日本協会の会長人事を巡るドタバタ劇を読み解く②


前回は故長沼健氏が会長に就任なさるまでの日本協会の流れを中心にお話しをさせて頂きましたが、このテーマの主役のお一人である当川淵さんが当時何をなさっていたかについて触れてみたいと存じます。

同氏は1981年に日本代表監督を辞められて以降暫く日本代表の強化担当として協会に在籍なさいますが、最後はその旧態然とした組織の有り様に嫌気がさし、協会を去る決意をなさいます。そして古河電工に戻って名古屋支社の営業担当となられ、本社の重役を目指してせっせと仕事に精を出されていたのです。

ところが1988年のこと、川淵さんは古河電工の子会社である古河産業へ出向する旨の辞令を受け取ることになります。当時51歳であられた同氏は、この辞令が古河電工本社に二度と戻れないものと悟るや、良く言えばその向上心、悪く言えば名誉欲の矛先をプロリーグの創設の為に費やす決意をなさいます。

川渕さんの自著「虹を摑む」によると、古河産業への出向辞令を受け取ってショックを受けていた時に、タイミング良くJリーグの前進である日本リーグの総務主事にならないかという誘いがあったようです。いずれにしても思い立ったが吉日、朝礼暮改も辞さぬ行動力の方ですから、タイミング良く日本リーグ総務主事に就任なさり、同リーグのプロ化を目指して同氏は人生の舵を大きく切ることになったのです。

それ以降の川淵氏の奮闘振りやJリーグ立ち上げの様々な劇的ドラマは、皆様よくご存じかと思いますし、前述の「虹を摑む」に詳しいので割愛させて頂きます。しかし、それにしても川淵さんという方の人生は、そもそも高校時代にフットボールを始められた動機と言い、この51歳からの大変革への挑戦を始められたきっかけと言い、いずれもご自身が強く望んだものではなく、本来目指していたものが立ち行かなくなったり、知人友人から誘いを受けたりする中で決断をするという他力本願なところがあります。

俺は絶対に日本代表になるのだと決意し、必死で練習しても叶わぬ人が殆どであり、ましてやJリーグ創設者や日本協会のトップとして大胆な改革案を次々と打ち出すことなど、極限られた人にしか出来ないことであります。それなのに川淵さんは、高校時代に友達に四国に行けるぞと誘われたからフットボールを始められました。また、浪人時代に高校のOBとして参加した試合でたまたま日本代表が数人いるチームと対戦し、これなら俺も日本代表になれるぞと、当時フットボールで名を馳せていた早大進学を決意されます。そして日本にプロリーグを誕生させるという一大事業も、古河電工本社に於いて出世の道が絶たれたことが全ての始まりなのです。

つまり、本来違うところを目指していたのに結局フットボールとの縁が切れず、それどころかその業界に於いて偉業を次々と達成されてきたのが川淵氏の人生と言えます。本当に稀有で不思議な人生でありますが、やはり何かを持っていらっしゃると言わざるを得ず、実際その行動力と馬力が人並外れたものであることは間違いありません。

ご本人も「根がせっかちというか、同じところにとどまっていつまでもくよくよするくらいなら、さっさと次の場所に移ってせいせいしたいというタイプなのである。」と前述の著作で自身の性格について吐露されていますが、何か大きな変革や大事業を成し遂げる、或いはその第一歩を踏み出すには同氏のような性格と行動力を持った人物が絶対に必要です。そういった意味では、当時はフットボールの神様が日本のフットボール発展の起爆剤としてタイミング良く送り込んでくださった人物であったと思うのです。

しかし、2002年の日韓W杯共催後に日本協会会長に就任されたあたりから、即ち文字通り日本のフットボール界の頂点に立たれてからの言動を振り返りますと、徐々にその独断専攻型の性格が災いとなってゆくケースが散見されるようになってまいります。

その際たる例が独断によるジーコ監督の日本代表監督選出であり、W杯ドイツ大会惨敗後の強引なオシム監督の代表監督就任要請であり、オシム監督の意識が混濁としている間に決定した岡田氏の人選であったわけです。また、傍から見ていると、自分で登用や大抜擢をしておきながら、意見をする人物は即切り捨てるというやり方も目立ち始めます。

私が知る限りでも、「えっ、あの人が・・・!?」と絶句してしまうような協会の左遷人事や降格人事が1件や2件では済まず、これでは恐怖政治ではないかと心配になるほどでした。

そして極めつけは、定年制で任期満了後に名誉会長に退かれるのを前後して、後任の会長選考にあたって次期役員候補推薦委員会などという組織を立ち上げ、自らが委員長に就任されたことです。想像致しますに、ワンマンのみならず恐怖政治に近い状況で協会人事を操り、基本的に周りをイエスマンで固めてこられましたから、推薦委員会の委員長に就いておけば会長選考を意のままに操れるだろうと、実質上院政を敷かれたということなのだと思うのです。真偽の程は定かでありませんが、JFAハウス最上階に豪華な名誉会長室が新設されたという噂を耳にしたのもこの頃です。

お気付きになられた方もいらっしゃる方もいらっしゃるかと存じますが、これまで述べたことは、あくまでも川淵氏の会長就任後に起きた協会内の人事や異動並びに機関の立ち上げ等を私個人が観察、分析した結果を述べているに過ぎません。つまり想像の域を出ていないと指摘されればその通りと言わざるを得ないのですが、一方でフットボールを愛し、日本のフットボールの将来を憂いている人であれば、誰もがそのように感じてしまうのではないかと思うことも事実であります。

さて、そんな状況下で川淵氏は自身が退任された後の会長職を犬飼氏に託すという意外な人事を敢行されるわけですが、その犬飼体制の第1期満了後の改選時に今回のような騒動が起きることなど誰が想像しえたでしょうか。  (つづく)

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登録日:2010年 08月 31日 01:00:50

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プロフィール
小谷泰介
1955年、タイ王国バンコク市生まれのフットボールジャーナリスト。

四半世紀に及ぶ取材経験を生かしたジャーナリスティック、かつ辛口の解説は、ラジオやテレビで人気を博した。
また、本場欧州にプロクラブの監督や選手の友人が多く、クラブ経営にも造詣が深い。
チーム強化に重点を置いたクラブ運営に関する講演も好評。

著書に「拝啓 川淵三郎殿」(モダン出版)や「Jリーグ入門」[講談社)などがある。
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