ヤマザキナビスコ株式会社と飯島社長は偉い!!

 前回、ヤマザキナビスコカップの決勝戦を受けて持論を展開し、お詫びもさせていただいた次第ですが、言い残したことがあるので書き加えさせていただきます。

 前回の冒頭でJリーグよりも歴史の古いヤマザキナビスコカップと述べましたが、事実、この大会はJリーグが始まる前年の‘92年に第1回大会が開催されています。

 それ以前の日本のクラブレベルの公式戦といえば、日本サッカーリーグ(JSL)であり、雨の日に限らず、いつもスタジアムには閑古鳥が鳴いていました。(もっとも日本代表も似たり寄ったりでしたけれど。)

 それがどうでしょう。‘92年にプロリーグに名乗りを上げた10クラブによるお披露目的な装いでナビスコヤマザキカップが始まるや、サポーター達がスタジアムに押しかけ始めたのです。そう言えばサポーターという言葉も、この年に当時の川渕チェアマンによって推奨されて使われるようになりました。それまではヤンマーのファンとか、読売クラブのファンとか呼んでいたのです。懐かしいですね~。

 
 さて、第1回ヤマザキナビスコカップの決勝戦は、忘れもしない秋晴れの国立競技場に満員のサポーターを集めてヴェルディ川崎(当時)と清水エスパルスの間で行われました。それ以前にも何度か満員の国立競技場でフットボールの試合を観戦したことはありますが、その日は同じ満員でも明らかな違いが見て取れました。それは、スタジアムが両チームのカラーである緑とオレンジに染まっていたことと、両ゴール裏からそれぞれに一体感のある熱い応援が繰り広げられていたことです。

 そう、今では当たり前の決勝戦の光景がこの日、我が国のフットボール史上初めて国立競技場に出現したのであります。

 以来、15年間、ヤマザキナビスコカップは1995年を除いて毎年レギュレーションを変えながらもその歴史を刻んできました。特にワールドカップ開催年やその前年は代表チームの試合が多くなり、代表選手抜きのチーム同士の対戦があったり、リーグ戦と代表戦の狭間を縫うように不規則な日程で開催されたり、冷遇された大会の感を拭えない時期もありました。また、それは今でも完全に払拭されたわけではありません。

 しかし、その間ずっとヤマザキナビスコ株式会社は、変わらぬ姿勢で協賛を続けてきたのです。雨の日も風の日も、或いは病める日も健やかなる日もと口にするのは簡単ですが、なかなか出来ることではありません。この偉業はフットボールという文化の素晴らしさを理解していなければなし得ないことであり、若かりし頃、フットボールの本場英国に長期滞在経験のある飯島社長ならではのご判断、否、大英断といって良いでしょう。

 そして、いまやヤマザキナビスコカップは数々の名勝負を生み出した大会としてすっかり日本に定着し、サポーターに愛される大会となりました。

 また、この大会はリーグ戦ではないので、一発勝負の醍醐味、或いはホームアンドアウェーの醍醐味を味わえることと、それに付随して、リーグ優勝は無くとも頑張っているクラブに初タイトルをもたらすという役割を果たしてきました。清水エスパルス、柏レイソル、浦和レッズ、FC東京、そしてジェフ千葉市原とそれら各クラブのサポーターにとって、ヤマザキナビスコカップは悲願の初タイトルとなる忘れ得ぬ大会に違いありません。

 Jリーグ開幕以来、特にバブルのはじける前は、ありとあらゆる業種の企業がJリーグや各クラブに協賛をし、現在も大なり小なりそれは変わらないわけですが、私はヤマザキナビスコ株式会社ほどJリーグに貢献している協賛企業はないと考えます。もっというと麒麟麦酒株式会社と並んで日本フットボール界にもっとも貢献している企業として特別表彰しても良いくらいと考えています。

 何故ならばスポーツへの協賛とはその額の大小ではなく、どれだけその競技の普及のために貢献したかであり、その競技を愛する人たちに対してどれだけの感動と交流の場を提供出来たかであると考えるからです。(因みにヤマザキナビスコカップの協賛金がすくないという事では決してありません。優勝賞金は一貫して1億円ですし、それだけでもごりっぱ!)

 私は、ヤマザキナビスコ株式会社の回し者ではありませんし、同社の飯島社長と面識があるわけでもございませんが、嘘偽り無く心からそう感じる次第です。そしてJリーグを開幕からつぶさにご覧になって来られた方にはご賛同いただけるものと確信致します。

 フットボールの本場英国では、‘80年代初頭からカップやリーグにスポンサー名を冠するようになりましたが、日本のヤマザキナビスコカップに相当するリーグカップは協賛社が長続きせず、ミルクカップを皮切りにリトルウッズカップ、ランブロウズカップ、コカコーラカップ、ウォージントンカップ、そして現在のカーリングカップと6回もその名を変えてきた経緯があります。

 その点わが国はリーグカップのスタート時点から、ずっとヤマザキナビスコカップでありますから、今後も四半世紀、半世紀と冠名が変わらず、フットボールのカップ戦に於ける最長冠スポンサーとしてその名をギネスブックに刻んでいただきたいと思うのです。

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登録日:2006年 11月 07日 18:12:15

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プロフィール
小谷泰介
小谷泰介
(著者近影:昨年7月にチェルシーFCのレジェンドで元イングランド代表のケリー・ディクソン氏とともに)

1955年、タイ王国バンコク生まれ。
フットボール・ジャーナリスト。
四半世紀に及ぶ取材経験をベースにしたジャーナリスティック、かつ辛口の解説はラジオ、テレビで人気を博した。
また、欧州のプロクラブの指導者や選手に知己が多く、クラブ経営にも造詣が深い。

著書に『拝啓 川淵三郎殿』(モダン出版)、『来日サポーターPERFECT図鑑』(東邦出版)などがある。
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