2010年 08月 31日

日本協会の会長人事を巡るドタバタ劇を読み解く②


前回は故長沼健氏が会長に就任なさるまでの日本協会の流れを中心にお話しをさせて頂きましたが、このテーマの主役のお一人である当川淵さんが当時何をなさっていたかについて触れてみたいと存じます。

同氏は1981年に日本代表監督を辞められて以降暫く日本代表の強化担当として協会に在籍なさいますが、最後はその旧態然とした組織の有り様に嫌気がさし、協会を去る決意をなさいます。そして古河電工に戻って名古屋支社の営業担当となられ、本社の重役を目指してせっせと仕事に精を出されていたのです。

ところが1988年のこと、川淵さんは古河電工の子会社である古河産業へ出向する旨の辞令を受け取ることになります。当時51歳であられた同氏は、この辞令が古河電工本社に二度と戻れないものと悟るや、良く言えばその向上心、悪く言えば名誉欲の矛先をプロリーグの創設の為に費やす決意をなさいます。

川渕さんの自著「虹を摑む」によると、古河産業への出向辞令を受け取ってショックを受けていた時に、タイミング良くJリーグの前進である日本リーグの総務主事にならないかという誘いがあったようです。いずれにしても思い立ったが吉日、朝礼暮改も辞さぬ行動力の方ですから、タイミング良く日本リーグ総務主事に就任なさり、同リーグのプロ化を目指して同氏は人生の舵を大きく切ることになったのです。
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登録日:2010年 08月 31日 01:00:50

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プロフィール
小谷泰介
1955年、タイ王国バンコク市生まれのフットボールジャーナリスト。

四半世紀に及ぶ取材経験を生かしたジャーナリスティック、かつ辛口の解説は、ラジオやテレビで人気を博した。
また、本場欧州にプロクラブの監督や選手の友人が多く、クラブ経営にも造詣が深い。
チーム強化に重点を置いたクラブ運営に関する講演も好評。

著書に「拝啓 川淵三郎殿」(モダン出版)や「Jリーグ入門」[講談社)などがある。
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