アルコール&麻薬中毒ミュージシャンとの結婚秒読み【ケイト・モス】

トップショップの社長がケイト・モス採用と同時に辞任-英国

【ロンドン/英国 13日 AFP】英国の通信社は10月6日、英国の巨大ブランド、トップショップのジェーン・シェファードソン社長が辞任すると伝えた。
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(c)AFP

AFPBB News


2005年9月15日。
数多くの雑誌の表紙を飾っているファッションモデルのケイト・モデルが、イギリス大衆紙デイリー・ミラーの表紙を飾りました。

表紙の写真は、隠しビデオで撮られた一コマで、ケイトがコカインを鼻から吸引している決定的瞬間。

イギリスだけでなく世界中がショックを受け、ケイト・モスは終わったとまで伝えられました。

しかし、彼女は見事にカムバック。彼女に悪影響を与えていたとされるピート・ドハーティとも別れたと伝えられ、シングルマザーとして育てている愛娘のためにも地に足が着いた生活を始めるのかと安堵の空気が流れ始めていました。

ところが、ケイトとピートは交際を続けており、なんと先月末に結婚すると発表。発表通りに進んでいるのなら、もうすぐ式を挙げることになっています。

■両親の離婚で弟とも離れ離れに■
キャサリン(ケイト)・モスは1974年1月16日にロンドン郊外に位置するクロイドンで、旅行会社に勤める父とバーテンダーをしていた母との間に生まれます。

リッジウェイ・プライマリー・スクールからリードレスダウン・ハイスクールに進学したケイトは、明るく楽しい性格で友人も沢山おりクラスの中心的人物だったとのこと。

しかし、1987年に両親が離婚して母親に引き取られてから、アルコールを飲み始め、タバコを吸いはじめるなど少しずつ生活が荒れ始めます。それでも落第することはなく学生生活を送っていたとのことです。

■ストライキがチャンスをくれた■
将来のビジョンなど得になかったというケイトですが1988年の夏、父親と父親に引き取られていた弟と共にバハマ旅行に行ったことが転機となります。

2週間のバケーションを終えてロンドンに帰る途中、ニューヨークのJFK空港で航空会社のストライキが起こり3日間の足止めをくらった際に、同じく足止めをくらっていたモデル事務所の社長セーラ・デューカスの目にとまったのです。セーラは直感的に彼女はモデル界に旋風を起こす存在になると感じたとか。

同じ飛行機に乗ることになり、セーラは機内でケイトに声をかけます。ケイトは最初警戒していたものの、セーラ自身も元モデルでテレビなどにも出ていたため顔は知っていたため信用し、2週間後母親と共に事務所を訪れ正式にモデル契約したのでした。

■ニュー・タイプすぎたケイト■
身長167センチのケイトは、ランウェイ・モデルになるには低すぎ、頬骨が高くファニーフェイスであるため表紙を飾るにはニュー・タイプ過ぎると、モデルを開始し2年ほどはマイナーな仕事しか入ってきませんでした。

1990年3月、イギリスの雑誌「The Face」の表紙を飾ったケイトは多くの人の目を引くことになります。

同じ頃、写真家のマリオ・ソレンティと交際を開始し17歳で同棲をスタート。2人は一緒に仕事をするなど公私共に仲がよかったとのこと。

■CKの広告でファッション・アイコンに■
1992年、ケイトにモデルとしての転機が訪れます。

ブリティッシュ・ヴォーグに載った下着姿で悲しげな表情を浮かべたケイトの写真が注目を集めたのです。有名な写真家であるパトリック・デマルシェリエもその一人で、カルバンクラインの社長から「ヴァネッサ・パラディをジーンズの広告に使いたかったが、彼女のスケジュールが合わずだめだった。他にいいモデルはいないか?」と聞かれた際、迷わずケイトを薦めたのでした。CKの社長はケイトに会い、その場で契約を決定。

当時白人ラッパーとしてバッド・ボーイの代表的存在だったマーキー・マークと上半身裸という格好で、時には抱き合うというCKのコマーシャルに登場したケイトは、世界中の注目を浴びました。この広告がきっかけでケイトは大ブレイクします。

時代は、ナオミ・キャンベルなどの大柄&ばっちりメイクで隙のまったくない「グラマレス&ゴージャス・モデル」から、新しいタイプのモデルへの世代交代を迎えており、「鉛筆のように細く、少女のようにあどけなく、頬骨が高くコケティッシュなモデル、ケイト・モス」は、新しいモデル時代の顔となったのでした。

そして雑誌モデルの仕事が大量に舞い込むようになり、ロンドン、ニューヨーク、ミラノなどの一流舞台でのランウェイ・モデルの仕事もひっきりなしに舞い込むようになったのです。

■拒食症=ケイト■
しかし、ケイトの人気が高くなるにつけメディアは「少女たちに悪影響を与える存在」と言うようになります。

ケイトは「最初は拒食症。それから、タバコにヘロインね。全て私のせいだって言われる」とインタビューで答えていますが、ケイトに憧れる多くの少女たちがいるのは確かで、得に拒食症は深刻な問題として長年取り上げられていました。

■ジョニー・デップはソウル・メイトだった■
1994年、ケイトは俳優のジョニー・デップと交際をスタートさせます。

お似合いのスーパースターカップルとしてパパラッチに追い回された二人でしたが、麻薬にアルコールなど色々な問題がついてまわりました。1994年9月に、ジョニーがニューヨークのマーク・ホテルのスイートをめちゃくちゃに破壊し逮捕されたこともありましたね。

しかし二人の絆は深く、ケイトの21歳の誕生日をジョニーがサプライズ・パーティーとして計画。ハリウッドの有名クラブでジョニー自身がオーナーの一人である「The Viper Room」に、ハリウッドのA級セレブやヨーロッパに在住しているケイトの友人らを招待。今は亡きINXSのマイケル・ハッチェンスも駆けつけジョニーと共に歌ったのでした。

このパーティーから半年後の二人は婚約を発表します。

しかし、モデルとして世界中を飛び回っていたケイトは多忙を極めており、婚約発表直後から破局説が流れるようになったのです。そして、1998年5月にカンヌ祭のレッドカーペットに二人で登場したのを最後に、二人は正式に破局を発表したのでした。

■リハビリセンター入り■
ジョニーと別れてからケイトはとっかえひっかえ男性とデートをしているところをパパラッチされました。実際、この破局に彼女は深く傷ついており精神的にも不安定だったと伝えられています。

得にジョニーがヴァネッサ・パラディとの交際をスタートさせたときは、かなり荒れたとのこと。ヴァネッサと交際し始め彼女が妊娠してからジョニーは落ち着き、評判もぐんと上がったので彼にとっては大きなプラスとなったのですが、ケイトにしてみれば自分の出世作であるカルバン・クライン・ジーンズ広告の第一候補もヴァネッサだったこともあり、色々ひっかかることが多かったようでした。

1998年10月にミラノで行われたベルサーチのショーでは、髪を真っ赤に染めたケイトが現れ周囲は心配します。そして、その翌月ケイトは鬱と麻薬中毒者のためのリハビリセンター「The Priory」に入院。麻薬を乱用していたことを認めたのでした。


*****記事が長くなってしまったので、ここでいったん切ります。この続きは次回ご紹介致します*****

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登録日:2006年 10月 19日 12:29:48

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プロフィール
堀川 樹里
(女)
■フリーライター・トランスレーター
■経歴:海外ドラマを中心に海外エンターテイメントに関する記事を公式サイトや雑誌で執筆、翻訳。豪州→中東→東南アジア→米国を経て現在台湾在住。海外在住歴19年目
■得意ジャンル:海外エンターテイメント(ドラマ・映画・音楽・TV番組)
■ひとこと: "ちょっと"の知識があれば"もっと"面白くなる海外エンタメ!トリビア情報満載のブログを目指します。
■連絡先:juri1210@hotmail.com
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