2007年 08月
kokomo
【エルパソ/テキサス州 18日 AFP】メキシコ側国境の都市シウダフアレス(Ciudad Juarez)で女性が殺される事件が相次いで起こり、これまでに数百人が犠牲になっているが、事件は現在、未解決のままである。3月に行われたメキシコ法務省の調査では、シウダフアレス市は1人当たりの暴力件数が最も多い都市であるとされている。写真は15日、テキサス(Texas)州の国境の町エルパソ(El Paso)で、シウダフアレス市で起きた女性殺害事件を伝える巨大な壁の絵と、その前を通り過ぎる女性。(c)AFP/HECTOR MATA
いままでの海外への行き先を考えてみると、アメリカ西海岸が3割、東海岸が3割、メキシコから南が2割、東南アジアが2割といったところだろうか。東海岸から入ってエルパソまでたどり着いたり、あるいは逆に西海岸からはほとんどの場合エルパソまで車で行くので、これは「訪れた地域」というよりも最初に飛行機でどこに入るかの割合である。いずれにしても、アメリカ国内ではほとんどの場合、車に乗ることになる。誰かと一緒の場合もあるし、一人の場合も多い。そういうときに、日本では聞かないラジオの声に耳を傾ける。FM雑誌を買い「エアチェック」をしていた時代ももはや昔語りになってしまった時代に、アメリカとラジオは私のなかではとても近い。「アメリカにいる」という感覚と「車内からの風景」や「ラジオの響き」は密接に結びつき、訪れた場所とその時に流行っていた音楽は私の記憶のなかで一緒くたになる。マイアミから車で訪れたキーウエストと、ビーチボーイズの「ココモ」(1988年!)は私の記憶の貯蔵庫ではいまでも同じ場所に居座っている。しかし、ラジオで流されるのはもちろん音楽だけではない。さまざまな出自を抱えたさまざまな考えをもった人間の言葉も、電波を通して不特定多数の人びとに届けられる。その言葉は誰によって語られているのか。そんなことはほとんど誰も意識しない。いまの日本にいるとなかなか気づかないが、ラジオはかつてプロパガンダの最大のツールとして利用されてきた。視覚からの情報がない分、視聴者は洗脳を受けやすい。しかも、テレビに比べてもはるかに雑多で大量の言説が、軽い気持ちで(つまり本音で)日夜放たれている。しかし、大半のマスメディアは支配層によって牛耳られているから、ラジオが自然と(意図的に?)まといがちな負の影響力を、メキシコ系アメリカ人は監視の対象とせざるを得ない。耳を疑うような人種差別的な言説が横行していることを彼らは弾劾し、それらがヘイトクライムの温床となっていることに警鐘を鳴らす。現実に、黒人たちが大量にリンチされた時代と同じように、メキシコ系アメリカ人はいまでもいわれなき殺害の対象となっている。残虐にそして大量に殺され、さらにはその数は急速に増している。それらの実態をラジオが報じることはほとんどない(ヘイトクライムを助長しているのだから当たり前だが)。一方で、洗脳を受けやすい若者たちは相対化の作業をすることもなく、大した理由もないのにメキシコ系の人びとを嫌悪し続ける。インディアンへの嫌悪感を醸成した「いにしえの精神構造」とじつは何も変わってはいない。要職についたメキシコ系の人びとが殺人の予告を受けた例はいとまがなく、いまではアントニオ・ビリャライゴーサもその対象となっている。たとえば「KABC 790-AM」はこのメキシコ系の市長を口さがなく罵倒し、少しの敬意を表することもなくネガティブキャンペーンを展開している。いうまでもなく、市長だけではなく、その他のメキシコ系の有名人から一般市民までもが「嫌悪するべき対象」として日々人びとにすり込まれている。これらの放送局によるネガティブイメージのたれ流しは、今年、市民権を持つメキシコ系女性への病院の診察拒否という形となって事件となった。彼女はメキシコ系であることから不法移民であると病院側から勝手に捉えられ、何の処置も施されることなく出血多量で亡くなった。メディアが誰の手の中にあり、どのような思惑で使用されて人びとの無意識を形成しているのかを、今まで以上に注視しなければならない。そう考えさせる事件であった。私たちは得てして、何のチェックもされずに垂れ流されている(じつは巧妙に操作されている)情報をもとに意見や感情を形成している。どのような情報であろうともつねに相対化し、できるだけ現実そのものの近くにいようと努力しなければ、自然と「強いもの」に巻き込まれてしまう。そのことに対してさらに意識的になる必要があるだろう。
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登録日:2007年 08月 24日 13:00:48
MUSIC CAMP
【8月6日 AFP】女子ゴルフ、米国ツアー・メジャー最終第4戦、全英女子オープン2007(Women’s British Open 2007)、最終日。
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(c)AFP
今週の後半から月末まで、ネットに文章を書く余裕はなくなってくるはずなので、ノルマの「4本」に向けてせっせと書いておくことにしよう。
ヘレン・ハント・ジャクソンとともに、19世紀のカリフォルニアの小説家を研究するならばマリア・アンパロ・ルイス・デ・バートン(MARB)もはずせない。女性だから女性の作家を研究する必要性はゼロだと思うが、ちなみにバートンは女性です。『カリフォルニア研究』は秋に向けて刊行を目指しているようなので、MARBもちゃっかり足しちゃうことにしよう。
今日は下北沢で「MUSIC CAMP」のイベントがあった。本題に入る前に勝手な愚痴を少々。私は「下北沢」という街がどうも肌に合わないようで、あの駅に降り立った途端に心身ともに絶不調になる。これまで「3回」宮田さんのところのイベントで下北沢に来ているが(レイ・サンドバルのときとケッツァルおよびルイス・ロドリゲスのとき、そして今日)いつも気分が悪くなってしまって困る。あのちまちました街の作りが合わないのだと思う。
息苦しくなるような店の並びと、のびのびと歩けない人混み。そこに入ってくる車。すぐにでも逃げ出したくなってしまう。消防車も入れないようなあんな路地だらけの街に郷愁を抱いている者がいるのだとしたら、それははっきり言うが、勝手な幻想である。
じつは私は「奄美自由大学」に参加したことがない (よく驚かれる。今日も杉浦勉さんに驚かれた)。それも同じような理由で、私は「島」が苦手なのである。島内にいると考えただけで心拍数が上がるような気がする。教室でつまらない話を聞きながら座らされるのがダメなのも同じ理由だろう。困ったものだ。だから、アメリカの荒野へとたまに行きたくなるのかもしれない。
イベントで一番見たかったのは最後のメキシコ系アメリカ人のラルフ・ラゾの物語で、この映像がちょうど完成したころにマンザーナ強制収容所でその存在を教えられた。それから西海岸を中心にさまざまな場所で上映会が開かれていたことも知っていた。そのときは、アメリカまで見に行こうかと真剣に考えたくらいである。が、いつのまにか忘れてしまい、今回、ミュージック・キャンプによる情報で久しぶりに思い出したという次第である。日系人の当時の状況が端的にまとめられた映像を見て、また真面目に日系人について勉強したくなった。祖母も数年前に亡くなり、少し距離をおいて勉強することができるようになったと思う。宮田さんにはあらためて感謝したい(「下北沢病」でうまく話ができなかったのが残念)。
http://www.m-camp.net/smokinmirrors.html
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登録日:2007年 08月 06日 01:57:29
グアダルーペの聖母
【ワシントンD.C./米国 16日 AFP】16日、Antonio Villaraigosaロサンゼルス市長はワシントンD.C.の連邦議事堂(Capitol Hill)で民主党院内総務のハリー・リード(Harry Reid)上院議員と、移民制度改革について話し合った。写真は会談中のVillaraigosa市長(左)とリード上院議員。(c)AFP/Jim WATSON
「思考のフロンティア」シリーズの『難民』を読む。ベンハビブの『他者の権利』について小森陽一が触れていたからである。ベンハビブのこの本は、ヒスパニックをモデルケースとして読み直すことによって、さらに理解が深まると思われる。私が『他者の権利』で気になった文章は以下のようなところ。
「今日の世界では、民主的な愛着と行為に開かれた下位国家および超国家的な空間が現れている。そして、それらの空間は現存する政体に代わってというよりも、むしろ、それらの政体とともに促進されなければならない」(p.3)
「近代国民国家の主権と同じ時期に生まれた領土的な境界線の管理は、国民どうしの接触や相互行為空間において取り締まることで、その純粋性を時間において保証しようと試みるものであった」(p.16)
「人間の移住運動は人類の歴史全体を通じて偏在的なもので、相互依存的な世界における主権国家の行為が、移住の「牽引」と「推進」の要因を構成しているという見解に立つならば、カント的な伝統におけるコスモポリタン的権利の輪郭はどのようになるのか」(p.69)
「主権的な国民のアイデンティティを定義することは、それ自体流動的で、開放的で、係争的な公論のプロセスでもある。われわれとあなたがた、われわれと彼らを分かつ境界線は、たいてい、検証されない偏見、大昔の戦闘、歴史的な不正義、そして、全くの行政的な専断によって左右される。その点で、カール・シュミットは正しい。それにもかかわらず〜(デリダの反復概念を援用した「民主的反復」の話)」(p.164)
「反復とは「起源」の再占有である」(p.166)
「世界最大の移民国家であるにもかかわらず、アメリカの市民資格の概念は「帰化」を政治的発言の前提条件としている」(p.198)
NHKの世界遺産関係の番組で「グアダルーペの聖母」を取り上げていた。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cardr086.html
私が訪れたときも「動く歩道」だったかな?
番組としては「どうせ、日本人に宗教はわからない」という姿勢ではなく、なぜメキシコ人があそこまであの「褐色のマリア」に惹きつけられるのかの考察も若干ほしかった。そうでもしないと「いまだに非科学的な世界に生きるメキシコ人」という印象しか持ちようがない。関係ないが、メキシコ人の少女とレポーターの廣瀬智美アナウンサーがかわいらしかった。
去年、ある従姉妹に10数年ぶりに会って、まるで最近まで会っていたかのようにすんなり再会できた話を書いたが、先日は、私が大学時代に塾で教えていた生徒に20数年ぶりに会った。これまたすんなり会えた。暗黙知。「村上春樹の『中国行きスロウ・ボート』の話をされてました」などと聞くと、あまりの進歩のなさに愕然とする。数年前から、村上春樹は罵倒することにしているのでいいとしても、「mixi」で最近亡くなった阿久悠について書いたら、二十歳前後の私を知っている人から「その話、聞いた」のようなコメントをもらい、この二十年間の進歩のなさに感動すら覚える。アベキンが「二十歳までに問題意識をもたなきゃダメだ」のようなことを書いていて、「オレは前進し続けるからあてはまらない」とうそぶいていたのに、結局、同じ場所をぐるぐる回っていたようである。
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登録日:2007年 08月 05日 14:40:46
大阪外国語大学
【6月17日 AFP】07MLB、ボストン・レッドソックス(Boston Red Sox)vsサンフランシスコ・ジャイアンツ(San Francisco Giants)。試合は4回裏にマニー・ラミレス(Manny Ramirez)の本塁打で先制したレッドソックスが1-0で勝利し、レッドソックスは2連勝を飾った。(c)AFP/Getty Images
大阪外語大学の集中講義で話をしてきた。大阪へ行くのは10年ぶりくらいかもしれない。前日に「千里中央駅」の真ん前にある「千里阪急ホテル」に宿泊。駅を背に、左手には噂の「エキスポランド」。例のジェットコースターが見える。背後には「太陽の塔」。実物を見るのは初めてかもしれない。講義の冒頭は「岡本敏子さんとメキシコ」の話にしようと決める。夜中はあまり寝ずに講義のネタ帳作り。キーワードだけ書いておく。あとはその場のノリでどこへでも行くことができる(そして予想通り暴走し放題であった)。夜も朝もこのホテル内で食事をする。
次の日に大学へ。私を呼んでくれた杉田先生にご挨拶。こてこての関西人の杉田さんと私が会話をしているのを傍で見ていたTAの女性が「ノリが同じですね」とひとこと。やはり、私は関西の方が「水が合う」のかと再確認。どうも関東の人間はしゃべるのが遅くてイライラさせられると思った。みなさん、どんどん話すスピードが遅くなってないだろうか? ただ、彼女自身も大変な早口で、一緒にしゃべっているとこちらも止まらなくなり、何とも言えず心地よかった。つまり、私も大阪人特有の「いらち」ということなのだろう。
講義は、つい一週間前くらいに早稲田大学で話したネタのいくつかを使う。もちろん、大学の先生や大学院生の前で話したことをそのまま話してもぜんぜんおもしろくないので、わかりやすく変奏し、ムダに小ネタを交え、脱線を怖れず、飽きないようにしたつもり。例によって「森羅万象」「古今東西」が一堂に会するカオス的講義。それを真面目に聞いてくれた学生さんたちはかなり優秀で、あんなに興味津々な目で話を聞いてもらったのは初めてである。私はしゃべりながら「オレ、関西の方がうまくやっていけそう」とここでもまた思ってしまった。
たとえば、コリードは都市伝説とともに話され、グアダルーペの聖母はサモアンファイターとともに語られ、アストランは廃墟マニアの視線から分析される。私自身はといえば、ときに怒り、ときに笑い、ときに憂う。チャックモールと鬱病の話しが隣り合わせになり、UFOは河童と同列のものとして扱われる。そういう支離滅裂なストーリーを、朝から晩まで授業を受けている学生さんたちが、最後まで真面目に聞いてくれるなんて感動的ではないか。ありがとう! 楽しかったです。
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登録日:2007年 08月 03日 03:03:25
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