パーソナリティー障害

「私の尻を蹴れ」とマンハッタンに現れたブッシュ大統領?! - 米国

【ニューヨーク/米国 24日 AFP】英国人パフォーマーのマーク・マッゴーワン(Mark McGowan)さんが22日、ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)大統領をネタにしたパフォーマンスをやってのけた。ブッシュ大統領のお面をつけ、「私の尻を蹴れ(KICK MY ASS)」と書かれた紙をお尻に張り、四つんばいの格好をしてマンハッタンの通りに現れたのだ。同大統領に扮したマッゴーワンさんは、お望み通りに、通り過ぎる人々に臀部を蹴ってもらっていた。写真は、マンハッタンのど真ん中でポーズをとるマッゴーワンさん。(c)AFP/DON EMMERT

AFPBB News


『手紙』東野圭吾 著 を読んだ。主人公の母は捨猫を飼うことを許さなかった。翌日猫は箱の中で死んでいた。主人公の兄は『優しい人でもいつも、いつも、誰にでもその優しさを示せるものじゃない、何かを取るということは何かを捨てる事だ。』と主人公をさとす。

妙なところが印象になったものだ。頭では分かっているが、あらためて言われると頭にくるセリフだ。

頻度が多いか少ないのか分からないが、わずか30数年の人生でどうしようもなく困った人々が僕の前に現れては消えていった。きまって、その困った人々は僕の前から消えた後でも困った事を繰り返しているようだった。

パーソナリティー障害・境界例・人格障害・・・etc こんな活字を良く目にする。
個性・性格・気質というくくりでは、済ませられない障害だ。

できれば付き合っていたいけれど、我慢の限界はいとも簡単にいつもやってくる。最初の段階でお人好しがあだになった結果だ。いつもその繰り返しだ。
パーソナリティー障害の場合、友人・知人・先輩後輩・・・の間柄では解決できない、無理だ、共倒れするか、優しさを提供した方がつぶれる。

彼等に必要なのは金でも、優しさでも、友情でもない治療だ。

困った事に同じ様な人が大勢居ればそれが標準になってしまう事だ。

本人達が生きづらいだけでなく、周囲もつらい状況が続いてしまう。




僕にできることはまだあるだろうか、

いや、  少し疲れた。

カテゴリー[ 医療 ], コメント[4], トラックバック[0]
登録日:2007年 02月 25日 22:53:33

コメント

こんばんは。
一難去ってまた一難な感じですが、相変わらずフワフワとクラゲのごとく生きております。

障害を抱えていらっしゃる方々は、それを「社会的に問題であると認識できず、止められない」から、「疾患」として「治療」が必要なのですが。
その障害を認識できない・受容できないから、「社会不適合」と言われるわけですよね…。
そういう人が増えているのも、人間社会のどこかが歪んでいて、その変化についていけず、そうすることでしか自分を守れなかったのでしょう。
気の毒とは思いますが、一緒に仕事をしている方としては、正直言っていつもいつも優しくなどできません。こっちは病気に逃げることすらできないのですから。
病気のなせる業だと分かっていても、我慢できなくなることもあります。
神様ではないので、そこは愚かな人間であると割り切って、自分を守ることにしています。…極力関わらないという方法をとって。

優しさというものは、難しいです。
自分自身に余裕が無ければ更に難しくなると思うのです。
それでも優しくありたいと思うならば、サトウさんらしく、ゆっくりじっくりお付き合いしていければ、それだけでも優しさだと。
私は思います。

…て、ここでしかお話したことないので、偉そうなことはいえないのですが。
逆にここでしかお話していなくても伝わる優しさを、生きることの大変さを存じていらっしゃるサトウさんだからこそお持ちなのだと感じています。

余り無理をなさらずに。
お体、ご自愛ください。

soleus @ 2007年 02月 25日 23:49:16

Soleusさん、こんばんは。
最近自転車に乗れず僕のヒラメ筋は縮小の一途をたどっています。

うなずき尽くすばかりのコメントありがとうございます。
多くの人々の中で生きる人にとって共感みたいなものは、人を癒してくれるようです。(同情と違って・・・)

パーソナリティー障害というフィルターを通して考えると全てがクリアに見え、全てが一致します。
自分でも、パーソナリティー障害の要素を沢山感じます。違うのはそれに気付くだけの話で、たいした差でもなく特別でも無いと思うので言うまでもなく排除したいというのではありません。しかし冷たいようですが、自分も距離を置かざるをえません。
揚げ足を取る傾向もあるので、何も言えません。シリアスです。

ちと、怖い事を考えました。もし国や軍隊や企業や警察や様々な要所の長がパーソナリティー障害だとしたら、下部組織は成り立たないばかりか、
プライドを傷つけられたと 押してはいけないボタンを押してしまうのではないかと
危惧します。
マジで心理学会さん達に、パーソナリティー障害の研究進めて欲しいと思います。

優しさは万能ではないようです。無責任な優しさは人の為にはならないと・・・
時に求められても客観的観点からに差し出せない場合もあります。

人生折り返し地点(バーチャル)にさしかかりようやく分かる事ばかりです。
それにひきかえSoleusさん、何でもご存知でいらっしゃる 流石ですね。

僕もゼリーフィッシュの様に生きられればどんなにか楽だろうな。

今日は 日野皓正をききながら・・・おわかれでーす!
では、また!
(テレビのエンディング風)

サトウカツキ @ 2007年 02月 26日 23:21:35

この記事しか読んでなくてコメント書いてるので「違う」と思われる部分があるかもしれません。ごめんなさい。


パーソナリティー障害の人とは、適度に距離をとりつつ与えれる優しさが少しでもあるのであれば、ラインを引いていつも同じ様に(コンスタントに)自分があげられる優しさをあげるのがいいんじゃないかと思います。

優しさは必要だけど、甘えるのと甘やかすのは違うみたいな・・・どこまでも優しくするのではなくある程度が必要なんじゃないかと思います。

助けようとしておぼれては意味が無いし、ご自分を1番に考えられて全然良いと思います。
あまり自分を追い詰めないでくださいねっ
自分に優しく出来て、人に優しく出来るんだと思います。



それがパーソナリティー障害を持つ、みいの意見です。

みい @ 2007年 04月 22日 19:40:52

みいさん,

真摯なコメントありがとうございます。
お返事が遅くなりごめんなさい。
しばらくチェックしていなかったので、今日気付きました。

まず、みいさんご自身がパーソナリティー障害だと認識されている事に
私は少なからず捉えようのない感情を抱きました。

ご自身を客観視されているだろうという事や、
無償の優しさを提供するスタンスや、
大きな人間性を文面から感じました。
であるが故にとても貴重なコメントを頂戴できて光栄に思います。

私にパーソナリティー障害の要素があり、それを知って生活しているように
うまく自分とお付き合いする必要がありますね。

恩師は私の問いに言いました。
おそれおののき、万物に対する畏敬の念があってこそ真の思考が始まると。

しかしながら私に余裕が無い為か、波長の合う人々にしかコンスタントに優しく
接する事ができません。聖人にはなれません。

経験上、障害を持った人は中毒のように優しさや賞賛をエスカレートして
欲します。故に優しさを持っている事を悟られないように、演技しなければならず
私にとっても楽な事ではありません。裏をかえせば、これが遠い意味で精一杯の優しさなのかもしれません。

こういう状況に囲まれつつも、よりよく生き続けたいと思います。
みいさんのアドバイスの通り、自分に優しくしてみたいと思います。
そうすると、何か違ったものが見えてくるような気がして楽しみです。

ほんとうにありがとうございます。

サトウカツキ @ 2007年 04月 25日 23:21:42

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プロフィール
サトウカツキ
(男)
1970年08月24日
自転車好きから、某輸入時計代理店勤務。
3年前父がクモ膜下出血で倒れ入院中、母に脳腫瘍が見つかり余命1年余りと言われる。以来常に死を真摯に見つめ、リアルを求め、自分自身生きる事に奮闘している。
今のところ好きな言葉は 【ハート】
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