2006年 07月

アメリカのヒスパニック系移民による異議申し立て

米各地でメーデー記念集会、移民数万人によるデモ行進 - 米国

【ロサンゼルス/米国 2日 AFP】メーデー(May Day)の1日、ロサンゼルスで移民の権利を求める数万人規模のデモが行われた。移民支援グループが主催したこのデモは、議員に圧力をかけ移民保護法を制定に導いた上、数百万人といわれる不法移民への市民権の授与を目指したもの。ピュー・ヒスパニック・インスティテュート(Pew Hispanic Institute)の最新の発表によれば、国内には1200万人の不法移民が在住し労働者の20人に一人が不法移民という計算になる。写真は、ロサンゼルスの通りを埋め尽くす移民のデモ。(c)AFP/HECTOR MATA

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ピープルズ・プランの文章を書き上げたのでここにも掲載しておきます。「営利団体ではない」とのことなので問題ないでしょう。このブログに書いてきたことをまとめた、という面もありますので、とりあえずは、この文章を読めば、私の考えていることがどんなものかわかると思います。よろしくお願いいたします。


<ロサンゼルスのデモ行進>
 今年のメーデーに、ロサンゼルスの大通りを埋めて行進しているヒスパニック系移民の姿をテレビで見た人もいるかもしれない。多くの人はその画面を遠い国の出来事のようにぼんやりと眺めていたのではないだろうか。ヒスパニックは数年前に「(黒人を抜かして)アメリカにおける最大のマイノリティ」と位置づけられ、また昨年、メキシコ系のアントニオ・ビリャライゴーサがロサンゼルスの市長に選ばれたりしたが、日本では彼らに対する知識や理解はほとんど深まっていないという印象がある。なぜヒスパニックは日本からこれほどまでに遠く感じられるのだろう。その問いに対しては、いくつかの理由がすぐに思い浮かぶが、おそらく、ヒスパニックという「人種や宗教によって定義されることのない人々の集団」を把捉するためのの言葉を、私たちがいまだ手にしていないというのが大きな理由だろう。あるいはもっと基本的な部分において、つまり、ヒスパニックのアイデンティティの源にあるラテンアメリカ(リオ・グランデよりも南の地域)およびカリブ海が、私たちにはまだ馴染みがないという理由からかもしれない。いずれにしても、日本の行く末に大きな影響力を維持し続けているアメリカを内部から大きく動かそうとしている集団がヒスパニックだ、という認識はもっておく必要があるだろう。
 今回のデモ行進はそのヒスパニックを理解するためのさまざまな要素を含んでいる。まず、彼らが反対している「HR四四三七(下院四四三七号議案)」の内容を概観してみよう。「出入国管理」をさまざまな面において大幅に強化する性格をもつこの議案は、具体的には、国外退去者の定義を拡大して国外へと追い出すこと、強制勾留措置を拡大して国内の不法移民を把握すること、そして、移民に対する市民権取得のための条件を制限すること、などが含まれている。くわえて、州や地方の警察に対して移民法に基づく法的な行使力の権限を付与し、移民局に対する法的な調査権限を強化させるとしている。さらに、米墨国境にあるフェンスの設置をより多くの場所で認めるという項目も含まれている。ひとことで述べるならば「もう新たな不法移民を入国させず、いま不法に入国している者は国外へ退去させること」を目的とする議案である。この不法移民取締強化法案は、二〇〇五年一二月に下院を通過した。すなわち、これによって民事法上の罪が刑事法上の罪となり、不法移民を手助けした者も罪に問われ、不法入国者は強盗と同等の重犯罪とみなされる可能性が強まったわけである。その結果を受けたデモ行進は、三月二十五日にロサンゼルスで五十万人規模で行われ、四月十日には全米百以上の街に拡大した。その火はさらにボーダーを越えて「米国商品不買運動」という形でメキシコにまで広がっている。この議案が提出された裏側には、東京の人口に匹敵する約一二〇〇万人の不法移民がアメリカ国内に滞在し、その八割はヒスパニックという現実がある。また、米国内のヒスパニック人口はすでに約四千三百万人に達していると推定されている。

<アメリカにおける不法移民問題>
 ヒスパニックを構成している最大の集団であるメキシコ系の人々のプロトタイプは、アメリカが帝国主義的性格を身にまとい始めた米墨戦争(1846-48)にまでさかのぼることができる。この戦争後の条約によって、アメリカ南西部は一瞬にしてメキシコ領からアメリカ領となった。彼らがデモ行進で「私たちが国境を越えたのではない。国境が私たちを越えたのだ」というプラカードを掲げ、アメリカの南西部を「精神的な故郷」と位置づける理由もここからくる。ロサンゼルスやサンフランシスコやサンディエゴなど、この地域にスペイン語の地名が多いのはそのためである。いずれにしても、国家間の境界線が人々の間に暴力的に引かれたあとでは、それを無断に越えることは「不法」となる。それと同時に、移民国家アメリカにとっての不法移民性とは何か、という疑問がそこに伏流していることもたしかである。移民の流入によって成立してきたアメリカにおいて、不法移民問題とどう対峙するかは国家の存在意義に触れる難しい問題をはらんでいる。「不法」というからには法律に違反しており、そのようなメキシコ人を国家として取り締まるのは当然のことであろう。しかし、アメリカが帝国主義的な領土拡大政策のなかで広大な土地を割譲して現在のような国境線を画定したことを考えると、不法移民問題はいまなお続くアメリカの帝国性に抵触するアクチュアルな問題を喚起する。先住民を暴力的に駆逐し、メキシコ人をも追い出したうえで、おもにヨーロッパからの移民が少しずつ流入し「アメリカ人」へと推移してゆく過程が、アメリカ国家の成立のプロセスだった。どこからが不法移民でどこからがそうではないのかは「権力」を持つ者(勝者)と持たない者(敗者)の違いに過ぎない、とも言える。さらには、アメリカはつねに新たな移民を吸収し成長し続ける一方で、大恐慌や二度の世界大戦にともなう労働力不足(過剰)を、おもにメキシコ人を対象にした数々の移民法を制定し「出入国管理」を行うことによってしのいできたという側面もある。不法移民と合法移民の境界線は建国以来つねに流動的だったのだ。私たちは、ネイティヴ・アメリカンはヨーロッパからの「不法移民」によって殺され、アメリカで最初に話されたヨーロッパ言語はスペイン語だったことをたまに思い出す必要があるかもしれない。つまり、今回の不法移民規制強化法案は、アメリカの暴力的な過去の歴史を再び呼び戻す強力な契機をともなっているという点においても、大きな意味を持っている。先住民の先住権を尊重することなしに「不法」に入り込み、さまざまな形の移民の導入によってフロンティア(アメリカ的なるものを普及する最前線)を拡大し続けてきたアメリカは、いまでも世界各地で他者の土地に介入しフロンティアを拡大し続けていると見ることもできるだろう。
 しかし、また「もともとここは私たちの土地だった」という主張が無条件に認められるならば、世界中のほとんどの土地は終わりのない議論の俎上にあげられることになるだろう。南北アメリカ大陸はネイティヴ・アメリカンの土地だった、と言ってみても何も解決はしない。アメリカ南西部がかつてメキシコの大地であったことは、不法移民の流入を許す理由にはならない。「ある時代においてここはもともと私たちの土地だった」ことがたとえ事実であったとしても、それが理由で「不法」に国境を越えたり占拠したりしてもいいという理由にはならないのである。だからこそ、現代のアメリカを知るために、不法移民問題を契機にして、アメリカの帝国主義性が発揮された端緒となる米墨戦争にまでさかのぼって考えることは非常に有益だと私は考える。さらに、1898年の米西戦争の結果、プエルトリコやキューバがアメリカの支配下におかれたことも考え合わせると、アメリカがヒスパニックと正対することはアメリカの帝国主義性を吟味するための本質的な要件に関わってくるはずである。

<ヒスパニックとは誰か?>
 ヒスパニックは人種概念でも宗教概念でもない。ヒスパニックのなかには、黒人もいれば白人もいる。カトリックもいればプロテスタントもいる。したがって、ヒスパニックに所属しているのかどうかは個人の選択に依存している。「日本人」であってもヒスパニックになる可能性は十分に残されている。この曖昧さが人種構成を打ち破るきっかけとなっている。混血に彩られたラテンアメリカの大地から移民大国アメリカへと移住することによって、ヒスパニックは人種の境界線を流動化させてきた。その点において、国家を司る者たちにとっては厄介な存在に映っていることだろう。一方、ヒスパニックの多様性は、今回のデモ行進を呼びかけたのがある統一された集団としての意志ではなく、教会や労働組合や移民集団などさまざま寄せ集めの組織だったこととも関係している(もちろんMIWONのように中心となって動いている組織は存在する)。メキシコのどの地方の出身なのかによってもグループは変わり、エルサルバドルとグアテマラからの移民も急増している。また、すでに社会的な地位を獲得した富裕層のヒスパニックは今回のデモには参加していない。言うまでもなく、階級とエスニシティは必ずしも一致しないのである。ヒスパニックは、人種的にも宗教的にも階級的にも一つではない。
 さらに注意すべきは、ヒスパニックの主要な構成者であるメキシコ系とプエルトリコ系とキューバ系が抱える背景は、ラテンアメリカおよびカリブ海やスペイン語をアイデンティティの基盤としている点では共通しているが、その他の点においてはかなり異なっていることだ。メキシコ系の人々は、アメリカ南西部をもともと自分たちの土地だったという論拠を打ち立てることができるだけの歴史を経てきているし、プエルトリコ系の人々は、独立派が劣勢のままアメリカの自治領であり続けることを自ら選択している。そして、キューバ系の人々は、カストロ革命を経てアメリカ政府とのあいだで翻弄された多様な主義主張をもつ人々を巻き込んでいる。ヒスパニックが一枚岩ではないどころか、それぞれの集団のなかでも対立は先鋭化し、本国との対立もそこには含まれている。それゆえ、ヒスパニックという曖昧な名称によって彼らを集団として論じていくことはますます不可能になってきている。いったい、ヒスパニックと呼ばれている人たちは誰なのか。集団の名称には「名づけるもの」と「名づけられるもの」のあいだのせめぎ合いが浮き彫りになっており、時代と場所と状況によって名称は多様に変化してゆき、現在もその変化の過程のなかにある。同じ人物が国境線を越えることによって瞬間的に呼ばれ方が変わり、また、その人物のどこに焦点を当てるかによって呼ばれ方が変化する。たとえば、日本では「アメリカ」を「アメリカ合衆国」の意味で使うけれども(この文章でもその慣例にしたがっている)、ラテンアメリカで語る場合にはアラスカからパタゴニアまでを指す名称へと変化する。同じ対象に対して、語る人がどこに立っているかによって名称が変わる一つの例である。メキシコとアメリカのあいだを流れる川にはこれまでに78の名前がつけられたそうだ。現在でも、アメリカ側からはリオ・グランデと呼ばれ、メキシコ側からはリオ・ブラーボと呼ばれている。つまり、対象が変化せずとも名称は変わるのであり、話される言語が変われば名称も変わる。また、同じものを見ているにもかかわらず、立場によって意味づけも変わる。そして「川」のような地理的な対象物とは違い、人間のような対象の性質自体が変化する場合にはさらに状況は複雑になる。「ポブラーノ」(メキシコのプエブラ州の住民)や「メヒカーノ」(メキシコ人)や「アバネーロ」(ハバナの住民)や「クバーノ」(キューバ人)はアメリカ国内へと移住するやみな、ヒスパニック(またはラティーノ)とまとめて呼ばれるようになる。彼らは長い間、ヒスパニックやスパニッシュアメリカンと呼ばれていた時代があり、イベロアメリカーノと呼ばれた時期もある。それよりも前の時代にはただ「スペイン人」と呼ばれていた。スペイン語を話すという理由だけで、キューバ人もプエルトリコ人もそう呼ばれたのである。イタリア人とドイツ人とフランス人とスペイン人を統一した名称で呼ぶことが不可能なように、メキシコ人とキューバ人とプエルトリコ人をまとめて呼ぶことはもともと不可能なのだ。アメリカは、ラテンアメリカを出自とする人々をまとめて扱いたいがために彼らを総称できるような言葉を作り上げ当てはめようとするが、いよいよそれは難しくなってきている。

<アメリカを動かすヒスパニックの力>
 話を整理しよう。アメリカ国内のヒスパニック人口の巨大さが国家を動かそうとしていること、アメリカにおける不法移民の不法性の歴史的な意味についても再確認する必要があること、そして、ヒスパニック自体の多様性にともなう名称の問題が現実を捉えにくくしていること。それらをふまえた上で、デモ行進がヒスパニックによる異議申し立てという主張以上のものを生もうとしていることも確認しておきたい。その副産物の大きさをアメリカ政府はもう看過できなくなっている。それは、いままで投票に行かず有権者登録さえしなかったヒスパニックの人々が「政治」に関心を寄せ始めたことだ。たとえば、二〇〇四年の大統領選挙で、選挙権のあるヒスパニックは千六百八万人、そのうち有権者登録をした人は九百三十万人、投票した人は七百五十八万人に過ぎなかった。四千万人を越えるヒスパニックの総人口に比べていかに少ないかがわかるだろう。アメリカ政府がここにきて不法移民に対して優柔不断な対応をしているのは、膨大な数の人々がデモ行進に参加したという事実よりも、大統領選挙にまで大きな影響を与えるであろうヒスパニックの大票田に注目し始めたからだった。十一月には中間選挙がひかえているのである。ヒスパニックはいよいよ数だけではなく政治的発言力を通して大きな影響力を持つようになるかもしれない
 少しさかのぼるならば、1994年のNAFTA(北米自由貿易協定)締結による貧富の差の拡大と顕在化、同じ年に提出されたカリフォルニア州による「提案一八七」(不法移民をターゲットにしたものだが、違憲の疑いがあり連邦裁判所から実施を停止されている)などを経て(その後もいくつかの「提案」が出された)移民問題はこの一〇年で苛烈さを増大させている。また、二〇〇一年の同時多発テロも移民の規制を強化させる要因となった。お金を稼ぐために国境を越えてアメリカに移住し、新たなコミュニティを構成しつつ「政治」との関わりをなるべく避けてきた人々も、これまでも大小さまざまなデモはあったものの、今回の不法移民規制強化法案によって大きく動かざるを得なくなった、というのが実情である。政治という現実の「世界」と直面する際の「不安」とを引き替えにしてまで、居心地のいいコミュニティから出ようとするきっかけを与えたこの法案の影響は大きい。バリオと呼ばれる本国の飛び地(コミュニティ)はチャイナタウンやリトルトーキョーと同じように、あるいはそれよりもリアルに本国の風景を再現している。バリオの境界線はもう一つの国境線であった。国土は戦争に勝利することによって獲得せずとも、バリオによって拡大していったのである。ラテンアメリカによるレコンキスタは着々と進行していた。ロサンゼルスにおけるバリオはもう一つのメキシコだったとさえ言える。しかしそこは、所属する国家との関わり合いを忌避することと引き替えにして本国の風景を維持することができた幻想でもあった。メキシコ系アメリカ人の土地であったチャヴェス・ラヴィーンが資本主義の原理のなかでドジャースタジアムに変貌したように、メキシコの風景を維持するためにはアメリカ国家と政治的にも対峙する必要があった。あるいはまた、アメリカンドリームを夢見る若者がバリオを飛び出しアメリカに「同化」しようとすることによってもバリオは急速に変貌していった。しかし、その裏側の動きも見過ごすことはできない。バリオから出てデモ行進を行い、アメリカンドリームをつかみ取る者が現れ、国家に深くコミットメントしてゆくにしたがって、外の「世界」を闊歩していたはずのアングロの人々はゲイティッド・コミュニティに立てこもろうとしている。バリオとゲイティッド・コミュニティは背中合わせの存在である。「ヒスパニックがアメリカを動かす」だけでは根本的に変わらない現実がそこにはある。

<デモ行進はアメリカを変える>
 まちがいなく、彼らは大統領選挙に向けて自らの権益を徐々に獲得していくことができるだろう。私たち日本に住む者にとっても、これだけの人口を抱えた集団がどのような行動に出るのかは注目していかなくてはならない。それと同時に、ヒスパニックというきわめて多様で開かれた集団がアメリカに「再び」登場したことの意味をあらためて確認していく作業も必要である。ヒスパニックの登場でアメリカはどう変わるのか。これまで、戦争が排他的な国境線を作り出し、その国境線の存在が新たな諍いを作り出してきたように、アメリカ国内では、暴動やデモがコミュニティ間の境界線を作り出し、その境界線が暴動やデモを作り出してきた。白人たちはいまや、米墨国境以外の国内のもう一つのフェンスに閉じこもろうとさえしている。この悪循環のループのなかにいる限り、コミュニティ間の軋轢の歴史に終止符を打つことはできないだろう。フェンスを破壊し、国家成立のための意志をもたない限り、国家は成り立たない。国家は幻影かもしれないが、人々の意志あるところに投影される現実でもある。国家に反発したり殻に閉じこもるのではなく、その構造自体を変革するための知恵と勇気がいまこそ求められているのではないだろう。
 ヒスパニックは長いあいだアメリカ国家に含まれない余剰部分あるいは他者性を引き受け、アメリカの裏側のアイデンティティを担ってきた。それはつまり、アメリカがヒスパニックという他者を作り出すことによって統一性をかろうじて維持してきたということでもある。国内外に他者を強引に作り出す限りにおいて、アメリカは安定を保つことができた。「ヒスパニック」と総括的な名称を使うことによってそのような構造をアメリカはかろうじて保ってきたのである。しかし、数々のデモ行進は、アメリカ国内の隠蔽された歴史とその矛盾を暴露するとともに、ヒスパニック内の多様性とそれにともなう脆弱さをも露呈し、その結果、理念先行型国家アメリカに複雑で豊かな意味合いをもたせようとしている。そのような状況を考慮した上で私は、ヒスパニックもスペイン語にこだわるのではなく、英語を学ぶ必要があると考える。バイリンガルなどという言語に境界線を設けるような発想は共同体に境界線を仕切る発想と変わらず、ものごとをなにも改善させないばかりかヒスパニックを孤立させることになるだろう。おそらく、彼らが学ぶ英語にはスペイン語の響きがそっと忍び込み、もともとクレオールな英語をさらに豊かにするはずだ。そして、ヒスパニック人口の増大とともにその「英語」は次第に英語とは呼べないものに変化していくに違いない。もしかしたらそれは、かつて「スペイン語」と呼ばれていたものに変わっている可能性さえある。
 言語にしても歴史認識にしても人種構成にしても、実験国家と呼ばれてきたアメリカの本当の「実験」はヒスパニックによるこのデモ行進から始まる。自らの血のうちに他者を想像する契機をはらむヒスパニックの認識と同じように、アメリカは歴史や人間をいくつもの層のなかで互いに影響を与え合っているものとして再創造できるかどうかの岐路に立っている。アメリカのフィルターをかけられた画一的な情報に慣れ親しんでいる私たちにとっても、ヒスパニックが開けようとしているこの新しい風穴から流れてくる新しい風景は大変魅力的に映るのではないだろうか。フェンスに開けられた穴は、不法移民を通すためだけのものではない。その向こう側に広がる風景は、私たちの未来でもある。

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登録日:2006年 07月 25日 13:15:40

思想と思想のあいだの補助線

「KROQ Weenie Roast Y Fiesta」 レッド・ホット・チリペッパーズが出演 - 米国

【カリフォルニア/米国 13日 AFP】カリフォルニアのラジオ局「KROQ」が毎年主催しているフェスティバル「Weenie Roast Y Fiesta」が、 カリフォルニア州アーバイン(Irvine)市のVerizon Wireless Ampitheaterで開催され、レッド・ホット・チリペッパーズ(Red Hot Chili Peppers)が出演した。写真は、ヴォーカルのアンソニー・キーディス(Anthony Kiedis)。(c)AFP/Getty Images Karl Walter

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ユダヤ教のハシディズム派に属するマティスヤフの歌詞の日本語訳を眺めていると、ユダヤ教に関する項目と解説が山ほど出てきて、読んでいるだけで旧約聖書を勉強しているような気分になる。傾倒していたボブ・マーリーを通してレゲエと出会い、ラスタファリアンも旧約聖書を信じて歌詞にのせていることを知った彼は、ユダヤ教とレゲエを結びつけたのだった。レゲエにのせられるユダヤ教の教義。それだけならば、ユダヤ教信者のちょっと変わったミュージシャンで終わるところなのだが(実際、ジャケットにも典型的なハシディズム派の格好で写っていて少々異様である)、敏腕プロデューサーのビル・ラズウェルの力なのか、音楽自体にも非常に力がある。発売と同時に音に接した私はしばらくの間はレゲエのリズムのなかにいたものだ。それにしても、レゲエのリズムは怖ろしいもので、あのビートに生活を浸食されると行動のリズムがなんだかすべてジャマイカになってしまう。最近は意識的に遠ざけるようにしている。梅雨が明けたら再び聴き始めることにしよう。

しかし、一般的なイメージとしてのユダヤとジャマイカは、おそらく誰に尋ねてもほとんど接点を見出し得ないのではないだろうか。私もそうだった。何世紀にもわたる反ユダヤ主義の歴史をかいくぐってきたユダヤ人たちの「ディアスポラ」精神は、トーラーを初めとした文字の上に共同性を構築する。国民国家を「想像上の共同体」と名づけるよりもはるかに過激に、文字の上に彼らは「想像上の共同体」を築き上げる。それはつまり、思想と思想のあいだにも補助線を引くことに彼らが長けているということだ。マティスヤフは、ラスタファーライ(ラスタファリアンの共同性)とユダヤのあいだに軽やかに補助線を引き、レゲエをユダヤのなかに導き入れた。ユダヤが生き残る術をこのようなところからかいま見ることができるだろう。黒人とユダヤ人のあいだにはマティスヤフを通してパイプが敷かれたのだった。

とはいえ、ラスタファーライもユダヤも定義することが非常に難しい。ラスタファリアンとは誰なのか? ユダヤ人とは誰なのか? その定義のしにくさを内田樹はユダヤに関する著書のなかで「ヨーロッパがユダヤ人を生み出したのではなく、むしろユダヤ人というシニフィアンを得たことでヨーロッパは今のような世界になったのである」と述べている。ユダヤを通して初めてヨーロッパを語れるようになり、そして、マティスヤフを媒介にし、ラスタファーライを通して初めて語れるものがあることを私たちは知る。さらに「世界に意味を見出してしまう」共同性のクセというものがあることも学ぶ。「音楽とメッセージのバランスが重要だ」とマティスヤフはあるところで語っている。メッセージが偏重になってもいけないのだ。しかし、日本語で歌われる音楽には、もう少しメッセージの役割を担わせてもいいのではないか。そんなことも考えさせられる。

音楽とメッセージのバランス。そして、ある共同性と共同性のあいだの架け橋となるような歌詞。このブログを読んでいるような人なら、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの歌詞をすぐに連想するだろう。類い希なグルーブ感にのせられる歌詞にはさまざまな補助線が引かれている。「カーム・ライク・ア・ボム」にはジェームズ・ボールドウィン(黒人作家)とエミリアーノ・サパタ(メキシコの革命家)が共生し、「ウォー・ウィズィン・ア・ブレス」にはEZLN(サパティスタ国民解放軍)とインティファーダ(パレスチナ人による対イスラエル抵抗闘争)が共闘している。ユダヤとラスタファーライの知恵は、チカーノやパレスチナの共同性ともたしかにつながっている。それを感じるかどうかは私たち次第だ。

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登録日:2006年 07月 24日 00:13:51

スタバンスから始まった私のヒスパニック研究

<米移民規制法案>不法移民、より険しいルートをたどる傾向に - 米国

【アリゾナ/米国 18日 AFP】アリゾナ州アリバカ(Arivaca)付近の隠れ場所で18日、発見された40人の不法移民グループは、メキシコのアルタル(Altar)から2日間歩き、アリゾナ州へ入国したという。
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(c)AFP/HECTOR MATA

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<ヒスパニック私的事始め>
大学院に入り直してから、まとまった形でヒスパニックの研究書を読んだのは、イラン・スタバンスの『ヒスパニックの条件』が最初である。いまからちょうど10年前のこと。ほぼ毎日のように中部大学の図書館にこもって、文学から歴史学まであらゆる分野の本を端から端まで読んでいたころの話だ。20代のときにはあまり本など読まなかった。だから、私の知識と学問的な感性の大半は、あの愛知県の片田舎で仕入れたものである。図書館は大きければいいというものではない。品のいい書店(日本にはあまりない)がなぜか建物全体から不思議に気持ちのいいオーラを発しているように、優れた図書館も図書館員のセンスに大きく依存している。私は彼らの趣味趣向に誘われながら目に見えない栄養をどんどん摂取していったのであった。しかし一方で、目に見える現実問題としての食料状況には非常に困窮していたのも事実で、おそろしく貧乏だった私は洋書を買うお金など持ち合わせているはずもなく、図書館にこのスタバンスの本を購入してもらい(届くのに数ヶ月かかった記憶がある)コピーしたうえで書き込みながら読み進めていった。勉強ほどお金のかからない趣味はない。

<ヒスパニックを語るための方法論>
振り返ってみると、この本を突破口としてヒスパニックの世界に足を踏み入れたことは、私にとって大変に幸せであったことがわかる。あまりにも特定の集団に思い入れをもちすぎた著者によるアングロに対する「恨み節」のような本を最初に読んでいたら(時代性もあるが、そういう本は少なくない)、私は熱くマイノリティのために奔走する社会運動家の性格を身にまとっていたかもしれない。ただでさえ暑苦しい性格なのに、学問上でもバランスを逸することで命取りになるところであった。メキシコ仕込みの生粋のユダヤ人であり東欧系移民の「白人」でもあるスタバンスは、生まれ故郷のメキシコ(およびメキシコ系アメリカ人)に対しても相対的な視点を持ち込むことに成功している。いわんやキューバ系やプエルトリコ系に対してはきわめてバランスのとれた描写に徹している。それは必ずしも学術的な配慮が平等な視点で隅々まで行き届いていることを意味しない。本の冒頭に書かれているように、彼は徹底して個人的な視点からヒスパニックを描き自分の問題として扱っている。ある対象を描くときに、教科書のように書くことも可能だったはずだが、彼はそうしなかった。スタバンスはまた、国境よりも南で採用されている方法論に基づいて書き進めた、とも書いている。アメリカ国内のヒスパニックを語るためにラテンアメリカの発想を必要としたということだろう。ヒスパニックのような迷宮を語るためには「方法論」こそがとても重要だということである。

<翻訳者の視線>
いまその本を訳していて、形の上ではほぼ終了しつつある。しかし問題なのは、その次の段階である。ふつうに日本で生活している人にはおよそ縁のない人名や書名や地名が次々と登場する本を、横から縦にカタカナに直してそのまま提示することにあまり意味を感じない。スタバンスが「個人的な視線からヒスパニックを語る」という方法論を採用した意義をくみ取らなければならない。また、彼よりもさらに相対的な視点を持ち合わせているであろう「日本人」としての私の視線も、自分が意識するしないにかかわらず投影されてしまうことに自覚的であらねばならない。以前『境域の文学』(岩波書店)のなかでスタバンスの「自伝的随想」を訳させていただいたときは、註をかなり多めに書いた。それが私の視線の一部であるということになるだろう。今回も膨大な註をつけたいと考えている。数年前に、マンハッタンのヒスパニックが集まる会場でのシンポジウムで、スタバンスが司会と講演と通訳(英語とスペイン語)をするというので、会いに出かけたことがある。シンポジウムが終わって私を見つけてくれ、たくさんの人が彼と話したくて待っているなか、20分以上も私の相手をしてくれた。ヒスパニックについて学び始めたときのことを思い返すと感無量であった。私のヒスパニック研究の新たな局面を迎えるためにも、この翻訳はなんとか完成させたいと思っている。

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登録日:2006年 07月 14日 13:06:44

「人生とは旅であり、旅とは人生である」

中田英寿、現役引退を表明 - 東京

【東京 3日 AFP BB】サッカー日本代表の中田英寿(Hidetoshi Nakata)が現役引退を表明。自身のホームページで明らかにした。写真は6月22日、06サッカーW杯グループリーグF第3戦、日本対ブラジルの試合後に手を振る中田英寿。(c)AFP/TOSHIFUMI KITAMURA

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<思いは叶う>
前回「お金は所望しないからどこかに文章を書かせてほしいなあ」と書くやいなや、『ピープルズ・プラン』(http://www.jca.apc.org/ppsg/)からヒスパニックに関する文章を依頼された。思いは通じるものである。もちろん、関係者がこんな辺境のブログをのぞいているというわけではなくて「思いを言葉にすれば言霊となって世界に発信される」ということである。しかも『ピープルズ・プラン』からは「原稿料が出ない」らしく、そんなところまで言霊は現実化してしまったのである。すごい。今月の下旬に一気に20枚書く予定。頭の中ではもうすでにできあがっている。それでは、調子に乗ってもうひとつ。「来年度、お金は少しでいいから(多くても大歓迎)、ヒスパニックについて話させてくれる大学があると嬉しいです」。

<私のなかのクバーノとチカーノ>
家にあるキューバ関連の資料を引っ張り出して眺めている。意外と資料が揃っているのは、私が日本で初めてお会いしたヒスパニックはキューバ系アメリカ人のココ・フスコ(http://www.thing.net/~cocofusco/)だったからで、そのときにキューバについてかなり調べた覚えがある。いやその前に、私が初めて翻訳を通してお金をいただいたのがココの「ミランダの日記」(http://tenplusone.inax.co.jp/backnumber/no08.html)だった。いまから10年前のこと。「勉強でもするか」と30歳を過ぎて急に人生の方向転換をしたころの話だ。10代や20代の時分に進めべき方向が決まっている恵まれた人と私は違った。まあ、いろいろあったわけだ。ココはアメリカの大学の先生にありがちなとても教え好きな人で、電車で一緒に移動するときも私にノートをもたせて「はい、今日のチカーノ講座を始めますよ」と朝から講義をしてくれた。彼女がギリェルモ・ゴメス=ペーニャ(チカーノのパフォーマンス・アーティスト)と別れてすぐの頃だったので、ゴメス=ペーニャの話もたくさん出た。彼は日本に来たことが一度あったらしく、そのときの話もしてくれた。日本人の背丈が一様で「ボーリングのピンのなかを歩いているような気がする」と語ったそうだ。どういう理由で来日したのかは忘れてしまった。そのときにココから「Chicano don't write.」と言われ、「書く」という特権的な行為によってのみチカーノを知ろうとすることの限界を教えてもらった気がする。つまり私は、キューバ系アメリカ人の女性を通してチカーノのナマの姿に接したのだった。そのナマの相手はゴメス=ペーニャだ。

<「人生とは旅である」か>
したがって、大学の講座名が<チカーノ文学概論>であってもキューバの話をするのは、私のなかではチカーノとクバーノは太いパイプでつながっているからである。しかも「文学」だけである集団を語ることはできないという意識もある。授業がいつの間にか<ヒスパニック文化論>になってしまう所以である。外向きには「チカーノを知るためにはプエルトリケーニョやクバーノとの比較において「彼らは何でないのか?」という問題意識の上に浮き彫りにしなければならない」と答えたりするが、本当のところは、ココとゴメス=ペーニャのつながりが大きいのであった。だから、もうひとつのヒスパニックの大集団であるプエルトリケーニョについては、あまり影響を受けていない私は自分で話をしないで、東琢磨さんにお願いした。その後、自分でも話をしてみた。非常に興味深い人々である。しかし、関心を広げていくもっと根本的な理由は「自分がよく知っていることを人に話してもつまらない」という思いがあるのも事実で、自分が「いま」関心をもっていることこそを話さなければならない。他者の知識ではなく関心にこそ人は引きつけられるだろう。「比較文化」は意外なものと意外なものをいきなり引っ張り出して研究することではなくて、自分の関心に沿ってずんずん突き進んだ結果、振り返ってみると「このこと」と「あのこと」はつながっていたのか、と実感するなかに生まれるものではないだろうか。それにしても「かなり遠いところまで来てしまった」というのが私のいまの偽らざる感想だ。

「人生とは旅であり、旅とは人生である」か。なるほど。ベースボールが個人技のスポーツで、サッカーが思いのほか「和」を重視するスポーツであることを、私は彼から教えてもらった。30代の中田が「和」を自らのなかにどのようにとりいれていくのか楽しみだ。彼のような偉大な「旅人」と比較して申し訳ないが、私も20代のころは人とぶつかってばかりいたものだ。ぶつかり合いながら学ぶこともある。ぶつからなければ学べないこともある。

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登録日:2006年 07月 07日 08:13:22

チカーノと日本人、あるいは東条と大川

東条英機の孫、靖国神社を参拝 - 東京

【東京 1日 AFP】2月18日、東条英機の孫、東条由布子さんが靖国神社を訪れた。東条英機はかつて総理大臣もつとめた陸軍大将。第2次世界大戦で日本が敗戦した後、極東軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯との裁きを受けた。写真は同日、論争の的となっている靖国神社の参道で東条英機の写真を掲げる由布子さん。(c)AFP/YOSHIKAZU TSUNO

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<ponte trucha>
チカーノ音楽の専門家であり「MUSIC CAMP」(http://www.m-camp.net/)の代表者でもある宮田信氏が発行しているフリーペーパーに「ponte trucha」がある。そこに「短文を寄稿しませんか」と宮田氏から誘いを受けた。私のような「べつにお金はいらないからどこかで書かせてほしいなあ」と日々鬱々としている者にとっては僥倖のような話である。と書いておいてすぐに言い添えておくが、もちろんお金がいただけるなら喜んで拝受する用意はできている。一つの授業をこなすのに資料代で一万円以上を自腹で払い、一つの短文を書くのに同じくらいのお金をかけているわけだから(海外への渡航費も含めればその10倍以上になる)それくらいのお金を報酬としていただいても罪にはなるまい。しかし、文章を書くのも海外へ赴くのも好きでやってることなので、あえて「お金をくれ」と口に出すのも粋ではないと考えている。そもそも「報酬が少ないから書かない」とごねる輩がおもしろい文章を書くわけもなく、誰とは言わないが実際に読んでみたらおそろしくつまらなかったのは悲しいことだ。

<文化のボーダーランズ>
と余計なおしゃべりはやめて、今回は400字という制限のなかで、最初はその2倍以上の量を殴り書きしてから、結局、以下のようにまとめた。

「チカーノと日系人が隣接する機会は多かった。昨年、全米日系人博物館から出されたボイルハイツの写真集にはチカーノが数多く写っているし、私自身も身内の日系人がチカーノと結婚したことから関心を持つようになった。戦時中にチカーノのラルフ・ラゾが日系人の親友と離れがたく、ともにマンザーナに収容された感動的な話は昨年映像化されたばかりだ。もちろん、移民が同じような土地に吸い込まれ接触をもつことは不思議ではないだろう。しかし、コリード研究の嚆矢であるアメリコ・パレーデスが、戦後の日本で東京裁判に関する記事を書き、東条英機にインタビューしていたという事実は奇妙な因縁を感じさせる。しかも奥さんはウルグアイ人と日本人のハーフで、彼は銀座でスペイン語を話す「日本人」に出会い恋に落ちたのだった。(新刊『文化のボーダーランズ』の表紙に写る)日墨米の国旗のなかでギターをつま弾くパレーデスの姿は、私たち日本人にチカーノ研究の新たな側面を提示しているように見える」


<チカーノと日本人>
数年前に亡くなったアメリコ・パレーデスの評伝という形をとるこの本については、少し前にこのブログを借りて軽く触れた。著者のラモン・サルディバルからもらったメールも引用した(本人の許諾もなしに!)。本書は、パレーデスのコリード研究者としての側面とともに、数々の思想家(バフチン、バリバール、ボードリヤール、ベンヤミン、バーバ、ギルロイ、グラムシ、C.L.R.ジェームズ、フレドリック・ジェイムソン、ウォルター・ミグノロ、レナート・ロサルド・・・)の引用が彩りを添え、そして戦後の日本に新聞記者として滞在したパレーデスにからめて日本に関する文章に多くが割かれている。私のような「日本人」で「チカーノ」に興味があって「現代思想」をかじっている人間にとっては大変におもしろく得るところが多い本だ。そのなかで絞首刑にされる前の東条英機をインタビューした件が出色である。また、精神的に異常をきたした(neurotic)大川周明が東条の頭を何度も叩いた(slap)あの有名な場面にもパレーデスが遭遇していることに驚かされる。LAだけでなく、チカーノと日本人のあいだをつなぐ補助線をつないでいく作業はかなりおもしろそうだ。

ちなみに私はいま、佐藤優の新刊『日米開戦の真実:大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』を読んでいる。戦後の日本がかけられたアメリカからの精神的な呪縛を解くための必読の文献になりそうである。戦前のあの時代にイスラームの重要性を喝破してコーランを全訳した天才による国際政治の分析と、彼を取り巻く人々による「国家をどのように救い出せばいいのか」に苦慮する緊張感に接すると、靖国関係で必ず引き合いに出される「A級戦犯」のイメージも大きく変わってくる。

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登録日:2006年 07月 03日 00:21:24