宗教者に抱く幻想

杭州で「世界仏教フォーラム」開催 - 中国

【杭州/中国 14日 AFP】杭州(Hangzhou)で「世界仏教フォーラム」(World Buddhist Forum)が開催されている。4日間にわたり開催されるフォーラムには1000人以上の仏教僧と仏教文化の専門家が招かれ、共産国家中国が1949年以来初めて主催した国際的仏教イベントとなっている。写真は「世界仏教フォーラム」の開催中、浙江省人民大会堂のロビーに展示される仏教の建造物の写真の写真を撮影する僧侶。(c)AFP/Mark RALSTON

AFPBB News


お坊さんだって2006年に生きて居るんです。
携帯電話だって持っているし、
携帯電話でメールだって打ちます。写真だって撮ります。
絵文字を送るお坊さんというのには会ったことがありませんが、
どこかにはいるのかも知れません。

我々、俗世に生きる人間はお坊さん、尼さん、神主さん、巫女さん、
牧師さん、神父さんなどなど、そういう方々は全く俗世とは切り離された生活をしているような、そんな先入観を持ってしまいがちです。
だから、自分たちと同じことをしていると驚き、眉をひそめてしまうことが多々あるように思われます。
京都ではお坊さんはスクーターに乗って移動しています。日常茶飯事です。
いいじゃないですか。衣の裾がヒラヒラと風に舞う様はなかなか風情があるように(僕は)思いますよ。

小耳はこれまで、少なからずそのような「宗教者」さんたちと交流を持たせて頂いています。

プロレスが好きな高位の僧侶にお会いしたことがありますし、
女好きなお坊さん、変装して繁華街に出かける尼さん、
ラーメン屋さん巡りを趣味にされているお坊さん、
高級外車コレクションをされているお坊さん、
男の子に貢いでしまうお坊さん、
反抗期の子供に悩まされている神主さん、
いろんな方にお会いしました。
上記の中には「悟りを開いた」とされる、本当に高位の方もいらっしゃいます。

皆さん、ごく普通の人間です。
税金を納めていないんだから、とか俗人はすぐ目くじらを立てますが、
宗教者を聖人と思うのは間違いだと思います。
聖人になろうとしている生身の人間と理解すると、もう少し宗教者と俗世に生きる人間との垣根は低くなるように思われます。

多分、宗教者のみなさんの方でも我々の側から発せられている「プレッシャー」をひしひしと感じ、良くないことと知りながら良くないことをしてしまったりするのでしょう。それはアメリカで少し前に頻発した聖職者による幼児虐待だったり、日本でも度々発生している痴漢行為のようなことにつながっていくのではないでしょうか。(新興宗教などを中心とした脱税問題についてはここでは除外します)

その構図を骨格だけ移動すると、「教職者の問題行為」につながっていきそうな気もします。問題点を論い、糾弾する前にオーディエンスたる我々の側にも反省すべきことがあるように思われます。


フォローするわけではありませんが、最後に一つだけ。
数多お会いした聖職者の方々の中には、本当に後光が差しているような、かといって偉ぶるそぶりもなく、お優しく、かつストイックに求道を続けて居られる方々もいらっしゃいました。
「相互理解」が深まると共に、そのような方々の静かな暮らしが守られていくように願って止みません。

コメント[2], トラックバック[155]
登録日:2006年 04月 20日 16:01:39

ベネディクト16世は「空を飛ぶ」のか?‥‥枢機卿親任に思うこと

新枢機卿15人を選出 - バチカン

【バチカン 25日 AFP】バチカンで24日、枢機卿会議が開催され、法王選挙の有権者である枢機卿12人を含む15人が新枢機卿に任命された。写真はサンピエトロ広場(St. Peter Square)で巡礼者や信者にあいさつをするローマ法王ベネディクト16世(Pope Benidict XVI)。(c)AFP/PATRICK HERTZOG

AFPBB News


3月に新しい枢機卿が親任(任命)されました。
ヨハネ・パウロ2世の後を引き継いだベネディクト16世にとって、
はじめての枢機卿親任になります。

枢機卿って何?という方のために簡単に説明しますと、
ローマ・カトリック教会の中で最も高位の聖職者、と考えても良いと思います。
ちなみにバチカンの各機関の長官などは原則として枢機卿が務めていますし、
一定年齢以下の枢機卿には「教皇(法王)の選挙権」があります。
コンクラーベと呼ばれる選挙で互選することになるのですが、つまり選挙権・被選挙権を持つということになります。
枢機卿の次が「大司教」ということになるようですが、
面白いのは枢機卿の帽子は「赤」、大司教は「紫」と決まっていることです。
枢機卿の赤い帽子は、「信仰のためなら血を流すことも厭わない」ことを示すとか。
今回15人親任された枢機卿を加えると190人余りの枢機卿が居ることになります。
ちなみに今回新しく親任された方はいらっしゃいませんでしたが、日本にもお二方いらっしゃいます。

前任者ヨハネ・パウロ2世は「空飛ぶ教皇(空飛ぶ聖座)」と呼ばれました。
文字通り飛行機で世界各国を飛び回り、冷戦下の東欧をはじめとする各国民主化運動において大きな支えとなったことは言うまでもないことです。
それは彼自身がポーランド出身だったということも少なからず関係しているのかも知れませんが。
そのため、彼は一度暗殺されかけたことがあります。後年、著書の中では暗殺を計画したのはKGBで、東側各国が協力しての犯行だったと自ら発表し、話題となりました。こういうことを思い、彼が東方正教会、英国教会、ユダヤ教などと対話を促進したことを思うと、「政教分離」というのが本当に近現代の政治において意味を成していたのか、聊か疑問に感じざるを得ません。

さて、そんな前任者の後を引き継いだベネディクト16世、どんな人なんでしょうか。出身はドイツ、ビールを飲むことはないと思いますが、バイエルン・ミュンヘンのファンクラブに入っているサッカー好きです。
そういえば、AFPBBのニュースに聖職服をひいきのチームカラーにしてしまった司祭の話がありました。映画「ベルンの奇跡」にもサッカー好きな神父さんが出てきましたし、聖職者はサッカー好きなんでしょうかね。

ヨハネ・パウロ2世が民主化運動を後援しつつも思想的には保守的であったように、ベネディクト16世も避妊や中絶、同性婚などを否定しています。他宗教との軋轢をもはや少しばかりではありますが生じさせているニュースも二、三入っています。

そんな彼が(やっと本題です)今回親任した枢機卿たちを見ていくと、
ちょっと面白いことが見えてきます。
ここでは4人取り上げてみます。
まず一人目、米国のパトリック・オマリー枢機卿。
記事にもありますが、数年前米国内で問題となり、カトリック・バッシングが巻き起こる原因となった児童虐待問題。覚えていらっしゃるかたも多いのではないでしょうか。そういえばここしばらくこの話題を聞かないなぁ、と思いませんか?
彼は人望厚く、熱心に信頼回復に努めたそうです。
そのお陰か、米国のカトリック界は何とか立ち直りつつあるようで、その功績をたたえたもののようです。

韓国のニコラス・チョン・ジンスク枢機卿。
韓国では二人目となる枢機卿の誕生です。北朝鮮の代理司祭を兼務しているそうです。もちろん北朝鮮のカトリック教徒は弾圧に苦しんでいる訳で、北朝鮮の教徒達へ、そして北朝鮮をはじめとする世界各国へ「目を向けていますよ」という強いメッセージになり得るのではないでしょうか。

香港のジョセフ・ゼン枢機卿。
中国政府に対して批判的な立場を取っており、民主化運動を支援し、自ら参加することも多くあるようです。北朝鮮同様、政府の統制に苦しむ中国国内のカトリック教徒には大きな心の支えであり、喜びとなるでしょう。

最後にベネズエラのホルヘ・リベラート・ウロサ・サヴィーノ枢機卿。
左派・反米政権が多く生まれつつある南米大陸にあって、一際反米色・反グローバリゼーションを強く掲げるウゴ・チャベス大統領に対して警鐘を鳴らし続けている数少ないベネズエラの大司教として知られていたようです。

4人の経歴を見ていくと、何となくベネディクト16世の目指す方向性が見えてくるような気がします。政府の弾圧や反国際的、反人権的な体制に苦しむ人々を助けたい、力となりたいというものです。
ヨハネ・パウロ2世とは異なり、就任時の年齢が78歳と高齢であることを考えると、そうそう「空を飛ぶ」訳にもいかないでしょう。
しかし、彼の思惑は枢機卿をはじめとする聖職者によって、間違いなく空を飛ぶような気がします。

願わくば女性であるために聖職者になる道を閉ざされている人たち、同性を愛するために不利益を蒙り、差別を受けている人などにもできる範囲で「パンくず」でも与えてくれるような、そんなことになったら素晴らしいのにな、と思いました。

コメント[0], トラックバック[161]
登録日:2006年 04月 12日 17:04:05

スターゲイザー

「天空のバレエ」 皆既日食を見つめる人々 - リビア

【ガロ/リビア 30日 AFP】数千人の天文学者や好奇心を持った人々が天空に目を向け、信仰の厚い人たちは祈り、学校は休校となり、皆がそれぞれに3時間にわたる「天空のバレエ」日食を堪能した。写真は首都トリポリ(Tripoli)から南へ1300キロメートルのガロ(Galo)にある砂漠の中の旅行者用キャンプで、日食の間、神に祈る外国人旅行者。(c)AFP/KHALED DESOUK

AFPBB News


別にスピッツでも「あいのり」でもありませんよ。
文字通りの意味です。
ここでの対象物はスターではありませんけれども。

パキスタンで開催されていた反グローバル主義者たちの集まり、「世界社会フォーラム」の会議を抜け出して日食を眺める人々の写真もアップされています。

富める国でも、貧しい国でも、平和ボケした国でも、戦禍で荒廃した国々にも
太陽は平等に光を与えているのだと言うことに気づかされます。
「世紀の天体ショー」とか、AFPBBでは「天空のバレエ」なんて
修飾された表現を付けて日食を報じていますが、
もしかしたら「いつも同じくあるはずの太陽に訪れる劇的な変化」に、
記憶なのか野生なのかは分かりませんが、
そんなものが敏感に反応してしまうのかも知れませんね。

平安貴族の日記などには、ご存知の通りこういったものは
「凶事」、もしくはそれを暗示するものとして捉えられていました。
日食、彗星などはどちらかと言えばマイナスイメージを持って捉えられることの方が多かったようです。
そんな時、人々は神仏に祈り、「平安」であることを祈願します。
太陽の光、そしてほどよい降雨がなければ豊穣は期待できないわけで、
いつもあるはずの太陽、静かな空に異変があるのは良くないことという
考え方を理解するのはそう難しいことではないと思われます。


高度な数学的知識をもっていた古代文明の知識人たちは、天候をコントロールすることをしばしば時の権力者から求められました。
困った中から、もしかしたら祈祷や呪術のようなものが生まれてきたのかも知れません。雨乞いなんてその最たるものでしょう。
現代に生きる僕たちは「そんな非科学的な」と言い放ちますが、
では彼らの感じていた限界を打破することができるようになったのでしょうか。

それを考えていくと、「時代の経過=知識の積み重なり=恐れるものがなくなる」という、近現代文明の信じて疑わなかった砂上の楼閣を、いともたやすく打ち崩す「構図」にぶち当たります。

もしそれが本当なら古代文明に生きた人々よりは中世の人々、
そして中世に生きた人々より現代人の方が知識を持ち、恐れるものが少なくなっているはずです。
しかし、そうでもないことは「もう同じものを作る技術が残されていない遺物」が数多く存在することや、古代文明の知識人たちがどうやって天文学的な数字を算出していたのか、スパコンを使っても解明できないという現代文明の限界が雄弁に物語っています。

「日食」という出来事を思います。
僕たちは太陽が元通り光を発してくれることを信じて疑いません。
だからこそ、純粋にイベントとして楽しみ、「キレイ」と感動することができるのです。
でも、己の中のどこかにあるドキドキを思うとき、はるか昔に日食を見ながらドキドキしていた先人と何かを共有し、同じ人間であることを思い出すことができます。

日食じゃなくても、花鳥風月をありのままに感じ、そこに人工的な色をつけずに「感じる」、それは簡単なようで難しいことだと思います。
時には知識を忘れ、一つの生命として、己と何ら変わらない先人たちに思いを馳せてみるのも必要なことなのかも知れません。

コメント[0], トラックバック[343]
登録日:2006年 03月 31日 10:41:11

ワインもそうだけど、古いものは「絶対」良いのだとは限らない。

クレオパトラの時代に描かれたパピルス、トリノで公開 - イタリア

【トリノ/イタリア 18日 AFP】プトレマイオス朝(Ptolemaic)時代の貴重な遺物、「アーテミドーラスのパピルス」(Papyrus of Artemidorus)がトリノのブリケラジオ宮殿(Palazzo Bricherasio)に展示された。巻物になっているこのパピルスは、紀元前1世紀中頃に描き始められ、紀元1世紀の終わりまで描き続けられた。写真は8日、ブリケラジオ宮殿に展示された「アーテミドーラスのパピルス」の一部。(c)AFP/Paco Serinelli

AFPBB News


「アーテミドーラスのパピルス」は貴重な遺物です。
そのことに異議を唱えるつもりなど毛頭ありませんし、
そんな資格など小耳風情にあるわけもありません。

しかし、ともすれば「古いもの」を有り難がる風潮に、
ちょっと考えようよ、と言いたいのです。
ワインだって、保存状態の悪い古いものよりはジャスコで売ってる安いワインの方が
良い場合もあるでしょうし、何より好きずきです。
ヴィンテージの洋服だって、TPOや流行を考えなければちゃんちゃらおかしいものになってしまう、そんなことはちょっと考えれば分かることの筈だと思います。

さて、話を歴史学の方向へ向けましょう。
「重要文化財」とか、「国宝」に指定されるものを見ていくと、
美術品ではその完成度や後世に及ぼした影響などから例外も多々あるのですが、
文献史料と呼ばれるものにおいて、「古ければ古いほど良い」という価値観が存在するように思われてなりません。

それは考古学においても同様です。中世〜近世の遺跡に少しばかりですが陽が当てられるようになったのは本当にここ最近の話で、より古い遺跡を求めて重機で破壊しているケースもまだまだ、今この瞬間にもあるものと思われます。
それって良いことなのでしょうか?
もしかしたら江戸時代観を大きく覆すような発見があるかも知れないのに、縄文時代の遺跡を求めてショベルカーは掘削を続けてしまうのです。
どうしても釈然としません。

文献に戻りましょう。他愛のないことを書いてある平安時代の公家の書状を重文指定するくらいなら、第二次世界大戦の資料を指定した方がよっぽど「然るべき」ことのように思われます。まだ記憶が残っている時代をしっかりと検証し、その時代を構成した諸々の事象、記録、人々の営みをしっかりと保存していくことこそ歴史のバトンを知らず知らずに受け取り、また知らないうちに次世代に託していく運命を背負った「人間」の使命なのではないでしょうか。

古い物ほど良いのだ、という価値観の犠牲者でもあり、その罪を犯した人が少し前、ニュースを賑わせました。「旧石器研究の神の手」と言えば思い出される方もいらっしゃるでしょう。あの事件の後、不況の影響もあり文化財行政に充てられる地方自治体の予算というのは激減しました。
少しばかり景気が良くなったかな、と言われている今日でも回復する傾向はありません。
別に彼のせいだと言っている訳ではありません。ただ、私たちは彼の一件から本当に学ぶべきものを何一つ学んでいないのではないかと思うのです。
これは自戒でもあります。

今の記憶につながる記憶の復元、つまり昭和〜江戸の知識を今のうちに集積しておかなければ、折角今は虫食いだらけでも残っている史料、そこにある知識がどんどん失われていくということに目を向けて欲しいと思います。
そこから、愚かな過ちを犯さぬための教訓を学ぶことができたり、
困ったときやヒントが欲しいときの「何か」が得られるはずです。
数限りない人間が数限りない人生を送ってきたものの集積、それが歴史です。
このブログの初っ端に登場してもらった「彼」の国にはない財産に今一度目を向けるべき時に(もしかしたら最後のチャンス、と呼ばなくてはならない時代の潮目なのかもしれませんが)来ているように思います。

歴史って、面白いんですよ。
「よくそんなミミズの這ったようなものを読むねぇ」と言われますが、
江戸時代の町方文書なんかを読んでいると、夫を殺した妻のアリバイ工作を解明していく役人の日記とかがあったりして、下世話ながらわくわくしてしまいます。
そうかと思えば、いつもは饒舌に日記を書いている平安貴族が、愛娘の死に際してはたった8文字でその日の日記をやめてしまい、何行分かの空白が残されていたりするのです。そこには言い知られぬ、何よりも多弁な「行間」があります。

いつか、そういうことを学者だけの玩具ではなく、居酒屋で「オレが阪神の監督だったら」なんて言っているオヤジのネタにしてみたい、
そんなことを思ったりしている今日この頃なのです。

コメント[0], トラックバック[146]
登録日:2006年 03月 22日 11:46:52

さて、小金を貯めなくては。

<06/07秋冬パリコレクション>ドリス・ヴァン・ノッテン 新作発表

【パリ/フランス 2日 AFP】ベルギーのデザイナー、ドリス・ヴァン・ノッテン(Dries van Noten)が2006/2007秋冬レディース・プレタポルテ・コレクションを、1日パリ(Paris)で発表。写真は、同デザイナーの最新コレクションを披露するモデル。(c)AFP/Pierre Verdy

AFPBB News


小耳には5人くらい「アイドル」がいます。
実際数えてみると10人くらいなのですが、
その時の興味の方向や精神状態によってベストメンバーが
選定されるというわけです。
まあ、バスケのスタメンとリザーブみたいなもんだと思って下さい。

ファッション界には2人、アイドルがいます。
もう一人はここでは置いておいて、
今日は「ドリス・ヴァン・ノッテン」です。

バブル期には日本でも「ブランドブーム」のくくりで扱われてしまったような気がしますが、本来の彼の服を見ていくと、そんなに万人に受けるようなものではないような気がします。
これは3年前に破綻してしまった日本のライカ社の責任が大きいと思われます。
まあ、ライカ社のお陰で小耳なんかは百貨店などでドリスの洋服を買えたわけで、
あんまり文句は言えませんけどね・・・。

デザイナーは、ドリス・ヴァン・ノッテン。
アントワープ生まれで、そろそろ50になるのかなぁ。
アントワープの王立芸術アカデミーを卒業した、
「アントワープの6人」のうちの1人です。

手の込んだ高品質なニットや繊細、時に大胆な色遣いに定評があります。
醸し出すやさしい感じは「ノスタルジー」と言われることも多いようです。
小耳としては高田賢三、ロメオ・ジリがそうであるように、
フォークロアやエスニックと呼ばれる要素を取り入れつつも、
エレガンスや「品」を追求し続けている、
そういう流れのデザイナーと位置づけた方が正しいようにも思っています。

ドリスの服が好きなのは、ともすればエグ味が出てしまいそうなエッセンスを
取り入れながらも上品なところ。
そして、美しくありながらもどこか遊び心というかとぼけたところを持っている、
そんなところです。

たしか、洋服毎に名前が付いていましたっけ。
そんなところにもデザイナーの茶目っ気が垣間見られるというものです。

イタリア〜ンのスーパーブランドに違和感を感じる方、
バーニーズや伊勢丹には少しばかり置いてあります。
(もちろんその筋のセレクトショップにもわんさかあります)
一度覗いてみられてはいかがでしょうか。

さて、毒を吐きます。
それなりに品と教養とがある、細身で背の高い方にお奨めします。
前二つの要素がないと、かつてたくさんいたブランドに着られる人になってしまいますし、後者に合致していないと洋服の真価が発揮されません。

決して安くはないですが、長く着られる物を選べば、ものすごく長持ちします。
小耳はドリスのコートをかつて大枚をはたいて買いましたが、
古びることもなく、いまだに活躍してくれています。

・・・。
そうこう考えてみると、あんまり誰もが着るわけでない今の状況の方が
好ましいのかなぁ。
「売れない頃から好きだったミュージシャンがブレイクした時に感じる寂しさ」
と正反対の状況。
アイドルだけに小耳の心も複雑です。

さて、と。
今回のコレクションは良さ気なので、少し軍資金を用意しますかね・・・。
あ、カンパ歓迎ですよ。

コメント[0], トラックバック[158]
登録日:2006年 03月 14日 13:10:09

ニュースから、ニュースじゃないことを考えてみた。

風刺漫画美術館 ロンドンに開館 - 英国

【ロンドン/英国 26日 AFP】ロンドン(London)に新しく開館した風刺漫画美術館では、政治風刺漫画や新聞の漫画欄など、英国の近現代および歴史の中の風刺漫画1200点以上を展示する。写真は22日、同館に展示されている英国の漫画家ディヴ・ブラウン(Dave Brown)氏が描いたジョージ・ブッシュ(George Bush)米大統領の風刺漫画。(c)AFP/CARL DE SOUZA

AFPBB News


しょっぱながコレっていうのもセンスを疑いますね、我ながら。
デンマークの「ユランズ・ポステン」という新聞に載ったムハンマドの風刺漫画が
巻き起こした騒動、何となく沈静化に向かったようで何よりです。

しかし、AFPBBでおびただしい写真を見ていると、どうして日本ではそれほど大きな問題として取り上げられなかったのだろうか、と疑問に思わざるを得ないのです。
何回も同じようなニュースを伝えるわけにいかないから?
それとも、同じ国じゃなくても、「同じような」国だから?
「量」によって推し量ることの出来る温度というのは無視されてしまうのでしょうか。
多くの場合、伝える側の、「伝えられる側の需要」を推し量ったフィルターがそこにはかかってしまっているのではないでしょうか。紙面にも、放送時間にも限りがあります。
もしかしたら、僕が「フィルター」と書いたものは「ジャーナリストの目線」と置き換えられる場合が多いのでしょうか?

AFPBBのように、全部アップするという方針はインターネットならではのことなのかも知れません。ここでは受け取る側に、度量が試されるというアトラクションが存在します。


他にもAFPBBを見ていると、日本でニュースにはまず出てこないような国々で行われる大統領選挙の話題や、環境問題のニュースに触れることが出来ます。
それらについて、知らなくても生きていけるでしょう。
知ったからといっても、
居酒屋で付け焼き刃の知識をひけらかしたところで、
イヤミなオヤジと思われるか、馬脚を現して恥をかくのが関の山です。
でも、だからと言って知らなくていいことなのでしょうか。

ニュースを知るって、どういうことなんでしょう。
ニュースを知ると、人はどう変わるのでしょう。

最近、パチスロの画面のようなトップページを見るたび、
そんなことを考えています。

飛行機で一っ飛び、地球は小さくなりました。
そしてインターネットの普及などで、情報は大空を埋め尽くすように飛び交っています。おそらく、どこにいても欲しい情報は手に入るでしょう。
日本の離島の小学生がジャンプやマガジンを、発売日の少し後になってようやく読み得る現実もあるんですが、そんな昭和的な光景や情緒はそこにはなく、流線型ではないものの紛れもなく20世紀に先人たちが想像した21世紀の恩恵を僕たちは受けています。

しかし、ニュースの中身を見ると気づくことがあります。
旗を燃やすレバノンの人々も、集会に参加するタイの人々も、
妙な病気に苦しむレユニオンの人々の姿も、
「ひざまくら」や下着ファッションショーの写真に飛びついてしまう僕たちも、
結局は昭和的どころか、ずっと繰り返し、あるいは堆積してきた人々の営みをなぞっているだけのことなのはないか、と。

ブッシュを「アダムの創造」にひっかけて描いた写真の風刺漫画を「バカだなぁ」と思いながら笑っている僕も、結局はミケランジェロ、それから創世記を編んだ人々、それを伝えてきたはるか昔の人々と何かを共有し、またなぞっているのではないかと思います。

まあ、アダムもミケランジェロも迷惑な顔していると思いますけどね。

コメント[0], トラックバック[163]
登録日:2006年 03月 09日 01:38:23

カレンダー
< 2012年 02月 >



1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29


プロフィール
小耳にはさむ大男
(男)
ここしばらくで、いろんなことが変わりました。
引っ越して、犬と暮らしています。
仕事でも、いろいろと。

放っておいたブログですが、細々と再開の予定。
最近のコメント
[04/28] 宗教者に抱く幻想 藤原ヒカル
[04/28] 宗教者に抱く幻想 藤原ヒカル
最近のトラックバック
カテゴリー
月別アーカイブ
2006年 04月 [2]
2006年 03月 [4]
お気に入りリンク
検索