16歳で日本国外退去を経験した【コートニー・ラブ】

コートニー・ラヴ、待望の自叙伝本が遂に発売 - 米国

【ニューヨーク/米国 1日 AFP】歌手のコートニー・ラヴ(Courtney Love)が31日、この日発売となった自叙伝『Dirty Blonde: The Diaries Of Courtney Love』のサイン会を行った。288ページにわたるこの自叙伝には、彼女の子供時代の手記や詩、歌詞、そして秘蔵写真などが収録されている他、夫で、ニルヴァーナ(Nirvana)の故カート・コバーン(Kurt Cobain)の自殺に対する当時と現在の心境がつづられている。写真はサイン会に現れたコートニー・ラヴ。(c)AFP/Getty Images Rob Loud

AFPBB News


麻薬中毒リハビリによる体重増加と、40歳を過ぎた頃から少しお直しをしたこともあり、昔のイメージとは少し異なってきた歌手で女優のコートニー・ラブ。

彼女の人生は波乱万丈すぎるもので、思春期は施設で過ごし、16歳でストリッパーとなるなど、とても凄まじいものでした。

故カート・コバーンが有名になったので近づいたとか、彼がヘロイン漬けになったのも自殺したのもコートニーに原因があると言われることが少なくありませんが、実は二人はニルヴァーナが大ブレイクするかなり前から想い合っていた仲だったのです。

また、逆に麻薬を断っていたコートニーをヘロイン漬けにさせたのはカートの方であり、自殺したのも彼が有名になりプレッシャーに押しつぶされてしまったからでした。

■ヒッピー族だった母親■
コートニー・ミッシェル・ハリソンは1964年7月9日にカルフォルニア州サンフランシスコで生まれました。母はまだ19歳で、大学生だった父とパーティーで知り合い意気投合しすぐにコートニーを妊娠、結婚したのです。

しかし、両親は生まれてきたコートニー以外に共通点がなく、彼女が生まれて数ヵ月後に離婚。コートニーは母親に引き取られました。

サンフランシスコの病院で働き出した母親は、友人を見舞いにきた男性と恋に堕ちます。この男性は、まだ1歳だったコートニーをとても可愛がり母親と1966年に結婚した際にコートニーを自分の養子に迎え入れ本当に父親のように優しく厳しく育てたとのこと。

しかし、母親と義父は子供を2人儲け、アフリカンアメリカンの男の子を養子に迎え入れるなど家族が増えるにつれコートニーは自分の居場所を見つけられにくくなっていったそうです。

それでも、妹や弟たちの面倒をよく見る良き姉だったと、妹の1人は証言しています。

■9歳で母親から見捨てられたと確信■
母親と義父は子供たちを育てるのに適した環境がオレゴン州にあると見極め、一家はオレゴンの田舎町に移り住みます。

しかし、1972年にまたもや離婚。7歳のコートニーは信頼していた義父と離れることになり、これがかなり彼女に影響を及ぼすことになったと見る人がいます。

1973年、母親は新しい男性と出会い意気投合。ニュージーランドに移住しよう!と盛り上がります。男性は子供たちも受け入れていたものの、前の義父のことが忘れられず荒れていたコートニーだけは、何と一家がニュージーランドに移住した際に、オレゴン州のセラピストに預けれてしまうのです。母親はニュージーランドの生活が落ち着き、自分たちに精神的な余裕ができたらコートニーを呼び寄せるつもりだったとのこと。

コートニーは結局9歳で家族を追いニュージーランドに行きました。

羊ばかりいるニュージーランドの生活や、納得いかない仕打ちを自分にする親に反発するようになったコートニーは、手がつけられないほど暴れる子になっていきます。

母親は、コートニーが12歳になると彼女をニュージーランドの女子高寄宿舎に入れました。家族と離れて少しでも落ち着けばと願たのでしょう。しかし、コートニーは問題を起こしわずが数週間で退学処分となってしまいます。

限界を感じた母親は、コートニーをオレゴン州のチルドレンズ・ファーム・ホームという問題児を集めて更正させる施設に入れてしまうのです。

コートニーが施設に入り数ヵ月後、母親は3度目の離婚をしてオレゴン州に戻ってきます。しかし、コートニーを引き取ることはせず、二度と一緒に住むことはなかったのです。

■ロックとの出会い■
コートニーは荒れる心を抱える子供でした。自分だけ母親に捨てられたという意識が強く、愛に餓えていたのです。楽しいことなど何一つもないと思っていた13歳の時、彼女は運命の出会いをします。

出会った相手はロックンロールでした。ラナウェイという女性だけで結成されたバンドの「Queens of Noise」を聞き、コートニーはロックに夢中になりだしたのです。

1978年、コートニーはKISSのTシャツを万引きしているところを逮捕されてしまいます。そして、裁判にかけられ矯正施設に入れられてしまうのです。

それから16歳になるまで、彼女は強請施設と更正施設とを行ったり来たりしながら暮らすようになります。

■16歳でストリッパーに■
16歳になったコートニーはオレゴンの田舎町を飛び出し、バンドを結成する夢を実現させるためにポートランドへ行きました。

しかし、お金がなく困り生活のために街にある老舗ストリッパー小屋でストリップをするようになります。そして、ストリップ小屋と街で有名なライブハウス・メタポレスとを行き来する生活がスタートしたのです。

コートニーは目立つ存在で、そんな彼女に「日本でストリップをすれば短期間でかなりのお金が稼げる」と持ちかけた男性がいました。

お金欲しさにコートニーはその話にのり日本に行くことになったのです。が、やはり不審に思った移民局官により尋問され、国外退去処分となってしまったのでした。

ポートランドに戻ってきたコートニーはソーシャル・ワーカーにより、16歳という若さで法的に親から独立する手続きをとってもらいます。コートニーの母親にはいくぶんかのお金があり、コートニーは遺産の生前譲与を受けるという形で毎月800ドルをもらえるようになったのです。それでも、ストリッパーをやめることはありませんでした。

■Teardrop Explode追っかけの日々■
1981年、実父が仕事でアイルランドに行くことになり、その話を聞いたコートニーは自分も行きたいと言い出します。

パンク・ロックにはまっていた彼女は、本場のパンクに触れてみたいと強く感じていたのです。

父親とのダブリンの生活は喧嘩ばかりだったとのことですが、当時イギリスのリバープールで人気だったTeardrop Explodeに夢中になりバンドのリードシンガー、ジュリアン・クープを追いかけまわしたりしていたとのこと。

1982年7月に滞在ビザがきれてコートニーはポートランドに戻ります。

■喧嘩で愛を伝える恋愛術■
ポートランドに戻ったコートニーはライブハウス・メタポレスの新マネージャーからDJのオファーをもらいます。

ストリッパーも相変わらず続けていたものの、DJとして働き出したある夜。当時ポートランドで一番人気だったインディーズバンド、Heat of Sheepがメタポレスでライブを行いました。

バンドのリードシンガーに一目ぼれしたコートニーは、ライブ終了後リードーシンガーの前に行き「あんた何様だと思ってんの?あんたたち本当に売れるとでも思ってるわけ?」と暴言を吐きます。

リードシンガーにはフィアンセがいましたが、そんなことにかまわないコートニーは彼の元に押しかけ、二人は深い関係になります。

そして、一日の大半をベッドで、薬とシャンペンと詩で過ごすという生活が始まったのです。

■コートニー・ラブという名前の由来■
二人が好んで読みあっていた詩は「Valley of the Dolls」。夢中になって読み漁ったとのことです。

アイルランド帰りでイギリス訛りがあったコートニーの言葉を彼は好み、ある日、イギリス訛りで彼女にこういいました。

「Courtney Love, Bring me a spot of tea」

とてもイギリス英語らしい言い回しで、Courtney Loveと呼ばれたことはアイルランド時代にもあったはずなのですが、コートニーはこの時、詩をこよなく愛する彼が言った言葉に強く感じてしまったのです。

こうして、彼女の芸名コートニー・ラブは生まれたのでした。


*****記事が長くなってしまったので、ここでいったん切ります。この続きは次回ご紹介致します*****

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登録日:2006年 11月 03日 12:46:40

コメント

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