バルサ来日記念特別企画  1990年バルサ初来日の日々①

<06クラブW杯>バルセロナ 4得点を奪ってクラブ・アメリカに快勝 - 横浜

【横浜 14日 AFP】サッカー、06クラブW杯(FIFA Club World Cup Japan 2006)・準決勝、クラブ・アメリカ(Club America、メキシコ)vsバルセロナ(Barcelona、スペイン)。
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(c)AFP/KAZUHIRO NOGI

AFPBB News


 FIFAクラブワールドカップジャパン2006に出場するために、FCバルセロナが来日しました。空港には200人を超えるファンが彼らを待ち受けていたようで、その人気のほどが伺い知れます。また、同カップの準決勝では、雨の中横浜国際に6万余の観衆を集めて見事なパフォーマンスを披露してくれました。

 今回の来日は3度目だと思うのですが、その昔、私はバルサがJAL CUP’90で初来日した際に大会の運営に携わっていた関係で、空港到着から離日まで約1週間、チームと行動をともにするという幸運に恵まれました。それまでにもトヨタカップでやってきたリバプールや、キリンカップで来日したブレーメンのお世話をプライベートでさせていただいたことはありましたが、事務局の中枢として運営全般に携わるわけですから、緊張と興奮の日々であったことは言うまでもありません。何しろ伝統あるバルセロナの選手として黄金期をもたらしたあのクライフが、その監督としてやって来たのです。

 しかし一方で、それまでの人生で私が耳にしていたクライフの性格に対する評判は、気難しい、気まぐれ、わがまま、金にうるさいとろくでもないものばかりでしたから、大会が無事に運営されるためにもクライフの機嫌が悪くなりませんようにと、祈るような気持ちで彼らの到着を待っていたことを懐かしく思い出します。

 
 今回のブログはバルサ来日記念と称して、16年前とちょっと古い話ではございますが、その際のバルサ密着秘話をお届けいたします。

 そもそもJAL CUP‘90は、バルサのプレシーズンツアーの一環として日本航空がスポンサーとなって1990年の初夏に実施され、広島で1試合、東京で1試合、いずれも日本リーグ選抜と対戦するという興行でした。

 当時は欧州のフットボールビジネスが肥大化する少し前でしたから、興行に来たというよりは、あの極東の日本に行けるぞという物見遊山的な雰囲気がチーム内にあり、実際にクライフ監督やラウドルップ等何人かの選手は夫人同伴でした。

 しかし、かといってプレシーズンですから首脳陣は新戦力の見極めを、そして若手選手はレギュラー獲得へのアピールをせねばならず、チーム内にだらけた雰囲気があったわけではありません。

 その象徴がストイチコフで、当時鳴り物入りでバルサに入団したばかりでしたから、来日直後の記者会見では同行した地元スペインの記者達の注目を一心に集めていました。恥ずかしいことに当時の私はストイチコフなど知りませんでしたから、会見の席上で隣にいたスタッフとあの選手は何者だなどとヒソヒソ話をしていた次第です。

 また、当時はボスマン判決が言渡される前ですから、中心選手もサリナス、スピサレータ、バケーロ、ベギリスタインといったスペイン代表で固められていて、今から思えば懐かしき良き時代でもありました。

 さて、一行は成田空港に到着後、東京に一泊し、翌日には空路広島へと移動。その広島が被爆地であることは当然スペインでもよく知られていて、到着するや団長、役員、クライフ監督と選手の代表が原爆の碑を訪れて顕花をしたり、監督の指示で選手全員が原爆資料館を見学したりと積極的に国際親善に勤しみました。

 そして翌日にはトレーニングの合間を縫って地元の子供達を対象にバルサがサッカースクールを開催することになっていたのですが、その打ち合わせの場で最初の問題が勃発したのです。

 一行の宿泊するホテルで夕食をとっていた私のところに通訳と運営スタッフが血相を変えて飛んできて、「クライフがサッカー教室は出来ないの一点張りなんだよ。何とかしてくれないか!」と言うではありませんか。クライフが教室を開催することは来日前のやり取りで確認済みでしたから、これが噂の気まぐれか、はたまた我儘かと懸念をいだきつつも、とにかく彼の座るテーブルに向かいました。

 スペイン語の通訳の方も、運営スタッフの方もフットボールに関しては素人だったので私に泣きついてきたのでしょうが、とりあえず率直にどうして出来ないのかを聞くしかありません。幸いクライフはスペイン語ほどではないものの英語も堪能だったので、私から直に質問することにしました。少年時代の憧れのヒーローとの初めての会話が難解な交渉ごとになる運命を呪いましたが、私もビジネスですから尊敬の念は抱きつつも、毅然とした態度で臨むしかありません。「私は教室の担当者ですが、何故明日の教室は開催できないのでしょうか?」と切り出しました。

 するとクライフは「150人もの子供を私ひとりで見るなんて不可能だと言ってるんだ。」と怒った様子もなく、余裕の答弁。確かにいくらクライフでもそれは無理な話ですが、私は彼が一方的にやれない、やりたくないと言っているのではないことを知り、まずは一安心です。

 以下は私の拙い記憶を辿り、出来る限り忠実に再現した私とかのクライフのやりとりでございます。

 小谷(以下K):「確かに、おっしゃるとおり。では、教室を開催するためには我々が何をすれば良いのかを指示いただけませんか?」

 クライフ(以下C):「そうだなあ、まず、我々の選手を助手として5名、出すことにしよう。それから、ゴールを対で用意して欲しい。あと、ボールが2~30個必要かな。」

K:「ボールは子供達がそれぞれ1個ずつ持参しますが・・・。」

C:「それはいい! あと、会場の広さはどれくらいかな?」

K:「通常のピッチ1面を押さえています。」

C:「OK! 完璧だ。 ところで教室の進行だけど、あー、紙と書くものあるかな?」

K:「は、はい。これをどうぞ。」

C:「えーっと、まず、(と紙に図を書きながら説明を始める)150人を35人前後の4つのグループに分けて、リフティング、シュート、ドリブル、ヘディングの練習をそれぞれ15分ずつ行わせよう。バケーロ、サリナス、ベギリスタイン、クーマンにそれぞれのパートを担当させることにする。そしてゴールキーパーはゴールキーパーで別のグループにしてスピサレータに見させよう。そして私はそれぞれのグループを巡回して、全体を見れるようにしたいと思う。」

K:「わかりました。広島のフットボール協会が何人かのアシスタントを手配してくれていますから、人手が必要ならばお申し付け下さい。」

C:「了解。ところで子供たちは何歳ぐらいなのかな?」

K:「小学校の高学年と中学生ですから、10~15歳といったところでしょうか。」

C:「いいだろう。」

K:「ただ、レベルにばらつきがあるかも知れません。」

C:「我々は日本の少年のスカウトに来ているわけじゃないから、問題ないよ(と笑顔をみせる)。」

K:「分かりました! 時間も約1時間で収まりそうですので、明日の教室は無事開催出来そうですね。」

C:「勿論!」

K:「ありがとうございます!!」

C:「どういたしまして!じゃあ、また明日。」

 とまあ、以上がクライフとのやり取りだったのですが、その直後、私は少なくとも今まで自分が耳にしてきたクライフに対する噂や風評がかなりいい加減なものであることを痛感しました。百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、先入観で人を判断することは過ちであることを思い知ったのです。

 要するに、彼は広島の子供たちを対象にフットボールの教室を開催することには同意していても、理屈に合わないことはやれないよと主張していただけで、クリニックの何たるかを全く知らなかった通訳の方がやれないという部分だけを大袈裟に捉えて焦っていたのです。

 それにしても、クライフの状況判断の良さと速さはどうですか!瞬時にクリニックのメニューを考え、誰をアシスタントにするのかを決定し、しかもその人選は子供たちのことを考えてスター選手を揃えている・・・。スパースターは人格もスーパーなのだと惚れ惚れした次第です。

 翌日の教室(クリニック)は大盛況のうちに終了した事はいうまでもなく、帰り際に子供達へのお土産まで用意する気配りを見せてくれました。それだけではなく、アシスタントをしてくださったマツダサッカークラブ(サンフレッチェ広島の前身)の選手達にもクライフ自らがお土産を手渡す気の使いようでした。

 クライフ以下、選手全員がフットボールという偉大な文化に携わるものとして、またプロフェッショナルとして、そして名門バルサの一員としていかに振舞えば良いのかを自然と身に付けていることに痛く感心させられた次第です。そこは今回来日したメンバーも変わらないことでしょう。

 教室の翌日はいよいよ日本リーグ選抜との第1戦が行われるのですが、私にはもうひとつ大事なミッションが待ち受けていました。そのミッションとは、エキジビションで行われる広島県選抜OB対芸能人文化人チームTHEミイラの試合にクライフを出場させるというものです。果たしてして彼が本当にピッチに立ってくれるのかどうか気が気でなく、その夜はなかなか寝付けませんでした。

 明るい材料はフットボールクリニックを通じて、クライフがサービス精神旺盛な真のプロフェッショナルであることが分かったことと、英語が達者なので直接会話が出来るということの2点でした。しかし、来日直後の打ち合わせでは出場の了解を取り付けていたのに、前日の打ち合わせでは、ハーフ(35分間)のみならという具合に微妙に変化していたのです。
  

                                 (つづく)

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登録日:2006年 12月 15日 18:41:18

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プロフィール
小谷泰介
小谷泰介
(著者近影:昨年7月にチェルシーFCのレジェンドで元イングランド代表のケリー・ディクソン氏とともに)

1955年、タイ王国バンコク生まれ。
フットボール・ジャーナリスト。
四半世紀に及ぶ取材経験をベースにしたジャーナリスティック、かつ辛口の解説はラジオ、テレビで人気を博した。
また、欧州のプロクラブの指導者や選手に知己が多く、クラブ経営にも造詣が深い。
チーム強化に重点を置いたクラブ運営に関する講演も好評。

著書に『拝啓 川淵三郎殿』(モダン出版)などがある。
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