いつでも、どこでも、絵になる長毛-香港街頭運動家の気になるひとコマ-

スパイ容疑の記者、支持者たちが釈放を求め抗議行動 - 香港

【香港 1日 AFP】8月に北京(Beijing)の裁判所からスパイ容疑で懲役5年の実刑判決を受けたシンガポールの英字紙「ストレーツ・タイムズ(Straits Times)」の記者、程翔(Ching Cheong)氏の釈放を要求する抗議集会が1日、香港で開かれた。
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(c)AFP/Samantha SIN

AFPBB News


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香港市民なら、誰ひとりとして知らない者がいない街頭運動家、梁國雄(リョン・コックフン)。あだ名は「長毛」(ロン毛)。長髪をたなびかせ、警官隊と激しくぶつかり合う。いわば、全共闘の学生が、ゲバルト生活をやめずに、そのまま50代のおじさんになった構図。

少年時代から街頭デモに明け暮れた民主活動家。2004年9月の香港立法会選挙に当選し、めでたく高給取りになった。

だが、議員になっても威張らない。えらぶらない。今までと同じようにまじめに街頭デモを続けている。Tシャツ姿でどこにでも駆けつけ、激しいアジ演説をぶつ。
街頭運動のアイドル。だから、香港のテレビニュースには、いつも登場。

そんな長毛を、香港の人々はこの上なく愛してきた。AFP香港支局のカメラマンも長毛がお気に入りらしく、香港人のなかでもバツグンの登場頻度。

龍眼もブログの2回目(06年4月29日)で長毛を詳しく紹介した。今回はあまりにも出来ばえのいい写真に惚れこんで、ちゃっかり龍眼が撮影した長毛の写真もご紹介。

◆むかし席揚、いま程翔

 10月1日は中国の建国記念日にあたる国慶節。写真はこれに合わせて、北京第二中級法院(地裁相当)で懲役5年の判決が出された、シンガポール紙『ストレーツ・タイムズ』の香港支局長、程翔記者の釈放を求める抗議活動を行う長毛と、パートナーの古思堯。

 白髪頭にあごひげ姿の古思堯は、四五行動創立以来のパートナー。聞くところによると、元ダンサー。二人が棺桶を担いで警官隊に体当たりする姿を、香港市民はくりかえし見てきた。共に香港民衆運動の名物男なのだ。

 抗議活動の主題となった程翔事件は、中国で取材中の程翔記者が、国家機密を入手したという容疑で逮捕された事件。『ストレーツ・タイムズ』自体はシンガポールの英字紙だが、程翔記者自身は長年香港の高給左派紙『文匯報』のコラムニストとして活躍してきた香港人のベテラン記者。だから、程翔事件は、シンガポールの問題である以上に、香港の問題としてとらえられている。

 06年8月31日、5日間にわたり非公開で行われた裁判の判決は懲役5年。これには、民主派だけでなく、かつて程翔が属した親中左派からも、厳しい批判が起こっている。

 程翔事件で思い出すのが、香港回帰前の席揚事件。香港の中立系紙『明報』の記者席揚が、1994年、中国政府の財政計画に関する記事をとがめられ、国家機密に抵触したとして拘束された。裁判所は懲役12年の判決。97年1月25日に席揚は釈放されたが、事件は、祖国回帰を前にした香港市民に大きな不安を抱かせる事件だった。

 中国では非典型肺炎SARSが流行した03年、当局の情報隠蔽を告発した元解放軍病院勤務の蒋彦栄医師がやはり拘束されている。経済発展、都市化、消費社会化いちじるしい中国だが、メディアは党、国家の宣伝機関。ひとたび政府の情報管理に反すると、過酷なまでの不条理、不利益を蒙りかねない。

インターネットや携帯電話で自由自在に情報が飛び交う現代に、このような情報管理がはたして有効かどうかは大いに疑問のあるところだが、当局のいう、「東洋的価値」のもとでは、「西方世界」(西側社会)のような、言論報道の自由は望むべくもない。

◆治安立法「国家安全条例」を葬った香港市民

 その点、香港にはまがりなりにも集会、結社の自由があり、言論、報道の自由がある。非典型肺炎SARSが猛威を振るった2003年。香港回帰記念日の7月1日に50万の香港市民が総決起した。 董建華行政長官が強行しようとした国家安全条例(治安立法)の制定、批准を香港市民の力で葬ったのだ。

 国家安全条例は、第二次天安門事件がおこった翌年の1990年、中国全国人民代表会議(全人代、国会にあたる)が定めた「香港基本法」に依拠している。同法の第23条によれば、香港特別行政区政府は、国家安全条例を自ら定めなければならない。

 中国の国内法としてはすでに成立している「国家安全条例」は、天安門事件直後という社会情勢もあり、内乱、暴動、国家分裂の煽動を禁じ、外国機関との通信などを未然に取り締まる「治安立法」としての性格を強く帯びていた。これを香港政府に自ら制定させることは、たいへん重い宿題でもあったのである。

 だが、世界同時不況と董建華の悪政で踏んだり蹴ったりだった当時の香港。非典型肺炎SARSの流行では、広東省当局が情報を隠蔽したため、董建華行政長官が初期対応を誤り、香港は一都市としては最大の犠牲を払った。もっと情報が公開、開示されていれば、SARSでこれだけの犠牲を出すことはなかったのではないか?

香港は一都市としては、SARSで最も多くの犠牲者を出した街でもある。

  680万市民の13人に1人が参加したという、七一50万人デモはこのような背景のもとで実現した。結局、「国家安全条例」は棚上げとなり、董建華行政長官は任期半ばで辞任。官僚出身の曽蔭権行政長官のもとで、香港は安定を取り戻したが、当時の運動を組織した草の根の「民間人権陣線」は、その要求を、「行政長官と立法会議員の全面普通選挙実施」に切り換え、いまも地道に活動を続けている。

  龍眼が提供した写真は、03年の七一デモの途上、銅鑼灣(コーズウェイベイ)の街頭でアジ演説をぶつ長毛と四五行動のメンバー。彼らの前に置かれたカンパ箱には、100ドル紙幣(香港ドル、日本円で約1,600円)が、惜しげもなく、次々と投げ込まれていた。

  太平洋戦争の敗戦、占領統治を経て、「押しつけ憲法」でアジアでいち早く民主化を達成した日本。私たちが経済大国にむかって奇跡的な成長軌道を描いていた時代、韓国、台湾、香港では、軍部独裁、一党独裁、植民地支配などの障壁があり、政治的民主化は後回しにされていた。

 だが、これらの社会に民衆運動が不在だったわけではない。戦後の歴史のなかで、韓国、台湾、香港の人々は、多くの犠牲を払いながら対抗勢力を鍛えてきた。それぞれに、さまざまな特徴と欠陥をそなえてはいるが、こんにち韓国、台湾では彼らが政権につき、香港では民衆の手で当局の暴政を止めさせるまでの力を持つにいたった。民主的な制度では先輩格なのに、いまなお対抗社会が不在で、小泉、安倍という煽動者のもとで、ひたすら「右旋回軌道」を歩む日本とは雲泥の差だ。

いまや、あきらかに形勢が逆転しているかに見える。

  次回の本ブログでは、台湾の「倒扁運動」の成否を占ってみたい。日本における報道量は絶対的に不足している。なにしろ、香港の友人たちは、「天安門事件の様子に似てきた」と騒いでいるのだ。

カテゴリー[ 香港 ], コメント[1], トラックバック[0]
登録日:2006年 10月 07日 00:42:27

コメント

長毛、いいねえ。マカオの民主運動にもこういうキャラが欲しいなあ。

塩出浩和 @ 2008年 03月 16日 14:34:40

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プロフィール
龍眼
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本名和仁廉夫。 ジャーナリスト。高校、予備校の教壇生活を経て現職。1990年代から香港問題に関わり、マカオ、台湾、中国、華僑華人世界の持つ多様な観点を紹介してきた。著書に、『旅行ガイドにないアジアを歩く・香港』(梨の木舎)、『香港返還狂騒曲』、『歴史教科書とアジア』、『東アジア・交錯するナショナリズム』(社会評論社)など。自称の「龍眼」とは、中国南部で広く食されるライチに似た果物。淡い茶褐色で、食味はジューシィ。そもそも「龍」とは、中華世界の幻の神獣。「龍眼」はその「龍の眼」に由来している。
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