキシコ人は自嘲的に「天国には遠くアメリカには近い」とつぶやくような状況になっていった。メキシコとアメリカの国境線は先進国と第三世界の境界線と言われ続けてきたのである。彼らにもともと内在している人種的にも宗教的にも複雑なアイデンティティに(その複雑さのなかには「マリンチェの子」「グアダルーペの聖母」などの要素も含まれる)、もう一つの自虐的なアイデンティティが付加されたのだった。つまり、メキシコはアメリカを鏡として自らが何者であるかを映し出そうとするようになったのである。

<パチューコと鏡>
とくに、アメリカに渡ったチカーノにその傾向は顕著だ。オクタビオ・パスが『孤独の迷宮』で「パチューコ」を通して描いたのは、メキシコとアメリカのボーダーランズに呆然と佇む、万華鏡のような鏡がなければ自分を映し出せない人々の一群である。日本人もじつは自分を知ろうとするときにアメリカを鏡としている。本人がそのことに気づいているかどうかは別にして。それでいて、一方のアメリカは鏡をもたない。アメリカは他者を鏡として自らを映し出そうとしない世界で唯一の国家である。他者を次々になぎ倒す(メキシコも日本もそのなかの一つ)ことによって成立している国家は鏡によって内省する必要がない。彼らはただ、理念のなかに自らを流し込む。その理念自体は高尚であるが、潔癖性はことをし損じるものでもある。アメリカが起こしてきた数々の戦争を見ればそれは明らかだ。

<ねじれた自己確認>
アメリカに果敢に立ち向かったチカーノのヒーローたち。まるでドン=キホーテのように無謀な戦いを挑んだ、ホアキン・ムリエータやグレゴリオ・コルテスら数々のヒーローは、文学作品やコリードにおいて何度も言及されるごとに復活し、アメリカという鏡のなかに自分自身の理想像を映し出してきた。しかしどれも成功した戦いではなかった。チカーノたちはアメリカに映し出された「真の自己のつかの間の姿」をかいま見ることによって、自分たちが何者であるかを確認するという「ねじれた自己確認」を行うのである。このような「ねじれた自己」があるからこそ、彼らは文学や芸術を必要とした、とも言えるかもしれない。

<チカーノを鏡とすること>
日本とメキシコはつながっている。1609年に千葉県の御宿に漂流したメキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)の人々。そして、メキシコに向かった支倉常長。かつてアメリカと戦火を交えた両国。メキシコにとって日本は、初めて対等な友好通商条約を結んでくれた国でもある。今回、WBCで日本を決勝戦に導いてくれた国というのも加わった。日本と意外に近いところにいる人々、アメリカを鏡としている人たちを見ることによって、私たちが何者であるかをさらに深く知ることができるだろう。日本はアメリカを直視するにはあまりにも彼らに近くなりすぎてしまったからである。

そのうえで、最近かまびすしいアメリカの「移民法規制法案」についても考える。メキシコとアメリカのあいだの3000キロにわたる国境線からの不法移民よりも、日本海に中国や北朝鮮からの不法移民がボートに乗って押し寄せてくる方がはるかにぞっとする光景だ。無防備な国境線。不法入国する大量の人々。それは、あまりにも小説的な(村上龍的な?)想像力だと笑われてしまうだろうか。

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登録日:2006年 04月 20日 10:58:47