2007年 03月

東京地裁、”沖縄密約公電事件”賠償訴訟へ除斥期間を適用

 27日、元毎日記者西山太吉氏(75)の請求は棄却された。東京地裁は、不法行為から20年で賠償請求権が消滅する民法の「除斥期間」を適用したからである。

 西山氏は、日米の沖縄返還協定に関する機密扱いの公電を外務省の女性事務官から入手し、1978年に、国家公務員法違反罪で有罪が確定した。“沖縄密約公電事件”として知られている。これに対して西山氏は、「協定には密約があり、違法な起訴で記者人生を閉ざされた」として、国に謝罪と3300万円の損害賠償を求めた訴訟を起こしていた。

 東京地裁の加藤謙一裁判長は、西山氏に対する起訴などから今回訴訟を起こすまで20年以上経過していることから、「仮に不法行為が成立するとしても、賠償請求権は既に消滅した」と述べた。 


 判決後会見する西山氏(左)(東京・霞が関の司法記者会)

03月 27日 会見する西山さん―「沖縄密約」棄却 - 東京

03月27日 沖縄返還密約に言及なし=元毎日記者の請求、除斥で棄却-西山事件賠償訴訟・東京 (時事通信)

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登録日:2007年 03月 31日 00:40:33

アルカイダナンバー2、パレスチナのハマスを批判 --- 体制の争いを継続

アルカイダナンバー2、パレスチナのハマスを批判 - UAE

【ドバイ/UAE 12日 AFP】国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)のナンバー2、アイマン・ザワヒリ(Ayman al-Zawahiri)容疑者は、パレスチナ自治区のイスラム原理主義組織ハマス(Hamas)が統一政府樹立に合意したことについて、イスラエルに降伏したとの非難声明を出した。カタールの衛星テレビ、アルジャジーラ(Al-Jazeera)が11日に伝えた。写真は、アルカイダのメディア担当機関、アルサハブ(al-Sahab)が製作し、2006年9月2日にインターネット上で公開された映像に映し出されたザワヒリ容疑者。(c)AFP/DSK

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 沖縄人の云う平和とは基地撤去(土地闘争)のみである。彼らは今だアメリカとは擬似戦争状態であり、その闘争を止める気配はない。アメリカを島から追い出せば彼らの言うところの世界平和は実現するのである。というのも世界から沖縄へ「平和学習」のために来島することが、予め預言されているととするのが全ての平和活動家の自己の活動を支えている信念だからである。もっとも日本では中味がなく、何等の実力や実権を持たないものが、この種の信念信仰の信者であることは説明を必要とはしないだろう。

 その沖縄人がイスラエルとパレスチナの争いを理解するとき、当然、彼らは自己の感情をパレスチナに乗り移らせて「土地闘争」と理解するし、その理解の理解があることを知ることは不可能な県民である。そして沖縄人はパレスチナと連帯して世界平和を目指しているわけである。その手法は沖縄人の場合には「アメリカは出て行け」と叫ぶことであり、その他の手法はもち得ない県民である。しかし沖縄人には残念だが、イスラエルとパレスチナの争いは、あらゆる争いがそうであるように「体制」の争いなのである。このことは「体制」という言葉の意味を沖縄人が理解し得ることは永遠に来ないだろう。

 何故か! 沖縄は古き良き日本の故郷が残っていると言われている。確かにその通りである。しかし「古き良き日本の故郷」という言い方は、実に抽象的で曖昧、すなわち教育勅語であるので、具体的に言えばこうである。「古き良き日本」とは、時代的には日本軍の創設時を指す。古き良き日本とは明治時代のことであるわけでわる。その時代の日本には、血縁地縁を基礎とする自然発生的な村落共同体が厳然と存在していた。そしてその中の年次制組制度(若衆制度)が輸入の軍隊組織と結合し、軍隊内で若衆何年兵という形になり、その実質には誰も手がつけられなかった。そのうえ日本陸軍は自然発生的な村の秩序しか知らなかったがため、組織を作って秩序を立てるという意識がなかった。従って、アレキサンダー大王のマケドニア方陣以来の幾何学的な組織をという考え方とそれを生み出す哲学が皆無だったため、そういう組織的発想に基づく軍隊組織とは内実は全く別のものになった。従って軍人勅諭には組織論はおろか組織という概念そのものがなく「礼儀を正しくすべし」の「礼」だけが秩序の基本だった。この秩序が沖縄社会である。

 日本陸軍は沖縄島をはじめとする琉球列島からアメリカ軍によって追い払われた。しかし日本陸軍の秩序はそっくりそのまま島に残った。生存者の無意識の中にしっかりと根ざしたのである。そのうえその生存者たちには反省など皆無であったから、自己の思いをすべて「平和」と理解している。そのため日本陸軍の属性的秩序であった「古き良き日本の故郷」が、沖縄に色濃く残ってしまったのである。しかしこの秩序は外面的な礼儀であり、実質、虚礼となって宙に浮いている。従ってこの「古き良き日本の故郷」を維持しようとすれば、必然的に「暴力」(対者の意に反して自己の企図を他者に押しつけるための物理的破壊力)と、その暴力を背景にした心理的圧迫だけの秩序となってしまうのであり、実際、沖縄社会はそうなっている。

 そして、この暴力とそれに基づく心理的圧迫の秩序を維持する象徴的言葉が「守禮之邦」となるわけである。このキャッチフレーズともスローガンとも呼べる言葉は永遠に琉球列島の頭上に輝くだろう。そのため、紛争の最終的解決手段としての戦争は組織および組織論の問題であるから、これに触れることは永遠にできないのである。従って、日本人が戦争の超克を考える場合には、沖縄および沖縄人は論外扱いしなければ思考麻痺に陥るし、そのことを告白している。これは核兵器問題に対する長崎や広島も事情は同じ事である。これらは日本の体制内の問題であり、イスラエルともパレスチナとも無関係である。

 パレスチナをめぐる体制問題とは、大地主・農奴・軍閥・利権・買弁体制とキブツ・モシャブ・共同組合体制との争いである。従って、国際テロ組織アルカイダのナンバー2、アイマン・ザワヒリがパレスチナ自治区のイスラム原理主義組織ハマスの統一政府樹立の合意に対して「イスラエルに降伏した」との非難声明を出したことは、この体制の争いへの解決へは協力しないということであろう。


 彼らは「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏し、子牛、若獅子、肥えたる家畜は共にいて、小さい子供に導かれ、雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、獅子は牛のように藁を食い、乳飲み子は毒蛇の洞に戯れ、乳離れの子は手を蝮の穴に入れる(イザヤ書11章6~8節)」組織作りは拒否するということである。私はこれを批判する気はない。

 原理主義という言葉は日本では誤解があるように思う。世界中、どの民族にも、その民族の行き方をい支えている原理がある。そしてある民族が、自己の行きかたのみが普遍的であるとした場合に、原理主義と呼んでいるのだが、日本ではまるで「原理というどの民族にも存在しないもの」を有しているのが原理主義と理解されているのではないのか。

 アイマン・ザワヒリにとっては「狼は小羊を食い、豹は子山羊を食い」なのであり、そのことを私は非難する気も、糾弾する気もない。一面、各々の体制とはそうであり、日本国は運が良すぎ、その歴史上、隣国を持たなかったがために(鎖国)、この種の体制の争いなるものに巻き込まれたことがないし、今でも「制度」という言葉の意味を理解しているとは思えない。

 人類は動物とは異なり言葉、つまり法をもっている。この法のもとで人類を離れて、人間という共通項のもとで、異なる体制の紛争解決において戦争を用いない組織を創ることは可能である。しかしその兆候は今だ見られないのも事実である。もっとも私が知らないだけであって、世界のどこかで、ある人によって、あるいはある組織によってそのような思案が出来上がっているのかも知れない。そしてその祖型が「イザヤ書11章6~8節」に基づいている事だけは、確かなことなのである。

 そしてくどいようだが、このことを語る上で沖縄人は論外である。
戦争の超克とは無関係、それどころか戦争への誘導者であるのが沖縄人である。何故ならこの地は「日本陸軍」を引き継いでいるのである。

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登録日:2007年 03月 18日 13:09:42

シドアルジョ泥噴出、インドネシアの国会は専門機関の設置要求! 

コンクリートで火山に「ふた」 - インドネシア

【Sidoarjo/インドネシア 12日 AFP】東ジャワ(East Java)州、シドアルジョ(Sidoarjo)県のポロン(Porong)郡で噴火活動を続けていた「泥火山」」について、専門家は12日、コンクリートの塊で溶岩の噴出を辛くもせき止めていると発表した。この泥火山は9か月にわたって活動が継続し、周辺の600ヘクタールが泥に埋まり、1万5000人が家を追われている。写真は10日、同火山周辺の航空写真。(c)AFP/Eka DHARMA

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 この件に関しては、ユドヨノ大統領はこのほど、九月から泥噴出抑制事業の現場指揮を行っている国家泥噴出対策チームの一カ月の任期延長を決めた。同チームは八日、六カ月の任期が終了し解散される予定だった。政府は対策チームの任期延長期間中に、泥噴出への中長期の対策を具体化していく方針。泥噴出は、地盤変動にともなう自然災害「泥火山」(マッド・ボルケーノ)が原因ともされ、ラピンド社と政府が費用面での責任をいかに分担するかが焦点になっている。
 
 →   
≪じゃかるた新聞 3月12日 国会は専門機関の設置要求 シドアルジョ泥噴出≫

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登録日:2007年 03月 15日 15:53:02

ハマスとファタハが武力衝突、そして沖縄ではそれを基地撤去(土地闘争)をめぐる意見の衝突と見る

ハマスとファタハが武力衝突、死者1人 - パレスチナ自治区

【ベイトハヌン/パレスチナ自治区 11日 AFP】ガザ北部のベイトハヌン(Beit Hanun)で10日未明から11日にかけて、イスラム原理主義組織ハマス(Hamas)と穏健派ファタハ(Fatah)の両支持者らが銃撃戦を行い、1人が死亡、7人が負傷した。
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(c)AFP/SAID KHATIB

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 イスラム原理主義組織ハマス(Hamas)は過激派(強硬派)、一方のファタハ(Fatah)を穏健派(軟弱派)と見られている。そういう単純な二分論の知識を基に、それを徳川時代の勧善懲悪の知的水準で、一方を善玉、一方を悪玉とわけても彼らを知ることにはならないだろう。もっとも知らなくてよく、会話のネタであればそれでいいとするなら、大いに勧善懲悪を用いたほうが効果があがるとは思う。

 そしてどちらを善玉とし、どちらを悪玉とするかはその人の心の問題となる。自分の善なる部分を感情移入させ得る組織が善玉であり、自分の悪なる部分を感情移入させ得る組織が悪玉となるだけである。

 過激派と穏健派という勧善懲悪の見方を成立させる対象は、もちろん対イスラエルという共通の考え方があるからとするものであり、その考え方とは「イスラエルは出て行け」なのであろう。そうであれば、問題は土地闘争だということになり、従って沖縄人の平和主義と同じものだとされてしまう。

 沖縄人の平和主義とは「基地撤去」のことであり、この意志なきものは、どのような形であれ平和を求めていないとすることは芥川賞作家の目取眞氏などの見方である。その見方に従って基地撤去運動となり、土地闘争となる。「アメリカは出て行け」が合言葉であり、「アメリカは占領者」が運動の大義名分ともなる。

 この種の沖縄人にとってハマスとファタハは「ユダヤ人は出て行け」を共有しているのが、沖縄人も支持政党の相違があるように、彼らもそれだと捉えられてしまう。そして彼らは私たちより行動が過激なのだとしてしまう。そしてその理由がユダヤ人の残虐さとなるわけである。そしてこの疑似平和主義の沖縄人たちは、彼らと「連帯できる」とする世界市民の住民を気取り、県内において日本の一県民とする自覚しか持ち得ない人々に対して威張り散らすの日課としている、まるでチンドン屋のような騒々しい方々でもある。

 だがハマスもファタハも土地闘争などとは無縁の組織である。

  

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登録日:2007年 03月 13日 03:22:38

社会を見る眼 - 二分法を越えた上位概念で捉える

安倍首相、従軍慰安婦問題めぐる発言で海外メディアに苦言 - 東京

【東京 10日 AFP】安倍晋三首相は9日、従軍慰安婦問題に関する自身の発言趣旨がゆがんで伝わったため各国で非難が沸き起っているとして、海外メディアに苦言を呈した。
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(c)AFP/Jay DIRECTO

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『保守的な歴史観で知られる安倍首相』とあるが、これは日本を、日本社会を、日本人を「わかっている」という錯覚を持った人にのみ言えることだろう。というのも、進歩派・保守派、ハト派・タカ派、左派・右派、平和派・戦争派、強硬派・穏健派といった単純な二分論を
基に、徳川時代の講釈師(講談師)の勧善懲悪並みの知的水準で「進歩派」を善玉、保守派を「悪玉」と描き、善玉の側に立って悪玉を決め付けるというポーズで、一席うかがえばいいという安易な行き方だからである。もちろん悪玉と善玉の関係は、「どの立場に立つかの選択を要請されている者」ならば、その立場に従うものであることは言うまでもない。どちらにせよ、それは「錯覚」でしかない。

 何れの国、何れの文化圏であれ、講釈師(講談師)並みの単純な図式では把握できない。この図式でいけば「強制連行には確実な証拠がない」と主張した安倍首相は文句なしに「悪玉」であろうし、これに徹底的に反対する者は「善玉」であろうし、そうであってはじめて「わかっている」なのであろう。従ってもし「悪玉」と報じているアメリカのジャーナリズムが「強制連行には確実な証拠がない」と主張し、安倍首相が「必ずしも強制連行の全てに確実な証拠がないわけでもありませんよ」と主張し、その関係が逆転すれば、この記事を書いた者は「あからなくなった」となるだけであろう。

『保守的な』などという見方は、日本という国の歴史と伝統を踏まえてそのまま直視すれば、そこは決して、この記者のような単純な二分法で把握できる世界ではない。否、世界の何れの国でも事情は日本と同じことである。この記事を読んで「わからない人」は大変に健全な精神状態にあり、ということは「記者は不健全な精神状態にある」と主張することになり、大変失礼なので、言い方を換えれば、少なくとも「単純な二分法ではわからない」ということが「わかった」ことになる。

 もっとも私の見方が間違っているのかも知れない。現人神でもなく、ゴッドでもない私は「偏ってみる」人間そのものである。従って、記者のような、講釈師(講談師)のような、勧善懲悪によって世の中をバッサバッサと斬ることが現代社会に適っていることかも知れない。そこで『保守的な歴史観』を悪玉(スタンスを要請されている者は善玉としていい)とすれば、善玉(スタンスを要請されている者は悪玉としていい)とされる『進歩的な歴史観』とはどのようなものであろうか?

『保守的な歴史観で知られる』で私が思い浮かぶのは司馬遼太郎さんである。司馬さんは『この国のかたち』のなかで、敗戦後、50年代にかけて一世を風靡した「社会主義的歴史観」、この「進歩的な歴史観」とされたコミンテルンの目標であった「天皇制打倒」という概念に対して、「天皇制というあざとい言葉」と言い放った。この「天皇制」という言葉は戦後生まれた。この言葉は日本共産党により、「進歩的な歴史観」に基づいて、創られた造語である。従って「天皇制」という言葉を使用し、さらに「天皇制打倒」を志す者を「進歩的な歴史観で知られる人」と呼ぶこともできる。

 しかしこの「進歩的な歴史観」が現れるまで、つまりその対語となる「保守的な歴史観」もなかったわけで、日本という国の歴史と伝統を直視すれば「あざとい言葉」と「天皇制」を言い放って、皇室は日本の伝統だと見えるだけである。したがって、これの「打倒」であるとか、逆の立場に立って、これの「強化」などという発想は浮かばないわけである。これが日本という国のかたちであるわけである。

『進歩的な歴史観で知られる人』は、何が何でも「皇室が伝統である」ことは悪玉の側に立つ者であると主張しなければならない。そして当然、日本人が天皇を奉戴してきた全期間は、日本人は「不幸であった」と力を尽して強弁しなければならないのである。ここで講釈師『講談師)ならば、共産党を「左翼」とする「右翼」なるものを登場させるだろう。そうして日本にはこの二つしかなく、かつてはこの二大勢力が覇権を争っていたとなる。しかしそれは錯覚であることは知っての通りである。しかし両翼とも「自己を大きく見せる」ためには、
そういう見方をしてくれるジャーナリストが必要なのだろう。

『進歩的な歴史観で知られる人』は、さらに「日本は罪悪ばかり重ねてきた」と言い募る。そこで暗黒史観、罪悪史観等々となり、これを対立概念としてしまった安倍首相は『保守的な』で見られるわけであろう。

 私は首相より一回りも下の世代だが、あえて長幼序ありを侵して言わせてもらえば、安倍首相はもっと自分に自身を持ち、そして国民を信用して、「あざといこと」を口にする者たちを無視してもいいのではないだろうか。「進歩的な歴史観で知られる私」ではじめる自己紹介を兼ねての主張をあえて対立概念としてしまい、それなくして自己紹介および主張なしのスタンスから脱却した方がより自由な政治手腕を得られるのではないだろうか。市井の者の一案である。

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登録日:2007年 03月 11日 13:57:53

中国、今度は悪臭が問題に - 国家や人種と人間とライフ - 悪臭と体臭

北京五輪に向けマナー改善、今度は悪臭が問題に - 中国

【北京/中国 4日 AFP】中国の政府関係者は4日、来年の北京五輪開催に向けて公共マナー改善を推進していく中、タクシーの車内に充満する「にんにくの臭い」が問題になっていると発表した。
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(c)AFP

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 異民族の体臭は、動物が他の動物の体臭に本能的に牙を剥き出すのと似た作用を、人間という動物にも与えるそうである。

「バタ臭い」「にんにく臭い」「ぬかみそ臭い」・・・

 これらの「臭い」という言葉で表現される一種の雰囲気に対する嫌悪感は理屈ではないのだろう。
 
 こういった嫌悪すべき雰囲気は、いずれの民族であれその民族に対して「ニオイ」という言葉が使われる。

 中国の政府関係者は「にんにく臭い」を問題とはしているが、それはあくまでも対外的にであって、彼ら自身がその「ニオイ」を問題としているのかどうかは疑わしい。その「にんにく臭い」は中国人の体臭そのものであるかも知れない。もちろんこの場合の臭いとは、今北京で問題となっている「悪臭」としての葫の臭いではない。


 ところで県内にも「悪臭」問題が発生した地域がある。宮古島の西里地区である。といってもそこの住民に「悪臭」があるのではなく、下水道の方である。沖縄では肉料理が多い。つまり油(脂)の使用が多い。これを下水道へ流すと、当然、その油(脂)がパイプなどの下水道設備へこびりついてしまう。
 
 流れが悪くなる。必然的に悪臭が街の中へ漂うという仕組みである。

 清掃するなり、取り替えればいいではないか。確かにその通りなのだが、行き当たりバッタリにやってきた上下水道の整備……民家の床下であったり等々、到底、その設備全体に手がつけられない状態だそうである。
 


 
 

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登録日:2007年 03月 06日 22:54:33

キレイです、同時に「青い鳥」の寓話的教訓を思い出します

NASA、土星の環の画像を公開 - 米国

【ワシントンD.C./米国 3日 AFP】米航空宇宙局(NASA)は2日、土星探査機カッシーニ(Cassini)が土星の上下から撮影した土星の環の画像を初公開した。
≫続きを読む…
(c)AFP/NASA/JPL/Space Science Institute

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 七年である。それでも君は行くというのか、宇宙旅行へ

 スタンリー・キューブッリクは「宇宙のことを考えるのはばかばかしい」と言ったが、孔子も同じことをいうだろう。果てしがなく、結論らしき結論がだせない対象への関心は、百害あって一理なしである。せいぜい、昔ながらに星空を見て「それらしき夢を見ている」方がマトモな生き方かもしれない。ましてや「宇宙旅行を夢見てます」ともなれば、その人の気は知れない。                   

 汚い下水道の中を映像で見られることは貴重なもなだし、それによって得られるものも多い。だが下水道へ這入りたいなどと思う奴はいない。土星のい画像は奇麗である。そして人の人生は「果てしがない」ものでもなく、「結論らしき結論が出せない」ものでもない。                                      

 ロボットをそこへやって地球上でその映像を楽しむ。結局人類にはそれしかできないのかも知れない。

 最後に一言「キレイです」

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登録日:2007年 03月 05日 11:38:36

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