2006年 12月
今年も終わり・・
【ツーソン/米国 19日 AFP】写真は、アリゾナ州ツーソン(Tucson)近郊のキットピーク国立天文台(Kitt Peak National Observatory)の4メートル天体望遠鏡がとらえた北天の空。30秒間の露出撮影を114回繰り返し、約1時間分に補正した。地球の自転により、星が北極星の周りを回っているように見える。地平線のオレンジ色の光は、160キロ離れたフェニックス(Phoenix)の街の灯り(1月26日撮影)。(c)AFP/Stan HONDA
先週、大学の最後の授業を無事終えた。学生さんたちには少しは楽しんでもらえただろうか。私自身はいろいろな意味で満喫させてもらった。「いろいろ」の意味はここでは書きませんが・・。大学関係のことも含めて今年はさまざまな出来事が絶え間なく続き、長いようで短いような刺激的な一年であった。毎日のように新しい知人を作り、毎日のように新しい発見があり、この一年で自分の知識とともに価値観も大きく変わったような気がする。この調子でいけば、来年はもっとおもしろい一年になりそうだ。いまから楽しみ。
駒澤大学で開かれた「多民族研究学会」に、早稲田エクステンションセンターの佐藤清香さんが発表するというので駆けつける。タイトルは「ガーデンをめぐって:19世紀アメリカ合衆国南西部におけるメキシコ系女性の生活の変化」。発表後の質疑応答で質問をさせていただいたが、その内容は次の2点。「アメリカ南西部におけるスペイン経由のイスラム圏の影響について」と「ガーデンという女性の自立を象徴する私有地を成立せしめた要件について」。発表自体も質問のお答えも、私の知らないことばかりでとても勉強になった。佐藤さんとはその後、廊下で立ち話。偉そうなアドバイスを少々。
それにしても「多民族」という枠組みはどのように定義されているのだろう。もしも「マイノリティ」と呼ばれる集団の寄せ集めだとしたら、それはWASPという存在を逆に強化することに寄与してしまうのではないだろうか。それぞれのエスニック集団を研究されている方々がそれぞれ集まるだけならば、その可能性は大である。私としては、多民族というよりもクレオールという視点から研究を続けている方々の集まりであることが重要だと思う。
たとえば、アメリカ南西部ほど多くのエスニック集団が重なり合い溶け合っている地域はなくて、それを同時に見ていく視力の強さが求められている。インディアン、スペイン、メキシコ、イギリス、アジアの国々、ラテンアメリカの国々などを俯瞰しつつ、専門という名の蛸壺から出て、なるべく多くの人びとに共有されるようなフィールドへと踏み込んでいける新たな視点が求められていると思うのである。あるいは、ある特定の文化のなかに多民族状況を見いだす視点、と言ったらいいだろうか。来年度は、少しずつ参加させていただこうかと考えている。
かつての指導教授なのであえて書かなかったが、12月は今福龍太氏と茅ヶ崎でお会いし、一年の出来事を語らせてもらったことが私にとっていい締めくくりとなった。前述の佐藤さんに廊下で質問された「どうしたら井村さんのような(おかしな)人間ができあがるのか?」の答えの一つは、私の暴走ぶりを受け止めつつ軌道修正をしてくれた今福氏のような人がいたから、というのが一つの答えである。この10年の内の半分以上は寝込んだりして体調を崩したりしていたが、どんなときも私の相手をしていただいたご恩は忘れることはできない。これからの10年もよろしくお願いしたいものである。
最近、イラン・スタバンスと頻繁にメールのやりとりをしている。ユダヤ人だからなのか、彼の特性なのか知らないが、あまりの仕事の速さに舌を巻く日々。私も書くのは速いし読むのも速いと自負しているが、イランの場合はそういう「ちゃっちい」レベルではなくて、一週間に一冊の本ができちゃうんじゃないかと思うくらいの筆のスピードである。とはいえ、かつてサラリーマンをしていた者から言わせると、彼らの就業時間の半分でも学者が研究活動をしてくれれば、日本ではかなり優秀な研究者ができあがるんではなかろうか、などと嫌みなことを言ったりして。イランは、日本のサラリーマンよりも働いているはずである。
さて、今年はもう一回くらい書けるかな。
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登録日:2006年 12月 19日 16:55:11
バカ
【エルパソ/米国 20日 AFP】テキサス州のエルパソ(El Paso, TX)でビーバーと呼ばれている13歳のロバート・グティエレス(Robert Gutierrez)は現在保護監査中である。
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(c)AFP/HECTOR MATA
前回の大学の授業は斉藤修三さんにお越しいただき、アルバカーキのチカーノ詩人ジミー・サンティアゴ=バカについて話していただいた。バカはチカーノを代表する映画『ブラッド・イン・ブラッド・アウト』の脚本を手がけ(本人も出演)、いま活躍しているチカーノ詩人でもっとも有名な一人である。斉藤さんは数年前に、彼のもとで一年を過ごしたのだった。授業は丁寧な語り口で内容も明晰で、学生たちもみなよく理解してくれようだった。ありがとうございました。自分自身が抱える問題に引きつけて「読む」ことのお手本のような授業に接し、はたして、私はそのようにして文学作品を読んでいるだろうかと自問自答した。いくつかの点で共通項がある、バカとルイス・ロドリゲスの比較をしてみたいとも思った。
授業後の酒席も、斉藤さんのお人柄のおかげで、いきなり胸襟を開いて語り合うことができた。彼との対話を通して、私は学歴や性別や貧富や出自などにほとんどこだわりがないのだ、と再確認した。いや、周りの人がみなこだわりすぎだと思うんだけどね。何かに価値をおくということはそれ以外のものに低い価値を与えることだと私は思っている。東大に価値をおく人はそれ以外の大学には価値がないと考えるのだろう。ある土地に意味を見いだす人はそれ以外の土地からは意味を取り出すことができない。価値基準はそういうところにはないはずなのに。
私が唯一頼りにしているのは、自分自身の趣味と目(鑑識眼、は言い過ぎか)だけだ。もちろん、他人には他人の趣味があるわけで、トーダイが趣味な人もいるのだろう。それを否定はしない。哀れむけど。数年前までの私は、自分の価値判断(趣味)を前面に出してブログを書いていたので、数回に一回はお叱りを受けたり「消せ!」と言われたりしたものである。どれだけ人が社会から洗脳されたものに価値基準をおいているのかがよくわかった。
それにしても、私はどうも詩については疎くて、バカに関してもメモアール(個人史ですね)を2冊しか読んでいない(『Working in the Dark』と『A Place to Stand』)。これを機会に初期の『マルティン』から読み始めようと思う。
詩と言えば、土曜日に早稲田大学で、詩人の吉増剛造さんの新作のビデオ(熊野が舞台)を見る機会を得た。私は吉増さんの詩もパフォーマンスも映像もあまりにも自分のツボすぎて、いつも笑いが止まらなくなってしまうのである。たぶん、私がわかりすぎるからだろう(ホントかな)。今回もあまりにも楽しすぎて、たまらず途中で退席してしまった。しばらくのあいだ、洗濯ばさみと貝の夢を見そうである。どうしてあの大勢の人たちが静かにうなずきながら微動だにしないのか、理解できない。
土曜日はその前に立教大学で宮田信さんの講演を聴いた。私は非常におもしろかったのだが、ギャングやローライダーのようなイキな話題を繰り出す宮田さんにとって、あの聴衆の平均年齢の高さはないだろうと同情した。立教の「学生」こそが聞きにこなければいけないのに・・。お疲れさまでした。『チョロ・スタイル』買いました! ルイスの話もたくさん聞けてよかった。そのあとの、鈴木慎一郎氏の話の途中で退席した。
チカーノたちは「ヒスパニックともラティーノとも呼ばれたくないと感じている」という宮田さんの発言に足して言うならば、たとえば、アジア系アメリカ人をひっくるめた総称をいくら言い換えても意味がないということである。「ヒスパニックは政府寄りで、ラティーノは庶民寄りの言い方」などとわかったようなことを言っても意味がない。しかしまた、どれだけ流動的な集団であろうと名指した上で語らざるを得ないわけで「アメリカを動かすヒスパニックの力」だろうが「ラティーノの力」だろうが一向に構わないのである。
『すばる』の最新号で崎山多美の小説を読む。7年前に沖縄本島を一周してから崎山多美論を書いた。私はその論文のあとに泉鏡花の論文を書いていることを考えると、ヒスパニックやチカーノについて真面目に勉強をしているのはこの5年に過ぎないことがわかる。それにしては、偉そうな口ぶりなのは、私の不徳の致すところである。
その『すばる』には、矢作俊彦と内田樹と高橋源一郎の対談があって、これは必読である。内田氏と高橋氏の学者然としたぼんぼんぶりが痛々しい。
亀井亜佐夫『ルート66で行こう!』(産業編集センター)は「ルート66」ではなく、アリゾナ州とニューメキシコ州の話。写真がきれいで許せるが、内容的にはまったく満足できない。
公開前の『ダーウィンの悪夢』をビデオで見た。沈黙。カップルで見る映画ではないのはたしか。世の中の「現実」というものは無数にあって、これはその一つに過ぎない。
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登録日:2006年 12月 13日 02:22:53
改名
<第78回アカデミー賞>ドキュメンタリー 「ダーウィンの悪夢」がノミネート - フランス
【パリ/フランス 18日 AFP】オーストリアのフーベルト・ザウパー(Hubert Sauper)監督作品「ダーウィンの悪夢」(Darwin's Nightmare)が、第78回アカデミー賞(78th-annual Academy Awards)のドキュメンタリー部門にノミネートされた。
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(c)AFP/Joel Saget
タイトルをかなり変えてみた。書く対象を幅広くするためである。べつにかっこつけるためにではない。
ちょうど一年前にこのブログを引き受けたときは、AFPの担当の方から「メキシコとアメリカの国境地帯の越境について書きませんか?」と言われたのだが、ちょっと考えてみて「この越境ポイントはいいですね〜。ここは小高い丘になっていてメキシコ側からミグラが見渡せるんですよ」などと書いても、誰もついてきてくれそうもなかったのでそれはやめて、もっと間口を広くして仮に「ヒスパニック」をタイトルに掲げたのだった。それで「アメリカを動かすヒスパニックの力」。
そのタイトルをつけたのを機会に、ヒスパニックというテーマを真ん中におき、音楽や政治や文化についてふだんから自分が漠然と思っていたことを文章化しようと考えたのである。結果的には、想像以上に勉強になった。なにごとも文章に直してみないとわからないものである。というよりも、文章にしようと試みて初めて人は、雑駁な現実や思考をそぎ落とすことができるとあらためて思った。
「ヒスパニック」は何度も書いたように、定義があるようでじつはきわめて曖昧な言葉で、じつはこの言葉からどこへでも行くことができる。アメリカのすべてのエスニシティの話題にすることもできるし、もちろんラテンアメリカの話にすることもできる。しかし、それでもやはり、ヒスパニックという縛りは当然ある。このタイトルで歌舞伎の話をするのは気が引ける。
「チカーノ」となるとさらにどこへでも飛ぶことができ、先日お会いしたアーティストのファビアンナ・ロドリゲスは、ペルーとプエルトリコにアイデンティティの源をおきながら、自らを「チカーナ」だと名乗っていた。
さらに「チカニゼーション(チカニサシオン)」とすると、それが意味する範囲は劇的に拡大し、たとえば先日、野谷文昭さんは「マイアミでは、キューバ人でもアメリカ人でもない者になることを意味する」と教えてくれた。
つまり、チカニゼーションは、あらゆる固定的な意味の定義から逸脱する方向性を意味しているわけである。この一年は、これをタイトルに掲げて書いていきたいと思う。よろしく。
ホセ・マッチョスおよびバトは、井村俊義の「also known as」である。
「The Process of Chicanization」はギリェルモ・ゴメス=ペーニャの「The New World Border」のなかの言葉。
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登録日:2006年 12月 08日 12:36:10
註
<米移民規制法案>米大統領、警備強化案への支持要求 - メキシコ
【ティフアナ/メキシコ 21日 AFP】ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)米大統領は5月15日に公表した移民改革法案への支持を求めているが、保守派議員からは懸念の声が上がっている。同大統領は自身の支持基盤である保守派内の不平分子に対し、国境警備を強化する意志を示そうとしている。写真はバハカリフォルニア(Baja California)州ティフアナ(Tijuana)で1月24日、米国との分離壁の近くで翻るメキシコ国旗。(c)AFP/Omar TORRES
人によっては論文は註から読む(註しか読まない?)人もいるだろうから、おまけでつけておきます。
ブルース・ノボアが「アメリカに移民したメキシコ人の作家はどういう点でチカーノと見なされうるようになるのか」(Bruce-Novoa, Retrospace: Collected Essays on Chicano Literature, Houston: Arte Publico Press, 1990, p.172)と疑問を呈したうえで「チカーノ性」について議論を展開しているように「チカーノか否か」は重要な論点であるが、ここではこの問題に立ち入らない。「チカーノ」という名前を「メキシコにアイデンティティの源をもつアメリカに居住する人びと」の意味で使用し、モビミエント(チカーノ・ムーブメント)をさかのぼっても使用することにする。
Michael Dear and Gustavo Leclerc(ed), Postborder City: Cultural Spaces of Bajalta California, New York: Routledge, 2003. サブタイトルに「バハルタカリフォルニア」と掲げたこの本は、数々のアートの実践を通して、カリフォルニアに引かれた米墨間の国境線を無化しようとしている。
スタインベックは『トルティージャ・フラット』のなかで「パイサーノ」の人びとを次のように描写している。「(パイサーノは)スペイン人とインディアンとメキシコ人、およびさまざまな白人の血が流れている人種で、祖先はカリフォルニアに100年から200年くらい前から住んでいる。彼らはパイサーノ訛りの英語を話し、パイサーノ訛りのスペイン語を話す」。
メキシコ系のアントニオ・ビリャライゴーサは、2006年7月1日にロサンゼルス市長に就任した。ロサンゼルスにヒスパニック系の市長が選ばれたのは1872年以来のことである。
Ireneo Paz, Life and Adventures of the Celebrated Bandit Joaquin Murrieta: His Exploits in the State of California, Houston: Arte Publico Press, 2001. オクタビオ・パスの祖父が著したこのホアキン・ムリエータの伝記に、詳細な序文を寄せたルイス・レアルの解説を参照。
初期は「ホアキン」だけであったり、ムリエータの「r」がひとつだけだったりと名前は一定していなかった。ルイス・レアルは当時の新聞記事や三文小説など膨大な資料にあたった上で「5人のホアキンが存在し、その内の一人がムリエータだった」(Mario T. Garcia, Luis Leal: An Auto/ Biography, Austin: University of Texas Press, 2000, p.189.)と述べている。
同時期のカリフォルニアには、ティブルシオ・バスケスという英雄が知られている。ムリエータとは異なるドン・フアン的な性格を付与され、ロマンティックな人生に彩られた物語が伝えられている。
John Rolling Ridge, The Life and Adventures of Joaquin Murieta: The Celebrated California Bandit, Grass Valley: Poitin Press, 1854.
この点については、1976年に出版された鶴見俊輔の『グアダルーペの聖母』(筑摩書房)ですでに指摘されている。著作集の11巻(1991年)に収録された。
ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」(『ベンヤミン・コレクション1』浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫、1995年)652頁。
ジョンストン・マッカレーの『怪傑ゾロ』(広瀬順弘訳、角川文庫、1975年)を参照。前述のルイス・レアルは、ゾロもホアキン・ムリエータの伝説に基づいている、としている。
Rodolfo " Corky" Gonzales, Message to Aztlan: Selected Writings(Houston: Arte Publico Press, 2001, pp..2-29)で読むことができる.
ルイス・レアルは、メキシコにはもともと自伝(伝記)文学の伝統が根づいていたとして、ソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルスやホセ・バスコンセロスの名前をあげている(Jose Villarino, Arturo Ramirez(ed), Aztlan Chicano Culture and Folklore: An Anthology, McGraw-Hill, 1998, p.82)。オクタビオ・パスの『ソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルスの生涯ー信仰の罠』(林美智代訳、土曜美術社出版販売、2006年)もその流れに当たるだろう。
Genaro M. Padilla, My History, Not Yours: The Formation of mexican American Autobiography, The University of Wisconsin Press, 1993, p.232.
トクヴィル『アメリカのデモクラシー 第一巻(下)』松本礼二訳、岩波文庫、2005年、143頁。
ジャン・ボードリヤール『アメリカ:砂漠よ永遠に』田中正人訳、法政大学出版局、1988年、126頁。
野家啓一のガラスの比喩による歴史認識の方法は、チカーノのそれを理解するのに役立つ。「より以前の出来事はそれ以後の出来事の出現によって「流れ去る」わけではなく、いわば後者は前者の上に「積み重なって」いるのである。この「積み重なる」時間のイメージを一つの視覚的比喩によって示しておこう。それは、一枚一枚の透明なガラス版にそれぞれ別個の図柄が描かれ、それらがうずたかく積み重ねられているというイメージである。それぞれの図柄が個々の出来事を表示しており、積み重なったガラス版の厚みが時間的距離になぞらえられる。われわれはこの重層的なガラス板を上から覗き込んでいるのである」(野家啓一『物語の哲学』岩波現代文庫、2005年、273頁)。
Dydia Delyser, Ramona Memories: Tourism and the Shaping of Southern California( Minneapolis: University of Minnesota Press, 2005)は『ラモーナ』が南カリフォルニア地方に与えた影響を多角的に論じている。また、Leonard Pitt, The Decline of the Californios: A Social History of the Spanish-Speaking Californians, 1846-1890( Berkeley and Los Angeles: University of California Press, 1966)から、当時のカリフォルニアにおけるヒスパニックの社会的な状況を知ることができる。
Helen Hunt Jackson, Ramona, New York: The Modern Library, 2005, pp..357-359.
ed. Gabriel Melendez, Jane Young, Patricia Moore, Patrick Pynes, The Multi-Cultural Southwest: A Reader,Tucson: The University of Arizona Press, 2001, p.3.
カルロス・カスタネダ『呪術師と私』真崎義博訳、二見書房、1974年。「ドン・フアンは、自分の先生を語るときに「ディアブレロ(diablero)」ということばを使った。(中略)それは黒呪術を使って鳥、犬、コヨーテ、その他どんな動物にも姿を変えられる人をさしている」(14頁)。
Ron Arias, The Road to Tamazunchale, Tempe: Bilingual Press, 1987, pp.102-108.
アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』野谷啓二訳、洛北出版、2006年、212頁。
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登録日:2006年 12月 06日 14:33:19
カリフォルニアのチカーノ的風土(前半)
メキシコの伝統祭り「死者の日」、ハリウッドで一足先に祝われる - 米国
【ロサンゼルス/米国 30日 AFP】メキシコの伝統祭り「死者の日(Dia de los Muertos)」が28日、ハリウッド・フォーエバー墓地(Hollywood Forever Cemetery)で、地元のメキシコ系住民によって祝われた。家族、親戚、友人らが一堂に集まるこの日、人々は死者を迎え入れて、共に歌や踊りや食事を楽しむ。本国メキシコでは11月1日~2日が「死者の日」にあたり、全土が祝日となって各地で盛大なイベントが行われる。(c)AFP Gabriel BOUYS
はじめに
アメリカ合衆国(以下、アメリカ)に居住するメキシコ系の人びと(以下、名称を「チカーノ」に統一)が、これまでカリフォルニアと無縁な時代などなかった。アメリカによる帝国主義的な領土拡張が招いた米墨戦争によってカリフォルニアが分断されるはるか以前から、この土地はチカーノの生活とともにあったのである。したがって、チカーノを通してカリフォルニアを語るにあたってまず、バハ(baja)とアルタ(alta)という国境線の論理によって分かたれたカリフォルニアを解放しなければならない。ポストコロニアルにおいて国家の暴力性を暴露する役割を担うマイノリティが国境線や国民国家を相対化するように、チカーノはカリフォルニアにおいてアメリカとメキシコとは異なるもう一つのトポスを通して自らを語るのである。どちらの国家にも所属できない人びとを受け入れるこの第三のトポスは、急速にその存在意義を拡大させながら「バハルタ(bajalta)カリフォルニア」として国家原理を後退させ、アメリカ国家の主流からこぼれ落ちてしまう人びとを受け入れようとしている。
しかし、この第三のトポスはそれほど意外な発想というわけではない。なぜなら、私たちはカリフォルニアやサウスウエストの多くの都市の名称がスペイン語に由来することを知っているし、また、たとえば、サリーナス出身でカリフォルニア州唯一のノーベル賞作家であるスタインベックが「パイサーノ」という呼称を使ってチカーノを描写していることも私たちは知っているからである 。ここであらためて確認すべきは、チカーノがカリフォルニアの民族構成を彩るひとつの色彩として存在しているのではなく、彼らこそがカリフォルニアの主要な住人であるということである。したがって、ロサンゼルスの市長にチカーノが選ばれたことや、ヒスパニックがアメリカ最大のマイノリティになったというセンサスの統計上の結果は、彼らにとってさして重要なことではない。それよりも、国家原理とは異なる方法で共同性を築くチカーノの生き方が、多民族によって構成されているカリフォルニアに新たな視点を投げかけていることの方が重要である。チカーノによる「交差する個人史」が築く新たな共同性のあり方の提示は、この古くからの住人の数的な台頭によって再び意義を増し、一つの民族集団を越えてさらに広範な影響力をもつようになるだろう。
1. 集団を象徴する英雄たち
初めてカリフォルニアにスペイン人の宣教師が現れた1769年から米墨戦争が終わる1848年までのあいだは、カリフォルニアはスペインとメキシコの領土に属し「パストラル」の時代と呼ばれている。両国の影響下におかれたカリフォルニアではヒスパニック文化との親和性をいまでも感じさせる下地がこの時期に作られ、多くのスペイン語の地名がつけられた。その後、米墨戦争後のグアダルーペ・イダルゴ条約によってバハ(ロウアー)カリフォルニアとアルタ(アッパー)カリフォルニアが分断され、アルタカリフォルニアがメキシコ領から離れるのを待つようにして金鉱の発見が世に知られるようになると、一攫千金を夢見る者たちがアメリカス各地から押し寄せるようになった。しかし、ペルーやチリなどラテンアメリカからの移民の増加にともない、アングロたちはそれに対処するために彼らに高額な税金を課す「ドラコニアン法」を成立させ、移民たちははやがて金鉱から閉め出されるようになる。ただ、彼らの多くは母国に帰るという選択肢を選ばずにそのまま盗賊(bandit)となり、この地に新しい文化的風土を創出したのだった。現代にまで続くサウスウエストのイメージ形成に大きく寄与している「西部劇」は、このようなアウトローたちの醸成する時代の雰囲気を引きずっているのである。
盗賊が跋扈するような無秩序な状況のなかで登場したチカーノの英雄であるホアキン・ムリエータ(Joaquin Murrieta)は、早くも1850年ころから数々の新聞等で名前があがるようになり、徐々に「ホアキン・ムリエータ」という象徴としての英雄像へと変容していった 。その過程は、確実な事実の収集によって物語に収斂されていったというよりも、チェロキー族の族長であった父と祖父を「涙の道」の途上で亡くしたジョン・ローリン・リッジの描いた小説 の影響によって、イメージがより具体化され可視化されて民衆のあいだに爆発的に広まったと考えられている。この小説は出版後まもなくフランスとチリとメキシコで翻訳され、のちに1966年になってチリ人のノーベル文学賞受賞者パブロ・ネルーダが、チリ人に設定したホアキン・ムリエータの詩を発表した。アメリカ国家の内部でマイノリティの地位に貶められたチカーノが抱えている不満をホアキン・ムリエータは吸収し、英雄の冒険譚は国を越えて広まっていったのだった。
このように「詳細が定かではない人物に人びとの思いを投影させた偶像形成」という心的過程は、エルナン・コルテスによるメキシコ征服の10年後(1531年)にテペヤックの丘でフアン・ディエゴの前に顕現したとされる「グアダルーペの聖母」の場合にも当てはめることができる。民衆の思いがホアキン・ムリエータを作り上げたように、人びとはグアダルーペの聖母という偶像を作り上げる(受け入れる)ことによってコルテスの征服から受けた心的外傷を癒したのだった。それらの物語が歴史上において実際に起こった事件を反映したものなのか、あるいは実在の人物が登場するものなのかはそれほど重要なことではなかった。過去の出来事は「いま」という視点から臨機応変に有用に選択され解釈されたのである。しかし、それは根も葉もない歴史を捏造するという意味ではない。「記録されたかもしれない可能性としての歴史」を発掘し新たな方法を通して提示することによって、現在流布している特定の(おもに勝者の)視点から作り上げられた歴史(正史)を相対化させる行為なのである。ベンヤミンはこのことを<非常事態>という言葉を用いて歴史の相対化を試みている。
抑圧された者たちの伝統は、私たちが生きている<非常事態>が実は通常の状態なのだと、私たちに教えている。この教えに適った歴史の概念を、私たちは手に入れなければならない。それを手にしたときにこそ、私たちの課題として、真の非常事態を出現させるということが、私たちの念頭にありありと浮かんでいるだろう
国家という物語にアイデンティティを投影することができない<非常事態>におかれた人びとにとって、自らが所属する共同性から出現した「英雄の<人生という物語>」や、地母神であるトナンツィンとキリスト教のマリアを媒介するような「聖母誕生の<顕現の物語>」は、彼らの歴史を代弁する有力な方法の一つとなる。パストラルの時代におけるゾロもまたそのような表象の一人であった。スペイン領からメキシコ領へと移行する混沌とした時代を一人の人物に象徴化させることによって、私たちは彼を目がけて過去へと遡及することができるのである。とくにそのなかでも「アングロに抵抗した者」はチカーノを代表する英雄としての地位を獲得し、その個人には集団の歴史と共同性がゆだねられた。ゴールドラッシュ以降のアングロとの軋轢の増加は、チカーノのアイデンティティの輪郭を否応なく形作り、共同性を象徴する人物がそれに合わせて何人も現れた。物語を歌にのせて人びとに伝える民衆歌謡であるコリードに頻繁に登場するテキサス州のグレゴリオ・コルテスも、共同体が個人の名前に託したアイデンティティの代表的な結晶であった。米墨国境地帯におけるコリードは彼らが日々暮らしている歴史を自分たちのものとするための作業の一環であり、そのような伝統がホアキン・ムリエータの人物表象の形成にも大きく関係していた。モビミエントをリードした一人であるロドルフォ・「コーキー」・ゴンサレスが1967年に発表した詩集『私はホアキン』は何度も版を重ね、それ以外にも多くの文学作品や映画、絵画、芝居にホアキンは引用され続けている。エミリアーノ・サパタの名前を冠した「サパティスタ民族解放軍(EZLN)」のようにして、ムリエータはさまざまな形で現代にまで生き続け、チカーノの人びとのアイデンティティを支えているのである。
2. 個人史に投影される共同性と歴史認識
インディアンやチカーノのように「アメリカ人ではない者」を国内に設定し境界線で囲い込むことによって、アメリカは他者を創出することによってアイデンティティを浮上させようとしてきた。その結果、アングロよりも長い歴史を誇るチカーノの文学であっても、これまでアメリカの文学史に書きとめられることはなかったのである。そこでチカーノは、アメリカ国家にアイデンティティをゆだねる必要のない「自伝」や「伝記」という形式のなかに自分たちの足跡を記してきた。個々人の多様な方法によって語られる個人史は、その他のさまざまな人びとを歴史のなかへと呼び入れる手段となり通路となったのである。個人史に共感できる多様な人びとがそこに合流したり離れていったりすることによって、年表や地図によって固定された時間や空間とは異なる可変的なコミュニティが形成される。それは、アメリカ国家の正史のなかへ自らのアイデンティティを投影することができない人びとの表現手段としての個人史であるとともに、新たなコミュニティのあり方の方法論をも提示していると言えるだろう。ナショナル・ヒストリーを相対化する個人史という共同性は、国家を相対化するための抵抗の手段として機能させることができるのである。
したがって、チカーノによる個人史の文学は彼らの残してきた文学の中心を占めており、ホセ・アントニオ・ビジャレアルの『ポチョ』(1959年)やエルネスト・ガラルサの『バリオ・ボーイ』(1971年)などのチカーノを代表する作品は、国境線を越えて共同性を形成する個人史の必然的な結果として生まれたと考えることができる。そのような文学作品の伝統は彼らのあいだで綿々と受け継がれ、カリフォルニア州に関係している作家だけでも、エルパソ生まれでサン・ホアキン・バレーで育ったオスカール・セタ・アコスタ(1935生)、サン・フェルナンド・バレー出身のメアリー・ヘレン・ポンセ(1938生)、サンフランシスコ生まれのリチャード・ロドリゲス(1944生)、フレズノ生まれのゲイリー・ソト(1952生)、エルパソに生まれ2才でロサンゼルスに移ったルイス・J・ロドリゲス(1954生)、ティフアナで生まれサンディエゴで育ったルイス・アルベルト・ウレア(1955生)らがあげられる。国家の歴史に自分を重ねられない者たちにとっては、個人史の集積こそが歴史そのものなのである。個人史は民衆の歴史を勝者の歴史から救いだすとともに、歴史に残らなかった時空間のアウラをすくい上げる役割をも果たしている。チカーノ文学における自伝の重要性について指摘したヘナロ・パディーリャは「自伝は<ある生活>を再構築するばかりでなく、他の時空間で営まれているであろう<人びとの生活>の思想を書き残すことができる」と述べている。物語はそのなかにさまざまな要素を詰め込むことによって、大文字の歴史では表現することができないその土地や時代の背景をも読者に伝えることができるのである。
しかし、アメリカは個人史を許すような歴史とは正反対の歴史を築いてきた。東海岸に上陸したヨーロッパからの移民たちは父祖伝来の土地を有しないために慣習よりもまず理念先行の社会を築かざるを得なかったのである。理念によって想像された新大陸は「白紙のページ」と捉えられ「夾雑物」を観念的に無きものとしたのだった。もちろんその大地にはすでに先住民らの生活が存在していたのだが、移民たちには彼らは駆逐されるべき存在としてしか映らず、重要な政治的懸案は先住民の意見を介さずに決定された。その点に関して『アメリカのデモクラシー』でトクヴィルは次のように述べている。
ある問題について一度多数が形成されるや、その歩みを止めるどころか、せめてこれを遅らせることのできる障害すらほとんど存在しない。多数派が抵抗を受けて、自らが踏み潰してきた人びとの嘆きに暫し耳を傾ける時間を与えられることもない
アメリカが帝国主義の性格を帯び始めたころの「マニフェスト・デスティニー」(明白なる運命)というスローガン(理念)によってメキシコは侵略されるべき土地であると人びとに簡単に信じられたのだが、アメリカはいまだにこのような理念偏重の政治決定過程から抜け出すことができていないように思われる。それに反して、歴史をどのように捉え、そこから何を学ぶことができ、それらを現在にどのように生かすことができるのかについて、メキシコ人やチカーノは彼らとはまったく異なるアプローチをとっている。その差を生み出す理由については、ボードリヤールの言葉を借りてみよう。
アメリカは起源問題を避けており、起源あるいは神話的な真正さを培うことをしない。アメリカには過去も、また建国にまつわる真理もない。時間の原始蓄積を経験しなかったがゆえに、アメリカは無窮の現在性のうちに生きている
アメリカがヨーロッパやその他の地域と比べて政治機構が未熟だったり、または、国家としての歴史が浅いことに問題があるのではない。そこに、歴史が「欠如」しているところに問題があるのである。一方で、個々人から歴史を見つめるチカーノは、歴史的な出来事はそれぞれに因果関係を保ちながら連続性を維持し、私たちが生きている「いま」をも規定していると考える。チカーノが壁画や絵画のなかに歴史上の出来事や人物を同じ平面のなかに同時に描こうとする心性は歴史との対峙の仕方の違いにその理由がある。たとえば、ジュディス・バカがロサンゼルスで進めている『ロサンゼルスの万里の壁画(Great Wall of Los Angeles)』のテーマは、アメリカ史の外側に追い出されたカリファス(パチューコたちによるカリフォルニアの呼称)の歴史を同一平面上に次々とを描いていくことにあるし、ビクトール・オロスコ・オチョーアの描いた有名な『ジェロニモ』は、アメリカの歴史から抹殺されるべき存在として追われたインディアンを前面に出しながら、チカーノ文化を代表するイコンをその周りに配置して歴史を捉え直している。つまり、歴史は過去と現在を同時に視野に入れることで立ち上がってくるものなのであり、過去において歴史から消された出来事や人物を「いま」という視点から見直すことなのである。視点を変えることによって歴史は新た相貌を私たちの前に見せてくれるだろう。チカーノが提示しようとしているこのような歴史認識は、これまでのアメリカの正史としての歴史の書き換えをも迫ることにさえなるのではないだろうか。
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登録日:2006年 12月 03日 23:41:56
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