2007年 09月
bajalta california
<米移民規制法案>米大統領、警備強化案への支持要求 - メキシコ
【ティフアナ/メキシコ 21日 AFP】ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)米大統領は5月15日に公表した移民改革法案への支持を求めているが、保守派議員からは懸念の声が上がっている。同大統領は自身の支持基盤である保守派内の不平分子に対し、国境警備を強化する意志を示そうとしている。写真はバハカリフォルニア(Baja California)州ティフアナ(Tijuana)で1月24日、米国との分離壁の近くで翻るメキシコ国旗。(c)AFP/Omar TORRES
カリフォルニアをバハを含めて一つの固有の意味空間と捉えようとする試みが荒唐無稽なものとして受けとられるとしたら、それは私たちの思考を規定している「国家原理」のせいである。境界線によって分断して把握できる近代的な風景があるように、それ以外の方法論を通して見えてくる現実もまた存在すると考えることは楽観的に過ぎるだろうか。国境線のはざまに広がる不可視のボーダーランズの住人であるチカーノの目を通して、近代社会が取りこぼしてしまった現実を見ようとすること、そこにこそ彼らに寄り添う意義があると私は考えている。
ここであらためて確認すべきは、ボーダーランズは「境界線」のはざまにあるのであって、必ずしも地理上の「国境地帯」にあるわけではないということである。したがって、ボーダーランズは私たちの傍らにも横たわっている可能性がある。国民国家を成立させてきたメディアの発達やその使い方が時代とともに変化し、それによって国家もまた変容し、ボーダーランズは国境地帯の縛りをふたたび離れるだろう。また、国民国家の成立に際して「文学」の果たしてきた役割について強調されてきたように、国民国家の束縛を解き放つ際にも文学の役割は小さくないはずである。カリフォルニアのチカーノが残してきた文学が私たちを引きつけてやまない魅力もそこにある。共有する風景と文学、共生する風土と文化。文学が私たちの目の前のスクリーンに映し出す光景は、幻想のアストランさえもリアルなものとして手元に引き寄せる潜勢力を秘めているのである。
かつてカリフォルニアをシマと幻視した時代が長く続いたことがある。それを科学技術の未発達が生んだ単なる誤解であるとして顧みないのは、近代的な思考方法の過信である。中世から大航海時代にかけて形成された、ユートピアをシマに託す心性は新大陸にも投影され、そうしてコロンブスはシマに到達し、コルテスはカリフォルニアをシマと捉えたのである。当初「カリフォルニア」という名称は十六世紀の中頃にバハの尖端の地名につけられた。カリフォルニアは半島の南端から始まりやがて北上したのである。そして、1701年に、イエズス会の神父であるエウセビオ・キノによって作成された地図で、バハは初めて半島として描かれた。しかし、その後も長いあいだ、カリフォルニアはシマとして人びとに受けとめられ「夢」を与えてきた。200年以上にわたって、カリフォルニアは固有の意味空間としてのシマだったのである 。
したがって、風景や認識を共有しつつ、国家を相対化して共同性を構築するという行為は、けっしてチカーノに特有のものではないことがわかる。国民国家の時代を経て、チカーノは、ふたたびカリフォルニアを群島のなかのシマへと解放することができるだろうか。
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登録日:2007年 09月 25日 22:43:21
ひっぱたきたい
<08米大統領選挙>「白人男性以外にも投票」が大多数、世論調査
【7月8日】米国の有権者の大多数は大統領選でアフリカ系アメリカ人や女性の候補者に投票する用意がある。
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(c)AFP
今月発売の『SIGHT』で高橋源一郎が「<丸山真男>をひっぱたきたい:31歳フリーター。希望は、戦争。」(『論座』1月号)の「赤城智弘」について書いていたので、遅ればせながら読んでみた。
5分で読み終わるものの、突っ込みどころが満載で目眩がする。このようなカルイ文章が天下の『論座』に採用され、しかも、それ以降も話題になってしまうことの方に驚かされる。筆者の言いたいことは「戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンス」で「一部の弱者だけが屈辱を味わう平和」を打破するためには「戦争」しかない、らしい。丸山真男云々は、どうでもいい。
「両親とはソリが合わない」と書きつつ「親元に寄生して」いるような筆者から「私を戦争に向かわせないでほしい」とすごまれても苦笑してしまう。現実感がまるで伝わってこない。この文章を読みながら私は、お金がなくて女性を無計画に殺しておいて、死刑になりたくないので自首した名古屋の事件を思い出してしまった。
つまり、悪いのはすべて社会の方で、その状況を改善するために「ちまちま」した努力など面倒くさく、というかシアワセをものごとの過程におくことができず、さらに悪いことに、お金があるかないか(職があるかないか)がシアワセの唯一の基準で、そこから畢竟、人生一発逆転の発想しか生まれ得ず、しかし悲しいことに(頭が悪いので)その方法論は非現実的かつ幼児的、なところが同じだと思ったのである。
すでに亡くなっている丸山真男を引き合いに出して、安全な場所から「ひっぱたきたい」などと小さな声で吠えるのではなく、「調子のいいこと言ってんじゃねえ!」と姜尚中あたりを実際にひっぱたきに行けばいいのに。それと「死」に対する想像力のなさと考察の欠如に愕然としたことも付け加えておく。
それに比べると(比べるのも申し訳ないが)小林敏明「憂鬱な国:三島由紀夫『文化防衛論』を再読する」(『新潮』5月号)は読み応えがあった。三島の「死」について書かれたもっとも精緻な文章の一つである。保存版。
ある文芸誌で、村上春樹の海外のメディアでの発言をもとに評論を書いている人がいたが、三島の場合はどうなのだろう? 「You Tube」で三島がとても流暢な英語で「武士道」について語っているのを聞きながらそう思った。
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登録日:2007年 09月 02日 13:10:41
文学テーマパーク
【8月21日 AFP】ハリケーン「ディーン(Dean)」は21日、カテゴリー5の勢力を維持したままメキシコのユカタン半島(Yucatan peninsula)東部に上陸した。全米ハリケーンセンター(US National Hurricane Center)が同日、発表した。
「ディーン」は現地時間の午前3時30分ごろ、メキシコのChetumalの東北東約65キロに位置するCosta MayaまたはMajahual付近のユカタン半島東岸に上陸したという。(c)AFP
何回か前に「下北沢のあのごちゃごちゃとした街並みが好きではない」と勢いに任せて書いたことが気になっていて(「なぜ自分はそう思うのだろう」という疑問)、下北沢についても語られている東浩紀と仲俣暁生の対談「工学化する都市・生・文化」(『新潮』6月号)を引っ張り出して読んでみた。
東による下北沢の解釈に対してはほとんど異論がなく、ごちゃごちゃしていた頭の中がかなりすっきりした。「頭のいい人は違うなあ」と感謝したくらいである(詳細が気になる方は本文にあたってください)。私が20年以上親しんできた中央線から自然と離れ、なぜか生理的に下北沢を怖れ、シネコンもTSUTAYAもスタバもそろっているいまの街に落ち着いている理由も納得できた。東があるとき西荻窪に降り立って「身体が「何だ、これは!」と拒否した」と述べているが、私の下北沢と同じことだと思う。
彼は中央線文化や下北沢を「文学テーマパーク」「文化的蛸壺」と表現する。とてもわかりやすい。こうして東による明晰な解釈に感謝すると同時に、私が仲俣という人の書く文章を生理的に受けつけない理由もわかったような気がした。葛飾で生まれて船橋で育った「東京の東側」の人間がいま下北沢に住んでいるという事実が象徴的であるが、きっと彼は理が勝ちすぎているのだと思う。
下北沢を「ノスタルジー」で語るのはいいとしても、ノスタルジーのなかに住めるというのは並大抵のことではない。一般的な印象からすると意外なことだが、東の方がより「身体」や「現実」に寄り添って考えているように見える。もちろん、身体や現実に寄り添わない思想など、単なる知の戯れに過ぎないのだが。
東が対談の最後の方で「仲俣さんと僕の考えはずれていると思います」とはっきりと言わざるを得なかったのも、どこかで聞いたような仲俣の表層的な意見に苛立ってのことだろう。「社会全体にとって見れば、下北沢や中央線沿線がどんなに変わろうと、別にどうでもいいわけでしょう」と言い放つ理由が私にはよくわかる。「下北沢を守るために召喚されるであろう「ノスタルジーの権利」なるものは、資本主義の荒波のなかで出てきた泡みたいなもの」もそうである。
最後の方で語られている「文学」についての意見も大変参考になる。私は日常的に高校生や大学生と言葉を交わすことが多いが、彼らはとにかくよく小説を読んでいて感心させられる。ただ、彼らに「先生からすると小説じゃないかもしれないけど・・」と留保をつけさせてしまうような世の中の風潮に私は疑問を感じる。その点について、東は次のように述べる。全面的に同意。
「文芸誌はある限定された趣味を反映した雑誌でしかない。いいとか悪いとか以前に、それはもう疑い得ない事実なわけです。その中にライトノベルが入ったり入らなかったりっていうのは、ある特定の雑誌や、その雑誌を中心としたコミュニティにとっては大事かもしれないけど、そのほかの小説を読んでいる人たちにとっては、まったく関係がない。そして、もしいま「文学」について語ろうとしたら、その広大な空間について語るしかないんです」。
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登録日:2007年 09月 01日 03:15:42
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