ヒスパニック? ラティーノ?
【サンディエゴ/米国 2日 AFP】ピュー・ヒスパニック・センター(Pew Hispanic Center)によると、現在アメリカ合衆国に住むメキシコからの不法移民は630万人と推定され、毎年新たに48万5千人の不法移民が国境を越えているとされる。
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(c)AFP/HECTOR MATA
<ヒスパニックとラティーノ>
東京外国語大学教員の柳原孝敦さんがブログのなかで「ヒスパニック」と「ラティーノ」の名称について触れていたので、これをきっかけに私の考えを記しておくことにしよう。なぜタイトルに「ヒスパニック」という言葉を採用しているのか、どうして「ラティーノ」という用語を使用しなかったのか、についてである。
<チカーノと名称>
去年『現代詩手帖』(思潮社、5月号)にチカーノについて書かせていただいたときに、まず名称についての問題を取り上げることから私は始めた。集団の名称には「名づけるもの」と「名づけられるもの」のあいだのせめぎ合いが浮き彫りになっている場合が多く、看過することができない興味深い痕跡が残っているからである。その論文では、チカーノの名称に関連して「メキシコ系アメリカ人」「ラ・ラサ」「パチューコ」「チョロ」「ズート・スーター」「バト」などを例にあげたが、もちろんこれらがすべてを網羅しているわけではない。時代と場所と状況によって名称は多様に変化してゆき、現在もその変化の過程のなかにある。さらに重要なことは、同じ人物が国境線を越えることによって瞬間的に呼ばれ方が変わり、また、その人物のどこに焦点を当てるかによって呼ばれ方が変化することである。メキシコ人がメキシコ系アメリカ人になり、そして「白人」や「ユダヤ人」になることもできるわけだ。
<名称の多様性>
たとえば、日本では「アメリカ」を「アメリカ合衆国」の意味で使うけれども、ラテンアメリカで語る場合にはアラスカからパタゴニアまでを指す名称へと変化する。同じ対象に対して、語る人がどこに立っているかによって名称が変わる一つの例である。メキシコとアメリカのあいだを流れる川にはこれまでに78の名前がつけられたそうだ。現在でも、アメリカ側からはリオ・グランデと呼ばれ、メキシコ側からはリオ・ブラーボと呼ばれている。つまり、対象が変化せずとも名称は変わるのであり、話される言語が変われば名称も変わる。また、同じものを見ているにもかかわらず、立場によって意味づけも変わる。そして「川」のような地理的な対象物とは違い、人間のような対象の性質自体が変化する場合にはさらに状況は複雑になる。
「ポブラーノ」(メキシコのプエブラ州の住民)や「メヒカーノ」(メキシコ人)や「アバネーロ」(ハバナの住民)や「クバーノ」(キューバ人)はアメリカ国内へと移住するや、ラティーノやヒスパニックとまとめて呼ばれるようになる。混乱の原因はまずここにある。
<あらゆる名称は仮称に過ぎない>
それにしても「ラティーノ」などと呼ばれるようになったのはいつ頃からなのだろうか? 長くヒスパニックやスパニッシュアメリカンと呼ばれていた時代があり、イベロアメリカーノと呼ばれた時期もある。それよりも前の時代にはただ「スペイン人」と呼ばれていた。スペイン語を話すという理由だけで、キューバ人もプエルトリコ人もそう呼ばれたのである。とすると、やがて「ラティーノ」もまた新しい名称にとって代わられると考えるのが自然だろう。このブログでも「ヒスパニック」という総称が引き起こす現実との齟齬について何度か触れてきた。つまり、白人のヒスパニックと黒人のヒスパニックが同じようにヒスパニックと呼ばれ、しかも白人や黒人自体も多様なものを内に含んでいることがヒスパニックを複雑なものにしているのである。イタリア人とドイツ人とフランス人とスペイン人を統一した名称で呼ぶことが不可能なように、メキシコ人とキューバ人とプエルトリコ人をまとめて呼ぶことはもともと不可能なのである。「アメリカ」は、ラテンアメリカを出自とする人々をまとめて扱いたいがために彼らを総称できるような言葉を作り上げ当てはめようとするが、そんなことは無理な話だ。名称が急速に推移している現実に追いつけるはずもない。
マンハッタンの日刊紙『エル・ディアリオ/ラ・プレンサ』は自らを「ヒスパニックのチャンピオン」と呼び、扇情的な記事が売り物の全国紙『インパクト』はサブ・タイトルに「ザ・ラテン・ニュース」(「ラティーノ」ではない)とつけている。
<全世界をカバーするヒスパニック>
スペインやインディオの出自もさかのぼれば、ヒスパニックは地球上の広大な地域をカバーすることになるだろう。もしかしたら地球上の大半を覆ってしまうかもしれない。それらすべてを巻き込むができれば、などと私は勝手に壮大なことを考えている。したがって、アメリカ国内における総称など私にはどれも仮称にしか思えないが、「ヒスパニック」という言葉がいまでももっとも多くの要素を取り入れることができ(キャッチオール!)、論争を巻き起こすにふさわしい言葉だと考えているので、この言葉を採用しているわけである。
まあ、べつに「ラティーノ」でもいいんだけど・・。言葉自体に語らせようとしないことが重要だと思う。
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登録日:2006年 03月 08日 20:55:14
すべての道は「ブラウン」へと通ず
ジョージア州リソニアのニュー・バース・ミッショナリー・バプテスト教会で7日、米公民権運動の代表的指導者、故マーティン・ルーサー・キング(Martin Luther King )牧師の妻、コレッタ・スコット・キング(Coretta Scott King)さんの葬儀が取り持たれた。歴代4人の米大統領をはじめ多くの弔問客が参列し、葬儀はしめやかに行われた。写真は、弔辞を述べる娘のバーニス・キング(Bernice King)師。(c)AFP/Jason REED
<公民権運動>
1960年代にマーティン・ルーサー・キングによって導かれた黒人の公民権運動と呼応するようにして、メキシコ系アメリカ人による公民権運動であるチカーノ・ムーヴメントが展開された。これによりメキシコ系アメリカ人は「チカーノ」という言葉を作り出し、そのなかに多様なアイデンティティを集約させつつ、さまざまな現実的な権利を獲得するための流れを作ることができたのである。当時いっせいに現れた、セサール・チャベス、レイエス・ロペス・ティヘリーナ、ロドルフォ・コーキー・ゴンサレス、ホセ・アンヘル・グティエレスら各々の指導者によって残された恩恵を受けながら、その後チカーノは、芸術や文化や政治や言語など多くの分野においてさらなる運動を進めることができたのだった。つまりキング牧師の、死に到るまでの献身的な活動を抜きにしては、チカーノ運動を語ることはできないとさえ言えるだろう。キング牧師の非暴力運動の精神や方法論は、たとえば、セサール・チャベスの精神と方法論へと大きく流れ込んだことは言うまでもなく、チカーノのブラウンベレーがブラックベレーの影響を受けていることにいたるまで、黒人の公民権運動とチカーノ運動は密接に結びついていた。
<黒人vs.白人>
そのキング牧師の妻であり、自ら公民権運動の活動家であったコレッタ・スコット・キングさんが亡くなった。公民権運動の引き金になったローサ・パークさんの死から4ヶ月後のことであった。キング元夫人の葬儀には、ブッシュ大統領とともに、クリントン、カーター、ブッシュ元大統領が参列した。白人が握っている利権と偏見に対する戦いを挑んだキング牧師が亡くなり40年になろうとしているが、いまだに黒人の大統領は現れずに権力は白人が握っているということになるだろう。少しでも黒人の血が入っていれば黒人と認定しつつ彼らを一つの集団と捉えることによって、白人自身は雑多な集団でありながらもを自らを白人として認識し、暗黙の優位を主張してきたのではなかったか。もちろん、アイルランド系とイタリア系とドイツ系を同じ地平で語ることなどできない。黒人も同じことだ。ハル・ベリーとウーピー・ゴールドバーグは同じように「黒人」なのだろうか。
<クレオールまたはブラウン>
公民権運動の時代に黒人とチカーノが近いところにいたように、21世紀になって「ヒスパニックの数が黒人の数を抜いてアメリカ最大のマイノリティになる」というニュースが流れ、ふたたび黒人とチカーノ(およびヒスパニック)は並べて報道されることになった。「黒人vs.白人」から「黒人vs.ヒスパニックvs.白人」という構図になるのだろうか。私はそうなるとは思わない。ヒスパニックの多様性は黒人や白人の比ではないからだ。そもそも、ヒスパニックは人種のカテゴリーによって区分けされた集団ではない。そのなかには、白人もいれば黒人もおり、ネイティブ・アメリカンもアジア系もいる。ヒスパニックは多くがクレオールであり、クレオールであることはリチャード・ロドリゲスの言葉を借りれば「ブラウン」であるということだ。白人と黒人もブラウンへと向かう道しか残されていない。ヒスパニックとあらためて出会うことによって、黒人も白人もじつはブラウンへの途上にあることを知らされる。純血とは何かをあらためて問われることになるだろう。
<それでも・・>
しかし、混血が純血を駆逐するとしても、純血自体が幻想であるとしても、国家が想像の共同体であるようにして、純血は人々の思いを誘うように規定する。純血は魔力を有している。征服した者の血と征服された者の血の混血という図式化のなかで、メスティソはアイデンティティの揺らぎを経験するのである。そこでもう一度、論理的な飛躍を必要とすることになる。「征服した者と征服された者」の混血という発想自体がヨーロッパ起源のものであるということだ。インディオはけっして征服された者なのではなく、ヨーロッパ人を長いあいだ待ち焦がれ、そして受け入れたのだという発想への転換である。そうリチャード・ロドリゲスは述べている。よりよい未来を作るために私たちは、過去を作り直さなければならない。現実の混血のあり方においても論理的な戦略においても、私たちが「ヒスパニック」を先導者として捉える必要性がいよいよ増している。
メキシコ人は自らのなかで何かを越える。しかし、私たち自身も、メキシコ人のように越境することができるはずなのだ。
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登録日:2006年 03月 01日 21:14:19
ホセ・マルティとヒスパニック化するアメリカ
【ハバナ/キューバ 6日 AFP】4日朝、ベネズエラのウゴ・チャベス(Hugo Chavez)大統領は、ハバナの革命広場(Revolution Square)で、キューバのフィデル・カストロ(Fidel Castro)議長からユネスコ国際、ホセ・マルティ賞(UNESCO's International Award Jose Marti)を授与された。
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(c)AFP/Marcelo GARCIA
<カストロとマルティ>
いまだにキューバに君臨するフィデル・カストロと比較したとき、ホセ・マルティの名前は我が国において、ほとんど無名のままであると言っても過言ではない。シモン・ボリーバルとともに「ラテンアメリカの解放者」と呼ばれ、また、類いまれなる文才に恵まれた「モデルニスモの詩人」は、帝国主義的なアメリカを意識しながらラテンアメリカ全体を視野におさめることのできた偉大な思想家でもあった。のちのカストロの行動力を知的な側面から支えた人物こそホセ・マルティだったのである。彼の名前が冠された賞が存在する理由はここにある。
<亡命と混淆>
キューバが独立するはるか以前に、ホセ・マルティはメキシコ、グアテマラ、スペイン、ニューヨークなどへと何度となく亡命を余儀なくされた。「亡命と記憶の国」キューバは、ホセ・マルティに始まる。しかしまた、亡命とは交渉と混淆の第一歩でもある。それにより、純血を維持しようとする国民国家は混血によるボーダーランズの色彩を帯びるようになるだろう。アメリカ国内にいるヒスパニックが「数」においてだけではなく、文化や政治や芸能などあらゆる分野において存在感を増していくにつれて、アメリカを知るためにはヒスパニックを知らなければならない時代が来ようとしている。無論、ヒスパニックを知るにはラテンアメリカを知らなければならない。ホセ・マルティはラテンアメリカを知るために、最初に当たらなければならない人物の一人である。アメリカを知るためのホセ・マルティという視点が求められている。
<純血と混血>
あえて純血を守ろうとすることは、なるべく狭い範囲の狭い人間関係のなかで婚姻を繰り返すといういわば時代錯誤な行為である。また、混血は後戻りできないという点において、純血を駆逐する。さらに言うならば、純血などというものは幻想に過ぎない。たとえば、アメリカは最初から多民族によって構成された国だった。先住民が暮らす土地にイギリス人が植民地を作るはるか前にスペイン人が入植し、それ以降もさまざまな出自とさまざまな血と文化が混ざり合ってできた国である。ヒスパニックはアメリカという土地に胚胎しているクレオール的状況を逆に引き出し、開花させるような存在となっているのではないだろうか。
<チカーノとクバーノ>
クレオール的状況へと踏み出すにはそれなりの覚悟と戦略が必要である。そしてできることならば先達を必要とする。チカーノ(メキシコ系アメリカ人)はその架け橋となるだろう。黒人と白人の対立にブラウンという曖昧な人種が割り込むことによって、対立は複雑さを増しつつも先鋭さを減少させ、人種対立をより知的な次元へと押し上げようとしている。しかも、ヒスパニックの多様な出自がその複雑さに輪をかけている。そのヒスパニックのなかのクバーノ(キューバ人)もまた、私たちの目指すべきゴールのひとつを提示している。キューバは自らを相対化させる相手としてのアメリカとの関係性なしには語ることができない国だが、そのことがキューバ性の自意識を育て、土地や血のつながりを凌駕するひとつ上のレベルを目指すことにもつながった。チカーノのカルナリスモが時間と空間を越えてつながるように、キューバのクバニスモはあらゆる土地の種子を受け入れるのである。
虐げられた黒人たちを助けたいという思いから始まった革命家としてのホセ・マルティ。彼の両親はどちらも、スペイン生まれのスペイン人だったことを忘れてはならないだろう。革命の思いは人種を越えるのである。
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登録日:2006年 02月 22日 19:51:28
北アメリカとヨーロッパのためのオリンピック
【ティファナ/メキシコ 2日 AFP】米下院はこのほど、移民法を採択し、これにより米・メキシコ間を隔てるおよそ1900マイルの現存の壁に、さらに700マイルの壁が増設される。
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(c)AFP/Omar TORRES
<オリンピックの関心事はメダルの数>
午前1時を過ぎて「そろそろ寝ようか」とぐずぐずしている時間帯に私は、家族とおしゃべりをしながらテレビをただ流していることが多い。夜遅くの時間帯ということもあり、だいたいはお笑い番組か音楽番組が選ばれることになるのだが、この時期はさすがにオリンピックを中継しているチャンネルに合わせ、見るとはなしに眺めている。テレビ画面のなかにいる人々は興奮しながら誰もが「日本人はなぜメダルを取れないのか!」と力強く嘆いているのがとても印象的だ。まるで日本は最初からメダルを取ることが運命づけられているかのようである。取ってもらわないとどこかの企業が困るのだろうか。
<グラサンの下に隠れた選手たちの表情>
しかし、私はこのオリンピックがそれほど面白いと感じられないのである。なぜか? ひとつは、選手たちの表情を見ることができない競技が多いことがあげられると思う。サングラスの向こう側にある彼らの表情を直に感じることができず、それによって、どこの国の選手が勝ったのかという「情報」の方に関心が偏ってしまう。選手たちの身体能力よりも「どこの」「誰が」「何色の」メダルを獲得したのかに関心が集中してしまうのである。
<ラテンアメリカとアフリカはいずこへ?>
それとともに「そもそも出場している選手たちの顔ぶれ自体が単調なのではないか」ということに、私はあるときから気づき始めていた。つまり、私の頭のなかにはたえず次のような疑問が浮かぶようになっている。「冬季オリンピックにアメリカの黒人は出場しているのだろうか?」「ラテンアメリカの人々はトリノに関心があるのだろうか?」「雪は降らないにしても、アフリカの人々はオリンピックを見ているのだろうか?」。
<ヨーロッパとアメリカによる祭典>
たまたま見ていた女子のスピードスケートでは、出てくる選手、出てくる選手すべてが東アジア人(日本人、韓国人、中国人)で、東洋人を見慣れていない人にはおそらくそれらの選手たちは識別不可能だろう。その他の出場選手も、アメリカとカナダをのぞけばすべてヨーロッパ大陸の選手たちで、しかも地図上で正確に指差すことができないような小さな国々も多く含まれている。私があまり魅力を感じないもうひとつの理由はおそらく、世界のなかの限られた人々による(おもに白人による)競技だからではないだろうか。
<五大陸が登場しない五輪>
五輪というのは五大陸を表現しているそうだが、冬季に関して言えば、アフリカ大陸と南アメリカ大陸が欠けていると言えそうだ。その点では、サッカーのワールドカップの方がはるかに「五輪」という名にふさわしい。少し考えてみればわかるように、肌の色と身体能力の因果関係はこの冬季オリンピックの偏差ほどには明確ではないわけで、そこには、さまざまな思惑と貧富と階級と資金がうごめいていることがわかる。それによってある特定の人々は巧妙にはじかれている。オリンピックでの選手たちのユニフォームにはみなナイキのマークがあしらわれ、そのナイキは6月に開催されるワールドカップのユニフォームをこのオリンピック期間中に発表している。
<巨大なマーケットを駆動させる原動力>
一方、メダルを獲得した選手たちは最高のお墨付きを与えられ、帰国したあとにコマーシャルに出たり、プロとしてプレーしたりしながら再びお金儲けに励むだろう。オリンピックは巨大なマーケットを駆動させる原動力となっている。そのお金は言うまでもなく、すべての人々に分配されるわけではない。国境線の外側へとある特定の人々を追い出そうとする力と、国境線内にいるある特定の集団を押さえつけようとする力は、依然として有効に作用しているのである。
国境を越え、国境地帯を無事に通り抜けたあとも、彼らの戦いは続く・・。
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登録日:2006年 02月 15日 20:56:59
トリノから米墨国境への想像力
【ティフアナ/メキシコ 27日 AFP】麻薬密売者が国境を越えるために利用した地下トンネルの発見は、メキシコと米国の国境警備に波紋を呼んでいる。メキシコ政府は、不法に国境を越えようとする者に地図を与えるという方針の変更を決定した。写真は24日、国境の壁の破損部分を警備する監視員。(c)AFP/Omar TORRES
<オリンピック競技がもたらす興奮>
トリノ・オリンピックが始まる。世界各地からさまざまな人々が一堂に会すことに大きな意義があることは言うまでもないが、いまや世界中の大都市は日常的にそのような多民族状況になっていることもまた確かである。国際友好を促進するための機会はあらゆる場所に落ちている。したがって、オリンピックのそのような面よりも、私は、そこで繰り広げられる各種競技のもっている性格や観客の反応の方に着目してしまう。つまり、それぞれの競技において、あるルールの制約のもとで人間の究極の身体技能が発揮されるとともに、国家間が疑似戦争のような形でぶつかり合うことで観客の興奮が引き出されているからである。つまり「ゲームが有している快楽」と「国別対抗戦のスリル」があいまって、オリンピックは不思議な興奮を私たちにもたらしてくれているのである。
<「ゲームが有している快楽」と「国別対抗戦のスリル」>
ゲームとは人が自らに与えた縛りである。人は自らの行動に規制を加えながら、その制限された範囲のなかで設定されたルールを楽しむことができる変わった動物だ。たとえば、手を使わずしてひとつのボールを相手のゴールポストへと送り届けようとするゲームに、なぜか私たちは興奮することができる。器官のなかでもっとも便利な手を使わないスポーツが、なぜ世界でもっとも興奮を誘うスポーツなのかは一考に値しよう。また、国家は人を熱狂させる最高の小道具(大道具?)である。自らが所属する国境線内部への思い入れ(ナショナリズム)が人を必要以上に駆り立てることを私たちはよく知っている。それはときには、国あるいは地域の保護と名誉ために命を犠牲にさせるほどの力を有していることも、私たちは歴史から学んできた。
<つまり国家間の相克とはゲームなのか?>
つまり、オリンピックは、スポーツとナショナリズムのもたらす昂揚感がないまぜになっている場になっている、と言えるだろう。そして、それらの根底にあるキーワードは自らに課した「制限」と、その結果としての「昂揚感」である。自らの周りに不自由な境界線を張り巡らしておきながら、その状況のなかで右往左往しつつ、陶酔し興奮するのである。そう考えると、人間が自らに課したもっとも重い「制限」としての「国境線」のことをさらに私は考えてしまう。たとえば、「国家間の相克」(戦争)とは、もしかしたらゲームのひとつなのではないか、と。
<国家という透明な想像の共同体>
原因と結果を取り違え、国家ごとに言語や宗教や社会体制(理念)が異なるから国境線が引かれているのだ、と考える人はいないだろうが、結果的には、私たちはそのような単純化された世界を生きるよう日々強いられている。不純物が混ざった国家言語や宗教や理念は淘汰されるような力が働いている。そうしなければ国家をいまの形のままで維持することが困難になるからだ。かつての方言札などという発想が国境線を強化し、マイノリティを不公平な立場へと追い込んでいった。そのような平準化された国家の姿はさらに「国別対抗戦のスリル」を増す結果となる。
<メキシコとアメリカの国境線は最強!>
冒頭に掲げた写真は米墨国境に敷設されたフェンスである。メキシコとアメリカの国境線は世界でもっとも「熱い」国境線のひとつであろう。メキシコからアメリカへの「不法入国者」の数が年間数10万人、6年間で約2000人が道行きで死亡しているという事実もさることながら、先進国と第三世界の、プロテスタントとカトリックの、アングロとメスティソの、そして、英語とスペイン語の境界線が、3000キロにもわたって横たわっている。この国境線もまた、初期のアメリカ帝国主義が振るった暴力の遺産である。この人工的に引かれた恣意的な国境線を越えようとして亡くなった多くのメキシコ人は、アメリカ帝国主義の被害者なのであり、いまだに続く目に見えない戦争の「戦死者」だとも言えるかもしれない。
<国境線を可視化すること>
オリンピックで競われる単位としての恣意的な単位である国家を眺めつつ、その国家間のはざまで苦しんでいる多くの人々のことをも同時に考える想像力が必要である。フェンスにいくつもあけられた穴は、前回触れたスパングリッシュや、ヒスパニック内の最大の集団であるチカーノたちを生むことになった新しい文化へとつながる通路でもある。私たちはもうその穴を塞ぐことはできない。しかし、島国である日本人はフェンス自体を目にする機会がない。私たちを取り巻くこのようなさまざまな種類のフェンスを見るための視力を鍛えるには、国民国家がふるってきた暴力の細かな遺産から目をそらさないことである。それは、私たちの心構え次第だろう。
フェンスの穴をのぞくメキシコ人の少年はおそらく自分が足を踏み入れるであろう未来のアメリカを透視しているのかもしれないが、私には、彼が、過去を透視しているようにも見えて仕方がないのである。
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登録日:2006年 02月 10日 15:02:26
ヒスパニックを考えるためのヒント
<NRJミュージック・アワード>ブラック・アイド・ピーズが最優秀国際グループ賞を獲得
【カンヌ/フランス 23日 AFP】フランスの人気ラジオ局NRJが主催する音楽賞、NRJミュージック・アワード2006(2006 NRJ Music Award)がパレ・デ・フェステイバル(Palais des Festival)で21日に開催された。写真は最優秀国際グループ賞(Best International Group)を受賞した米国のポップ・グループのブラック・アイド・ピーズ(Black Eyed Peas)のメンバーたち。(c)AFP PASCAL GUYOT
<ヒスパニックという市場>
アメリカ国内のヒスパニック人口の増加と呼応するように、国境の南からの文化流入はいよいよ激しくなっている。いまやアメリカは国内に「ヒスパニック」という大きな市場を抱えているわけである。写真に掲げたレバノン系コロンビア人の歌姫シャキーラも、10年近くにわたってラテンアメリカでヒット曲を出し続けてきたが、去年、英語で歌ったアルバムをリリースしたことでアメリカ国内でも火がついた。アメリカにおけるラテンアメリカンへの関心はヒスパニックを経由してさらに強くなっていくだろう。
<日本人にとってのヒスパニック>
一方で、ヒスパニック人口の急速な増加にもかかわらず、日本人が彼らについて語る際に「とまどい」をともなっているように見えるのは私だけだろうか。もちろん、私たちの利害に直接関わりを持たないニュースはたいてい無視されるものであるが、それにしても黒人について書かれた書物の数やテレビで報道される量に比べると格段に少ない。書かれたにしても、その内容は、政治的・経済的な影響力の増加にともなう「役職」や「数字」の羅列のような客観的な情報に終始している。そのため、ロサンゼルス市長にチカーノ(メキシコ系アメリカ人)が選ばれたという昨年のニュースは、残念ながら私たちがチカーノを理解するための推進力にはあまりならなかったようだ。
<アイデンティティを選択するということ>
私たちに「とまどい」がつきまとう理由はまず、彼らの出自が、メキシコより南の広大なアメリカス(南北アメリカ大陸)とカリブ海に渡っているために、集団としての境界線が曖昧で語りにくいという点があるだろう。さらに、もっと決定的な理由は「ヒスパニックであるかどうか」が人種的なカテゴリーによるものではなく言語的な、いわば恣意的な境界線に委ねられていることである。「私はヒスパニックだ」と考えた時点で人はヒスパニックになることができる、とさえ言える。しかし、アメリカという国家の起源について思いを巡らせてみるならば、海外からのさまざまな国々からやってきた移民によって成立したアメリカとはもともとそういう国であった。彼らは生まれながらにしてアメリカ人の属性を獲得するのではなく、あるときからアメリカ人であることを選び「私はアメリカ人だ」と宣告したのである。
<日本人を捉え直すための契機としてのヒスパニック>
彼らと対照的に比較的均質性を保っている(と言われている)「日本人」に目を向けてみれば、私たちは生まれながらにして日本人であると確信している。日本人が外国人の書く日本人論を読むのが好きな背景にはおぞらく、島国であるために外国人との直接的な接触をもつ機会が稀薄だという事実がまず前提にあり、つぎに、日本人であるならばある固有の特徴を有しているだろうという暗黙の了解があるからに違いない。「清潔好き」とか「礼儀正しい」と言われて大半の日本人は「そうかもしれない」と曖昧にうなずいて納得するのであるが、言うまでもなくすべての日本人に当てはまる特徴など存在するわけもなく、また、日本人にあてはまる特徴の数々は外国人にも当てはまるだろうことは容易に想像できる。私たちはただ、日本という国家の境界線のなかに生まれ落ちたにすぎない。
<鎖国のなかで醸成された日本人気質>
と言いながら、「鎖国」による外部からの影響を極端に制限された時代に醸成された奇跡のように美しい「日本人」たちの記録について、私は渡辺京二による『逝きし世の面影』という書名をここで書きつけておかずにはいられない。もちろん、「鎖国」がグローバリゼーションと対極な社会状況であることを考えると、私たちがあの世界に戻ることはもう二度とないだろう。私たちは新しい何かを得るためには、何かを捨てなければならない。
<流動的なアイデンティティ/流動的な言語>
いずれにしても、私たちがこれから迎えようとしている社会は、「鎖国」からは遠く離れたクレオール的状況へと不可避的に進んでいくだろう。あらゆる出自と伝統が混沌としているなかへと泳ぎ出していき、アイデンティティをその度ごとに選び出していくような社会である。いま『スパングリッシュ』というタイトルの映画が公開されているのはご存知だろうか。メキシコから不法入国した女性とその子供がアメリカで言語の壁と闘いながら自らのアイデンティティを再確認する映画である。私が気になったのは、登場人物がスペイン語で語る場面には字幕がついていないことだ。そうすることによって英語とスペイン語の違いを観客に提示したかったのだろう。しかし、タイトルに掲げられた「スパングリッシュ」が英語にもスペイン語にもどちらにも回収されない(どちらでもあるような)言語であるならば、英語もスペイン語もまたスパングリッシュのひとつの方言にすぎないことを示唆する必要がある。つまり、人々のアイデンティティが流動的になるならば、言語もまたスパングリッシュのように流動的にならざるを得ないのである。
<じつはアメリカに国家言語は規定されていない!>
シャキーラのようなラテンアメリカ出身の歌手が、スペイン語で歌ったままアメリカで受け入れられるような時代。それはもうそこまで来ている、と私には思われる。
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登録日:2006年 02月 04日 22:36:57
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