2008年 05月 18日
モディリアーニは暗かった。
【8月2日 AFP】ピカソ(Pablo Picasso)の傑作「アヴィニョンの娘たち(Les Demoiselles d'Avignon)」が描かれてから今年で100年になる。
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(c)AFP
国立新美術館で、モディリアーニ展が開かれている。
モディリアーニは暗かった。
同時代に3歳年上のピカソがいた。明るかった。
「アヴィニョンの娘たち(Les Demoiselles d'Avignon)」が完成したとき、
モディリアーニもパリにいた。生活はどん底だった。
ピカソとは面識があった。
カフェ、La Rotondeでの集合写真がある。
モンパルナスである。ジャン・コクトーが撮った。
色気を放つモディリアーニ。が、やっぱり暗かった。
それが自分を狭めた。35で死んだ。
1907年。この当時のカンバスは、恐ろしく暗い。
時代も暗かったが、かれもうんと荒んでいた。
そこに一人の男が現れた。アレクサンドルである。
モディリアーニの第一発見者。
11月の出会いである。
パリは寒く、モディリアーニにはなにもなかった。
連日、絶望と寝起きする人間は、こうした出会いをどう解釈するのだろう。
よき理解者!
特別な出会い!
だが、そう沸き立つだけの気力はあっただろうか。
ともかくモディリアーニは救われた。
病人と芸術家のあいだを彷徨する瀕死のモディリアーニを救出したアレクサンドルは、事実、医師だった。
巨額の富をもっていたわけではなかった。
だが、この青年医師はモディリアーニにアトリエを用意し、
書き上げた作品をおりにふれ買い上げた。
「ああ、あれはなかなか面白いとおもうよ…、あの、アフリカの…」
アレクサンドルのこうした一言は、モディリアーニを刺激し、
かれはついに原始芸術に出会う。
異質との対面。一瞬、ひるんだ。
だがモディリアーニは、そこにある異質を飲み込む。それも塊ごと。面白い。
だが、
モディリアーニは迫ってこない。
パリのピカソ美術館は、規模こそ小さいが、行くとへとへとになる。
四方からピカソが圧倒してくるのだ。
モディリアーニにはそれがない。
イタリーからやってきた暗い男。
死んだ鯖のようなカンバスに赤みがさすまでのあいだ、
つまり、1907年から13年まで、彼は何をしていたのか。
この時間こそ、かれの「転換」を準備した大切な時間だったはずだ。
展覧会では十分に語られなかった、この7年間が気になる。
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登録日:2008年 05月 18日 03:32:51