ロシアと中国の「テロとの戦い」

上海協力機構首脳会議に出席のイラン大統領、一極支配を批判 - 中国

【上海/中国 15日 AFP】15日、上海協力機構(Shanghai Cooperation Organization、SCO)の首脳会議に出席したイランのマフムド・アフマディネジャド(Mahmoud Ahmadinejad)大統領は、「不法な強権による干渉を阻止する上でSCOは重要な役割を果たすべき」と述べ、暗に米国の一極支配を批判した。
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(c)AFP/ITAR

AFPBB News


【上海協力機構の対テロ大演習】
上海協力機構(SCO)の首脳会議が8月16日、キルギスの首都ビシケクで開かれました。翌17日にはロシア・ウラル地方のチェバルクリ軍事演習場で対テロ合同軍事演習が行われました。ロシア、中国、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタンのSCO加盟6か国が6000人の兵員、1400台の戦車、重火器、戦闘爆撃機を投入する大がかりな対テロ模擬戦争でした。

今の世界では、テロはもっぱら「イスラム過激派」のことです。そして「テロとの戦い」といえば、アメリカの勝手な戦争と思われていますが、SCOもこんな大演習をやらなければならないのだから、やっぱりイスラム原理主義は重大な脅威なのでしょう。ロシアと中国も真剣になって「テロとの戦い」をやっているのです。

【中央アジアで起きていること】
今度の大演習について、NATOを意識した力の誇示という見方があります。あるいは、ビシケクの首脳会議にイランのアフマディネジャド大統領がオブザーバーとして出席したことから、反米ブロックの形成という見方もあります。
たしかに、アメリカから「テロ支援国家」呼ばわりされ、その革命防衛隊を「テロ組織」に決めつけられたイランの大統領が首脳会議に出席するのだから、SCOの敵はイスラムのテロではなく、アメリカの一極主義だといえるかもしれません。しかし、アフマディネジャド大統領の思惑はどうあれ、SCOは中央アジアと周辺地域のイスラム復興運動を抑え込むために作られたものでした。
最近は、イラク戦争やアフガニスタン戦争ばかりに目が奪われて、その他の地域で何が起きているか、よく分かりませんが、ロシアと中国がこれほど中央アジアに神経を尖らせているのには、それなりの理由があるのでしょう。

【国境問題を解決するために】
ロシアと中国が中央アジアの4か国を糾合して、上海協力機構を結成したのは02年6月7日。アメリカの9.11同時多発テロの翌年です。炎に包まれて崩れ落ちる世界貿易センターほどには、世に知られていませんが、ロシアはチェチェンで、中国は新疆ウイグルで、すでに彼らなりの「テロとの戦い」をやっていました。彼らがイスラム原理主義運動に神経を尖らせるのは、今に始まったことではないのです。
アメリカは少なくとも9.11事件までは、ロシアと中国の対イスラム政策を独立分離運動の弾圧として非難していました。ところが、あの事件のあと、手のひらを返すように、チェチェンの分離独立派と新疆ウイグルの「東トルキスタン・イスラム運動」をテロリストと決めつけ、ロシアと中国の弾圧に理解を示したのでした。
上海協力機構が結成されたのには、そういう背景があります。
ロシアのプーチン大統領はSCOの対テロ合同演習後の記者会見で、同機構を軍事同盟視する見方を否定し「SCOはソ連崩壊後、地域の国境問題を解決するために作られたものである」と言ったそうです。
「地域の国境問題」とは何げない言葉ですが、実はここに中央アジアのイスラム運動の歴史的背景が凝縮されているように思うのです。

【ボルシェビキに分断された民族】
もちろん、これはぼくの知識ではありません。中央アジアのイスラム運動に詳しいパキスタンの著名なジャーナリスト、アハメド・ラシッドさんの著書「聖戦」(講談社刊)から借りた知識です。
ラシッドさんはこう言っています。
中央アジアの人々は古来ムスリムで、キリスト教の帝政ロシアに抑圧されてきたが、ロシア革命に成功したボルシェビキの権利宣言(1917年)によって、自決権を認められイスラム実践の自由を与えれた。ところが、この自決権なるものは、中央アジアのムスリムをツアーとの戦いに参加させるためのエサだった。ボルシェビキに利用されたにすぎないことを知ったムスリムの氏族や部族は10年の長きにわたって、反ボルシェビキ闘争を続けた。モスクワのマルクス・レーニン主義者は彼らを「バスマチ(山賊)」と呼んで掃討し、バスマチの指導者(数万人のウズベク人、タジク人、トルクメニ人)はアフガニスタンに逃れていった。
ソ連の独裁者となったスターリンは、ムスリムの民族的一体性を破砕するため、肥沃なフェルガナ盆地をキルギス、タジキスタン、ウズベキスタンの3つの共和国に分断した。チェチェン人はナチス・ドイツに協力する恐れがあるという理由で、中央アジアの共和国に分散移住させられた。この過程で何万人ものチェチェン人が死亡した。
こうして中央アジアのムスリムは分断され、イスラム実践の自由を奪われたが、信仰は地下で生き続けた。

【民族的記憶の覚醒】
ソ連のアフガニスタン侵攻の時、中央アジアのムスリムは多数、赤軍兵士としてアフガニスタンの戦場に送りこまれました。彼らはそこで反ソ闘争に身を投じているバスマチの後裔たちといろいろの形で触れ合い、反ボルシェビキ闘争の民族的記憶を呼び覚まされます。そして、ムジャヒディン(ジハド義勇兵)に変身していきました。
ソ連崩壊後、独立した中央アジアの共和国でも、ムスリムの抑圧は続いています。この地域は天然ガスなどの地下資源に恵まれた豊かな土地です。それなのに、旧来の共産党幹部による専制支配が腐敗を生み、貧富の格差が広がっています。それが過激なイスラム原理主義を育てる土壌にもなっているのです。
SCOの指導者たちが今もっとも恐れているのは、中央アジアに高まる政治的自由、表現の自由、民主主義の要求でしょう。ムスリムにとって政治的自由とは、イスラム信仰への期待です。この期待が抑圧された時、過激なテロが生まれます。

【国境を超えるイスラム運動】
中央アジアのイスラム復興運動は、ソ連崩壊の直前から始まったといわれています。キルギスでは1989年に15だったモスクが90年10月には50に、カザフスタンでは37から90に、というぐあいに増え、91年には各共和国でそれぞれ1000のモスクが新しく作られました(『聖戦』から)。
しかし、タジキスタンを除く各国はイスラムの政治的表現をいっさい禁じています。こうした抑圧が、逆に急進的イスラム思想を勢いづかせ、治安機関の締め付けを避けて地下に潜ったムスリムは過激派となって国境を超えていくのです。
スターリン時代に引かれた民族分断の国境線が、イスラム復興運動の波に消し去られてしまうかもしれない。これがプーチン大統領のいう「地域の国境問題」なのです。
アメリカの「テロとの戦い」は、せいぜい2001年以後のことです。しかし、ロシアと中国の「テロとの戦い」は、ボルシェビキ革命にまでさかのぼる長い物語です
中国にとっての脅威は、中央アジアのイスラム過激派が脆弱な国境線を破って、新疆ウイグルに侵入してくることでしょう。とくに北京五輪をひかえて、国境が崩れるのは非常に困るのです。SCOの対テロ大演習は、まさに時宜をえた行動でした。

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登録日:2007年 08月 27日 04:46:47

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プロフィール
伊藤 延司
(男)
長野県生まれ。京都大学卒。
毎日新聞社ジュネーブ支局長、パリ支局長、学芸部長、出版局次長、英文毎日局長などを歴任。
主な訳書: 『アメリカの鏡・日本』(角川書店)、『壁の向こう側』(毎日新聞社)、『ブッシュ・ベイビーズ』(マーガレット・プライスとの共訳、毎日新聞社)、『犬たちをめぐる小さな物語』(日本放送出版協会)、『ダーティー・ハンズ』(都市出版)など。
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