アーネスト・ホーストの引退に想う

 K1グランプリで唯ひとり4回の優勝を誇るアーネスト・ホースト選手が、先日開催されたグランプリ・ファイナルをもって引退しました。

 もし優勝すればグランプリ制覇5回という大偉業を達成することになるはずでしたが、準決勝でセーム・シュルトに判定で破れ、その夢をたたれてしまいました。しかし、41歳という年齢でディフェンディング・チャンピオンである巨人シュルトに果敢に挑む姿は、多くの人々の心を打ったに違いありません。私は最終ラウンドあたりから目頭が熱くなり、試合後に彼がリングから四方の観衆に対して深々と頭を下げ、別れの挨拶を始めた頃には涙をこらえることができませんでした。

 シュルト戦の最終ラウンドで沸き起こったホーストコールや、リングサイドから控え室へと涙で退場する際に寄せられた大声援は、彼がいかに日本の格闘技ファンに愛されていたかの証なのだと思います。

 何を隠そう、私も大のホースト信奉者のひとりなのですが、実は昨年の秋に知人の紹介で幸運にもホースト本人と会食をし、その後一緒にカラオケを歌うという幸運に恵まれて以降、その人柄の良さに惚れこんで秘かに応援をしていた次第です。

 
 ご存知のようにホーストはオランダ国籍ですが、スリナムの出身で、フリット、ライカールト、セードルフ、ダービッツといったオランダ代表の黒人選手と同郷ということになります。ちなみに日本に馴染みのあるハンス・オフト氏もスリナム系オランダ人です。

 アメリカの黒人ではありませんが、オランダに於いてスリナム系の住民が財を成すにはフットボールや格闘技といったスポーツの世界で実力を示すのが手っ取り早く、そういった意味で前述の黒人選手達はその世界での成功者ということになります。しかし、スリナムの歴史を紐解けば、彼等が幼少の頃より人には言えない苦労と大変な努力を積み重ねつつ、今日の地位を築いたことは想像に難くありません。

 初対面のホーストにいきなりその辺の苦労話は聞けませんでしたが、驚いたのは究極のハングリー精神が要求される格闘技界の第一線で20年も体を張り続け、輝かしい実績を残しているのに、そのオーラは実に穏やかで暖かかったということです。

 箸で器用に割烹料理をつつきながら柔らかい物腰で会話をする様は、とても格闘家とは思えず、流暢な英語でインターネット事業についての語らいをしたのですが、まるで心理学者と会話をしているかのようでした。

 そして何と言っても特筆すべきはその謙虚さです。具志堅用高、渡嘉敷勝男、鬼塚勝也、戦闘龍、グレート草津と私が個人的にお話の出来た格闘家は皆さん押しなべて謙虚な方でしたが、ホーストもその例外ではありませんでした。

 さて、肝心の会話の内容ですが、その時期は彼がちょうど現役復帰を考え始めていた頃で、four times champion として、毎年K1グランプリのチャンピオンと対戦したいとの抱負を語っていました。その後の経過を辿ると、その願いが叶わなかったことが分かりますが、現役復帰への熱い想いは見事達成したことになります。そしてfive times championの夢は成就しませんでしたが、現役復帰をした最大唯一の目的である家族にその勇姿を見せることは充分過ぎるほどに果たせたのではないでしょうか。父親の現役復帰を強く望んでいた長男は、その瞳に偉大な戦士の姿をしっかりと焼き付けたに違いないからです。

 その他の話題ですが、スリナム系オランダ人ということでフットボールはお好きですかという問いには、予想通り「勿論!」との返事が返ってきました。少年時代はご他聞にもれずフットボールに夢中だったようで、ダービッツとは昔からの友達であることを明かしてくれました。ダービッツは、ファンニーステルローイ監督になってから代表に呼ばれなくなったことに心を痛めていて、移籍先も代表復帰が叶えられやすいクラブを探していたそうです。私はダービッツのようなハートのある選手には是非日本でプレーしてもらいたかったので、その旨を伝えると、彼に対して日本からのオッファーがあれば日本の素晴らしさはよく伝えて援護射撃するよとのことでした。

 また、一緒に某クラブでカラオケを歌ったことについてですが、これまた格闘家とは思えない高くて繊細な声で、リズム感宜しく楽しそうにマイクを握っていました。歌唱力もなかなかのもので、主にポップス中心のレパートリーだったと記憶しています。

 ところで、その場所は数軒のクラブと飲食店が何軒か入っている雑居ビルの中にあったのですが、ホーストが来ているとの話を聞きつけたビル内各店舗の従業員が、マジックインキと色紙やTシャツを持って押し寄せ、そのうちにまるでサイン会場の様な混然とした雰囲気となってしまいました。しかし、そんな中でも苛立つことなく笑顔でサインに応じ、ファイティングポーズで一緒に写真に納まる姿はまさにプロの鏡。心底、ホーストに惚れ込んでしまった次第です。

 Mr.Perfectが彼につけられた称号ですが、格闘家としてだけではなく、少なくともその日は人間としてもパーフェクトなホーストでした。

 そんな彼が今度こそ本当に引退を表明したことに対して、月並みではありますがその労をねぎらうとともに今後の人生に幸多かれと祈らずにはいられません。Good luck! Mr.Perfect!!

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登録日:2006年 12月 12日 11:08:43

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プロフィール
小谷泰介
小谷泰介
(著者近影:昨年7月にチェルシーFCのレジェンドで元イングランド代表のケリー・ディクソン氏とともに)

1955年、タイ王国バンコク生まれ。
フットボール・ジャーナリスト。
四半世紀に及ぶ取材経験をベースにしたジャーナリスティック、かつ辛口の解説はラジオ、テレビで人気を博した。
また、欧州のプロクラブの指導者や選手に知己が多く、クラブ経営にも造詣が深い。
チーム強化に重点を置いたクラブ運営に関する講演も好評。

著書に『拝啓 川淵三郎殿』(モダン出版)などがある。
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