なんでもかんでもアルカイダ

レバノン政府、「ファタハ・イスラム」との交渉に最後の期待

【5月27日 AFP】レバノン政府は26日、イスラム教スンニ派武装グループ「ファタハ・イスラム(Fatah al-Islam)」がレバノン北部、同国第2の都市トリポリ(Tripoli)郊外ナハル・アルバレド(Nahr al-Bared)難民キャンプに立てこもった事件で、平和的な解決を目指して交渉を提案した。
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(c)AFP/Michel Moutot

AFPBB News


【ファタハ・イスラムの正体】
レバノンに「ファタハ・イスラム」というわけのわからない武装グループが現れて、パレスチナ難民キャンプを盾に、レバノン軍と銃撃戦をしています。
このグループ、イスラム教スンニ派だとか、アルカイダ系とかいわれているけれど、ほんとにアルカイダと関係あるんですか?
指導者はアンマンで米外交官を殺害した男で、名前をシャケル・アバシというそうです。彼はこの事件で、04年にヨルダンの軍事法廷から死刑判決を受けています。「イラクのアルカイダ」の指導者だったアブ・ムサブ・ザルカウィも、同じ事件で死刑を宣告されています。(2人とも欠席裁判でした)
ザルカウィがアルカイダを名乗っていたから、アバシもアルカイダにつながりがあるというのでしょうが、イスラム過激派だから「アルカイダ」というのは、短絡的に過ぎませんか。

ザルカウィにしても、ほんとうにアルカイダと結びつきがあったかどうか、はっきりしていないでしょう。ザルカウィは、やたらと人質の首を斬りたがる男で、敬虔なイスラム教徒という感じはしなかった。去年の6月、米軍の空爆で死にましたが、その最期はイスラム聖戦士の死というより、ただの人殺しの死でした。

【いかにもパレスチナ解放運動らしい名前】
「ファタハ・イスラム」だなんて、いかにもパレスチナ解放運動に関係ありそうな名前です。なんだかんだいっても「ファタハ」は、PLO(パレスチナ解放機構)の代表ですから、ファタハと聞くとパレスチナ解放運動の一派だと思ってしまいます。
ファタハは1959年にクウェートで、ヤセル・アラファトが旗揚げしてからずっと、パレスチナ解放運動の中核でした。最近でこそ、イスラム原理主義組織のハマスに、パレスチナでの主導権を譲っていますが、国際社会がパレスチナ人民の代表機関と認めているのは、やっぱりファタハでしょう。
FATEH(ファタハまたはアルファタ)は「パレスチナ民族解放運動」を意味するアラビア語の頭文字を逆に読んだもので、コーランの最初に出てくる「ものごとの始まり」にも通じる言葉だそうです。いってみれば、よその結社がマネできない判じ物の名前です。それだけに「ファタハ・イスラム」は、パレスチナ民族解放運動を僭称しているのではないか、と勘ぐりたくなります。

【PLO反主流派PFLPの分派】
ファタハ・イスラムは、シリアのダマスカスに本拠をおくPLO反主流派PFLPの分派の「ファタハ・インティファーダ」の、そのまた分派だそうです。
PFLP(パレスチナ解放人民戦線)は、昔はマルクス・レーニン主義を掲げ、世界同時革命を唱えていました。東方教会系キリスト教徒のジョージ・ハバシュが議長だった1970年代、日本赤軍とともにハイジャックなどのテロ活動をしていたパレスチナ過激派です。
その分派が「ファタハ・インティファーダ」を名乗っているところに、パレスチナ解放運動の移り変わりを感じます。
インティファーダは、PLOが対イスラエル武力闘争を放棄した後に、パレスチナに起った非暴力抵抗運動ですが、イスラム原理主義のハマスが台頭してきてから、自爆テロに訴えるようになり、これを第2次インティファーダと呼んでいます。
ですから、ファタハ・インティファーダには、PLOからハマスへの、民族解放運動からイスラム運動への、時代的変遷が感じられるのです。

【パレスチナ民族主義からイスラム原理主義へ】
ファタハがクウェートで旗揚げした時の政治綱領は、世俗的なパレスチナ国家の建設でした。対イスラエル闘争は当然、民族主義闘争だったわけです。これが1967年の第3次中東戦争を境に、イスラム運動に分岐していきます。
イスラエルがわずか6日でヨルダン川西岸、ガザ、ゴラン高原を占領してしまったこの戦争で、アラブの人々は絶望的な敗北感を味わいました。この敗北を、アラブ諸国の指導者たちが西欧文化に汚染されて、イスラムの教えを忘れたためだと考えた人がいます。ヨルダン川西岸のジェニンに生まれたアブドラ・ユスフ・アザムです。
ソ連がアフガニスタンに侵攻した1979年、アザムは民族主義と社会主義イデオロギーのパレスチナ解放闘争に見切りをつけ、アフガニスタンに行きます。彼はアフガンのジハードに参加した最初のアラブ人でした。
アザムはパキスタンのペシャワルにイスラム原理主義の訓練キャンプを開き、アラブ義勇兵(ムジャヒディン)を養成していくのですが、その彼に共感して駆けつけたのがウサマ・ビンラディンです。ビンラディンは豊富な私財を投じて、アザムのための資金援助財団を設立しました。これが「アルカイダ(イスラム救済財団)」です。

【アルカイダやファタハを名乗る者たち】
フセイン政権崩壊後のイラクに潜入し、人質の首を斬ったり、爆破テロで暴れ回ったアブ・ムサブ・ザルカウィのグループは、はじめ「タウヒードとジハド集団」と名乗っていました。それがいつしか「イラクの聖戦アルカイダ組織」を自称し、アルカイダとの関係を誇示するようになりました。
アザムとビンラディンが創設したアルカイダは、国際的にはテロ組織かもしれませんが、イスラム救済財団としては、イスラム社会の福祉に貢献してきたといわれています。しかし、ザルカウィの「アルカイダ」がイラクで何をしたかといえば、スンニ派とシーア派を対立させ、イスラム教徒同士を血なまぐさい抗争に駆立てただけです。
ファタハ・イスラムの指導者といわれるシャケル・アバシも、ザルカウィと同じ事件で死刑判決を受けた男です。パレスチナ解放運動やイスラム原理主義とは無関係の、ただの犯罪者かもしれません。ファタハとイスラムをくっ付けた旗印が、もっともらしいだけに、いかがわしいのです。
名前の上では、パレスチナ解放運動とイスラム原理主義を掲げていますが、このグループ、ほんとうにイスラム原理主義なんでしょうか。イスラム原理主義って、よく知りませんが、もっと毅然とした思想のように思うのです。

カテゴリー[ 戦争・紛争 ], コメント[1], トラックバック[0]
登録日:2007年 05月 28日 01:32:45

コメント

つまらんウワサはいろいろ立ちますけど、
なんだかんだいっても所詮は、CIAに金で雇われた「傭兵部隊」に成り下がった連中でしょう。

わったん @ 2007年 08月 24日 11:47:55

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プロフィール
伊藤 延司
(男)
長野県生まれ。京都大学卒。
毎日新聞社ジュネーブ支局長、パリ支局長、学芸部長、出版局次長、英文毎日局長などを歴任。
主な訳書: 『アメリカの鏡・日本』(角川書店)、『壁の向こう側』(毎日新聞社)、『ブッシュ・ベイビーズ』(マーガレット・プライスとの共訳、毎日新聞社)、『犬たちをめぐる小さな物語』(日本放送出版協会)、『ダーティー・ハンズ』(都市出版)など。
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