だから、オシムで大丈夫!- 私の監督論(2)

次に、これは私が監督の重要性を説く大事な根拠のひとつとなるのですが、監督によってチームが劇的に好転する事例を幾つも目撃してきましたので、そのすべての事例をここに紹介したいます。

事例(1)
私はJリーグ開幕時から数年間、ニッポン放送とフジテレビの解説者として数多くのJリーグの試合と、選手や監督を取材する機会を与えられましたが、そんな初期のJリーグにあって、明らかに2つのクラブが監督の力で劇的に変わったと証言できます。

 
ひとつは、スチュワート・バクスター率いるサンフフェッチェ広島と、もうひとつはアーセン・ベンゲル率いる名古屋グランパスエイトです。

ご存知のようにサンフレッチェ広島の前身はJSL時代の名門東洋工業で、リーグ黎明期は現在のチェルシーのように、圧倒的な強さを誇っていました。しかし、マツダへと社名変更し、会社の業績が悪化するに連れ、チームも輝きを失い、やがてはJSL2部へと降格してしまいます。

再建を託されたのは、かつての黄金期メンバーで日本代表にも名を連ねた今西和男氏でした。営業の現場でも優秀な成績を収めておられた同氏は、当時のGMとしては現場と一般社会の両方を知る貴重な存在で、監督の重要性を熟知されていたに違いありません。

ハンス・オフト氏、ビル・フォルクス氏と本場欧州から指導者を招き、JSL1部復帰を果たすと、Jリーグ参入に向けて、スチュワート・バクスター氏を招聘したのでした。

当時、出資母体となるマツダは経営再建の真只中で、潤沢な資金があるわけではなく、選手にお金を仕えない分、監督だけはしっかりとした人物をというチーム戦略を選択したわけです。

今西氏がどのようにバクスター氏とコンタクトを取ったのかは知りませんが、バクスター氏本人は、英国の典型的なフットボール・ファミリーの出身です。しかし、イングランドのスタイルにこだわらず、世界の優れたコーチング学を習得して独自のスタイルを築くタイプの指導者でした。

そして、クラブはJリーグ2年目のファースト・ステージで見事に優勝!風間選手は既に大黒柱でしたが、外国籍選手にはさしたるビッグ・ネームはおらず、高木、森山、柳本らを育て上げることでチーム強化を計った末の栄冠でした。

その年のチャンピオンシップは金満クラブのヴェルディにあと一歩のところで敗れましたが、勿論監督の評価が下がることはありませんでした。

私が驚いたのはその翌年、ストライカーにハシェックを迎えたサンフレッチェ広島が、アウェーでのリーグ戦でヴェルディ川崎(当時)を確か6対1のスコアで粉砕したときのことです。

全選手にオートマチズムが浸透しており、流れるような攻撃からおもしろいように得点を重ね、王者ヴェルディを完膚なきまでに叩きのめしたのです。

私は今でも、この日のサンフレッチェ広島がJリーグ歴代のベストチームと思っているくらいで、攻守の切り替えの速さ、技術の速さ、そしてエンターテイメント性の強いフットボールを堪能しました。

また、コストパフォーマンスという観点から見て、財政的にあまり恵まれていないクラブが、倍以上の運営費を使っているスター軍団をコテンパンにやっつけたのは痛快でした。

そして試合後の記者会見で、バクスター氏は坦々とした表情で次のようなことを述べたのです。「今日の試合は、全てがうまく噛み合った結果であり、練習の積み重ねがあったからこそなので喜ばしい。しかし、ゴールを確実に決めるという能力は特別なもので、決めるべき時に決める選手がいたということを忘れてはならない」と。

つまり、この日ハシェックはヴェルディを相手に目のさめるようなスーパーゴールを含む3ゴール(ハットトリック)を決めているのですが、彼がいなければ大勝にはならなかったことを示唆したのです。

勝利に酔いしれることなく、きっちりと試合を分析していることに感動しましたが、得点を決める才能、一撃(finishing touch)は、練習だけでは養えないことをバクスターは10年も前にハッキリと述べています。

大事な局面でシュートが決まらなかったからと、試合前日に1時間20分も付け焼刃のシュート練習ばかりさせるどこぞの監督とは大違いです。

とにかく、初年度からJリーグに加入しているサンフレッチェ広島ですが、このバクスター時代が唯一最も輝いていた時期で、それ以降はご覧のとおりです。

その後、バクスター氏は大地震の爪跡が残る神戸で、悪条件の下チームを1部へと昇格させました。現在もまた、J2に降格したヴィッセル神戸再建の為に手腕をふるっていますが、最後には同クラブを昇格させるのではないでしょうか。

さて、次にアーセン・ベンゲル率いる名古屋グランパスエイトです。

いまや世界の名将として名高いこの人物が、Jリーグで指揮を取っていたこと自体が不思議と思われる方も多いでしょう。しかし、ちょうどモナコというチームを9年間かけてフランスのみならず、欧州のトップチームに育て上げ、気分転換に全く違う空気を吸いたかった時期に、名古屋からのオッファーがあったのです。これを偶然と呼ばすしてなんと呼ぶのでしょうか。

何はともあれ、ベンゲル氏の下で名古屋は大きく変貌を遂げます。それまではお金を使ってもろくな結果を出せなかったのですが、同氏は劇的にチームを好転させました。タイトル(天皇杯)も獲得しました。

世界の名将なので当たり前なのでしょうが、全く環境も言葉も違う国のリーグで、すぐに結果を出せるということはものすごいことです。やっぱり監督は大事なのですね。監督が全てと言いたくなる位です。

それが証拠に名古屋グランパスエイトが輝いていたのは、後にも先にもこのベンゲル時代のみ!同クラブは潤沢な資金を使えるにもかかわらず、実にコスト・パフォーマンスの低いチームと言わざるを得ません。

そして、ベンゲル氏が作り上げたチームですが、基本的にはバクスター時代のサンフレッチェ同様、豊富な運動量と速い攻守の切り換え、そして選手にはオートマチズムが浸透し、最後は決めるべき人が点を取る(ピクシー、森山、岡山などなど)といったスタイルでした。ちなみに後になって知ったことですが、ベンゲル監督はバクスター監督の師匠的存在であり、バクスター氏はベンゲル氏からかなり影響を受けているとのこと。納得です!

なお、余談になるかも知れませんが、この両監督は人間的にもそれぞれ魅力があり、バクスター氏は気さくな人柄で、ベンゲル氏は細やかな気配りの出来る人といった印象があります。

そしてこの両監督は、私が面倒を見ていた矢野マイケルという(日本人とガーナ人のハーフ)選手の才能を高く評価してくれていました。たら、れば、の話で恐縮ですが、もしもバクスター氏がずっと神戸に残ってくれたならば、この才能豊かな選手の将来は大きく変わっていたかも知れません。

また、ベンゲル氏も矢野マイケルを是非グランパスにと言ってくれた指導者でした。今から思えば誠に残念ながら、矢野マイケルは清水エスパルスのユースチームからのスタートを余儀なくされたのですが、ベンゲル氏は、エスパルスとグランパスのトップチーム同士の試合で、ボールボーイをしていた当時まだユースチーム所属だった矢野マイケルを見つけて歩み寄り、"Are you happy now?"と切り出し、何かあればいつでも連絡しなさいと言ったそうです。

これをベンゲルの「今は幸福かい?」事件と私は呼んでいますが、同氏が選手をつぶさに、細やかに観察するという良い監督の条件を備えていることの証明に他なりません。

以上、Jリーグの初期にべンゲル氏とバクスター氏という師弟がその在任中にチームを見事に変貌させた史実を紹介・検証致しましたが、次回は、セカンド・ステージ13位に沈んだ清水エスパルスを翌年優勝争いの出来るチームへと復活させ、2年間で3つのタイトルをもたらしたゼムノヴィッチ監督の事例を御紹介いたします。 

(つづく)

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登録日:2006年 07月 01日 12:29:09

コメント

成功事例集の史実はとても興味深いですね。

そうした紹介が終わったら、ぜひ組織や技術の具体的な小谷氏理論を聞いてみたいです。

楽しみにしています。

ミック @ 2006年 07月 02日 04:30:03

成功事例集の史実はとても興味深いですね。

そうした紹介が終わったら、ぜひ組織や技術の具体的な小谷氏理論を聞いてみたいです。

楽しみにしています。

ミック @ 2006年 07月 02日 04:30:12

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プロフィール
小谷泰介
小谷泰介
(著者近影:昨年7月にチェルシーFCのレジェンドで元イングランド代表のケリー・ディクソン氏とともに)

1955年、タイ王国バンコク生まれ。
フットボール・ジャーナリスト。
四半世紀に及ぶ取材経験をベースにしたジャーナリスティック、かつ辛口の解説はラジオ、テレビで人気を博した。
また、欧州のプロクラブの指導者や選手に知己が多く、クラブ経営にも造詣が深い。
チーム強化に重点を置いたクラブ運営に関する講演も好評。

著書に『拝啓 川淵三郎殿』(モダン出版)などがある。
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